« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »

2009年2月

2009年2月28日 (土)

小説1、漫画1、ノンフィクション1、映画3

Photo_2 今日は午前中は読書をして、昼過ぎにTSUTAYAに行って漫画と新書、DVDを借りて来た。

 

午前中は「悼む人」を読み終え、漫画は「PLUTO」の7巻を買って読んだ。

新書は「思いやり格差が日本をダメにする」というものを買った。きっと僕に言っているのだな、と思ったから買った。あまり難しい本ではなさそう。

 

映画は、テレビでやっていた「秘密」というのをまず観て、それがつまらなかった。

TSUTAYAで借りたDVDは「死神の精度」と「チルドレン」で、どちらも伊坂幸太郎の小説が原作の作品。

「死神の精度」はまぁまぁだったが、「チルドレン」は微妙だった。

どちらも、原作部分は面白かったんだけど、かなり映画用に作ったところが多くて、特に「チルドレン」は原作にない部分がつまらなかった。

映画が原作を越えるのは、やっぱり難しい。

 

さて今日はすっかり引きこもってしまったから、明日は外へ出よう。

フットサルもないし、一日自由だから地元を散歩しようと思う。

いつも通らない道を敢えて通る。歩いて。

そうするとけっこう面白い発見があるんだ。

会社の近くを昼休みに散歩して発見した楽しみだ。

それを明日地元でやってみようと思う。

 

ではまた。

 

★☆本日の英語☆★

Your one vice is you're too nice

   ~THE OFFSPRING「WANT YOU BAD」~

《訳》おまえのひとつの欠点は あまりにスバラシイってことだ

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「悼む人」を読んで、それからどうする

Photo ついさっき、「悼む人」を読み終えた。

とてもいい小説だと思った。

僕達は誰かの死を、大抵はマスコミを通じて知るわけだけど、その興味は死者ではなく、事件や事故などの『事』や、加害者に向けられる。

そして誰が、どのような人が生きていてそして死んだのかは忘れる。いとも簡単に。あるいは知らない。

僕はそのことをこの小説を通じ痛感し、猛烈に反省したい。

どこどこで何人が死んだ、なんてニュースはよく耳にするけども、その死は一人一人のもので、確かに生きていた人が一人一人死んでるんだよな・・・。

それに、注目された死とそうでない死も等しい死であることも思い知らされた。

この前の会社の先輩の沖縄の話も重なって、そう思った。

軽視されていい死なんてなくて、広島の原爆で死んだ人も、瀬戸内海を挟んで向こう側の四国の空襲で死んだ人も、沖縄で見捨てられて死んだ人も、みんな一人一人の死であり、差なんてあっていいはずがないんだ、と思った。

 

でもやはりいきなりはすっとは落ちてこない部分がある。

僕は全ての死を知ることはできないし、一人一人の死を想像するにも限界がある。しかもその限界は僕くらいの人間にはとても狭いところにある。

僕に何ができるのだろうか。というか、どうしたらいいのだろうか。

人の命を大切に、なんてことではない気がするし・・・。

やはり死んだ人を覚えているということなんだろうか。

誰に愛され、誰を愛し、誰からどんなことで感謝されていたかを、忘れずにいつまでも覚えていることなんだろうか。僕がするべきことは。

 

どうしても僕には違和感が残る。

死者を想い、覚えておくのはとても大事だと思う。でも、それが今を生きている人にどう働くのかがいまいち想像できない。

僕が今後誰かに対して殺意を抱いたときに、「この人も誰かを愛し、誰かに愛され、感謝されているんだろう」と思って、思い止まるとかか。

あるいはこの本を全世界の人が読めば戦争による死者が減るだろうか。

どうもピンとこない。

糸井重里がこの前NHKのテレビ番組で言っていた。「主語をもって語れ」と。

僕は「悼む人」を主語をもって語ろうとすると、どう思ったかは語れるけど、どうすればいいのかはよく分からない。すぐには行動には落ちない気がしている。

ただ同時に、そんなすぐに変化が起きるわけないし、そうあるべきでもない気もしている。

きっとまた、う~ん、あ~でもない、こうでもない、なんて悩みながら、色んな人の意見に傾きながら考えていくんだろうな。

でたぶん答えは出ないんだろうな。

いつも大体そうだ。答えが出ている“振り”はするけど。時には言い切らないといけないときもあるからね。

 

でもこういう、読み終わった後に考えさせる本はとても好きだ。

単純にすっと自分の中に落ちるのもいいけど、考えて自分なりの答えを探す行為が僕は好きだし。

著者の天童荒太が何年もかけて完成させた作品だ。

そんなすぐに全てを悟るってのも軽くて面白くない。

 

ちなみに僕はこういう時、作者の想いやらメッセージやらは一切無視して自分の解釈に一存するので、一般的な感想や解釈と全く異なる場合がたまにある。

アホだから。

 

あーもう13時近くだ。

9時くらいから読み始めたと思ったが、もうそんな経ってたか。

これもアホだからか。

 

 

ではまた。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

GOKAI

コミュニケーションは完全じゃないから、口を開けばそこには誤解ってやつが生まれる仕組みになっている。

誤解とはイメージだ。

イメージが地球を回している以上、誤解もあって然るべきものだから、この世から誤解がなくなれば地球は自転を止めちゃうんだぜ。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

寒い寒い

今日は朝から会社へ行き17時半まで働いて飲み会に行って帰ってきた。

 

今朝はとても寒かった。

最近はずっと空が雲に覆われていて、気分も優れない。

頭痛持ちの僕は、頭痛が続く日々だった。

 

会社の近くに、寒い日に鳩がたむろする場所がある。

下から暖かい空気が出てるそこに、今日は鳩2羽とおっさん2人がたむろしていた。

なんかちょっと心が和んで、思わずニヤけた。

 

午前中はずっと人事制度の説明会だった。

そこで人事の偉い人が言った。

「志を持った皆さんが財産です」

誰が、と思った。

志を持っていない人は財産ではないのか、と思った。

そういう問題ではないと思う。

人をそんなもので測るのは、僕はどうしても気に入らない。そんな不明確なもので。

 

飲み会は、昨年の9月から大阪に転勤になった先輩が東京にきていて、その人を囲む会って感じのものだった。

女性が8人で男は僕一人だった。

途中で猛烈に腹が痛くなり、一時的にトイレの住人となった僕は、テンションが上がらず、男一人という状況もあり苦しい時間帯が続いた。

会話の内容も女性らしい会話だったから、まぁ僕が参加する必要もなかったし、僕がちょっと何かを批判するようなことを言うと場が凍りつき、僕はまた“触れてはならない神”に触ったのだと思った。

 

今朝はバスで駅まで行っていた僕は、帰りの終バスを逃し、タクシーで帰る気にもならず1時間かけて歩いて帰ってきた。

一人で歩いている時間は、なんかホッとできた。やはり女性の中で生きるってのは大変なんだな、と思った。仕事中はあまり感じないことだが。

まぁ仕事中の僕はただの会社員だからかな。

 

でも別に女性をどうこういうつもりはなく、女性と男性は違うのだから、一緒にいればこういう感じになることもそりゃあるだろうと思うし、女性がどんな話をしようと、それが楽しいのならいいと思う。

みなに幸あれ。

 

 

ではまた。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月26日 (木)

あいむ たいあーど

Photo 今日は朝から会社へ行き18時半まで働いて帰ってきた。

 

何だか今日はとても疲れた。

昨日の疲れが残っているのかもしれないし、連日のお酒のせいかもしれないが、とにかく疲れた。

家に帰ってテレビを付け、NHKにチャンネルを合わせると、「おくりびと」と「悼む人」を取り上げて人の死について考える番組がやっていた。

内容はそれほど面白いというわけではなかったし、コメンテーター的な立ち位置の大学教授のコメントがあまり良くなかったけど、それでもNHKは面白い番組を作るなーと思った。

僕はまだ「おくりびと」を観ていないので、今週末にでも観たいと思う。

さてもう疲れて何もする気になれないので、寝転びながら「悼む人」を読んで一日を終わらせよう。

 

あ、何だろうこの疲れ。心なしか気持ちまでへこんできそうだ。

もしかしたら異動の内示に怯えているせいかもしれないな。

 

 

ではまた。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

立食パーティーに物申す

今日は昼から会社へ行き17時半まで働いてその後うちの会社主催のパーティーだった。

 

パーティーはとても疲れた。

僕はあの立食という形式がものすごく苦手だ。

あれは日本人には合わないのではないかと思う。

いや、日本人なんて言い方は卑怯か。僕には合わないと言い直そう。

 

僕はじっくり語りたいんだ。

「語る」という言葉は、それを聞くだけで嫌悪感を抱く人がいることは分かっているけど、べつにそんな重い意味ではなく、当たり障りない会話に徹するのではなく、もっと踏み込んだ会話がしたいってことなんだ。

立食だとそれができない。

そもそも、なぜ立食にするかというと、じっくり話すのではなく、浅く広く色々な人と話しましょうというコンセプトだからだ。

そんな会話から一体何が生まれるというのだろうか。

ただ会話をすることが大事なのであればそれでもいいんだろうけど、違うだろ。

会話をすることが大事なのではなく、その内容が大事なんだと、僕は思う。

だから立食は嫌いだ。立ちっぱなしで疲れるし。

 

立食なんてこの世からなくなってしまえ!

座って食べなさい!って子供の頃よく怒られたぞ!僕は!!

