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2009年10月

2009年10月31日 (土)

和式トイレのメリット

トイレには「和式」と「洋式」がある。

和式には便座というものがなく、おしりを浮かした状態で用を足さなければならない。いわゆる「ウンチングスタイル」って状態だ。

それに対して洋式には便座があり、そこにおしりをつけて座ることができる。

楽かどうか、という観点でいえば、洋式の方がはるかに便利で優れているように思える。

 

きっと年々、日本のトイレにおける洋式の占める割合は増えてきていることだろう。でもたまに、新しく作られたトイレにも和式のものがあったりする。洋式が3つ並んでいるところに、なぜか和式が1つだけあったりするのだ。

僕にはこれが不思議で仕方がない。わざわざ和式を選ぶ人はいるのだろうか。

ということで、和式トイレの優位性を考えてみた。

 

まず一つ挙げられるのが、冬場の公衆トイレにおける和式トイレの優位性だ。和式と洋式の違いを思い浮かべてもらいたい。そう。おしりを便座につけるかどうかだ。洋式はつけるが和式はつけない。そして次に、冬のトイレの便座の冷たさを思い出してほしい。そうだ。和式トイレは、あの冷たい便器に体のあらゆる部位を接触させることなく用を足すことができるのだ。この点においては、和式トイレの方が優位であるといえる気がする。

もう一つ、これは個人差もありそうだが、「踏ん張りやすさ」が挙げられるかもしれない。和式で用を足す場合の体勢と、洋式で用を足す場合の体勢をそれぞれ思い浮かべてほしい。なんとなく、そう、なんとなく、和式の方が踏ん張りやすい気がするではないか。古来より「ウンチングスタイル」と名づけられてきたあの体勢は、まさにウンチをするに相応しい体勢なのだ。あの体勢を誘導する和式トイレ。和式トイレは、あるべき人間の姿を僕たちに思い起こさせているのかもしれない。

最後にもう一つ優位性が考えられるのが、コストだ。これは完全に想像だけど、和式トイレは洋式トイレより、設置と管理にかかるコストが安いのだ。きっとそうだ。

 

とここまで勝手に僕の想像を書いてみた。でも本当はもっとまっとうな理由があるかもしれない。

まったく便利な世の中だ。インターネットで何でも検索できてしまう。

「和式トイレ メリット」検索。

出てきた出てきた。掲示板やら何やらから色々と。そこから和式トイレの洋式トイレに対する優位性を紹介しよう。

 

・排泄物の確認が出来る(大切なことです^^)。

・肌が触れる部分が無いので、神経質な方は安心出来る(?)。

・掃除が楽です。公衆トイレが和式なのは、この点が大きいそうです。

 

他にも色々あった。「ウンチングスタイル」の良さを言及している書き込みもあった。また、どうやら、洋式の方がコストが高いというのはどうやら間違いらしい。コストはどうかしらないが、洋式の方が作るのが楽、という書き込みがあった。

それと一つ残念なのが、とある掲示板で「和式トイレ普及委員会」というサイトを紹介していたのでリンク先に飛んでみたら見事に封鎖されていた。押し寄せる洋式の波に飲み込まれてしまったのだろう。おそるべし欧米。

 

とまぁ結局結論は出ないわけだ。結局、公衆トイレにどっちも用意してある場合が多いのは、好きなほうを選んで使ってください、ということなんだろう。

僕としては、全身楽させるが肛門だけに頑張らせたい人は洋式。全身の力をフル活用して脱糞させたい人は和式がいいと思う。

ご検討ください。

僕は迷わず洋式を選びます。

 

 

ではまた。

 

 

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ガガガSP『祭りの準備』

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2009年10月30日 (金)

傾いた台の高さ調整

今日は月1の実家に帰る日だった。仕事終わりにビールを買って帰った。

家に帰ると、1年と半年近くそのままだった僕の部屋が、すっかり変わっていた。完全なる物置になっていた。別にそれはいいのだが、テレビはそのままになっており、そこに僕の目に止まるものがあった。

これがそのテレビだ。

 

Photo 

 

 

 

 

 

テレビ台の右下に注目していただきたい。

 

Photo_2  

 

 

 

 

 

個人情報保護法がはじめて役に立った瞬間だった。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年10月29日 (木)

柳田理科雄『空想科学読本1』

を読んだ。

 

中学生だっただろうか、この本が流行ったのは。今回僕が読んだのは当時の単行本が文庫化されたもの。本屋でたまたま見つけて懐かしくなって買ってしまった。

「あ~、これ覚えてる」というような内容もあれば、「こんなのあったっけな~」というものもあった。

あの頃はこの本読んでみんなで爆笑してたっけ。「ドラえもんって本当はタケコプターで飛べないんだぜ!頭の皮だけ飛んでっちゃうんだ!」とかね。裸の王様に「あの王様、裸だ!」と叫ぶ気持ちよさがあった。

 

そう、この本は、ウルトラマンだとか仮面ライダーだとかドラえもんだとか、そういったヒーローやアニメの世界で巻き起こる摩訶不思議な現象を、科学的に検証してみようという、アホな本なのだ。きっと目次を紹介するだけでそのアホっぽさが伝わるだろう。

 

「ゴジラ2万t・ガメラ80t、科学的に適切な体重はどちらか?」

「仮面ライダーが一瞬で変身するのはあまりにも健康に悪い!」

「ウルトラセブンが巨大化するには最低でも9時間半が必要だ!」

「風力で戦う仮面ライダー。あのベルトではそんなパワーは出ない!」

「マジンガーZに乗って操縦する兜甲児。車酔いは必至だ!」

「レッドキングを投げたウルトラマンは、自分自身が気絶する!」

「必殺技・ウルトラ水流は、北半球を氷河期に追い込む!」

「ウルトラセブンがマッハ7で飛ぶと、たちまち体が裂ける!」

 

