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2009年2月28日 (土)

「悼む人」を読んで、それからどうする

Photo ついさっき、「悼む人」を読み終えた。

とてもいい小説だと思った。

僕達は誰かの死を、大抵はマスコミを通じて知るわけだけど、その興味は死者ではなく、事件や事故などの『事』や、加害者に向けられる。

そして誰が、どのような人が生きていてそして死んだのかは忘れる。いとも簡単に。あるいは知らない。

僕はそのことをこの小説を通じ痛感し、猛烈に反省したい。

どこどこで何人が死んだ、なんてニュースはよく耳にするけども、その死は一人一人のもので、確かに生きていた人が一人一人死んでるんだよな・・・。

それに、注目された死とそうでない死も等しい死であることも思い知らされた。

この前の会社の先輩の沖縄の話も重なって、そう思った。

軽視されていい死なんてなくて、広島の原爆で死んだ人も、瀬戸内海を挟んで向こう側の四国の空襲で死んだ人も、沖縄で見捨てられて死んだ人も、みんな一人一人の死であり、差なんてあっていいはずがないんだ、と思った。

 

でもやはりいきなりはすっとは落ちてこない部分がある。

僕は全ての死を知ることはできないし、一人一人の死を想像するにも限界がある。しかもその限界は僕くらいの人間にはとても狭いところにある。

僕に何ができるのだろうか。というか、どうしたらいいのだろうか。

人の命を大切に、なんてことではない気がするし・・・。

やはり死んだ人を覚えているということなんだろうか。

誰に愛され、誰を愛し、誰からどんなことで感謝されていたかを、忘れずにいつまでも覚えていることなんだろうか。僕がするべきことは。

 

どうしても僕には違和感が残る。

死者を想い、覚えておくのはとても大事だと思う。でも、それが今を生きている人にどう働くのかがいまいち想像できない。

僕が今後誰かに対して殺意を抱いたときに、「この人も誰かを愛し、誰かに愛され、感謝されているんだろう」と思って、思い止まるとかか。

あるいはこの本を全世界の人が読めば戦争による死者が減るだろうか。

どうもピンとこない。

糸井重里がこの前NHKのテレビ番組で言っていた。「主語をもって語れ」と。

僕は「悼む人」を主語をもって語ろうとすると、どう思ったかは語れるけど、どうすればいいのかはよく分からない。すぐには行動には落ちない気がしている。

ただ同時に、そんなすぐに変化が起きるわけないし、そうあるべきでもない気もしている。

きっとまた、う~ん、あ~でもない、こうでもない、なんて悩みながら、色んな人の意見に傾きながら考えていくんだろうな。

でたぶん答えは出ないんだろうな。

いつも大体そうだ。答えが出ている“振り”はするけど。時には言い切らないといけないときもあるからね。

 

でもこういう、読み終わった後に考えさせる本はとても好きだ。

単純にすっと自分の中に落ちるのもいいけど、考えて自分なりの答えを探す行為が僕は好きだし。

著者の天童荒太が何年もかけて完成させた作品だ。

そんなすぐに全てを悟るってのも軽くて面白くない。

 

ちなみに僕はこういう時、作者の想いやらメッセージやらは一切無視して自分の解釈に一存するので、一般的な感想や解釈と全く異なる場合がたまにある。

アホだから。

 

あーもう13時近くだ。

9時くらいから読み始めたと思ったが、もうそんな経ってたか。

これもアホだからか。

 

 

ではまた。

 

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