何でも欧米の真似してりゃいいってもんじゃねぇっての。

 

 

ではまた。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月25日 (水)

壮行会は大成功

Photo昨日は朝から会社へ行き17時半まで働いてその後会社の先輩の壮行会だった。

 

会社を出てから壮行会まではけっこう時間があったから、CDショップでNEW FOUND GLORYのニューアルバム「NOT WITHOUT A FIGHT」を買い、カフェで「悼む人」を読んでいた。

 

壮行会ではもう恒例となった、DVDの上映をした。僕が先週作っていたものだ。

会社の人に出演してもらったクイズを入れ、それに僕が好きなポップ・パンクの曲をつけて動画編集したものだ。今回はblink-182、ALLISTER、MXPXを入れた。

そして動画の最後にはBUMP OF CHICKENの「supernova」をBGMに会社の中の写真や会社の人からのメッセージを流して涙を誘ってみた。

去ってしまう先輩も、その他の出席者もみんな楽しんでくれたと思う。思ったより感動寄りにはならず、終始笑いが起きていたけど、喜んでくれたので何よりだった。

天邪鬼で冷たい心の持ち主の僕だけど、あー人に喜んでもらうのっていいな、と思った。

最初はその先輩の体調があまりよくないということで二次会はないことになっていたんだけど、よほど楽しかったのか、その先輩が二次会もやりたい、みたいなことを僕に告げてきた。

いやー、本当にしっかり準備していて良かった。あんなに喜んでもらえて、楽しんでもらえて、本当に良かった。

 

ただ僕は、一次会の最後に課長から頂くはずだった締めの言葉をすっ飛ばして一次会をお開きにしてしまった。

そういう詰めの甘さが僕なんだよな。

どうか課長がそのことに気が付いていませんように。

 

 

ではまた。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月23日 (月)

社会人は忙しいらしい

Photo 今日は朝から会社へ行き18時前まで働いて帰ってきた。

 

今日、アルバイトの女の子と話していたら、その子が「社会人になるとやっぱ忙しいですか?」と聞いてきた。

僕は、「いや、別にそんなことないよ。会社にもよるだろうし、人によるよ」と答えた。

でも社会人の人はみんな忙しくなるから今のうちに遊んでおけって言う、とその子は続けた。

ちなみにその子は今大学2年生で、一般的に一番遊べると言われる学年だ。

これが酒の場だったら僕の語りが始まるところだが(僕が最も語れるトピックの1つだもん)、さすがにそれはしなかった。

 

僕は帰り道のバスの中で思った。

僕が、社会人だからって忙しいわけじゃない、と考えるのは、たぶん僕の学生時代に原因がある。

僕は学生時代にあまり遊んでいなかったから、会社員になった今でも『遊び時間』に差がないんだと思う。だから忙しくなった、と感じないんだと思う。

でもたぶん多くの人は学生時代にたんまり遊んでいたから、それと比較すると遊び時間が減ってしまい、だから「忙しい」と感じるのではないか。

だとすると学生時代をエンジョイした人ほど会社員になると苦労するのかもしれないな。

「あの時は良かった」って思っちゃうんだろうな。そうすると現実はもっと悪く見えちゃうんだろう。かわいそうに。

だから自分よりも若い人に現実の厳しさを説くんだろう。

 

【忙しい<いそがしい>】

《形》文 いそが・し(シク)(動詞イソグから)

①急がずにはいられない。落ち着かない。「―い男だ」

②ひまがない。用が多い。多忙である。

③時にその状態に酔い威張り散らかす状況。「俺最近―んだわ~」

④飲み会をドタキャンする際の常套文句。「仕事が―から今日行けなくなった!」

                 ~広辞苑に追記~

 

学生の不安を煽るのは大人の悪い癖だよな。

なるほど。

不安をやたらと煽るのは何もマスコミだけの悪い癖じゃないんだな。

大人の悪い癖なんだ。

じゃあせめて僕くらいは、大丈夫、と言ってあげようと思う。僕が大人であるかどうかは置いといて。

楽観主義者ではないはずの僕だけど、みんなが悲観主義になるのなら喜んで楽観的になる。

 

ただ、「忙しい」ってことに関しては、会社員の大半がそれをかっこいいと思って、“暇な”大学生に対して威張っているだけのようにも思える。

 

 

ではまた。

 

☆★本日の英語★☆

I know it's hard for you

To understand what I'm going through

   ~NEW FOUND GLORY「DRESS TO KILL」~

《訳》わかってるよ オレが体験していることは 君にはなかなか理解できないって

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月22日 (日)

不便でブサイクなくらいがちょうどいいんだ

Photo 昨日はすっかり潰れてしまった僕だが、やはりいつも通り二日酔いにはならなかった。

記憶を失くしても、酔いつぶれても、次の日には完全に回復する僕の体はとても便利だ。

 

そんなわけで午前中に予定通り髪の毛を切りに行った。

美容院ってのはつい面倒くさくなってしまう僕だから、昨日のうちにちゃんと予約しておいた。

僕は約束は守るのだ。

 

今行っている美容院は今日で2回目。前行っていたところが潰れてしまい、ネットで探したのが今行っているお店だ。

初めて行く美容院では、必ず鏡の前にファッション誌を置いてくれる。

とりあえず趣味趣向が分からないから、みんなが読んでいそうな雑誌を置くんだと思う。

でも僕はファッション誌というものを一切読まない。いや、正確には雑誌を一切読まないんだが、特にファッション誌は立ち読みすらしない。

昔昔に一冊だけ買ったことがあるが、何が面白いのか全然分からなくてそれ以降全く読まなくなったんだ。

あんなイケメンばかりが載っている本を読む奴はみんなホモなんじゃないのかね。

 

今日美容院に行ったら、さっそく鏡の前には「Number」が置いてあった。

前回サッカーの話をしたからだと思う。担当の人がサッカーやってた人で、それで盛り上がった気がする。

もう1冊はファッション誌だった気がするが、それは全く読まなかった。

きっと次からはファッション誌は僕の前からその姿を消すだろう。

 

そうそう。ファッション誌批判のついでに、土地批判もしておこうかな。

よく「服どこで買ってるの?」とか、「髪どこで切ってるの?」とか聞く人がいるけどさ、あれって何なのかね。やめて欲しいよね。そんな質問で僕のことを量ろうとするのは。

その質問に答えている人を見ると、「渋谷」とか「原宿」とか言うんだよな。

土地かよ、って思う。

でも、ここで土地名で答えるのは今の僕たちの価値観を象徴していることだと思う。

つまり、「価値は土地にある」ってことだ。

渋谷、原宿、代官山、表参道?よく分からんけど、そういうところで生活をすることに価値がある。服を買ったり髪を切ったりお茶したりね。

ちなみに僕が言ってる美容院は地元の駅にあるとこだ。(地元の駅には美容院がたくさんあるので、ちゃんと選べる)

僕の友人でこの前、「俺原宿で髪切ってる」と言ってる人がいたんだけど、だから何だよ、としか僕は思えなかった。

いや、それよりもむしろ、そんなことにしか価値を見出せない奴、と思っていたかもしれない。

ようはブランド志向なんだろうな。そりゃ原宿の美容院の技術は高いのかもしれないけどさ。それは僕には知るよしもない。

ただ、土地の名前を出して自分の価値を高めようって奴は、僕にはちょっとつまらない人間に映ってしまう。

 

でもみんなそういうものに必死にしがみついて生きてんだろうな。

「みんなと同じ」とか、「雑誌に載ってた」とか、そういうのにしがみ付かないと不安で死んじゃうんだろうな。

きっと人間はウサギの化身だ。

 

【兎<うさぎ>】

①(「う」は兎のこと、「さぎ」は兎の意の梵語「舎舎迦」の転とする説と朝鮮語起源とする説とがある)ウサギ目の哺乳類の総称。耳の長いウサギ科と耳が小さく、小形のナキウサギ科とに大別。ウサギ科はオーストラリア・ニュージーランドなどを除く全世界に分布するが、以前いなかった地域にも移入されて野生化している。日本には北海道にユキウサギ、それ以外の地域にノウサギがある。また、家畜としてカイウサギを飼育。耳長く、前脚は短く後脚は長い。行動は敏捷・活発で、繁殖力はすこぶる大。肉は食用、毛は筆につくる。おさぎ。

②寂しく不安になると死んじゃう動物。

                   ~広辞苑に一部追記~

 

それとも、そこに確実にある価値が僕に見えてないだけなのかな。

僕には見えないものが、多くの人には見えているのかな。

だとしたら残念なのは僕の方だな。

いいけど別に。

 

まぁ人の価値観はどうでもいいとして、僕は都心にお金を落とすよりも地元にお金を落とそうと心がけている。

都心にあって地元にもあるものなら、絶対に地元のものを使う。

新宿や渋谷が発展しても、僕には見返りは何もないからね。

それに僕は地元が好きだからね。

 

僕は完璧で便利な女性より、ちょっとダメな女性が好きなんだ。

 

 

ではまた。

 

 

☆★本日の英語★☆

There's no fixing what went bad

So many fatal mistakes

      ~MXPX「MY MISTAKE」~

《訳》過ちを正す術はないんだ 致命的な失敗が多すぎて

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

酔う

酔うってのは、よくあることだけれとも、今日の僕は完全にアウトだった。

ROONEYSのメンバーの女の子の誕生日会で酔いつぶれてしまった。

原因はよく分からない。

午前中のサッカーの疲れかもしれないし、一次会のまずい日本酒のせいかもしれない。

でも、そんなことは二次会でほとんど寝てしまったことの言い訳にはならない。

たぶん人は僕のことを最低という。

僕もそう思う。

僕は最低の男だ。

彼女がいないことに、世界中の人が納得する。

 

しかし、お酒に酔うってのは一体なんだんだろうか。

アルコールの摂取量でいったら、今日の僕はそんなには摂取していない。

でも僕は今日、寝た。

一昨昨日は記憶をなくした。

あ、やっぱ僕は最低だ。

たぶん、酔うが何とか、記憶を失くすメカニズムなんて、もはやどうでもよくて、無条件に僕はダメ人間だ。

何かもうお酒の飲み方がよく分からないぞ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月21日 (土)