どうだろうか。僕はこういうヒーローものをほとんど見なかった人なので、正直この本に登場するヒーローや必殺技などはよく分からなかった。

それでも面白いと思ったのだから、知っている人からしたらたまらないだろう。

もしかしたら中には、不快な思いをする人もいるかもしれない。夢を壊すな!って。

でもちゃんと最後まで読めば分かるはずだ。著者が決して子供の夢を壊したいわけではないということ、非現実的なものを認めていないわけではないということを。ああいった世界のことでさえも疑問に思う心が、科学者を育てる。あるいは未知なるものへの探究心を育てるのだ。

 

科学って面白い。

僕の周りには、あらゆるエネルギーと力が溢れている。それらについて考えるか無視するかいつまでも気づかないか。

いつか“かめはめ波”を打つ人間が現れるとしたら、それはきっと、考え続けた人だ。間違いない。

 

 

ではまた。

 

 

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いじめ研修

今日は会社で研修を受けた。研修の目的なんぞどうでもいいが、一つだけ、「この人たち怖い」と思った瞬間があった。

それはとあるケーススタディのときだった。Aさんという人をモデルにして、仕事の仕方としてダメなところを指摘してグループで話し合うというものだった。
文章の書かれた紙を渡され、「ここからAさんのダメなところをいくつ探せるかな?よーいドン!」てな感じだ。
そこからAさんのダメなところ探しが始まった。

15分が経ちタイムアップ。Aさんのダメなところを発表し合う時間が始まった。

「Aさんのここがダメだったと思います」
「Aさんはこうすべきなんじゃないかな」

主催者がわざとダメな人物像を作り上げているわけだから、まー出てくる。
中には、そこまで言うか、と思える指摘もたくさんあった。
人は、そこに間違いがあります、と言われると、躍起になっとそれを探し、誰よりも多く間違いを見つけたいと思うばかりに、ほんのちょっとしたことでさえ間違いに見えてしまうのだ。
きっとその場に定規があったら、この目盛りは1ナノメートルずれている、と指摘されたに違いない。

攻撃対象を与えられた人間がどうなるのか。こうなるのか、と僕は思った。いじめの構造も、これに似ているのかもしれないな。

なるほどこの研修は、いかにいじめをする人間が盲目的に凶暴化するか、を教える研修だったのか!

たまにはいい研修を用意するじゃないか。

ではまた。

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2009年10月28日 (水)

今さら秋を感じる

【秋<あき>】

(秋空がアキラカ(清明)であるところからか。一説に、収穫がア(飽)キ満チル意、また、草木の葉のアカ(紅)クなる意からとも)

①ア.一年四季の第3位。天文学では秋分から冬至まで、太陽暦では9月から11月まで、太陰暦では7月から9月までの3ヶ月の称。太陽は漸次南下し、昼は短く、夜は長くなる。

イ.和歌などで、「飽(あ)き」にかけていう。

②穀物の収穫の時期。

~広辞苑より~

 

すっかり秋だ。朝は寒くて、昼は暖かくて、夜はまた寒い。秋だ。

思えばもう10月28日。すぐに11月になってしまう。どうりで給料が振り込まれていたわけだ。

そういえばケンタッキーフライドチキンの前に突っ立っているおじさんもサンタクロースの格好になっていた。彼にハロウィンは関係ないようだ。いや待てよ。サンタは冬だ。もうちょっと待っとけよ、カーネルなんとかおじさん。

 

僕は秋が好きだ。何が好きって、気候が好きだ。一番過ごしやすい季節だと思う。気温でいえば春も同じかもしれないけど、春は何か明るすぎてよくない。きっと入学式とかクラス替えとか卒業式とか、そういうイベントが春に集まっているせいだと思うんだけど、なんか春はドキドキする。それも嫌いな理由の1つだ。春は落ち着かない。

秋は少し枯れた感じがいい。落ち着く。上がっていくか下がっていくかでいえば、下がっていく季節の秋。あぁ、下がっていいんだ、と思って落ち着く。秋。

空が高くなるのもいい。空とはつまり、雲のことだけど、空間が一気に広がった気がしていい。夏よりも人口密度が小さくなった気すらしてくる。

でも秋が素晴らしいことの最大の理由は、この季節に、この季節のど真ん中に、26年前のこの季節のど真ん中に、僕が生まれたってことだ。僕を生み出した季節、秋。偉大なり。

 

なんつって。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年10月27日 (火)

置き去りロマンチック

今朝、会社へ行くために電車に乗っていて珍しい風景に出会った。僕がドア付近に立って、ボーっと隣の車両の人たちを眺めていたときのことだ。

電車が駅に到着し、多くの人が電車から降りていった。向こうの車両の人も、たくさん降りた。一通り降りる人の流れが止まったとき、一人の男子高校生が慌てて席から立ち上がり、向かいの席にあった荷物を手に取ってドアに向かった。

彼は電車の中から一人の中年女性に話しかけているようだった。僕からは声は聞こえない。

でも想像するに、「これ、忘れてませんか?」「いえ、私にじゃないです」みたいなやり取りだったんだと思う。

男子高校生は途方にくれ、しばらくたたずんでいたが、やがてドアが閉まる合図が聞こえた。

どうするかと見ていたら、何と彼は、荷物を手に持ったまま電車を降りた。そして彼を置き去りに次の駅へ向かう電車を、どこか寂しそうな目で見送っていた。そしてそんな彼を、僕は見えなくなるまで見ていた。

いい人は損をする。こともある。

でもいいじゃないか、損得勘定なんて。そんなものは女性に任せておいて、僕たちはロマンを求めようじゃないか。きっと生物学的にそうなっているのだ。男は損をしてもいいんだよ。

お前のロマンに乾杯だ!

