« 夏は寒い | トップページ | 自転車が好きだ »

2007年8月18日 (土)

死に時を探して、僕らは生きる

この前、一人川で釣りをしながら考えたんだ。

生きることについて

そして死ぬことについて

 

僕は前から言ってるけど、人はただ生まれたから生きてる

この考え方に変わりはない。

I was born.

別に生まれたくて生まれてきたわけではない。

何の意思も持たず、ただ受動的に生まれてきた。

誰もがそう。

そして生きる。

そこに目的はない。

ただ受動的に生まれてきたんだから、はじめから生きる意味なんてあるわけない。

 

でも人間はそれじゃ生きられない。

だから何か探す。

夢?

目標?

なんか違う。

夢なんかなくったって、目標なんかなくったって、生きてる人は大勢いる。

 

そう考えながらこの本を読んだ。

 

日本人の死に時―そんなに長生きしたいですか (幻冬舎新書 く 1-2) Book 日本人の死に時―そんなに長生きしたいですか (幻冬舎新書 く 1-2)

著者:久坂部 羊
販売元:幻冬舎
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 

本当になるほどと思えた。

この本をヒントに僕はこう考えた。

 

僕らは死に時に死ぬために生きてる

 

僕らはただ生まれたから生きている。

別に生まれたくないのに生まれた。

そして死にたくなくても、やがて死ぬ。

生まれることも死ぬことも避けられない。

 

でも死は操作できる

別に自殺のことをいってるんじゃない。

言い方を変えると、いい死に方をするために生きてるってことかな。

この考え方は自殺も肯定してしまう考え方だからそんな大きな声で言わない方がいいのは分かってるけど、でも死は自分の意思を含んでいていいはずだ

この考えは安楽死を認める考え方。

安楽死は“死に時”をもの凄い考えた方法なんだ。

 

もう辛くて辛くて仕方ない。

十分生きた。

もう死なせてくれ。

 

これが死に時の一つなんだ。

 

重要なのは「十分生きた」と思えること

ただ「辛い」というのは死に時じゃない。

まだ何かできる。

「十分生きた」と心から思えるってことは、生きる気力をいい意味で失う事ができている

だから死に時なんだ。

 

でも場合によっては、ただ「辛い」というだけでも死に時になることもあると思う。

だから僕は自殺をもう簡単に否定できない。

なんとか否定したいところだけど、それはもう難しいんだ。

 

 

 

僕は思う。

死に時まで生きよう。

それがただ受動的に生まれてきた僕が、いい人生を送るってことなんだ。

それがいつか?

そんなの知るかよ。

少なくとも今じゃないし、まだ近くない。

好きなことして、仕事して、生きて、病気とかになって、「もういいか」って思った時。

目安は50歳かな。

50歳以降は体がちゃんと動いてくれるかどうか分からないしね。

事故で障害を負った体になっているかもしれないし、病気にもなってるだろうし。

だからやりたいことは50歳までにやっておこうと思うよ。

もし50歳過ぎてもピンピンしてたら、そこからはおまけの人生だと思えばいいかな。

 

もちろん明日とか来週とかに死ぬ可能性も考えなきゃいけないけど、そこまで考えたら疲れるから、まぁそうなったらドンマイで。

 

 

上で紹介した本はおすすめです。

一回読んでみるといいと思います。

 

人気blogランキングへ

↑よかったら押して下さい

 

|

« 夏は寒い | トップページ | 自転車が好きだ »

哲学的な」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 死に時を探して、僕らは生きる:

« 夏は寒い | トップページ | 自転車が好きだ »