沖縄は何も語ってはくれない

Photo 昨日は朝から会社へ行き17時半まで働いて飲んで帰ってきた。財布を持っていくのを忘れたので昼飯も飲みも帰りのタクシー代も全部先輩に出してもらった。

 

いつもよく飲んでいるその先輩は、昨日はとても荒れていた。

事情は様々あるんだけど、そのせいか今までに話したことのない話をしていた。

沖縄についてだった。

沖縄がどのようにして戦争に巻き込まれ、日本から見捨てられたか。

先輩は、何も知らずに沖縄をただの観光地だと思っている奴が多過ぎる、と怒っていた。

今でもまだ遺骨が出てくるんだぞ、と。

僕は何も知らないその一人だった。

沖縄について考えたことはないに等しかった。

広島・長崎・東京に想いを馳せたことはあっても、沖縄を想ったことはなかった。

だから僕は先輩の言い分を何も言わずに、ただ聞くしかできなかった。

僕が黙ることは滅多にないことなんだけど、でもその時の僕は黙る以外に何もできなかった。

「知らない」ということは何と情けないことか、と思った。

 

ただ、世の中には知らないことが多過ぎるのも事実で、その全部を知るのは無理だ。

だから僕が沖縄について“知る”ことがいつになるかは分からないし、結局何も知らないまま死ぬかもしれない。

でも昨日先輩が語ってくれたことで、少なくとも沖縄とはそういう場所だ、という認識だけはできた。

それだけでも幾分かは違うだろうか。 

 

【沖縄<おきなわ>】

①日本最南端の県。沖縄本島をはじめ琉球諸島を含む。県庁所在地は那覇市。面積2265平方キロメートル。人口129万5千。全10市。太平洋戦争の激戦地となり、敗戦の結果、アメリカが施政権を行使。1952年4月、自治体琉球政府がおかれたが、その施政の範囲には制限があった。72年5月15日、米軍基地の存続など問題を残し施政権は返還。

②沖縄本島中部の市。1974年、コザ市と美里村が合併して発足。駐留米軍の嘉手納空軍基地がある。人口11万7千。

                        ~広辞苑より~

 

 

ではまた。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月19日 (木)

有給休暇に引きこもる

Photo 今日は有給休暇だった。一日中家にいた。

 

家では、会社の壮行会で披露する映像を朝からずっと作っていた。

本当は完全に作りきるつもりだったのだが、素材の一部を会社のPCに保存してしまっていたことに気付き、作業をやめた。

 

それからはずっと本を読んでいた。

本当は髪を切りに行こうと思っていたんだが、面倒になったのでやめた。

三浦しをんの「月魚」を読み終えた。面白かった。

僕が読んだ三浦しをんの作品は2つ目だった。前回は直木賞受賞作品「まほろ駅前多田便利軒」を読んだ。これはかなり面白かった。

今日分かったことは、三浦しをんは面白いということだ。

文学的なことはよく分からんが、とにかく面白い。

 

さて次はノンフィクションを読もうと思う。

この前買っておいた「狂気の核武装大国アメリカ」(ヘレン・カルディコット)を読む。

何とも過激なタイトルだと思ったんだけど、この前映画「ミッドナイトイーグル」を見て、そういえば最近「核」のことについて考えてないな、と思ったから買った。

また触発されてアメリカ批判を書くかもしれない。

最近あまりアメリカについて発言していなかった。それは一旦世界平和のことは考えないようにしていたからなんだと思うけど、よく考えたら日本は思いっきり影響を受ける立場だった。

世界平和に関わるとかではなく、日本の平和に関わる話だった。

オバマは日本との国交を深めようとしているとか、していないとか。

そしてアフガン戦争に力を入れると発言しているとか、してないとか。

だったら僕が核について考える必要はあるな、と思う。

別に何をするわけではないけどね。

 

ではまた。

 

☆★本日の英語★☆

Be careful everywhere

Too many enemies

Or are they only in my mind?

    ~INNERLOGICS「Online Disease」~

《訳》何処に居ても気をつけるんだ 周りには敵が沢山いる それとも敵っていうのは俺の中にあるのか

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

酷く酔う

あー。今は朝の6時半だ。

昨日は会社の人と4人で飲んで帰ってきた。

“何とか帰って来られたようだ”。

というのも、全然覚えていない。

3人と駅で別れたのは覚えているが、それ以外は何も覚えていない。

店から駐輪場まで歩いたことも覚えていないし、チャリで家まで走ったであろうことも覚えていない。

唯一覚えているのは、チャリで垣根に突っ込んで「どでーん」とこけたことくらいだ。あれはまさに「どでーん」だった。

それは何となく覚えている。

スーツが汚れていたから間違いないだろう。

会計を、現金がなかった僕がカードでまとめて払ったのは覚えているが、みんなからお金を回収したのかしてないのかも、覚えていない。

こんなに覚えてないのは初めてだ。ぶっちゃけ、会話の内容もあまり覚えてない。

朝起きたら、コートとジャケットはテーブルの脇に脱ぎ捨てられ、ワイシャツにネクタイを締めたままだった。マフラーと手袋、ポータブルオーディオプレーヤーは机の上に放ってあったし、鞄はチャリのカゴに入れっぱなしだった。もちろんコンタクトレンズも着けたままだ。

我ながら酷すぎる、と思う。

 

ただ恐ろしいことは、こんな状態で帰ってきたのに、自然と6時過ぎに目が覚め、激しい頭痛や吐き気がなく、このままシャワーを浴びれば会社に行けるであろう、ということだ。

きっと神様みたいな奴がいて、僕が会社に行けるよう何だかんだで操っているんだと思う。

でも僕は今日、有給休暇だ。

神様は何も分かっていない。

 

もっと寝かせろや!!

 

 

ではまた。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月17日 (火)

腹痛の昼休み

Photo 今日は朝から会社へ行き19時前まで働いて帰ってきた。

 

今日は朝からずっと腹痛だった。

朝飯を食べないのはよくあることだが、今日は昼飯も食べられなかった。

午前中だけでたぶん5回はトイレに行った僕は、さすがに昼飯を食べる勇気が湧かなかった。

昼休みの直後に部会があったため、昼飯を食った場合1時間半もイスにじっと座っているのは無理だろうと思った。

だから昼食を抜いた。

 

僕はよく腹が痛くなる。

腹が痛くなるのは何故なんだろうか。

今日は朝飯も食べていないから、それによって腹を壊したということはない。腹を冷やしたということもないと思う。

昨日あたりから朝起きるとちょっと喉が痛いから、風邪菌が腹にきたのかもしれない。

でもいずれにせよ、腹痛ってのは胃腸のものを対外に放出せよ、という合図なんだろうな。

陣痛と一緒だ。妊娠の場合は胃腸のものではないけど、腹のものを対外に出す合図としての痛みという意味では、陣痛と腹痛は同じだ。

きっと妊婦の人の痛みはこんなもんじゃないんだろうけども。

腹痛という痛みがなければ、僕の胃腸にある糞はどうなるんだろう。無事に、糞を出したい!という欲求は湧くのだろうか。

人体は不思議だ。

 

 

そんなわけだから昼休みは自席にいた。

Yahoo!ニュースを見てみたら、中川財務相のニュースばかり載っていた。泥酔状態で記者会見に臨んだ件だ。

昨日までは続投の意志を表明していた。

そして12時半過ぎにちょうどリアルタイムで、中川財務相が辞任の意を表したというニュースが飛び込んできた。

 

こういうネタで騒ぎ立てるマスコミもつまらないなーと思っていたが、まぁもちろん泥酔状態で記者会見に出ちゃまずいだろうとも思っていた。

しかしいざ辞任となると、政治家というのも大変だなーと思う。

だって会社には二日酔いで出社する人はいるし、会議で居眠りする人もいる。まぁ僕だけどさ。

でもさすがに自分が喋る場で寝る人も泥酔している人もいないか。

 

泥酔はダメにしても、政治家ってのはちょっとした失言でも進退を問われるし、他の党からやたらと攻められる。

大変だよな、実際。

ようは足の引っ張り合いの世界なんだ。

結局は相対的な評価だからな。自分が良くならなくても、相手が悪くなればいいってわけだ。

まぁそりゃそうなんだろうけどさ。

何かもっと違う話で政治に興味がいくようになればいいな。

誰が大臣でも、誰が総理でも、政権を執るのがどこの党でもいいからさ、日本の行方について議論がしたい、と思う。

 

 

ではまた。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月16日 (月)

覗く、覗かれる、気にしない

Photo 今日は朝から会社へ行って19時前まで働いて帰ってきた。

 

今日の昼休み、会社の同期がこのブログを発見したと言ってきた。

彼にはブログを書いていること、本名を公開していることを教えていたので、見つかるのは当然といえば当然だ。

それに、僕の名前で検索してこのブログにたどり着いた人が今までに何人かいることも知っていた。アクセス解析なる機能を使えば分かってしまうんだ。

最近4ヶ月で「上杉健太」で検索して当ブログにたどり着いた人は、のべ17人もいる。

ただ、みんながみんな僕の名前のつもりで検索したのではないだろう。

この日本には他にも上杉健太さんはいるからね。

 

この前びっくりしたのは、「自由気ままーん」で検索してきた人がいることだ。

最近4ヶ月でのべ4人もいる。

これはちょっと驚いた。

どういう状況なのか、と想像してみる。

 

まず考えられるのは、人づてに聞いて検索した。「自由気ままーん」というブログがあると。

もしこれだったら、誰かが僕のブログの存在を誰かに教えたことになり、それなりに光栄だ。たとえ、このブログ意味分かんないぜ、見てみろよ、というクチコミだとしても光栄だ。無関心よりはだいぶいい。世間に無視されるよりはだいぶいい。