 

【roman<ロマン> フランス】

①近代にロマンス語で書いた、伝奇的要素の多い散文物語。

②一般的に、長編小説。

③夢や冒険への憧れを満たす事柄。「男の―」

~広辞苑より~

 

使い方間違ってるな・・・ロマン。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年10月26日 (月)

イメージ

今日は午後から会社へ行き、21時前まで働いて帰ってきた。

 

なんで午後出社だったかというと、この土日に岡山までサッカー遠征に行っていた為に、ヘトヘトだったからだ。もちろんこのヘトヘトを見越して金曜日に上司への連絡はしていた。

本当は14時に出社する予定だったんだけど、家で色々としていたら時間を忘れてしまい、予定よりも30分遅れて出社した。

そこから休憩なしで働いた。

20時頃。同僚から「健ちゃん、珍しいね」と声を掛けられた。もちろん、僕がこんな遅い時間までいるのが珍しい、という意味だ。おそらく僕が14時半に出社していたことを知らないんだろう。

たとえ同じ課でも、誰がいつ出社したのかなんて、案外分からないものなのだ。

僕は「まぁね」と軽く流した。

結局僕は、次の日の仕事にも手を出して、21時前に帰った。

14:30~20:30だとすると、6時間の労働だ。うちの定時は9:30~17:30(休憩1h)の7時間労働。今日の僕は1時間少ない労働ということになる。今月の残業時間が1時間マイナスになるということだ。

でもきっと周りの印象としては、「あいつがこんな時間まで会社にいるなんて、きっと今、忙しいんだろうな」ということになるだろう。

地球はイメージで回っているのだ。

大事なのは実際がどうかというよりも、イメージなのだ。

いい人っぽいとか、忙しそうとか、そういうことだ。

きっと上手く生きるってことは、そういうものを自分が得をするようにコントロールすることなんだろう。

 

【image<イメージ>】

①心の中に思い浮かべる像。全体的な印象。心象。「完成した形を―する」「―がわく」「企業―を高める」

②案。形象。映像。

~広辞苑より~

 

僕はこういうくだらないイメージなんかには批判的だけど、大事にしているイメージもある。それは、スポーツにおけるイメージだ。スポーツというか、動作。

どんな動作も、科学的に分析することができると思う。脳からの指令がどうのこうの。それが神経を伝って筋肉がこう動くどうのこうの。そしてそれがまたどうのこうの。

でも僕たちが動くときに、そんなことをコントロールして動いているわけではない。せいぜい、「腕をこう振る」とか、「腰をこう捻る」とか、その程度だ。

この、「こう」こそがイメージ。

「腕をこう振る」から「こう」を取ると、ただの「腕を振る」になる。「腕をこう振る」と、「腕を振る」では動作に大きな差が出るはずだ。これは、動作をしている未来の自分を想像できているかいないかの違いだ。

うまく説明できないが、スポーツにおけるイメージはめちゃくちゃ大事だ。

ようは、良くも悪くも、イメージが地球を回しているってことだ。

実際、「地球は回っている」ということでさえ、僕たち一般人にとってはイメージでしかないのだ。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年10月24日 (土)

PL学園

今本を読んでて初めて知ったことがある。
野球の強豪校として知られるPL学園は、宗教法人PL教団を母体としているらしい。
なるほど。桑田の信仰深い雰囲気はこれに関係しているのか。

でも清原は全然そんなことないぞ!と本にツッコミを入れた次の瞬間。こんな説明が目に入った。


「PL」とは「Perfect Liberty」の略です。


そういうことか。


岡山にサッカーしに行ってきます。

ではまた。

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2009年10月23日 (金)

重松清『青春夜明け前』

を読んだ。

 

まぁ面白かったが、“まぁ面白い”止まりだった。

どうやら重松清の実体験が基になっているようだ。登場人物の名前だけ変えて、当時の仲間との思い出を書き綴ったものなんだと思う。

昔の田舎の男子たちの様子がよく分かった。共感できるものもあればできないものもあった。これがジェネレーションギャップであり、地域ギャップなのだろう。重松清と僕は20歳も年が離れている。20年もあれば世界は変わる。もともと東京と瀬戸内では世界が違うのかもしれない。知らないけど。僕は東京出身だ。

でも女子をやたらと敵視してみたり、逆にめちゃくちゃ異性として意識してみたりといったところは全国共通だろう。僕も共感できた。僕も昔は女子と全然喋らない人だったから。そんな僕が今や女性に囲まれて仕事してんだから笑える。

なんのきっかけもないと少年時代なんてあまり思い出すことがないけど、こういうのをきっかけにあの頃を想うのは悪くない。そう思えばこの小説は、うん、悪くない。

 

「オトコには、損をこく思うても、ハラをくくらんといけんときがあるんじゃ」

~重松清『青春夜明け前』より~

 

なぜかここを読んだときにジーンときた。これは中学生の言葉だ。中学生の言葉に、きっと中学生からみたらおっさんのこの僕が、ジーンときている。

「男には~」「男だったら~」

今の僕に言えるだろうか。きっと恥ずかしくて言えないんじゃないか。あるいは、時代遅れだと言われるのを気にして、言えないんじゃないか。

でも実は大事なことだ。

男女平等なんて空想の中では生きられないんだ。男だからこそやらなきゃいけないことも、女だからこそやらなきゃいけないことも、あるんだよ。それを無理やりごっちゃにするから世界が混乱するんだ。

僕は男だ。

あなたは何だ。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年10月22日 (木)

BUMP OF CHICKEN『supernova』

この曲は凄いね、もう。とにかく歌詞が圧倒的にイイ。

 

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酔い

昔からもどかしく思っていることがある。

それは僕が「人を見下してる」だの、「人に厳しい」だのと言われることだ。

たしかに、それこそ高校時代までと、大学1,2年まではそうだったかもしれない。自分とちょっと価値観の違う相手を見れば批判し、排除しようとしたし、論点のずれた議論をする人間を見下していた感じはあったと思う。

でも僕は意識的にそれを変えたつもりだった。

きっかけはたぶんROONEYS。自分のやりたいことだけでは駄目だと知り、押し付けるのをやめようと思ったときから、「人を尊重しよう」が僕の課題になった。そこから僕は変わったつもりだったし、現にROONEYSのメンバーの結成メンバーなんかは僕のことを変わったという。たまに、丸くなった、と言って、僕の怒りを買う。それほど僕は変わったと思う。僕のことをよく知る奴らがそういうのだから、僕はある程度そうなんだと思える。

でもそれからも僕は「人を見下してる」だの、「人に厳しい」だのと、他人に言われ続けた。変わったつもりでいた僕は、実はとても辛かった。なぜ辛かったかというと、僕の思想というか哲学というか、そういうものは真反対を向いていたからだ。他人に優しく、特に弱者に優しく、生きやすい社会を作りたい。

