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2009年11月29日 (日)

バスの話

僕は西武新宿線の花小金井駅行きのバスに乗っていた。PASMOを当てて料金を支払い、空いてるバスの一番後ろの席に座った僕は、音楽を聴きながら小説を読んでいた。乗客は、一番前のちょっと高くなった席の両側に二人と、優先席に一人、一番後ろの席の、僕とは逆側に一人がいるだけだった。なぜか優先席に座っている男だけが若くて、後はおじいさんかおばあさんだった。あの高い席におばあさんが座っている光景は、少し異様にみえた。しかもその後ろの優先席には若い男が座っている。

バスという乗り物は、生活が見える気がしていい。病院前のバス停で降りればおそらく病院に用があるのだろうし、団地前で降りれば家に帰るんだろうと想像ができる。買い物袋を提げている人も多い。電車だとこうはいかない。そもそも、電車は乗客が多すぎて一人一人のストーリーを想像することすら難しい。というよりも億劫だ。

バスはいくつかのバス停を通過した。どうやら乗る客も降りる客もしばらくはいないらしい。土曜日の午後。おそらく今から出掛ける人も、今から帰る人もいないのだろう。今まさに、遊びや習い事や食事会の真っ最中なのだ。雲ひとつない空に、やや強い風、暖かい気温、空いているバス。もし天国というものがあるのなら、そこにはこういう情景もあるんだろうなと思った。

バスは狭い道で速度を落とした。運転手は対向車とすれ違う度に、慎重に車を寄せた。プロの技。決して接触はしない。

やがてバスがとある公園前のバス停に停車した。そこで、優先席の男が降りた。代わりに女子高生が乗ってきた。女子高生は、後ろ半分の一段高くなった席の一番前に座って、乗ってきたときから手に持っていた携帯電話をいじくり出した。メールを打っているのか、インターネットでどこかのサイトを見ているのか、ただ過去の受信メールを見ているのかは分からなかった。あるいは株の売買をしていたのかもしれない。あの熱心さと指の動きを見ているとそんな気すらしてくる。指圧マッサージのトレーニングという可能性も排除し切れない。

バスは再び走りだし、公園沿いの直線道路を行く。僕と同じ一番後ろの席に座っているおじいさんは、ずっと新聞を熱心に読んでいる。僕は2007年に大学を卒業して以来、新聞をほとんどといっていいほど読んでいない。このおじいさんは一体、いつから新聞を読むという習慣を始めたのだろうか、と考えた。そしてそれは、何かの役に立ったのか、と考えた。しかしすぐに取り消した。それを言ったら僕が読んでいる小説だって同じじゃないか、と思ったからだ。僕が村上春樹を読むのはちょっとかっこつけたいからだし、伊坂幸太郎を読むのは幸せな気分になりたいからだし、恩田陸を読むのはちょっと不安になったり恐怖したりしたいからだ。なんだ、新聞の役割とまったく同じじゃないか、と僕は思った。

バスが次のバス停に止まった。そしてまた、一人の若い男が乗ってきた。その男は誰もいない優先席に座った。ん?少し気になったが、僕はまた文庫本に目を落とした。でも今日は本よりも音楽に頭がいってしまう。こういうときはたまにあるが、そういうときはあまり本が面白くないときだ。僕は本を閉じて鞄に入れた。そしてポータブルオーディオプレーヤーを操作してお気に入りの曲をランダム再生の中から探していた。これじゃない。これじゃない。これじゃない。ピピ。ピピ。ピピ。何度か曲を先送った後に、最高のイントロが聴こえてくる。その瞬間、多くの男女が飛び跳ね、あるいは走り出す映像が浮かんだ。ヴォーカルの声が聞こえだすと、今度は気持ちよく叫ぶバンドの映像が浮かんだ。きれいな声なんて出そうともせず、ありのままの自分を曝け出す姿だ。

僕は外に目をやった。気づかない間にバス停に着いていたらしく、さっき乗ってきた男が降りるところだった。ちょうど外に目をやっていた僕は、ずっと男を見ていた。男は、バスからぴょん、と飛び降りるようにして降りると、地面に足が着くや否や地面を蹴って走り出した。バスの進行方向と同じ方向へ。乗ってくる客はいなかった。バスは男を降ろすとすぐに走り出した。道は空いている。バスは大げさなエンジン音を響かせて加速した。しかしその加速が何の為だったのか疑いたくなるくらいすぐに、バスは次のバス停に着いた。そこでは一人のおばあさんが乗ってきた。おばあさんは運転手に手に持っていた何かを見せると、誰もいない優先席に座った。それを待って、ドアが閉まりバスが走り出した。

そのときだった。バスがきぃっと急停車し、前方のドアが再び開いた。「すみません。ありがとうございます」という声の後に姿を見せたのは、先ほどのバス停で降りた男だった。男は運転手に何かを見せると、優先席に座った。男は同じことを、次のバス停とその次のバス停でもやった。どこまでやるのか期待したが、次に男がバスを降りてからは、もう二度と男がバスに乗ってくることはなかった。予定通り降りるべきバス停で降りただけなのか、次のバス停でバスをつかまえられなかっただけなのかは、分からない。念のため後ろを振り返ってみると、そこには全力で車道のど真ん中を疾走する男の姿があった。なんてことはなかった。

やがてバス内に、終点を告げるアナウンスが響いた。それに反応するように一番前に座っていたおじいさんがバス中に聞こえる声で言った。

「中央特快東京行きが1番ホームに入ります。国分寺を出ると次は三鷹に止まります。武蔵小金井、東小金井、武蔵境をご利用のお客様は、2番ホームに停車中の快速東京行きをご利用ください。駆け込み乗車はおやめください!」

僕は慌ててバスに表示された終点のバス停の名前を確かめた。そこには確かに「花小金井駅」と書かれていた。

一番前のおじいさんは後ろを振り返り、ほんの一瞬だけ微笑んだ。

 

 

 

 

なんてことは、全部嘘だ。

 

 

ではまた。

 

 

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