マザー・テレサは言った。愛の反対は無関心だと。

 

次に考えられるのは、他の「自由気ままーん」というものを探してたどり着いてしまったパターン。

これは面白い。僕以外にも「自由気ままーん」などという気の抜けた名前を何かに付けた人がいることになる。それは愉快だ。

この可能性はありそうな気がする。

 

他の場合もあるだろうか。

何となく「自由気ままーん」と検索した人もいるだろうか。いや、これはないだろうな。たった4人と考えればこの可能性はほとんどないと言っていいだろう。

 

それにしても、どういう人がこのブログを読んでいるんだろう。

会社の同期は、このブログを見つけたことを僕に教えてくれた。だからもしかしたら彼はこの先もたまにはここに来るかもしれない。

でもきっと他にもこれを見ている人がいるのかもしれないな、と僕は思っている。

のべ17人が「上杉健太」と検索してここにたどり着いているんだからね。

まぁもちろん僕は知り合いに見られる覚悟もして本名を公開したわけだから全く構わないし、見られて困ることもない。はずだ。

mixiで日記書いている人は知り合いに公開しているわけだから、あれと一緒だ。大したことではない。

 

きっとこのブログを通じてしか僕の頭の中を覗けない人にとっては、僕は実に腹黒い男に見えることだろう。

あまり話したことない人は、勝手に僕のイメージを作っているからね。

勝手にイメージを作って勝手に幻滅する。それが人間だもんね。

まぁでも腹黒い僕も僕なわけだから、僕のことを知ってもらえるという点でこのブログは、僕にとっては有意義なメディアなんだと思う。

腹黒いってことは二面性を持っているということで、今まで一面しか見ていなかったところが二面目も見えるようになるんだから、僕のことを腹黒いと認識することはいいことだ。

 

といっても別に知り合いが見ていることを意識して書くことは有り得ないんだけどね。

テーマはいつでも、「自由気ままーん」なんだ。

勝手に書きたいことを書くよ。

表現には気をつけたいとは思うけどさ。

 

 

ではまた。

 

☆★本日の英語★☆

Can you hear the sound of hysteria?

     ~GREEN DAY「american idiot」~

《訳》あのヒステリックな音が聞こえるか?

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月15日 (日)

「ミッドナイトイーグル」は残念な映画だ

Photo_3 さっきテレビで「ミッドナイトイーグル」を観た。

アメリカ軍の戦闘機が北アルプスに墜落し、それに搭載されていた核爆弾を巡って戦闘が起きるお話だった。

ラストでは、おそらく北朝鮮の工作員と思われる集団から核爆弾を主人公が守るシーンだった。

映画は“感動方面”に傾ききっていた。武装集団に囲まれ絶体絶命の状況において、ベラベラと個人的な会話をし、明らかに“感動”を狙っていた。

さらに本格的にヤバい状況と分かると総理大臣に連絡をして、自分をまき沿いにしていいからナパーム弾を投下して敵を一掃してくれ、とお願いした。

アルマゲドン的な感動を狙っていたのだろう。自分が犠牲になり日本を守るという。

ただ笑っちゃうのが、そのお願いに対して総理大臣がめちゃくちゃ迷っちゃうんだ。

ここがこの映画の残念なところだと、僕は思う。

主人公が守っていたのは核爆弾だぞ。日本にとって特別な思い入れのあるもののはずだ。

それを背に主人公はぺちゃくちゃと喋り散らかし、総理大臣は核爆弾が起動するのを阻止することに躊躇する。

何なんだこの映画は、と思った。

そういえば主人公と一緒に核爆弾を守っていた自衛官は、援護に来たヘリに、この吹雪では無理だから帰れ!と叫んでいた。

そして帰れと言われた親しい仲の自衛官は帰った。

何が何でも核爆弾を起動させないという覚悟は、自衛官にも総理大臣にもないようにも見えた。

何度も言うが、核爆弾だぞ。

この日本で核が出てくる映画を作るなら、もっと考えて欲しかった。

なんで原爆を落とされた唯一の国が、核爆弾をあんなに軽視できるのだろうか、と思う。

だから僕はこの映画を「残念な映画」と呼ぶ。

僕は本当に残念に思う。

大体、アメリカ軍はどうしたんだろうか。まったく登場しなかったな。

案外この映画は、“肝心なときにアメリカは守ってくれない”というメッセージが込められていたのかもしれない。

 

「感動」に傾いてしまったこの映画だが、まぁ感動しない映画よりは感動する映画の方がいいとは思う。

でも感動ありきは違う、と思う。

感動は副産物でいい。

 

 

ではまた。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フットサルは難しいんだ

Photo_2 今日はフットサルの練習だった。

 

そんな久しぶりってわけではないはずなんだけど、何かボールが足につかなかった。まぁいつもそうなんだけど、感覚的に。

でも体はよく動いてスピードにも乗れていた。そういう時の僕はけっこういい。自分の武器を活かせるか活かせないかは、僕にとっては本当に大事なことなんだ。短所もはっきりしている僕だからね。

 

さて、今日も思ったことなんだけど、フットサルってのは本当に難しい。

フットサル人口は増えているんだけど、みんな何となくやっているだけだから、サッカーの一種みたいに考えているような人が多い気がする。

会社のサッカー部の人の会話からもそういうのが読み取れる。

 

5年以上フットサルをやっていて思うのは、サッカーとフットサルは全然違うということだ。

それがROONEYSのメンバーと共有できているか、そこが問題だ。

しかも、みんながそんなに真剣にフットサルをやりたいと思っているかが、僕にはいまいち判断できない。

いずれにせよスパルタ的にやるつもりはないんだけど、本格的にフットサルをやるのか、あくまでも“サッカーのようなフットサル”をやるかは決めておきたかったりもする。

まぁたぶんメンバーに聞いても誰も答えてはくれないと思うので、僕の意向次第になってしまうわけだが・・・。

 

僕はフットサルっぽい動きができるようになりたいと思っているから、練習メニューなどを考えてメンバーのみんなも勝手にフットサルの動きができるように仕込んでいかなくてはならない、と思っている。

ただここで問題がある。

僕はそんな練習メニューを作れる自信がない、ということだ。

メニューは昔から自分で作っていたけど、みんながフットサルの動きを身に付けられる練習メニューを考えようとすると頭から煙が出そうになる。

アイデアはいくつかあるんだけど、その練習が盛り上がる気がしない。

盛り上がるか盛り上がらないかというのは、ROONEYSのような地域スポーツクラブにとっては死活問題なんだ。

まず「楽しい」が最初にこないといけないから。

フットサルの動きを身に付けることができ、且つ楽しい練習メニュー。

う~ん。何だか頭の方が焦げ臭くなってきたぞ・・・。

 

ゲームが一番の練習というのは分かっているんだけど、でも何も意識しないでゲームをやっていてもあまり進歩はない気がしている。

やはり言葉を使うしかないのかな・・・。

言葉を使って、フットサルの動きを説明し、練習でやる。

本当はこれがいいし、普通はそうするんだけど、そうすることで“引く”メンバーが出てきそうなのが僕は怖い。

僕は油断すると熱血に片寄ってしまうので、それも怖い。熱血に走る自分が怖いということもある。

 

野球やってるときもテニスやってるときも、こんな悩みはなかったのにな。

まぁ野球は指導者がいたし、テニスは個人競技だからか・・・。

団体競技の監督とかコーチって、きっと日々悩みながらやってるんだろうな。

僕はサッカーの監督とかすぐに批判するような人間だけど、ちょっと控えよう。きっと彼らも大変なんだ。

 

ただ僕が悩んでいるっていうことは、メンバーには関係のないことだ。

だから僕は、しれっと練習メニューを持っていって、それを実践してみようと思うよ。間違っていたらそれはそれだ。直せばいいや。気楽にやろう。

僕自身が楽しむということもとても大事なことだからね。

 

 

ではまた。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新宿は笑う

Photo 昨日は夕方から映画を観に行きその後飲んで帰ってきた。

 

映画は友人Fと観に行った。誰かと映画を観に行くのはとても久しぶりだった。

「少年メリケンサック」を観た。

映画の感想は、まぁ面白かったって感じ。アホ映画だ。宮崎あおいはかわいかった。

映画館は何度も笑いで盛り上がっていた。僕は、ずいぶんとみんな笑いのハードルが低いな、と思った。

隣の席の男性の笑い声が大きすぎて、それが気になった。たぶんあの人は、俺は笑っているぞ、と誰かに教えたかったんだろうと思う。膝を叩いて笑い出した時には、映画のシーンよりもそれに笑いそうになった。笑いながら殴りたい衝動に駆られた。

新宿の歌舞伎町で観たんだけど、公開初日ということもありマナーの悪い人がとても多かった。

まぁ映画の種類が種類なのであまり気にはならなかったが、やはり極力行きたくない映画館だなと思った。僕はやっぱり都下が好きだ。

誰かと観に行こうとするとどうしても都心に行かなければならなくなるんだよな・・・。そのへんが面倒くさい。

 

その後そのまま友人と酒を飲んだ。

バレンタインデーに男二人でサシ飲みだ。

何を話したかよく覚えていない。2軒行ったことは覚えていて、2軒目のお店がなかなかいい店だった。

 

 

さて今日はフットサルの練習だ。久しぶりだ。

ちゃんと動けるかな。

 

ではまた。

 

★☆本日の英語☆★

Cause there's no easy answer

Greed became a cancer

And now its eating us away

    ~ELEVENTYSEVEN「MORE THAN REVOLUTION」

《訳》簡単な答えなんてない 強欲さはガンのようになる 僕らを蝕もうとしている

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月14日 (土)

ばれんたいん

Photo 昨日は朝から会社へ行き17時半まで働いて飲み会に行った。そしてそのまま友人宅に泊まって、日付が変わった今日帰ってきた。

 