でも、同時に、仕方ないとも思った。僕がどういう人間かというのは実は、僕が僕のことをどう思っているかに依存しているのではなく、他人が僕のことをどう認識しているかに依存しているからだ。認知論だ。他人が僕をどう思っているか、なのだ。

「我思う、故に我あり」もそうだけど、「奴思う、故に我あり」だ。

自分がどう思うかなんて全然関係ない。世間とはそういうものだ。他人の評価なのだ。他人を関係ない、と言えるまでになるには、相当大変だ。地位、もしくは自信が必要だ。そんな風になれる人は滅多にいない。

もちろん僕はそんな人間ではない。他人の目を気にするし、他人の認知の中で生きている。社会の保証の中でしか生きられない、脆い存在だ。

 

 

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2009年10月19日 (月)

映画『ワイルド・スピード MAX』

を観た。

 

ワイルド・スピードシリーズの第4弾だ。とにかく出てくる車がかっこいいし、カーアクションが最高なので、あまりアクション映画は観ない僕だけど、このシリーズは好きだ。だから観に行った。でも今作は、シリーズの中では一番つまらなかったと思う。なんか脚本に凝ってしまったというか、シリアスなストーリー展開になってしまっていて、爽快さがなかった。車が走るシーンも少なかった気がする。

逆に良かったのは、主人公の一人であるブライアンが使っていた車がインプレッサだったことだ。青いボディがめちゃくちゃかっこよかった。でも途中で燃えてしまい、次に乗った車がかっこ悪いパンダみたいなボディだったことにはガッカリした。

まぁそれほどお勧めする映画ではないと思う。それこそ、カーアクションが好きでなければ、観る意味なんてたぶんこれっぽっちもない。

 

 

ではまた。

 

 

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伊坂幸太郎『重力ピエロ』(再読)

この、日本一かっこいい小説をもう一度読んでみた。まったく色褪せることなく、相変わらずかっこいい小説のままだった。

泉水と春は本当にかっこいい兄弟だ。春は兄である泉水のことが大好きだけど、尊敬みたいな感情は持っていないのではないだろうか。僕には二人は、とても対等な関係にみえる。僕は「対等」という言葉が好きだ。とても気持ちがいい言葉だ。でも春は泉水に頼っている。とても深く。そして信頼している。ある意味では、甘えているようにも見える。一方泉水は、あらゆる面において弟である春に引け目を感じている。でも泉水は、そういうのも全部ひっくるめて、自分の弟として春を受け入れている。血の繋がりがないことを知っても、それは変わらない。兄ってのはこうあるべきなんだな、と思う。弟や妹を受け入れるのだ。どんなに優秀でも、どんなにダメダメでも。

 

では折り目のページを紹介。

 

「自信に根拠があるのって卑怯な気がしませんか?」

~伊坂幸太郎『重力ピエロ』より~

 

ここを読んで僕は、確かに、と思った。自信に根拠があったら卑怯だ、と思った。というよりも、それはもう自信じゃないんじゃないか。「自」らを「信」じるで「自信」。でも根拠がある自信っていうものについては、もはやそこで信じているものは自分ではなく、「根拠」の方なのではないだろうか。そんなような気がするから、自信に根拠があるのはダメだ。根拠のない自信に満ち溢れている中学生の方が健全で、自然だ。

ただ僕は知っている。嫌というほど知っている。人は年を取ると、理由と根拠がなければ生きていけなくなるのだ。自分の脚だけでは立てないから、杖をつく。そんな感じ。でも杖をついている自分を否定するのはかっこ悪いから、杖をついていない健全な青年を、子供だの、ガキだのと言って馬鹿にするのだ。そんなのに負けちゃダメだ。

青年よ、根拠のない自信を抱け。

 

 

ではまた。

 

 

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平日が5日間で休日が2日間ってのはズルい気がしないか

最近の僕は、土日が予定で埋まっていた。これは僕にとってはとても珍しいことだ。名波が右足でシュートするくらい、珍しいことだ。

今週末も家にいる時間がほとんどなかった。土曜日は朝から仕事で品川へ出掛け、一度家に帰ってからすぐにまた出掛けた。大学時代所属していたゼミの先生と飲んだ。先生は僕の悩みとも言えないような話を聞いて、現実的な意見をくれた。先生はとてもいい人だ。こんな僕を馬鹿にすることもなく、真剣に話してくれる。先生は、とても、いい人なのだ。そうそう。先生がこのブログのことを知っていたのにはとても驚いた。そしてちょくちょく見に来てくださっているようだ。しかも僕がこの前書いた、地域のつながりについての記事を学生に紹介してもいいか、と言ってきた。もちろん僕は、いいですよ、と答えたが、こんないい加減な人間の記事を学生に読ませようなんて、先生は変わり者だ。

最初は二人で飲んでいたのだが、途中から先生の高校時代の後輩の方が加わった。先生の2歳下というから、僕よりももちろん遥かに年上だ。でも僕は酔っ払っていたことと真剣に悩んでいたことから、その人に突っかかった。完全に誤解だったと思うけど、そのとき僕は、その人に笑われたと思ったのだ。それで、何がおかしいんですか、みたいに突っかかった。あれは最低だったと思う。もし次に会うことがあったら全力で謝ろう。そしてお酒のせいにしてしまおう。

 

日曜日は朝からサッカーの試合だった。僕は後半からツートップの一角で出場した。人数が多いときにはFWは必ずといっていいほど、前後半のうちのどちらかしか出場できない。きっと草サッカーについてまとめた法律にそう書かれているのだ。僕より体力ないやつなんていっぱいいるのに、と思うが、法律ならば仕方がない。

前半は、勝てると思っていた相手に0-1のスコアで終わった。すっかり鬱憤が溜まっていた僕は、後半から出場すると、とにかく走りまくった。守備のときには前線からプレッシャーをかけまくり、攻撃のときには何度も裏を取った。でも試合には負けた。2-4。僕はノーゴールだった。そしてスライディングで左のケツを派手に擦りむき、左目を蹴られて青くなった。踏んだり蹴ったりと辞書で調べたら、「サッカーの試合に負けたあげく、左のケツをすりむき、左目が腫れること」と出てくるだろう。

その後は会社の先輩の結婚式の二次会へ行った。僕はその先輩とはそれほど仲がいいわけではないんだけど、出し物をやってくれ、と依頼されていたので参加した。出し物は、ハイロウズの『日曜日よりの使者』の替え歌を会場の人みんなで大合唱するというものをやった。パワーポイントで作ったスライドを見せながら。これが大成功だった。何かを成功させるっていうのはいいものだ。

二次会の後はその場にいた知り合い6人で飲みに行った。これもまた楽しい飲み会だった。結局12時半くらいまで飲んだので、渋谷から武蔵境までタクシーで帰ってきた。同じタクシーに乗ったイラストレーターさんに、僕は日ごろ思っていることを語った。きっともの凄く迷惑だっただろうなと、今朝になって思った。でも、それが僕だから仕方ない。「仕方がない」を辞書で調べたら、「上杉が語ること」と出てくるのだ。

 

最近の僕は、週5日仕事をしに行っている会社では最低のテンションで過ごしていた。それこそ周囲に気を使わせてしまうほどのテンションだ。その反動なのだろうか。最近、土日がめちゃくちゃ楽しい。もちろん日曜日にはROONEYSがあるし、前から土日のために生きてるようなところはあったんだけど、最近はROONEYS以外でも、土日にやることは何でも楽しい。まぁこれも、相対的な話なのかもしれないな。平日に対する週末。比較するとこうなる、ということなんだろう。

でもこの週末を経て、僕はちょっと回復できた気がする。仕事も、頑張れる。

かもしれない。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年10月18日 (日)

甘え

僕は結局、職場に不満があったんだろう。頭では絶対にいい職場だと分かってはいる。でもこの環境になれてしまった今、嫌なところを見るようになってしまったんだと思う。自己分析によると。世界一あてにならない、自己分析によると。
何でもそうだと思うけど、要は相対的なんだ。比較対象に対してどうかということなんだ。だからいくら恵まれていても不満は生まれてしまう。例えば去年の恵まれていた状況に対し、今年の恵まれている状況が少しでも劣るならば、そこに不満は生まれる。
それが悪いとは思わない。それは、そうなってしまうものだからだ。重力と同じだ。僕が重力について考えようが考えまいが、重力は働いている。
きっと大事なのは、その不満をどう扱うかなんだろう。
飲み会でストレス発散することで忘れるのも一つだし、状況を改善するのも一つ。その状況から離れるのも一つだろう。どの方法にも優劣をつけるべきでない。等しく、処理方法の一つだ。
だからどの方法も平等に検討した方がいいのだ。どれかにとらわれたら、大事なものを失うかもしれない。
僕はもっと、真剣に考えなければならないのだ。

でも僕がこの瞬間一番考えなければいけないことは、サッカーの試合に遅刻しそうな今、駅のトイレで大の方をするかしないか、ということだ。

世界には考えなければいけないことが溢れている。


ではまた。

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2009年10月17日 (土)

三崎亜記『となり町戦争』

を読んだ。

 

なんというか微妙な小説だった。微妙というのも、設定などの掴みの部分は最高だったと思うんだけど、エンディングにしまりがないというか、面白くなかった。

この小説は、まずタイトルと表紙が気に入り、裏表紙のあらすじ的なものを読んでも楽しそうだったので、初めて読む作家さんだったけど、買ってみた。

タイトルでもちょっと想像ができるかもしれないけれど、となり町と戦争をするお話だ。この設定は面白い。しかも戦争を、「事業」として行っている。行政のマニュアル気質なとこなども含めて風刺たっぷりに描いている。掴みはOKだった。実に面白そうだと思った。捉えどころがとてもいい、と思った。

エンディングについて語るとネタばれになってしまうので言及しないが、まぁガッカリした。

でもまぁ折り目をつけたページがいくつかあったので1つ紹介。

 

僕たちは、自覚のないままに、まわりまわって誰かの血の上に安住し、誰かの死の上に地歩を築いているのだ。

~三崎亜記『となり町戦争』より~

 

これは僕は会社員になってからよく考えるようになった。僕は生活には困っていない。それどころか大満足しているけど、僕が必要以上に満足することで誰かを困らせているんじゃないか、とか。人を幸せにしたい、という想いでやっている仕事が、その対象でない人にとっての不幸せを生み出してはいないだろうか、とか。

何でもそうだと思うけど、物事を1つの視点からのみ捉えるのは、とても怖い。知らないうちに、誰かを傷つけてしまうかもしれない。

同じ傷つけるなら、せめてそれを自覚している自分でありたい。もちろんできるなら誰も傷つけたくないが、どうやら世界は複雑すぎてそれは難しそうだ。

 

【地歩<ちほ>】

自己のいる地位。活動する上での立場。立脚地。位置。「確乎たる―を占める」

~広辞苑より~

 

 

へ~。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年10月15日 (木)

競争

きっと人には競争欲求がある。
あの人に負けたくないとか、1年前より成長していたいとか。あらゆる形の競争欲求だ。
それを無理に押さえるのは不健康だし、危ない。いつか極端な形で出ないとも限らない。
だから定期的に、しかも平和的に解消してやる必要がある。
スポーツの出番だ。経済も政治も地位も関係なく、お互いの体力や技術や精神力を競い合うことは、実に平和的だ。平和的競争だ。
競争がいつも暴力的であるわけではないのだ。
みんなが主役の学芸会や、みんなが一等賞の駆けっこなんかは、競争を無理矢理に押さえ込んでいる点において、実にアホらしいと思う。
もちろん教育的にもよろしくない。負けて悔しいだとか、勝って嬉しいだとか。勝者を称えたり、逆に敗者を称えたり。一生懸命競うから芽生えるものがあるのに、それらを知る機会を喪失させている。

スポーツには色々な要素があるけど、ストレス解消にも教育にも、競争という要素は重視されるべきだ。


ではまた。

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2009年10月14日 (水)