以前、うちの会社ではバレンタインデー廃止令が出されたと書いたが、結局うちの課では男性社員二人(僕と課長)にチョコを用意していた。昨日の朝もらった。

もちろんその準備をするのは新入社員の仕事だ。

僕がその新入社員に、廃止令無視したんだ?と聞くと、うちの課は男性が二人しかいないのでやってもいいかなと思って、と答えた。

ホワイトデーのお返しは10数人分だけどな!と思ったが声には出さなかった。

他にも、付き合いのある他部署の女性陣からチョコをもらった。

いずれも100%義理でできたチョコだ。特に意味のあるものではない。

 

クリスマスもそうだけど、僕はこのバレンタインデーが嫌いだ。

大体、『愛を告白する日』っていう設定が気に食わない。

なんで愛を告白する日を誰かに決められなきゃいけないんだ、と思う。なんでチョコなのかもよく分からないし。

まぁそういう設定をしとくと“チョコが売れる”ってことなんだろう。

バレンタインデーがなくなって困るのは、密かに本命チョコを期待している男子でも、チョコの数を競うジャニーズでもなく、お菓子メーカーだ。

みんな、どこぞの誰かが勝手に作った設定に操られている。

 

それにしても、はたしてバレンタインデーに愛の告白をする人っているんだろうか。

小学校までは異性を意識するイベントであった気がするが、中学校以降は女性の中だけのイベントになっていた気がする。女性同士でチョコを交換し合っていた。そのついでに男にもあげるみたいな雰囲気だった。

モテない僕だけが抱く印象かもしれないが・・・。

まぁでもそれはそれで、“チョコを買う日”には違いないので、まぁいいんだろう。

バレンタインにおいては、告白をするかしないかではなく、“チョコを買うか買わないか”が重要なのである。

まぁ、いくら操られててもその人たちが幸せになれるんならいいと思うけどね。

僕は嫌だけど。

クリスマスに対しても言ったけどさ、せめて祝日にしてくれるんならバレンタインデーも好きになってあげるのに。

 

【St.Valentine's day<バレンタイン・デー>】

(聖バレンタインは269年頃純教死したローマの司祭)2月14日。聖バレンタインの記念日。この日に愛する人に(特に女性から男性に)贈り物をする。日本では1958年頃より流行。

                      ~広辞苑より~

 

いずれにせよ僕もこの社会の住人なので、1ヵ月後にはお返しをしようと思う。

そういうのは苦手なんだけれども。とても。

 

 

ではまた。

 

★☆本日の英語☆★

I know all the games that you're playing.

   ~BETTER LUCK NEXT TIME「WITHOUT YOU」~

《訳》おまえのたくらみはお見通しなんだ

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月12日 (木)

一旦やって失敗する

Photo 今日は朝から会社へ行き18時まで働いて帰ってきた。夕飯を作って食べ終わった時に、ベッドが届いたので組み立てた。

 

今日は仕事で僕の特徴が欠点として浮き彫りになった。時にはいい方向にいくこともある特徴なんだけど、今日はダメだった。

その特徴とは、ちょっと道に迷ったときに「お?こっちっぽいな」と思ったらそっちに突っ走ってしまうということだ。

たまに自分で間違いに気付くこともあるけど、大抵は誰かに言われて気付く。

 

今日は、詳しくは言えないけど、とあるデータの分析をしていて、僕は一つ面白い仮説が思い浮かんでしまい、そしてその仮説は十分にデータで説明ができると思って突っ走ってしまった。

そして今日会議でそれを発表すると、僕の仮説はちょっと違ってたらしい。僕の仮説ももしかしたら一理あるのかもしれないけど、それよりももっと見なければいけない数値があり、僕はそれを完全に見逃していた。

まったく僕ってやつは。全然ダメだ。ダメダメだ。

一つのものにばかり気を取られて、他が見えなくなってしまった。

そして会議の後すぐに違う視点でデータを見直すと、まったく違う結論が出てきた。

“正解っぽい”結論だった。

回り道はしたけど、ちょっと面白い冒険ができたから良しとしようと思う。

 

一旦進んでみる癖は、実は僕は気に入っている。

あれこれ考えて動かないより、一旦やってみた方が、たとえ失敗してもすぐに修正すれば結果的には早かったりもする。

でも周りからすると、あいつはコロコロ変わってよく分からない、という風に見えるかもしれない。

まぁ仕方ないか。

僕は自分を否定しない。反省はするけども。

 

【一旦<いったん>】

《名・副》

①一朝。一日。

②ひとたび。一度。「―は移転も考えた」「―停止」「―言い出したら、きかない」

③しばらくの間。一時。当座。一応。「―休憩にします」

                       ~広辞苑より~

 

 

さて今夜はさっき組み立てたばかりのベッドで初めて寝るぞー!

緊張するなー。

ちゃんと寝れるかなー。

 

ではまた。

 

 

☆★本日の英語★☆

close the door

turn off the light

you'll never see the bloodshot eyes

       ~ALLISTER「A LOTTA NERVE」~

《訳》ドアを閉じて ライトを消して そうすれば君は血走った眼を見なくてすむでしょう

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月11日 (水)

世界は僕の知らないところで勝手に回っている

Photo_3 今日はこれで3つ目の記事だ。書きたい事がどんどん出てくるんだ。

 

今日、吉祥寺で募金活動をやっている団体を見た。

イヤホンをして音楽を聞いていたから声は一切聞こえなかったが、持っていたのぼりに「さくらちゃんに心臓移植を受けさせてください」みたいなことが書いてあった。

心臓移植を受ける手術費の募金活動だった。

僕は勘弁してくれよ、と思った。

ここを素通りしたらまったく僕が悪者じゃないかと思った。僕はこの前、臓器移植を反対したばかりなんだ。募金はできないよ。

きっと移植を待っているのは子供なんだろう、と思った。

感情論になると、移植反対は急に気まずい立場になるな、と思った。

そりゃみんながいい人間で、それによって争いや犯罪が生まれなければ僕だって賛成したいさ。

あ、いや、それも分からない。

そういうことなしに、人間が踏み込んではいけない領域のような気もする。

よく分からない。

 

 

家に帰ってきてテレビを付けた。

最近よくNHKを見る。

さっきニュースで、長崎の原爆で死んだ人の思いを引き継ぐ、みたいな意味を込めた桜の木があるということを言っていた。

そのVTRで、一人の(おそらく戦争経験者)お婆さんのコメントが流れた。

 

「私たちは一生十字架を背負っている」

 

お婆さんはこう言った。

冗談じゃない、と僕は思った。

たとえ戦争を始めたのが日本だとしても、そこは百歩譲ったとしても、広島・長崎の十字架を背負っているのが僕たち日本人であるわけがないだろう。

さらに誤解を恐れずに言うなら、それを僕たち世代にまで背負わせるのは本当に勘弁して欲しい。

なぜアメリカが背負うべき十字架を、僕たちが背負わなければならないんだ。

二度と戦争をしない、ということなら分かる。でもそれは、広島・長崎から学んだことではない。

広島・長崎から学ぶことは、非戦の誓いはもちろんだが、原爆と一般市民の無差別大量殺人の悲惨さではないのか。

僕は勘弁してくれよ、と思った。

 

なんだか今日は疲れた。

どうすればいいのか分からないことが多過ぎる。

世界を回してるのはやっぱ僕じゃないな、と思った。

 

 

ではまた。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「誰も守ってくれない」はとてもいい映画

Photo_2 さっき映画「誰も守ってくれない」を観てきた。

殺人事件の加害者側の家族を警察が守るということを通して、新聞や雑誌、テレビ、インターネットの掲示板などのマスコミがいかに罪のない人を追い込んでいるかを描いた作品。

とてもいい映画だと思った。また泣きそうになってしまった。

ちょっと過剰に表現しているのかもな、と思った部分はいくつかあったけど、おそらくある程度は現実に基づいているんだと思う。

以前僕は、このブログだか、前に書いていたブログだかで、マスコミが人を殺しているということを発言した。

その思いが再び蘇った。あの時の考えは今も変わってはいない。

マスコミってやつは、知れば知るほど腐っている。

もちろん僕はマスコミの実態を全然知らない。全然知らないのに、僕の知っている限りでさえこんな腐ってるんだから、その全容はどんなだろうと思う。

あまりにも腐敗臭がひどいもんで、誰もが目を背けてしまっているのではないか。

 

インターネットの掲示板の書き込みも本当にすごい。僕は普段そういうものを利用しないのであまり分からないが、一度就活の時に「みんなの就職日記」(たしかこんな名前)という掲示板を覗いたことがあった。

もちろん今の会社から内定をもらって、就活を終えてからだ。みんなが話しているあの掲示板はどんなものなんだろう?と思って見てみた。

僕はあの時でさえ恐怖を感じた。

みんなが、顔も知らないみんなが集まって、情報を提供し合っていた。あるいは会社の批判もあったし、分析みたいなのをしている書き込みもあったような気がする。

その時の僕の恐怖は説明がつかない。

でも何となく、みんなこんなものを頼っているのかと思ったら、なんか怖くなった。

書き込んでいる人の気持ちも分からなかった。

 

「誰も守ってくれない」では、インターネットでは情報を一番もっている奴がカリスマだ、と言っていた。

おそらくそういうことだったんだろうと納得した。

 

最後に象徴的なシーンがあった。

インターネットの掲示板の書き込みの興味が他の事件に移ると、雑誌などのマスコミもそっちに移ろうとしたのだ。

もはやそこにはジャーナリズムなどはなく、何か問題を解決しようという想いも一切なく、ただ新聞や雑誌を売る為に対象を追いかけているマスコミの姿があった。

この構造はどうやったら修正できるんだろうか・・・。

やっぱ報道機関を国営に限定するしかないような気がする。

 