スポーツでつながる

僕の出身高校で、僕が一番よかったと思うことは、クラスの最初の行事が「球技大会」だったことだ。これが最初にあることで、みんな一気に仲良くなれた気がする。いや、仲良くなれなくても、クラスメイトがどういう人かを知る上で、まずスポーツをするのはとてもよかったと思う。

大学でも似たようなことを感じた。僕はスポーツ科学部という学部の性格上、たくさんのスポーツ実習をした。サッカーをやったりテニスをやったりした。そこでたくさんの友達ができた。週に1度同じ授業を受けるという点では必修クラスと同じだったが、スポーツ実習を一緒にやった友達の方が断然仲良くなった。

これは僕がスポーツ大好き人間だからなのかもしれないが、スポーツの持つ長所の一つだと思う。スポーツは人と人をつなげるのだ。一緒に体を動かし、声を掛け合い、疲労を共にする。一緒に歓喜し、一緒に後悔する。あるいはスポーツをする人を応援する。指導する。スポーツをする人に憧れる。ときには敵視する。

スポーツはとても多様な人間関係を生み出すことができるのだ。人と人とのつながりだ。

高校や中学時代の一番の思い出で部活動を挙げる人は多いだろう。今付き合っている友人も、元々は部活動の仲間であったという人は多いはずだ。クラスメイトよりも、部活仲間の方が繋がりが続いてはいないだろうか。

僕はこれを地域に持ってくるべきだと思っている。学校は卒業してしまうし、会社も転職したり転勤したりが起こりえる。そこで得たつながりは残るかもしれないけど、確実に弱くなる。それは勿体無い。

だったら初めから揺ぎ無い地盤につながりを持てばいいのだ。

地域だ。どこにも行かない。

地元である必要はない。もちろん僕自身は「地元」というものを大事にしているし、人は基本的には生まれたところで暮らすべきだと思っている。なんとなく。国際化なんてあまり賛成できない。話が反れた。地域だ。

地元でなくても、今住んでいるところをもっと大事にする文化を作りたい。古き良き時代にはあったという地域の繋がりを、取り戻したい。

そうするにはどうしたらいいか。地域と繋がればいい。

そうするにはどうしたらいいか。みんなでスポーツをやればいい。

スポーツが嫌いな人はどうすればいいか。スポーツ以外の文化的活動を、誰かと一緒にやればいい。

じゃあ住んでいる地域じゃなくてもいいじゃないか。いや、それは違う。遠くでの活動は、それだけになってしまうのだ。例えば将棋仲間はできるかもしれない。でも大事なのは、その将棋仲間と酒を飲むことであり、子供のお守りを頼めることであり、道端でばったり会うことなのだ。生活を共にする感覚だ。

そういうつながりを作る場が地域にあると、僕たちは安心して生きていける。どんなに会社が辛くても、帰ってくれば周りには仲間がいる。休日のスポーツや文化的活動を楽しみに、元気に生きていける。帰る場所があるってのはそれだけで心強いものだ。

 

と、僕は信じている。

 

結局何なのかというと、景気が良くなっても楽しいかどうかは分からないけど、スポーツ振興が進めば、たぶん楽しい。

そういうこと。

経済的な豊かさばかりを追う虚しさを、たぶんそろそろみんな感じているはずだ。

 

 

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2009年10月13日 (火)

知らずに影響

今日は上司との面談だった。半期の振り返り(評価)と、後期の目標を確認するのが目的だ。

昔は僕の残業時間の短さが褒められる場だったが、もうその域は超えてしまったようで、「君は量回せて残業も少ないってのが当たり前だから、そこから積み上げがないとプラスにはならない」というようなことを言われた。

一度上がったハードルは下がらない。

まるで豊かになった人間の生活水準みたいだな、と思った。一度上がった生活水準を下げるのは難しいのだ。だから環境問題ってのは厄介なのだ。

でも僕は業務時間の短さは、他人に評価されずとも大事にする。そもそも評価されたくて効率的に仕事をやろうとしてきたわけではないし。

それに嬉しいこともある。これも面談で言われたことなのだが、僕が早く帰ることで、それに刺激されてかプレッシャーになってか分からないけど、周囲の人に「早く帰らなきゃ」と思わせているらしいのだ。

昔は確かにわざと大きな声で「お先に失礼します」と言って定時に帰るキャンペーンをやって、まさに「俺を見習え!」みたいなアピールしていたけど、最近は別に他人の働き方はどうでもいいや、と思っていたから気にしていなかった。

どうやら僕の意思とは関係なく、僕の働き方は周囲に影響を与えていたようだ。

あいつが早く帰るせいで私たちまで早く帰らないといけない空気になってる、みたいに思われてなきゃいいが・・・。

まぁ思われててもいいが。

よくも悪くも、誰かに変化を与えられるなんて、凄いことだと思うし。

もっとデカイ範囲でそれができるようになりたいな。

なるけど。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年10月12日 (月)

PC死す

パソコンが死んだ。何か知らないけど勝手にシャットダウンされる。安物の上に、買ってからもう5年くらい経つノートだからな。さすがに寿命か。ブログはしばらく携帯からの更新になるな。


面倒だな…

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2009年10月10日 (土)

NEW FOUND GLORY『Listen To Your Friends』

またまた凄い曲ができたもんだ・・・。

イントロからワクワクさせてくれる。

かなりイイっす!

 

 

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2009年10月 9日 (金)

買い物上手が地球を救う

例えばスーパーで牛乳を買うとき、1つ1つの消費期限を確かめて、なるべく消費期限の日付が遠いものを選んで購入することが買い物上手なのだろうか。

確かに昔、親から「消費期限を見てから買いなさい」とか言われたけど、そこで思考を停止させて、ただ単に消費期限が一番遠いものを買うってのは僕は愚かだと思う。

実に自分勝手だ。

 

仮にここにAさんとBさんという二人の買い物客がいるとする。二人とも牛乳を購入するつもりでスーパーに来た。でもそこにはもう2本しか牛乳がない。

1つは消費期限があと5日ある牛乳。もう1つは明日で期限が切れる牛乳。

先に来店したのはAさん。Aさんは3人家族で、牛乳1本なんて2日もあれば飲んでしまう。でも消費期限を確かめたAさんは単純に消費期限が遠い日付の方の牛乳を買った。

当然後から来店したBさんは、明日で期限が切れる牛乳しか買えない。でもBさんは一人暮らし。牛乳1本を飲みきるのにいつも大体3日間はかかる。でももしかしたら飲みきれるかも、と思って明日で期限が切れる牛乳を購入する。そして案の定、飲みきれずに自宅で廃棄してしまうことになる。

 

これはもちろん極端な例だが、こういうことはきっとあらゆる店舗で起きていると思う。現にコンビニで働いていたとき、せっかく日付が古い物を手前に置いているのに、わざわざ奥から取って行く馬鹿がいるから、手前のものがいつまでも残ってしまい、廃棄処分しなければならなくなったことが何度もあった。

ようはどこまで考えられるかなんだと思う。確かに、どうせなら期限が長いものを購入した方が無難かもしれない。自分だけの損得を考えれば期限が長いものを購入して損をすることはない。

でもそれじゃ世界は平和にならないことまで考えるべきだ。終わらない大量生産、大量廃棄。

 

【廃棄<はいき>】

①不用として捨て去ること。コンビニの深夜帯のアルバイト社員が待ち望むもの。多くの市民を救う食料の一。「今日の―、何持って帰る?」

②条約などの効力を失わせること。「協定を―する」

 

極端に言えば、その日に食うなら、消費期限がその日までのものを買うべきなんだ。

自分が買わなければ捨てられてしまうかもしれない商品を買うんだ。

そういうことの積み重ねで、世界を正しい方向に軌道修正するんだよ。ちょっとずつ。ちょっとずつ。

 

手前から商品を取って、地球を救うのだ。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年10月 8日 (木)

振り出しに戻れ

人は誰でも、組織の中とか人間関係の中で、何かを演じていたり自分を抑えたり、偽ったりしている。「自分を偽る」ってのは、「本当の自分」という考えがあって初めて成り立つものなので実に疑わしい表現だが、まぁ分かりやすいのでこのままにしておく。

なぜそんなことをするのかというと、その方が都合がいいからだ。例えば仕事が円滑にいくとか、争いが起きないとか、人を幸せにできるとか。

でも実はそれが自分にとってストレスになっていたりもする。そしてそれに自分自身が気がつかなかったりする。知らないうちに、内側にどんどんストレスが蓄積されていく。

この過程に気づくことはたぶん結構難しい。気づかずに、全てはうまくいっていると思い込む。でもふとしたときに気づく。「これでいいのか」と、思う。

そう思って、演じたり偽るのをやめてみる。すると驚く。ここまでか、と思うほどに、今までの環境に馴染めない。演じていた頃にはむしろ心地よくも感じていた空気に、まったく馴染めなくなる。

知らず知らずこうなってしまっていたことに、僕はぞっとする。きっと昔の僕が見たら「お前もしょーない人間になっちまったな」と言うだろう。そう思うと僕は、やるせない気持ちになる。なりたくないと思っていた人間になってしまうことほど、屈辱的なことはない。

演じたり、抑えたり、偽ったり。

そうやって僕は、きっと狂っちまったんだ。それを直すには多少の無理が必要なのだ。

他人に伝わってしまうほどの無理だ。

正常に戻っていく僕を見て周りは、「あいつは最近おかしい」とか思うんだ。

せめてそれを、いちいちイラつかずに流したいものだ。

 

 

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伊坂幸太郎『陽気なギャングが地球を回す』(再読)

やっぱ面白かった。郷野が好きだ、僕は。あの適当さ。そしてユニーク。そして知識の豊富さ。あんな人が近くにいたらそれだけでちょっと人生面白いだろうなと思う。あるいは自分がそうなれれば・・・。でも郷野は成瀬みたいな大人がいるからいいのかもな。じゃなきゃ一人相撲でおしまいかもしれない。ツッコミがいるからボケが活きるのと似ている。

なんていうか、ここまでとは言わないけど、もっとこう、ちゃんとした会話がしたいなぁ。誰かが何か言って「ははは!」とかしょーもないやり取りじゃないくて、もっとこう、キャッチボールっていうか、そのやり取り自体が面白いっていうか・・・。それこそ容赦ないツッコミがあったり、周りを気にしない大胆な発言があったり・・・。

なんかこの小説は自由で、何にも縛られていなくて、とてもいい。

 

「人間は後悔をする動物だが、改心はしない。繰り返すんだよ、馬鹿なことを。『歴史は繰り返す』というのは、それの言いわけだ」

~伊坂幸太郎『陽気なギャングが地球を回す』より~

 

郷野はこういう格言めいたことを連発するところもいい。思い切っている。

気持ちがいい。

僕ももっと、思い切りのいい人間にならなきゃいけないなぁ。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年10月 7日 (水)

電話したら脅されるあれか!?

今朝、『めざましテレビ』を観ました。星占いを観ました。僕の星座であるてんびん座は12星座中、12位でした。最下位でした。

 

今日僕はCメールを受信しました。

「10/7 10:00

FROM 080××××××××

サイト御利用について未納金があります。本日迄に連絡なき場合は法的処理に入ります。(株)FKG 03-××××-××××」

 

今日、てんびん座は、最下位でした。

 

 

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2009年10月 5日 (月)

関西カマキリ

カマキリは言った。

「これ食べないんですかぁ?」

標準語ではない。関西弁だ。大阪語だ。カマキリの関西弁は耳につく。自然とイラッとする。

「あぁ、食べるよ」

「なんで今まで残してたんですかぁ?」

なんでそんなことを聞くんですかぁ、という言葉を飲み込んで、僕は「いや、別に理由はないけど」と言った。

そこで会話は終わった。

カマキリは疑問系しか口に出せない。出さないのかもしれないが、僕が思うに、きっと法律だか宗教だかポリシーだかによって、疑問系しか口に出せないのだ。

そしてその疑問系には意味が含まれている。さっきの「これ食べないんですかぁ?」は「食べないならください」だし、「なんでこれ作ったんですかぁ?」は、「よくこんなダサいもの作りましたね」だ。

カマキリは嫌な奴なのだ。そしていつも「なんで」「なんで」と言っている。まるで人間の4歳児だ。いや、4歳児の「なんで?」は本当に答えが分からないから聞くのだろうが、カマキリの「なんで?」は、答えを知っていながら聞くのだ。もちろん、疑問系しか口に出せないから仕方のないことではある。

でも受け答えをするこちらの身にもなって欲しい。僕はイライラしてしまうのだ。仕方ないことと、それを許せることは別問題なのだ。

カマキリは言った。

「まだ帰んないんですかぁ?」

僕は黙って、席を立った。そして横に突っ立っていたカマキリの背中を、思い切り蹴飛ばした。

 

 

 

 

 

という夢を見た。

僕はカマキリが嫌いになった。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年10月 4日 (日)

ball weekend

この土日はとてもハードな週末だった。

まずは土曜日。会社のサッカー部のOB戦で、13時くらいからサッカーをした。15分を4本。結構疲れた。そして18時くらいから飲み会。飲み会は二次会まであり、さらにそこからラーメンを食べに行き、1時くらいに家に帰った。

そして今日、日曜日。11時半からまたサッカーの試合で、14時からフットサルの大会だった。さすがに疲れたけど、足は攣らなかったし、思ったよりも大丈夫だった。そしてその後反省会も込めて軽く飲みに行った。久しぶりに色々な問題点について話し合うことができて、とても有意義だった。あと初めてハイボールを飲んだ。美味しかったので3,4杯飲んでしまった。でもあまり酔わなかった。

サッカー、飲み、飲み、サッカー、フットサル、飲み。

うん、家に帰ってきて僕は気がついた。

左足首が痛い。

でもとても楽しい週末だった。スポーツ最高。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年10月 2日 (金)

うたた寝

最近、夜にうたた寝をしてしまう。

22時くらいにベッドでゴロゴロしているうちに、寝てしまうのだ。

するとちゃんと寝る体勢になっていないから、変な時間、たとえば0時とかに起きてしまう。

ここはどこだ。僕は誰だ。ヒトラーはどうなった。なんで片付けるんだよ。まだ食ってないのに。あ、仕事行かなきゃ。もう無理。寝かせてくれ。だから言ったじゃねーかよ。ふざけんなよトゥーリオ。ちょ、その鞄取って。こうさ、右足を出すだろ。次に左足を出すんだよ。

起きたとき、僕の頭はたいていの場合混乱している。

脳は寝ているときに情報を整理するという。きっと僕は、この情報の整理を邪魔してしまっているんだろう。整理中の脳内に邪魔が入り、情報が脳内に飛び散ってしまうのだ。

この情報の錯乱が落ち着くまでには5分から10分の時間を要することになる。起きているのか寝ているのか分からない数分間。

そして10分後に僕は、やっとのことで落ち着きを取り戻し、何してんだろ、と疲れ果ててしまうのだった。

 

【転た寝<うたたね>】

寝るつもりでなく横になっているうちに眠ること。ころびね。かりね。

~広辞苑より~

 

子供の頃はよく家族の前でうたた寝してたっけ。そして起こされ、不機嫌なまま布団に行ったものだ。

今は一人だからうたた寝の怒りの矛先が自分にしか向かない。何してんだ俺って。一人暮らしのうたた寝はタチが悪いのだ。

「寝るならちゃんと寝なさい!」

きっと遠い昔から伝わる言葉なのだろう。

 

 

ではまた。

 

 

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Vanilla Sky『Distance』

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2009年10月 1日 (木)

村上春樹『羊をめぐる冒険(下)』

を読んだ。

 

下巻も面白かった。ただ僕は、おそらく読解力の不足のせいでちゃんと理解できなかった。面白かったんだけど、そのせいで何かすっきりしなかった。きっともう一度読めばちゃんと理解できるだろうけど、まぁすぐに読み返す気はしない。いずれ。

しかもこれは『ダンス・ダンス・ダンス』ともつながっているようだから、『ダンス・ダンス・ダンス』を読み返すのも楽しみだ。

 

では気に入った部分を紹介。

 

「日本の近代の本質をなす愚劣さは、我々が他民族との交流から何ひとつ学ばなかったことだ。(中略)生活レベルでの思想というものが欠如しておるんだ。時間を切り離した結論だけを効率よく盗みとろうとする。全てがそうだ。つまり地面に足がついていないんだ。(後略)」

~村上春樹『羊をめぐる冒険(下)』より~

 

文化を取り入れるのは日本の得意技だ。でもそれは、たまに実に表面的だ。例えばその国になぜその文化があるのかを知らずに、考えずに、取り入れる。現に専門家の中には、「ヨーロッパでは・・・」とか「アメリカでは・・・」という理由だけで日本もそれを追従するべきだ、なんて主張をする人もいる。敗戦国ゆえの問題なのかもしれないけれど。

10月になった今日から僕は、またよく理由も分からずに、スーツを着るようになった。

 

 

ではまた。

 

 

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地球の力を借りる

さっき外を走って、分かったことがある。

走るってのは、地球の力を借りるってことなんだ、と。

この前テレビで、とある大学の陸上部の監督が言っていたし、小説『一瞬の風になれ』でも言っていた。地面を叩いて、その反発の力をもらって進むんだ、と。

外を走っていてダッシュをしてみると、僕は全然スピードに乗れている感じがしなくて、このことを思い出した。

僕は、地面を後ろに蹴るんじゃなく、下に叩いてその反発で足を上げる、ということを意識してもう一度ダッシュをした。

もしかしたら気のせいかもしれないけれど、スピードに乗れた気がした。そして軽く進めた。

なるほど。

歩くというのは実に自力的な行為であるけれど、走るってのは地球の恩恵を受けることなんだな。ウサイン・ボルトは、最も地球に愛されている人間なのかもしれない。

走るって面白いな。

 

 

ではまた。

 

 

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