あ~どこからともなく聞こえてくるよ。

「報道の自由があるじゃないか!!」

ひたすら権利を主張する奴って、たまに酷く頭が悪いんじゃないかって思う。

 

 

とにかく、「誰も守ってくれない」はいい映画なのでお勧め。

もうすぐ終わっちゃうよ。

 

ではまた。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

川の流れのように

Photo僕は川が好きだ。

川はいい。

流れているところがいい。

常に流れているから、淀まない。水が腐らない。

そりゃ中には汚い川もあるんだろうけどさ、人間が意図的にでもやらない限り、川はきれいだ。

流れているからだ。

池や湖にもきれいなものはあるが、それはちゃんと水が動いているところだ。

川から流れ込んできて、また川に水を流したり、湧き水が常に湧いていたりして、水が淀まないところだ。

何でも人間に落とし込むのは人間の悪い癖なのだとは思うが、この点で人間にも同じことが言えてしまうと思う。

ずっと同じところにいると淀んでしまう。悪い意味で慣れてしまうんだろう。なぁなぁってやつになってしまう。

だから僕たち人間も常に流れなければならない。

流れるっていっても別に流浪の旅に出ろってことではない。

川は海に出て蒸発してまた山に戻ってくる。循環ってやつだ。

僕たちだって循環できるはずだ。

だから今のポジションにしがみつくばかりではなく、一旦流れて、違う世界を見て、また戻ってくるのがいいと思う。

止まった水は腐るんだ。

 

早く解散総選挙しろって自民党!

 

【川・河<かわ>】

地表の水が集まって流れる水路。河川。河流。「―を渡る」

                        ~広辞苑より~

 

 

ではまた。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月10日 (火)

反省すべきは反省する

今日は昨日の記事に頂いたコメントについてずっと考えていた。

おかげで朝電車は乗り過ごすし、昼休みは時間を超過した。

 

命に関する問題なのに、僕は軽はずみな発言をし過ぎたと思った。

勝手に未来を想像して、その怒りによって興奮したまま文章を書いてしまった。

これは大いに反省すべき点だと思う。

書いたことに偽りはないが、表現は気をつけなければならなかった。日テレの批判をしている場合ではなかった。

 

僕は今、あたかも日記のようにブログを書いている。読んでいる人を想像していない。

それは意識的にやっていたことだった。

以前、読者を気にしすぎて書きたいことが書けなくなったから。

でもやはりこれは日記ではない。インターネットで公開されていて、誰でも読むことができてしまう。

もちろん僕もそれを望んでいるから書いている。

書きたい事を書くことはやめないが、表現には気をつけようと思う。

 

ただ、何かを批判することで誰かを傷つける可能性があることや、逆に自分が批判される可能性があることは覚悟しておく。

これを言うと誰々が傷付くから、という理由で記事を書かないということはしたくない。

批判すべきものは批判しなければならないと思う。

僕の意見に対する批判は真摯に受け止めるつもりだし、僕が間違っていたと思えば訂正もするし謝罪もする。

そのために僕は本名を出してるんだ。

僕は頭が悪いから間違ったことだって言うし、その伝え方も拙い。

でも、だからこそちゃんと責任だけは取りたい。最低限しなければならない。馬鹿のけじめだ。

僕は何かを批判する権利を得るために本名を公開した。

だから僕はこれからも色々なものを批判すると思う。

ただ表現には本当に気をつける。

 

 

ではまた。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月 9日 (月)

臓器移植に反対することを決めた朝

Photo 今日は朝から会社へ行き17時半まで働いて帰ってきた。寄り道といえばセブンイレブンに行ってジャンプを立ち読みしたくらいだった。

 

今朝テレビでニュースを見ていて、とても怖い表現を耳にした。確か日本テレビの番組だったと思う。

それは臓器移植に関するニュースだった。

女性アナウンサーが言った。世界的に“臓器不足”が進んでいる、と。

ニュースはそのまましれっと進んでいったが、僕はこの「臓器不足」という言葉に恐怖した。とても恐ろしい表現だと思った。まるで倉庫の在庫が足りなくなったかのように、人間の臓器を表現したからだ。

 

僕がこの表現から想像したのは、やはり臓器売買だった。

「足りない」という状態は需要と供給を比べて需要が多いことであり、それはつまり、臓器市場があることを意味している。

もちろん売買は禁止されているんだろうけど、需要が勝っているんだから売買が発生するのは当然だ。この世は資本主義なのだから。タダであげるよりも、金で買ってもらう方がそりゃ優遇されるんだろう。

嫌な世界だ。踏み込んではいけない領域というのは、資本主義世界にはないんだ。

 

でもその世界を望んでいるのは僕たち自身だ。

1つの臓器がダメになり、移植手術を受けなければ死ぬとなったときに、誰かの臓器をもらえばいいという発想になっていることが根本の原因だ。

本来ならばもう死を覚悟しなければならない時点だ。それを受け入れなければならないはずだ、本来ならば。

でも僕達は医療を進歩させ、臓器移植を可能にし、それを広く世界に知らせた。

だから人は、臓器移植をすれば助かる、と思っている。

これは実に難しい問題だ。

確かに、臓器移植をすることで助かる命があるなら移植はいいのかもしれない。遺体をただ燃やすよりは、移植用に臓器だけでも取り出して活用(この表現がいいのかどうかは分からない)した方がいいとも思う。

でも、それによって失うものもあるんじゃないか。

臓器移植前提で考えることで、人は人の臓器を軽視し、さらには人の命を軽視することにつながらないだろうか。あー肝臓ダメになっちゃったよ、新しい肝臓入れなきゃな、ってな感じだ。

 

「臓器不足」

 

この表現はもうすでに僕たちがその段階まできていることを意味しているのかもしれない。

 

この意識はいとも簡単に臓器売買を肯定すると思う。

生に執着し、金に物を言わせて何でも買いあさる愚者は、きっと臓器も買い漁ると思う。貧しくてどうにも立ち行かなくなった弱者は進んで臓器を売るかもしれない。もちろん無理矢理臓器を取られる者もいるんだろう。

弱肉強食という言葉を、食物連鎖にも入っていない人間の分際で使いたがる僕たちだもの。弱い奴は食われる。弱い奴は臓器を取られるのだ。

弱肉強食という言葉を好んで使う人はいつも、食われる心配のない人だ。

 

おそらく論理的に臓器売買を否定することはできない。論理では殺人も自殺も否定できないのと一緒で、臓器売買も同じだ。

だから臓器売買はなくならない。そしてそれによって得をするのは富のあるものだ。

世界はますますおかしな方向に行く。

 

何でもかんでも市場原理に基づいて考えて需要と供給を満たす必要は果たしてあるのだろうか。

僕はどうも納得がいかない。

また奴隷制度が復活するとか、臓器移植用の人間が誕生するまでは言わないし、そこまでひどい世界にはならないと信じているが、でも僕は「臓器不足」という意識から生まれる世界が幸せな世界だとはどうしても思えない。

勝者が勝ち続け、敗者は負け続ける。敗者は“物”として扱われる。そういう世界を象徴しているとしか思えない言葉だ。

 

もっと考えてみよう。

移植は確かに命を助けるかもしれない。でもそれは目の前にある命だけだ。それによってもしかしたら多くの命が失われるかもしれない。

そのことをもっと想像して見る必要があるんだと思う。もちろん、目の前の大切な人の命を助けたいと思う気持ちは否定できないが。

いや、だからこそだ。だからこそ、僕達はもっと死を受け入れなければならないのではないか。

生まれることを拒否できないように、死ぬことも拒否できない。

だったらもっと潔く死ぬことの価値を認めてもいいと、僕は思う。

 

この機会だ。臓器が不足しているなら、僕が仮に病気になって臓器移植が必要になっても絶対に臓器を需要する側にはならない、と宣言しておく。そのまま死を受け入れる。移植は受けない。

以前は死ぬ時には臓器提供したいと思っていたが、それは自分のわがままだと思いなおした。やはり人間はそこまでやるべきじゃない。今はそう思う。だから僕は自分の臓器も提供しない。

僕の臓器で誰かの命が救われるのは確かに素敵だけど、でもこの問題は当事者だけで完結する話じゃないんだ。

だから僕は臓器をあげないし、もらわない。

 

世の中の流れがそうはいっていないことはもちろん知っている。

 

うまくいかないもんだ。

 

とにかく日テレには、もっと表現を考えてもらいたい。

言葉はイメージを作るんだから。世界はイメージで回っている。つまり、言葉は世界を動かすんだよ。もっと気をつけてもらわなきゃ、と思う。

 

ではまた。

 

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2009年2月 8日 (日)

「悲夢」は超つまらない

Photo_2 さっき新宿まで映画を観に行ってきた。最近よく行く武蔵野館だ。

オダギリジョー主演の韓国映画「悲夢」を観た。

感想。

超つまらない。意味が分からない。全く理解できなかった。

 

なんなんだあの映画は。

何ならちょっと不快になった。

突っ込みどころはたくさんある。まず、オダギリジョーだけ日本語で他の韓国人たちは韓国語で話していること。

そしてストーリー展開が雑過ぎ。

観てる側がきょとんとしてしまう感じだった。

予告を観た時は面白そうだったのに。騙された気分だ。オダギリジョーが出ててる映画でもつまらないものはあるんだな。

まぁ僕は前から韓国の映画やドラマが好きではなかったから、この映画を好きになれないのも当然っちゃあ当然か。

僕はあまりその作品に込められたメッセージとか、作った人のコメントを見るのは嫌いなんだけど、あまりに意味が分からなかったので公式HPを覗いてみた。

するとそこには、「悲夢」は夢と現実の境界線や生と死の境界線はどこなのかを問うていると書かれていた。さらに、愛はすべての境界線を越えるというメッセージが込められているらしい。

それを読んでも僕は何も納得できないでいる。

やはり人の表現は分からないものだ。

 

 

でも映画館に行ったことで嬉しい情報を得ることができた。

なんと伊坂幸太郎作品の「重力ピエロ」と「フィッシュストーリー」が映画化されるらしいのだ。

「重力ピエロ」は5月23日公開。「フィッシュストーリー」は公開日が書いていないんだけど、たぶんもっと早いはずだ。

これは超楽しみ。

「フィッシュストーリー」はまだ読んだことがないから、絶対に映画を観る前に読もう。

あー本当に楽しみ。

 

2月は「遭難フリーター」という映画も観ようと思っているし、NEW FOUND GROLYのニューアルバムも出る。

これから春までは楽しくなりそうだ。

あとは彼女がいつできるか・・・だな。

 

ではまた。

 

| | コメント (0) | トラックバック (1)

日曜、晴れ、男、3人

Photo 昨日は飲み会の後終電に乗り遅れた友人を連れて地元に帰ってきてバーで一杯やって家に帰ってきた。

 

はじめて入ったバーだったが、中年の女性がやっていてなかなかいい店だった。客層もおしゃれな感じではなく、すかした感じの店ではなく僕的には好感がもてた。

ただ僕はワインをこぼした。メニューを汚した。僕は結構酔っていたらしい。ごめんなさい。

ほどほどに飲んで店を出ると、一人の男性がマフラー忘れてませんか!?と僕に叫んだ。

その男性はバーにいたお客さんだった。

わざわざ忘れ物に気付いて追ってきてくれたようだ。

さすが僕の地元。いい人がいる。さすが僕の地元。さすが僕。

 

家に帰る途中でコンビニに寄ってカップラーメンやら何やらを買い込んだ。

友人の一人がカップラーメンを3コ買っていた。

すぐ食べる用と朝食べる用と、もう1コは何だ?と思ったが何も言わなかった。

結局友人が食べたラーメンは夜のうちに食べた1つだけだった。

 

まだベッドがなく布団が1人分あるだけなので、寝るのは大変だった。

コタツを友人二人に占領されてしまったので、僕はホットカーペットの端っこで寝た。風邪ひかずに済んでよかった。

お客さん用に布団買っとこうかな。

ロフトに敷けば3,4人はロフトで寝れる。

キャラ転換で、家に人を呼ぶキャラにでもなってみようかな。模様替えもしたことだし。

 

さて今は午前の11時だ。

二人の友人はずっとジャイアントキリングを読んでいる。

会話はない。

天気がいい。

 

 

ではまた。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月 7日 (土)

一新

Photo_2 今日は朝から部屋の模様替えをして、これから飲み会に出かける。

 

何で今部屋の模様替えかというと、ベッドと本棚を買ったからだ。

ベッドはまだ届いてないんだけど、本棚が先に届いたので家具の配置を変えた。今までの配置はあまり気に入っていなかったから思い切って変えてやった。新しい本棚の位置もいい感じだ。ロフトへの梯子のせいでデッドスポットと化していたスペースをうまく使えた。

これでやっと本棚に入りきらずにテーブルの上に積みあがっていく一方だった本たちをしまってやれる。

 

ベッドを置いていない今の状態はかなりいい。ベッド買うのもうちょっと待っても良かったかもしれないなこりゃ・・・。ここにベッドを入れるとなるとソファーを処分するとかしなければならない気がする・・・。

でも入れてみたら案外何とかなったりしそうだから、とりあえず一週間後に届く予定のベッドを待とう。

 

あと先日ネットショップで購入した掃除機も届いた。ハンディタイプの小さいやつだ。

家具を動かすたびに出てくる埃どもを勇敢に退治してくれた。さっそくの大活躍だった。

 

あともう一ついいことが。

数ヶ月前から電源が入らなくなっていたデジカメの電源が入った。バッテリーをもう一度充電し直してみたらいとも簡単に電源が入った。

どうやら前まではバッテリーの充電が何らかの理由でうまくいってなかったらしい。

まぁいずれにせよ生き返ったんだからよしとしよう。

また動画撮って編集して遊ぼうかな。

 

生き返ったといえば、先日ブログでも書いた僕のポータブルデジタルオーディオプレーヤーはもう生き返らなそうなのであきらめることにした。

あいつ、電源が入らないばかりか、たまに電源が入ったと思ったら勝手に中のデータをちょいちょい消してやがった。

全部消すとかなら分かるよ。そういう故障なんだろうって分かりやすい。

でも何でちょいちょいなんだ。1つのアルバムが5曲くらいになってたりするんだ。

機械の分際で勝手に僕のお気に入りを削除しおって。

だから僕はもうやつを諦め、新しいものを買うことにした。

掃除機などと同じタイミングで注文したのでそろそろ届くはずだ。

前までは1GBだったけど、今度のは4GBだ。

前のやつの4倍も曲入るんだぜ。すごい時代だよね。

何入れようかな。

NEW FOUND GROLYだろ、ALLISTERだろ、GREEN DAYも外せないし、blink-182も入れときたいな。日本代表としてBUMP OF CHICKENも入れてあげようかな。なんてたって4GBだ。入れても入れ過ぎることはないだろ。

 

でもi podとか愛用しちゃってる人にとっては、4GBが何だよ、遅いよ、って感じなんだろうな。まぁ僕には関係ないな。

僕はみんなとお揃いを買おうとは思わない人間なんだ。みんなで同じもの持って恥ずかしくないのかね。

僕は兄弟と同じ服を着るのも嫌だったよ。

 

いずれにせよ新入り君が楽しみだ。

何か新しい気分で生きていける気がするよ。

 

ではまた。

 

| | コメント (0) | トラックバック (2)

拳骨

Photo 昨日は朝から会社へ行き18時まで働き先輩と軽く飲んで帰ってきた。

 

昨日は僕とまったく異なる働き方をする先輩と飲んだ。

本当にまったく異なるんだ。

例えば僕は絶対に家に仕事を持ち帰らないことを決めているんだけど、その人は昨日、明日家でやるからと会社ではほとんど仕事をしなかったらしい。本当かどうかは分からないけど、本人はそう言っていた。

あと、昼はどうしてもやる気が出ないから残業して夜仕事をするとも言っていた。この点でも僕とこの先輩は大きく異なる働き方をしていることが分かる。

ここで議論をしようとすればできたけど、僕はしなかった。

働き方というのはいわば文化だ。個人個人が持っている文化だ。

ある文化が、それと異なる文化を否定するのは絶対にNGなんだ。文化の否定は戦争を生む。

だから僕は人の働き方を否定しないよう心がけている。

自分の信念とか哲学は語るが、それを強要しないし、相手を否定することもしない。

その働き方で誰かが幸せになれるのであれば、僕はそれでいいんだと思う。

まぁいらん残業代というお金が発生してしまうが、それは僕にはどうでもいいことだ。

 

 

家に帰ってきたら太田総理がもう終盤だった。

山崎邦正が「他人の子供にゲンコツをすることを認めます」みたいな提案をしていた。

 

【拳骨<げんこつ>】

にぎりこぶし。げんこ。「―をくらわす」

                ~広辞苑より~

 

議論はほとんど聞けなかったんだけど、僕はその法案を見た瞬間、正しいと思うなら誰かに認められる前にでもいいからやれよ、と思った。

そういう行動が社会を作るんじゃないのかよ。いつでも法律ってのは後からついてくるんだろうが。

僕たちが法律に従うんじゃないんだよ。法律が僕たちに従うんだ。

そこを勘違いするから、法律で認められないとできない、という話になるんだ。

じゃあ何か?昔はゲンコツが法律で認められていたとでもいいのだろうか。

 

大体、ゲンコツというものをひとくくりにして、良い・悪いを決められるわけがない。色んなゲンコツがあるでしょうよ。

だからその場にいる人々がその都度そのゲンコツを評価しなければならないんだよ。

ゲンコツは全てダメとか、ゲンコツは全部OKとかではない。

それが思考停止だって言ってんだ。

もっと考えろ。考えることを面倒臭がるなよ。何でもかんでも法律に決めてもらおうとすることが間違ってんだ。

 

考えるのが嫌なら民主主義なんかやめちまえ。

 

ではまた。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月 6日 (金)

チームワーク

チームワークとは脆いもので、誰か一人がそれを乱すと全体が乱れるもののようだ。

だから全体に浸透させ、徹底させる必要があるわけだ。

僕は思う。

じゃあそれを乱した奴はどうしたらいいんだろうか。

分からない。

分からない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月 4日 (水)

暇なだけなのか、そういう働き方なのか

Photo 今日は朝から会社へ行き17時半まで働いて帰ってきた。

 

僕は最近仕事が安定していて、きっちり定時退社ができている。

昨日、同期の友人と昼食を取っているときに、「俺、今超残業少ない。先月の俺の残業時間どれくらいだと思う?」と聞いてみた。

すると友人は「30時間くらい?」と答えた。

僕の先月の残業時間は3時間だった。

うちの会社において、30時間という残業時間は「少ない」に分類される。

3時間という残業時間は「何お前?」に分類される。

 

僕は最近このことをよく考える。

入社する前から、この豊かな日本において毎年数万の人が働きすぎで死んだり、それが原因で自殺したりしていることに納得がいかず、そんな世の中は絶対に間違っていると思い、それに反抗するように残業を拒否してきた。

拒否といっても、「残業しろ!」、「嫌です!!」とかいう上司とのやり取りがあるわけではない。うちはそんな会社ではない。

自分の仕事がちゃんと終われば帰れるし、終わらなければ残業するだけだから、つまり「拒否」と言っても結局は自分次第というか、自分の中だけで完結するお話だ。

ようは定時内に仕事は終わらせる!という意気込みで仕事をしているということ。

 

ただ、今僕が定時で帰れていることがこの意気込みに関係しているかどうかの判断がつかない。

そんな意気込みなしでも同じように帰れるんじゃないかとも思う。

だって僕は今、正直仕事が多いとは思えないし。

 

でもここで僕は思うんだけど、仕事が多いって何だ?きっと相対的な話だと思うんだけど、比較対象は何だ?

業務量の調整は課の中で行なわれるから、課の他の人との比較ということになるんだけど、僕はどの人がどれだけの仕事をやっているか把握していない。

一時期は課の色々な人から僕の業務量が多過ぎると心配されていたが、まぁそんな風に思った時期もあったけど、今は全然そうは思わない。

だから僕には自分の仕事が多いとか少ないとか言うことが正確にはできないんじゃないかと思う。

結局はよく分からないってことだ。

景気と似ている。不況といえば不況になるし、仕事が多いと言えば本当に忙しくなってしまうもんなんだ。世界はイメージで回っている。

 

ただ困ったことに、僕は正確な比較対象を1つは持っているんだ。

それは自分だ。今までの自分の仕事量と、今の自分の仕事量は比較することができる。

そうすると今の僕は仕事が少ないと言える、と思う。

いや、できると思ったが、やはりできないな。

仕事スピードは早くなるもんな。同じ仕事量でも、それがまったく同じ種類の仕事であれば、前よりも今の方が絶対に早い。それは言い切れる気がする。

早くできる仕事であれば、作業としては同じだとしても、それを量として換算すれば小さくなるだろう。

 

僕は去年の秋くらいは毎月40時間くらいは残業をしていたと思うんだけど、じゃああの頃の仕事量が多かったかというと、今は疑問だ。

多かったといえば多かったんだけど、たぶん慣れていない仕事が多かったんだ。しかもまとめて来たんだ。だから時間をかけなければできなかった。

でも今は慣れていない仕事が1つもないんだ。毎月決まった担当ページを作っているだけだ。

 

もちろん編集という仕事柄、いつも同じ作業をしてればいいというもんではないんだけど、でも慣れというのは重要なんだと思う。

こういうことを言うと、「慣れによって失うものもある」とか言いたくなる人もいるかと思うけど、それは全く別の話だから無視。

 

僕がなんでこの「慣れ」なんてことを語るかというと、慣れるってことは、それが当たり前になるってことだと思うわけで、それってつまり、何を当たり前とするかによってその後に大きな変化をもたらすと思うから。

どのようなものに慣れるかってことが重要なんだ。ぐだぐだの空気に慣れても仕方ない。

つまり何が言いたいかというと、僕は残業しないことを当たり前とすることに成功したのかもしれない、ってこと。

これは僕が入社以来ずっと考えていたことで、少なくても3年間は残業をしないことを最優先に仕事をしようと思ってきた。

なぜなら僕は仕事に殺される人生はまっぴらごめんだからだ。

仕事に生きる人を否定するつもりは全くないし、それは素敵なことだと思う。でも僕は違う。少なくとも今のところ違う。変わる可能性はあるけど、今は違う。

だから3年間残業をあまりしないスタイルで仕事をして、それを当たり前にしてしまって、その後は何も意識しなくてもそういう働き方ができるようになってしまおうと考えてきた。

 

でももしかしたらそれがもうやって来たのか?と僕は思ってしまっている。

まだ2年も経ってないけど、もう来ちゃったか?と。だから僕は当たり前のように定時に帰れているんじゃないかと。

人が知らず知らず20時や21時まで仕事ができると計算して動いているところ、僕はその設定を17時半でキープできているからなのかもしれない、と。

 

まぁでも、実は言うほどそんな安易には考えてはいない。

実際仕事が少ないだけって可能性の方がはるかに高いわけだし。ていうかたぶんそう。

ただ、少なくともいい方向に進んでいるようには思う。あ、いい方向ってのは僕にとって。

きっと資本主義の中でバリバリこれからも勝ち組を貫く人にとっては、お前何言ってんだ、ってことになると思うからね。

 

 

うちの課長は有給休暇を消化する人間をたぶん評価しているし、残業時間少ない人間を評価している。

僕の有給休暇は今年度残り6日間だ。たぶん3月末までにはゼロになっている。

その点では僕は相当に優秀な社員なんだと思う。これは数字を見ればはっきりすることなので言い切っていいのではないかと思う。

もちろん評価観点はそれだけではないし、それに別に僕は会社員としての評価を上げるために労働時間を少なくしているわけではない。

勘違いしてもらっては困る。

僕はただ、働きたくないだけだ。

だからスピードを上げるのさ。労働時間を少しでも短くするために。

17時半まではいつも全力だよ。

 

働きたくないから業務の効率化を図る。

「働きたくない」という若者の言葉に嫌悪感を抱く人は、きっと働くことが大好きなんだろうな。人間の根源の欲求を否定してんだからよっぽどだ。

そういう人にとって業務の効率化は悪なんだろうな。

だって大好きなものを取られるも同然なんだろうからね。

どうかそういう人が僕の前に現れませんように。

 

 

ではまた。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月 3日 (火)

口、行動

行動の伴わない口だけ星人は最悪だ。

でも口にすら出さない人はもっと最悪だ。

ただ、何も言わずに行動できる人はかっこいい。

こりゃ難しい問題だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月 1日 (日)

オウムは今さらか

Photo 今日は朝から家で読書をして昼から新宿に出かけて買い物をして地元のTSUTAYAでDVDを借りて帰ってきた。

 

昨日、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」を全3部を読み切った。思ったより長かった。特に第3部は厚かったから。

何だかんだで面白かった。伊坂幸太郎とはまったく違った。

いわゆるエンターテイメントの要素はほとんどなく、常に哲学的な感じで、正直ついていけない部分も多くあった。

でも使われる表現や言葉遣い、つまりは登場人物の話し方が知的で、そういうところが僕は一番面白いと思った。

今度村上春樹の違う作品も読んでみようと思う。

 

だもんだから昨日の夜から伊坂幸太郎の「陽気なギャングの日常と襲撃」を読み始めて、今朝もそれを読んでいた。

やはり面白い。登場人物の一人に響野という男がいるんだけど、僕は彼がお気に入りで、読みながら何回も笑わせてもらった。頭はいいんだけどお喋りで、鈍感だったりするこの男が僕は好きだ。

いや、伊坂幸太郎の作品はどの登場人物も好きだ。かっこよくて、頭がよくて、面白いんだ。

すらすら読んでしまい、ほぼ読み終えたところで僕は新宿へ向かった。(行きの電車の中で読み終わった)

 

新宿へ行く目当てはCDと本と映画だった。

まずはCDショップへ行き、パンクコーナーの視聴機でまだ聞いたことのなかったCDを一通り聞いてみた。

そこで1つ気に入ったアルバムがあったのでそれを買った。

GUADALAJARAというバンドの「Weapons of Mass Seduction」というアルバム。

スカ・ポップ・パンクと店のポップでは紹介されてたが、パンクというよりはエモという感じ。

そもそもパンクとエモの違いも説明はできないんだけども。

まぁちょっと軽いかなということだ。

でもいい感じだったので買った。

 

その次に本屋へ行き、森達也の「『A』 マスコミが報道しなかったオウムの素顔」を買った。

「A」という映画があって、それをずっと観たいと思っていたんだけど、本でもあることが分かって買った。同じく森達也の「放送禁止歌」も探したんだけど、どうやら置いてないようだったのでこれ1冊のみを買った。

今さらオウムかよと思うだろうけど、僕は大事なことだと思ったので是非読もうと思った。

マスコミと僕らはもうちょっとちゃんと向き合わなければならない。いつまでも騙す、騙されるの関係ではよくない。

会社でよく「リテラシー」という言葉を耳にするが、お前はメディアリテラシーというものを考えたことがあるのか、と言いたくなることがよくある。

思考停止はよくない。マスコミにたちまち飲み込まれてしまうよ。

 

 

その後映画を観ようと思っていたんだけど、その時間まで時間があったので僕はどこかで買った本を読もうとカフェを探した。

適当なところに1つ見つけ、入ろうとしたが店は大変な混雑で、レジにも行列ができている始末だった。そういえば電車もなぜか満員電車だった。

そこで僕は完全に萎えてしまったので帰ることにした。映画はまた今度でいい。僕は行列が嫌いなんだ。

 

【行列<ぎょうれつ>】

①大人数がきちんと列をつくって並ぶこと。また、その列。「―に割り込む」「―して待つ」

②儀式の際、儀仗を整え、供奉の列をなして行くこと。鹵簿。

③〔数〕(matrix)多数の数字や文字を長方形または正方形に並べ、まとまりを示すために括弧でくくったもの。各数字や文字をその行列の要素といい、横ひとならびの要素を行列の行、縦ひとならびの要素を列という。m個の行、n個の列から成る行列を(m,n)行列またはm×nという。(n,n)行列をn次(正方)行列という。

                         ~広辞苑より~

 

 

地元に帰ってきてTSUTAYAで「クワイエットルームにようこそ」を借りて家で観た。

まぁ面白かった・・・かなという感じ。

批判もしないし賞賛もしないって感じだった。

これなら映画を観た方がよかったかも・・・なんて思ったがすぐに訂正した。

選ばなかった道を想像したところで、それは仕方がないことだ。だって“選んだ方がよかった道”は、本当にそこにあったのかさえ分からないものなんだからね。

後ろを振り返れば僕の人生はいつも1本道なんで。

そこにあったと思っていた道は、そこにはないんだよね。

 

 

さて今日はこれから会社の先輩に依頼されている映像を作るか。

それをさっさと終わらせてしまってから「A」を読もう。

 

ではまた。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »