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2009年12月

2009年12月31日 (木)

zebrahead『Anthem』

zebraheadの中でも一二を争う名曲。

上がるね~。

 

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ALL TIME LOW『Stella』

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超仮の話

いつかもし、どうしても戦争が避けられない状況になったら、なるべく早く終わらせたいなぁ。そして、絶対に勝ちたいなぁ。

もしあのとき、亜細亜での戦いで勝っていたら、日本人の多くが死なずに済んだはずだから。

もちろん戦争なんてしない、というのが最優先の主張だけど、世界はまだ、戦争がなくなるまでには成熟していないと思う。

 

 

ではまた。

 

 

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太田光『トリックスターから、空へ』

を読んだ。

 

面白かった。やはり太田光はいいことを言う。僕なんかは考えもしなかったこと、ただ素通りしてしまっていたことについて、太田は考えているのだ。凄いな、と思うと同時に、少し悔しくもある。この人はこんなに考えているのに、俺は一体何をしてたんだろうか、てな感じで。

この本は短いエッセイを集めたものだ。書いた時期によってトピックがかなり偏っていて、そういう観点で読んでも面白い。

 

大田の凄いところは、専門がないことだ。ありとあらゆるジャンルのことについて発言をする。専門家に意見する。考えているからできることだ。ただ知識を吐き出す馬鹿ではなく、自分の頭で考えたことを(もちろん引用はあるのだろうけど)話せる人なのだ。負けてらんねぇ。

 

お勧めです。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年12月30日 (水)

生きていい

広島最終日の今日は呉に行った。今回一番行きたかった場所だ。ここで大和など多くの戦艦や空母が造られ、また、多くの若者が戦地へ向かったのだ。当然空襲も受けている。

ここにある大和ミュージアムはとても良かった。大東亜戦争や沖縄特攻で生き残った人・遺族の証言映像を観ることができた。

僕はここで、いつも僕が憤りを感じているものの正体を見た気がした。

それは、生存権の侵害だ。

特攻隊員は生きることを許されなかった。生きて帰った者は周囲から冷たい目で見られた。生きることを罪とされたのだ。

でも僕たちは違う。生きていいのだ。

走るのが遅くても、話すのが苦手でも、引き籠もりでも、会議の進行が下手でも、営業の成績が悪くても、生きていいのだ。

でも日本には、そういう人を死に追いやる人や国や会社がある。精神的に。経済的に。

日本人は、生きてはいけないことを経験したくせに、自殺者を年間3万人以上出す国になってしまったのだ。

僕はこのことに憤る。

何とかしなければいけない。みんなが生きていていいんだと思える国にしなければならない。

どうすればいいか。

上杉王国を作って、一人でも多くの日本人をそこの国民にするのだ。上杉王国では自殺者はゼロである。(ただし哲学的自殺を除く)

もちろんこれは、僕の考えを象徴的に言っただけだ。


まぁとにかく、祖先の死を無断にはしちゃいかんということだ。


ではまた。

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「子どもだから…」という思考停止

また宮島での話だ。

宮島にはたくさんの家族連れ旅行者がいた。

宮島はテンションの上がった子や、逆にめちゃくちゃつまらなそうな子で溢れていた。

聞こえてきた家族の会話で、面白いものがあった。


母「ほら、鹿がたくさんいるよ」
息子「ホントだ!でもたくさんはいないよ」

僕は、ほぉ、と思った。これが「たくさん」という言葉の特徴なのだ。つまり、比較対象による、ということだ。例えば母は、日常との比較で「たくさん」を使ったに違いなかった。日常に鹿は一匹もいないし、仮に近所にいるネコや犬の数と比較しても、宮島の鹿は「たくさん」だった。ところが息子は、動物園を思った。あそこに比べればこれは「たくさん」ではない、ということなのだろう。もちろん、動物園の鹿の数より宮島にいる鹿の数の方が多いに決まっているが、密度が与える印象の効果が働いた結果だ。


この会話を聞いたとき、一瞬「子どもの感覚」という一言で片付けそうになった。

危なかった。


ではまた。

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空島的廃棄物

さて宮島の続きだ。

宮島ではひたすらぶらぶらしていた。それはそれは、ぶらぶらとしか形容のしようのない歩行だった。

鹿はいるし神社はあるし山はあるし、宮島は最高の散歩島だったと思う。天気も良かった。実のところ、それが一番大事なことだった。


あなご飯を食べてビールを飲んだ後、ロープウェーに乗って山を登った。到着したロープウェーの駅から展望台まで、さらに30分くらい歩いて山を登った。

展望台のある山の頂上には、どこから来たのだ、と問い掛けたくなるような巨大な岩がゴロゴロあった。
僕は空島を想像した。空島の住人が、いらなくなった岩を夜な夜な捨てて行ったのだ。そうとしか考えられなかった。それ以外の可能性といえば、火山の噴火により打ち上げられた、くらいだ。いずれにせよ、奇跡的だ。

僕に関すること以外の部分では、奇跡ってやつは結構起きているらしい。


ではまた。

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2009年12月29日 (火)

野生ってなんだ

さて、ものすごく美味しいがものすごく無愛想な焼き鳥屋に入ってしまったので、二日目の話をしよう。

二日目の今日は、宮島へ行った。厳島神社のある有名な島だ。

ここも別に、何てことはなかった。ただ、厳島神社の、隙間の空いたブカブカな床を踏んで、あぁこれは海面が上がった時の圧力を逃がすために意図的に空けられた隙間ということをいつかのテレビ番組で観たなぁ、ということと、確かにこの神社は鳥居といい、造りといい、魅せる神社だなぁと思った。

面白かったのが、この島には鹿がいるせいで「宮島の鹿は野生ですので、エサを与えないでください」みたいな看板があったのだが、そこにいた鹿の角は見事に切られていた。

野生を大切にする精神はいずこへ、と思った。


他にもあるが、携帯ではこれが限界だ。


ではまた。

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核反対を叫ぶ際のジレンマ

昨日の平和記念館は、原爆ドーム同様、特に何も思わなかった。

思ったことといえば、こんなに説明されないと原爆に反対できない人が人類の中にいるのか、ということくらいだ。

そしてたぶん、そういう人はあそこへは行かない。

世界はあらゆるジレンマで溢れているのだ。

携帯だと長文がだるいので、二日目のことはまた今度。

ではまた。

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2009年12月28日 (月)

広島到着と原爆ドームとお好み焼き

広島に着いた。

今は原爆ドームを背に、ビールを飲みながらお好み焼きができるのを待っている。

原爆ドームを見ても、特に思うことはなかった。

ただ、原爆ドームは、爆風をほぼ垂直に受けたせいで奇跡的に残ったものだということを知り、確かにこれからも残るべきものだ、と思った。


お好み焼きを食べたら、今日が年内最後の開館らしい記念館へ行こうと思う。

そこで僕が何を思うのかは、夜気が向けば書きます。

今はお好み焼きを食べることに全力を注ごう。


ではまた。

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どう思われたいか

外国人に何と思われたいか。

僕は、日本人は人を絶対に殺さない、と思われたい。

だから絶対に戦争には反対だし、死刑制度も廃止にしたいし、自殺もなくしたい。できれば殺人もゼロになればいい。

どうやって?なんて聞いてくれるな。

人は時に、方法論を抜きにして理想と目標を掲げなければならないんだよ。

ぶれないために。

ではまた。

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2009年12月27日 (日)

野党の仕事は“建設的な批判をしないこと”だったのか

自民党の谷垣さんが民主党を「マニフェスト詐欺」だと批判している。

ガソリン税などの暫定税率を維持することに決めたことについてだ。

確かにマニフェストはそう簡単に破っていいものではない。

ただこの、民主主義発展途上国の日本において、マニフェストなんてあってないようなものだということは、実は国民は知っている。

それに、先日の選挙で一体誰が民主党のマニフェストを評価して投票したというのだろうか。ほとんどの有権者は、自民党が嫌で、でも他の党も嫌だから次に議席の多かった民主党にとりあえずやらせてみよう、という考えで票を入れただけだ。

だからいくら民主党がマニフェストと違うことをしたからといって、そんなに怒ることはないのだ。

 

しかしそんなことよりも、本来「詐欺だ!」と叫ぶのは、騙された人だ。この場合なら、“騙されて”投票した有権者ということになる。じゃあ自民党の谷垣さんは、先日の選挙で民主党に投票したのだろうか。それとも政治家お得意の、「国民の声の代弁」とでもいうのだろうか。

やれやれだ。

 

 

ではまた。

 

 

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行間を読み違うことほどつまらないことはない

部屋を掃除していたら、入社当時の自己紹介文が出てきた。たしか僕の年は、「好きなこと」「得意なこと」「先輩社員へのメッセージ」みたいなお題が与えられていたんだと思う。

みんなが真面目な自己紹介文を書いている中、僕はすごくいい加減な文を書いていた。

 

好きなこと:フットサル

得意なこと:カウンターを受けたときの戻り

サッカー部に入るのが楽しみです!

あ、仕事も頑張ります!

 

これが僕の自己紹介文だった。

先ほどはいい加減と言ったが、それほどふざけたわけじゃなかった。まだ配属も決まっていない中、一体誰に向けてメッセージを送ればいいのか分からなかっただけだった。だから僕は、もうすでに面識のあったサッカー部の人たちのことを想像して書いた。それだけだった。

でもどうやら配属先の人たちの中には、快く思わない人もいるようだった。「あ、仕事も頑張ります!」を、「仕事はサッカーの次」と解釈したのだろう。僕が配属された日に頂いた先輩方からのメッセージカードの中には、そのことについての嫌味臭いメッセージが1,2個あった。

でもよく考えてみて欲しい。「サッカー部に入るのが楽しみです!あ、仕事も頑張ります!」という文章には、仕事よりもサッカーを優先するという意味は含まれていない。むしろ、サッカーと仕事は並列的な関係である、と読まなければならない。

でもなぜ誤解が生じるのか。

それは、行間を読むからだ。

行間を読むという行為は、普通、高等で良い事とされる。でもたまにそれは、勝手な解釈を生み、それが誤解となることもあるということだ。

僕は今の会社に入って3年近くになるが、どうもこの「行間」を読みすぎる人が多い気がする。そして時に、言葉以上のものを勝手に読み取って、僕の言葉ではなく、勝手に読んだ行間の方を批判してきたりする。これはたまらない。それは僕が思っていることではなく、あなたが、“僕が思っている”と思っていることだろ、と思う。

「行間」は、あくまで文章の解釈を手助けするために読むべきだ。

そこに人間の深層心理があるとか、宇宙の法則が隠れているなんて、思わない方がいい。

 

 

ではまた。

 

 

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年賀状を書かないキャンペーン

年賀状ってのは実に奇妙なものだ。

まず一つは、日頃顔を合わせている人に葉書を送るという点がおかしい。普段連絡を取る機会がない人に送るものだろう。葉書ってのは。基本的には遠くにいる人に送るもののはずだ。しかも最近はE-mailがあるわけだから、わざわざ葉書を使うのはやはり奇妙だ。

それにもう一つ。これこそ僕が最も気持ちが悪いと思っていることなのだけれど、年賀状を書く時期だ。年賀状は元旦に届くことがいいとされている。そうすると、前年の12月25日までに投函しなければならないのだ。「メリークリスマス」を言いながら「明けましておめでとう」を書くわけだ。なんて気持ち悪いんだ。さらに書き手が難しいのは、まだ年が明けていないのに、「“昨年”はお世話になりました」とか「“今年”もよろしく」などと書かなければならないことだ。まるでオンエアの日を気にしながら喋るバラエティ番組の司会者みたいじゃないか。なんて奇妙なんだ。

 

とはいえ、僕も年賀状の良さは分かっている。まずは文字の良さだ。人の手書きの文字を普段見ることはあまりない。その手書きの文字による、自分へのメッセージ。これは嬉しい。それに普段会えない人の近況を聞く、唯一の機会である場合もある。これらの点において、年賀状は素晴らしい文化だ。

でも、それでも僕は、今年(来年?)は年賀状を書かないことに決めた。年賀状の効果を検証するのだ。

僕たちは形式的に年賀状を書いているんじゃないか。何となく毎年の恒例として。別に意味も考えないし、効果も考えない。ただ、「みんな書いてるから」という理由で書く。

じゃあやめたらどうなるのか。

友達がいなくなるのか。一年の運勢が下がるのか。日本郵政がつぶれるのか。オバマが暗殺されるのか。地球が自転をやめるのか。宇宙人が攻めてくるのか。新しい太陽系が発見されるのか。

年賀状がある意味や効果を知るためには、一度やめてみるしかない。それがある状態をない状態にして、どのような変化が起きるのかを見届けるのだ。

だから僕は、今年(来年?)は年賀状を書かない。

その代わりといってはなんだが、年明けの瞬間に日本中に心をこめて「明けましておめでとう。今年もよろしく」と言うよ。

喪中の人は耳を塞いでおいてくれ。

 

 

ではまた。

 

 

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流れを変える大作戦 第2弾

僕は半径5mの円を描いている。

髪を切ったからね。

落ち着いて渦の中心を眺めているよ。

もう少しだよ。

もう少しでみんなと同じ流れに乗れるよ。

泳ぎが下手な僕でも、すいすいと進めるんだよ。

明日いよいよ、一人で広島へ行くよ。

それで完成だ。

 

 

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ローレンス・ブロック『HIT PARADE(殺しのパレード)』

を読んだ。

 

久しぶりに外国の小説を読んだけど、やっぱりイマイチだった。

やっぱ言語の違いってのは、単に翻訳しただけじゃ乗り越えられない何かがあるね。

簡単に言えば殺し屋の男が色んな人を殺す話。別に悪くないんだけど、良くもなかったという感じ。

そもそも購入のきっかけは、帯の一文だ。

「ローレンス・ブロックからはあからさまに影響を受けていますし、『殺し屋ケラー』シリーズは僕が書きたいものの到達点であるような気すらします。  伊坂幸太郎」

こんなものが目に入ったらそりゃ買ってしまうよ。

でもまぁ、後悔はない。いつでも面白い本ばかりに出合えるわけではないのだ。むしろ、つまらない本があるからこそ、面白い本に出合えたときの感動があると思えば、面白くない本も悪くない。

人生と同じだ。

谷があるから山があるのだ。そこに山しかなければ、僕たちはそれが山だと気づくことができない。

 

考えることと行動することは別だ、とケラーは自分に思い出させた。体がするべきことをしているかぎりは、頭には好きなだけ考えごとをさせておけばいい。

~ローレンス・ブロック『HIT PARADE(殺しのパレード)』より~

 

これは殺し屋のケラーがターゲットのことについて、ターゲットが殺される理由や人柄について考えてしまうシーンでの一文。結局ケラーはきちんと仕事をすることになるのだが、頭の中では実は色々な葛藤(あるいはそれに似たもの)がある。

これはとても共感できた。

僕はたぶんかなりきっちり仕事をやるタイプの人間だ。あれこれ文句は言うし、仕事が好きなわけでもないし、頭の中では職場での将来よりもそれ以外の将来を想像することの方が断然多い。でも仕事はきわめて誠実にきっちりやる。誠実というのは、決められた時間内、予算内で、目的を達成するということだ。

あるいは僕には殺し屋の素質があるのかもしれない。誠実に仕事を実行するという点において。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年12月26日 (土)

渦の中心でもがく

どうも流れがよろしくない。

みんな「流れるプール」の流れに上手く乗れているのに、僕だけ渦の中心にはまってしまって抜け出せないみたいだ。

もがいてみても、その場でぐるぐる回るだけだ。

流れを変えなければならない。

髪を切るとか、一人旅に出るとか、模様替えをするとか、そういった類の行動が必要だ。

とりあえず年内に、全部やってみようと思う。

実際に今日さっそく、部屋の模様替えをした。

「点」の上をぐるぐる回っていたのが、半径1mの円周上くらいにはいけただろうか。

まだ来るなよ、2010。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年12月25日 (金)

年間自殺者12年連続3万人以上

もう僕はね、実はこの数字は普通なんじゃないかって気がするよ。

問題は人口密度なんじゃないかって思ってきたよ。

弱者がどうとか、働き過ぎとか、不況とか、そういう社会的な問題じゃなくてさ、極めて生物的な問題なんじゃないかってね。個体数多過ぎっていうね。

まぁそんな単純な問題じゃないんだろうけど。


ではまた。

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マブダチってやつ

なーんかふと、マブダチの「マブ」って何?って思ったから調べてみた。

 

【まぶ】

(隠語)うまいこと。よいこと。上首尾。

~広辞苑より~

 

「ダチ」はもちろん、「友達」の「ダチ」。

つまり、「マブ」と「ダチ」で「よい友達」ってことだ。

 

マブダチとか親友とか旧友とか。

友達の分類は意外と大変だ。

しねーけど。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年12月24日 (木)

見えるもの

暗い路地に入ると夜空が輝く。

あぁ、輝いていないところだからこそ見える景色ってのがあるんだなぁ。

太陽。

お前には一体、何が見えるんだ。

小学校の学芸会の、スポットライトが当たった舞台から見た真っ暗な景色。

あれがお前の世界か。

だったら俺、輝かなくていいかもしんない。

 

 

ではまた。

 

 

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ドンマイ天皇

街は完全にクリスマス一色で、24日・25日が平日だからってみんな23日にクリスマスのお祝いをしているよ。

本来の意味で解釈するなら、みんなキリストの生誕を祝ってるってことだね。この12月23日に。

天皇の誕生日だということも忘れて。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年12月23日 (水)

栗原俊雄『戦艦大和 生還者たちの証言から』

を読んだ。

 

世界最強と言われた戦艦、大和。沖縄水上特攻から生還した人たちの証言を基に、大東亜戦争とそこにおける大和のことについて書かれた新書だ。とてもよかった。

特攻で死にに行く者や残される者、生き残ってしまった者、当時のあらゆる人たちの気持ちがここには記されていて、何度も目頭が熱くなった。もちろん泣かないけど。

特攻の愚かさを改めて知った。大東亜戦争における指導者たち全部を否定する気にはどうしてもなれないけど、たくさんの過ちを犯したのは間違いないんだろう。特攻はその一つだ。原爆を落とされたことを過ちと考えるのではなく、この特攻こそ、日本が犯した大きな過ちとして考えるべきだ。(ただ、特攻で死んだ人たちを思うと、「過ちだった」としてしまうのも・・・。でも過ちは過ちだ)

3332人中3056人が死んだ沖縄水上特攻。彼らの無念たるや。

 

海よ、語ってくれ

若者が命を捨て

守ろうとしたものが何であったかを

海よ、叫んでくれ

今もなお海底深くから

己れの生命の価値を問い続け

眠っているもののあることを

~栗原俊雄『戦艦大和 生還者たちの証言から』より~

 

これは元海軍少佐・座好寺一好が作った詩なんだそうだ。

なんていうか、すごい伝わってくるものがある。

やっぱり、僕たちは知らなければならない。

ただ与えられただけの幸せの上に立って殺し合いをする僕たちは、クソ野郎だ!

戦後を知る人は仕方ない。経済成長こそが生きる道だったんだろうから。

でも僕たちの世代は違う。僕たちは万全に整えられた舞台に立ち、国の成長なんて想いもせず個人の成長だけを考える。そして他人を殺す(包丁とかピストルとか刀とかで殺すという意味ではない)。

僕たちはこの環境に感謝して、うまく言えないけど、もっと国全体の幸せっていうか、弱い人も幸せになれる社会を作っていく立場にあると思う。

そして僕は、空に散った彼や、海に沈んだ彼を想って、もっと誠実に生きなければならない。

そんなことを考えさせられた本だった。

 

他にも大東亜戦争を知るに良い本だったと思う。わりと読みやすいし。

お勧めです。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年12月22日 (火)

コミュニケーション

いくら頑張って説明しても伝わらないことがある。

コミュニケーションってのは、知識とか宗教とか言語とかが、ある程度一致した者同士の間にしか成立しないものなんだ。

日本語のできないアメリカ人にいくら日本語で一生懸命語りかけても何も伝わらないように。

そんな当たり前のことを、今日学んだ。


知識レベルの違いといった類のものであれば上が下に合わせればいいが、言語とか環境の違いの類の場合は、どうしようもないときがある。

あるいは知識レベルの違いによる場合も、どうしようもないときがある。


コミュニケーションは万能じゃないのだ!


もちろんいかなる場合も大事なのは、自分のレベルを相手に押し付けないことである。

上は下を想い、下は上を想い、左は右を、右は左を想うことが大事だ。


尊重せよ、人類。


ではまた。

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2009年12月20日 (日)

蹴りおさめ

今日はサッカー部の練習とROONEYS(フットサル)の練習だった。

 

今日は先々週から参加していた人が正式メンバーとなっためでたい日だ。自分のチームに新しい仲間が加わるってのは、7年目となる今でも本当に嬉しい。

さらに今日は、一人の女性が初参加した。以前にも一度女性が来たことがあったが、素人だったので練習についていけず、やがて来なくなってしまった。でも今日の人は経験者で、技術も体力もあって、全然問題なかった。いずれ女子部は作るつもりだったし、彼女もいつまでも男子の中に一人で混じるのは微妙だろうから、女子部の設立を急ごうと思う。こりゃ来年も面白くなりそうだ。

ROONEYSは本当に面白い。フットサルだけでなく、飲み会とかキャンプとかその他の遊びとか何気ない会話とか。きっとROONEYSは、一生僕を楽しませてくれるんだろうな。俺より長生きしてくれよ、ROONEYS。

 

 

ではまた。

 

 

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映画『奇蹟のシンフォニー』

を観た。

 

正直言って、大した映画じゃなかった。まぁDVDを借りたきっかけが「奇蹟」って言葉に惹かれただけだからいいんだけど。

でも音楽をテーマにした感動ものだから間違いないだろうとは思っていた。でも観てみると、悪くはないんだけど、物足りなさが抜群だった。音楽の使い方もストーリーも、全部がちょっとずつ物足りない感じ。

あ、でも、主演の子はすごいよかった。音楽を奏でてるときのあの表情は絶妙だった。

 

まぁ特にお勧めするような映画ではないです。

 

 

ではまた。

 

 

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冬だねぇ

もしかしたら普通なのかもしれないけどさ、家の中で吐く息が白いんだけど・・・。

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2009年12月19日 (土)

「すみません」を「ありがとう」に

この前バスで席を譲った時、譲った人から「すみません」って言われた。

ああいう時って、「すみません」と謝っちゃう人と、「ありがとうございます」とお礼を言う人がいる。

僕はああいう時って、絶対「ありがとう」の方がいいと思うんだが。

「すみません」なんて言っちゃうとさ、まるで誰かが悪いことをしたみたいじゃないか。誰も悪いことなんてしてないのに。

それに対して「ありがとう」ってのはさ、誰かが良いことをしたことに対する言葉だから、こっちの方が断然いいと思うんだよな。「ありがとう」という言葉があってはじめて、「良い事をした」という事実が生まれる、と言っても過言ではないと思う。

もちろん気持ちとしては分かる。「私のせいであなたに迷惑をかけてしまって・・・」みたいな気持ちはあって然るべきだと思う。でもそれを口に出すかどうかといえば話は別。「ありがとう」の方が優先的に口に出すべき言葉だから、「すみません」は必然的に押し殺されなければならないんだよ。

「すみません」「いえいえ、お気になさらずに」

「ありがとうございます」「どういたしまして」

に変わるだけでさ、世界はいくらか幸せになると思うんだがどうだろう。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年12月18日 (金)

道尾秀介『向日葵の咲かない夏』

を読んだ。

 

全然面白くなかった。それどころか、気持ちが悪いとさえ思った。実際、気持ちの悪い小説なのだ。こんなのは、湊かなえの『告白』以来だ。

全くお勧めできないのでご注意。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年12月17日 (木)

大人になるということは、物事を複雑にするということなのだ

子供の頃は色々なものがシンプルだった。

よく風船をくれるおばちゃんは「風船のおばちゃん」だったし、白い犬は「シロ」だったし、少年野球では変化球が禁止されていた。

それが今は、女性に「風船のおばちゃん」なんて言ったらぶん殴られてしまうし、白い犬はソフトバンクのCMで人気者だし、ストレートだけのピッチャーは簡単に打たれてしまう。

色々なことを覚えれば覚えるほど、世界は複雑になるのだ。

そしてシンプルな物は軽んじられるようになる。

それでいいのかね。

全然意味わかんねーけど。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年12月16日 (水)

百田尚樹『永遠の0』

を読んだ。

 

めちゃくちゃいい小説だった。最初に言っておこう。かなりのお勧めだ。

大東亜戦争の終戦間際に特攻で死んだ祖父を調べながら、主人公が戦争について知り、考えていく話だ。“臆病者”の天才飛行機乗りで、断固特攻に反対していながら、なぜ祖父は特攻で死んだのか。当時を知る人を渡り歩くうちにそれが明らかになっていく。そしてあの戦争はどういう戦争だったのかを知る。

ドラマチックな結末にも感動したが、やはり何と言ってもこの小説の素晴らしいところは、当時の若者の感情や考え方がリアルに描かれているところだ。もちろん小説だから、それが真実ってわけじゃない。でも僕は、今の僕たちと当時の若者は何も変わらない、と思った。ただ生まれた時代が違うだけだ。それなのに、彼らは戦地へ飛び、時に、まったく無意味に死んだ。

僕たちはやはりこの戦争のことをもっと知らなければならない、と思った。もっと彼らの気持ちを想像できるようにならなければならないのだ。

 

目に入るすべてのものがいとおしかった。何もかもが美しいと思った。道ばたの草さえも限りなく美しいと思った。しゃがんで見ると、雑草が小さな白い花を咲かせているのが見えた。小指の先よりも小さな花だった。美しい、と心から思った。その花は生まれて初めて見る花だったが、この世で一番美しい花ではないだろうかと思った。

~百田尚樹『永遠の0』より~

 

お母さん、ごめんなさい、と心の中で叫んだ。私の一生は幸せでした。お母さんの愛情を一杯に受けて育ちました。もう一度生まれることがあるなら、またお母さんの子供に生まれてきたいです。出来るなら、今度は女の子として、一生、お母さんと暮らしたいです。

~百田尚樹『永遠の0』より~

 

これは特攻隊員が出撃前に思ったことを語った部分だ。彼らの無念さを思うと、何というか、本当に可哀想だ。そして同時に、自分の恵まれた環境に感謝しないわけにはいかない。比べる必要なんてないけど、僕の悩みなんて、本当にちっぽけだ。

彼らを想って、強く生きよう。

 

まぁとにかく、大東亜戦争のことなんて全然分からない、という人も絶対に感動できる話になっているから、是非読んでみて欲しい。

超お勧め。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年12月14日 (月)

失うものなんて始めから一つもねぇんだから

【足掻く・踠く<あがく>】

《自五》

①馬などが前足で地面を掻く。また、そのようにして進む。

②手足を動かしていらだつ。もがく。

③比喩的に、悪い状態から脱け出そうとして、どうにもならないのにいろいろやってみる。また、あくせくする。

④(子どもが)あばれる。ふざける。

~広辞苑より~

 

足掻いて損をするのなら、足掻くか、足掻かないかを検討する価値はある。

でも何も失わない状況なら、足掻かない理由はそれほどない。

精神的な疲労や苦痛がちょっとあるくらいだ。

その先にある希望だけ見てれば、足掻くってのもそんなに悪いことではないはずだ。

男ならドンといけ!!

ダメでもともとじゃないか!!

そもそも生まれたこと自体が!

例え死んだって、生まれなかった状態に戻るだけだ!

人生ダメ元論。

頑張れ俺。

俺に怖いものなんてあるのかよ。よく考えたら、そんなもの1つとしてないんだ。

存在するのかしないのか分からない幽霊に怯えてた俺はもういねぇ。

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本当に辛いこと

それは、頑張ることではなく、頑張り方が分からないことだ。

歩いてる方向が、進んでるのか戻ってるのかも分からない。


あぁ誰か。マニュアルとか方位磁石とか道標とか、そういった類のものをくれよ!

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2009年12月13日 (日)

「羽目を外す」ってやつ

昨日は高校時代のテニス部の飲み会だった。

久しぶりに会う同級生の仲間や後輩と、夜中まで飲んだ。

楽しすぎた。

何かこう、後輩と飲んでいて、息子と酒を飲む親父の気持ちってのはこんな感じなのかもしれないな、と思った。あの頃は酒を一緒に飲むなんてことはなかったし、テニス部でもこちらが指導する一方だったのが、今ではそれぞれ立派に働いていたり、夢に向かって勉強していたり、みんな頼もしくなったなぁと。しみじみ思った。

しみじみとかいいながらも、飲み会自体はしみじみなんてもんじゃなかった。わーぎゃー騒いだ。そして3次会で僕は、完全に潰れた。

たいていの場合、潰れる飲み会ってのは楽しすぎる飲み会なのだ。

ただ潰れてしまってはせっかくの楽しさも半減。

ちょっとハメを外しすぎたと、反省。

 

【羽目を外す<はめをはずす>】

(「はめ」は「馬銜(はみ)の意ともいう)興に乗って度をすごす。

~広辞苑より~

 

【馬銜<はみ>】

①轡(くつわ)で、馬の口にくわえさせる所。喰(はみ)。

②悍馬(かんば)を制するため、口に縄をかませて、頭頂に縛っておくこと。また、その縄。

~広辞苑より~

 

あ~、なるほど。制御しているものを外すことってことなのか。羽目を外すって。

勉強になった。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年12月12日 (土)

三浦しをん『風が強く吹いている』

を読んだ。

 

やっぱりスポーツものはいい。もうこれはどうしようもないことだ。僕にとって。どうしても感動してしまうし、どうしてもワクワクしてしまうし、どうしても読みながら走っている自分を想像してしまう。

この小説は、簡単に言ってしまえば、10人の大学生が陸上(長距離)を始め、箱根駅伝を目指す、というものだ。本当に三浦しをんの小説か?と疑いたくなるほど、真っ直ぐで単純な青春小説だ。でもスポーツものは、真っ直ぐで単純なのがいい。それがいいのだ。

題材は駅伝だが、「走る」ということと「生きる」ということを同じように捉えていて、それがとても良かった。タイムが一番早いやつが勝ちってわけじゃないとか、速いと強いは違うとか、そういった考え方は、生きる上で大事にしたいことだなと思った。人はすぐ他人と自分を比較して落ち込む。でもそんなのはどうでもいいんだってことだ。自分を信じて、周りを信じて、強く生きるのだ!頑張れオレ!

とにかくお勧めです。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年12月10日 (木)

ネガティブが悪いわけじゃない

寝ないと、寝ないと、と思っていると寝れない。

寒くない、寒くない、と思っているとますます寒くなる。

じゃあ何も考えなければいいじゃないか。

何も考えない、何も考えない・・・、と考える。

こういうジレンマを僕たちは永遠に持ち続けることになる。

拒否するのではなく受け入れる。

考えない方がいいことを考えてしまう自分を。

そうすることでしか結局は生きられないんだなと、ふと思った。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年12月 9日 (水)

「残業をしない」は死人にもできる

行動分析学について考えているうちに、1つ面白いことを思いついた。

僕は入社以来、会社では、「残業しない男」で通っている。

初めて話す人から、「全然残業しないんだってね~」などと言われたこともある。どっから聞いた!?って感じだ。

そんな僕が一番よくされる質問が、「なんで残業しないで帰れるの?」だ。

これは、「残業をしない」の理由(原因)を問うている、と解釈できる。

僕はいつもこの答えに困っていた。そんなの知らねぇよって感じだったからだ。

でも僕なりに考えてはいた。その理由を。

業務量が少ないから?

仕事が早いから?

仕事を次の日に回しているから?

どれも断定できない理由ばかりだ。まぁ最後のは断定できるが。

でも僕は行動分析学に触れて分かった。とうとう分かった。理由が分からなかった理由が分かった。

「残業をしない」というのは、行動ではないからだ。

以前にも書いたが、行動とは、死人にはできないことだ。

「残業をしない」は、死人にもできる。だから、「残業をしない」は行動ではない。

当然、「残業をしない」には理由(原因)はない、ということになるのだ。

むしろ理由(原因)があるのは、死人にはできない「残業をする」という行動の方だ。

そこを間違えるから、「なんて残業をしないで帰れるの?」なんて質問が生まれてしまうのだ。

今朝納豆ご飯を食べた人に、「なんでパンケーキを食べなかったの?」などと質問するようなものだ。そんなの知らねぇよってなるよ、それは。

 

だから僕は今後、「なんで残業しないで帰れるの?」という質問をされたあかつきには、「そんなものに理由はありません。だって僕は『残業をしない』をしているわけではないですから。『残業をする』をしていないのです」と言ってやろうと思う。

いや、「だって死人にもできるんですよ?」って返すのも悪くないかもしれないな。

やめといた方がいいな。

 

 

ではまた。

 

 

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スイング

見逃し三振と、空振り三振。

どっちがいい。

やらずに後悔と、やって後悔。

どっちがいい。

本当はみんな分かってんだ。

やるべきこと。

やりたいことってのは。

やるべきこと、やりたいこと。

それを忠実に実行することが後悔しないことだって、分かってんだ。

だから俺はやるんだよ。

 

スイング!!

 

空振りだってただのワンストライク。

何てこっちゃない。

バッティングカウントはワンストライク・ツーボールがセオリーだぜ。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年12月 7日 (月)

杉山尚子『行動分析学入門―ヒトの行動の思いがけない理由』

を読んだ。

 

ヒトの行動の原因を明らかにしようという行動分析学についての新書だ。

これがかなり面白かった。目からウロコとはこのことだ。

僕たちは、自分の行動なのだから、その行動の理由(原因)は分かっているに決まっていると思うことが多い。たまに「なぜそんなことしたの?」の問いに答えられないこともあるが、大抵の場合は「~だから」と答えることができる。

でもこの「~だから」という答えが、実はその行動の理由(原因)になっていないことが多々あるようなのだ。この本を読んで、僕は妙に納得してしまった。

 

例えば、Aさんが水を飲むために「蛇口をひねる」という行動をするとする。さて、Aさんはなぜ蛇口をひねるのか。多くの人が「水を飲むために」とか「水が飲みたいから」と答えるだろう。実はどっちも不正解だ。

まず前者は理由(原因)になっていない。「水を飲むために」は目的だ。

それに対して「水が飲みたいから」というのは理由っぽくみえる。でも実はこれも理由ではない。っぽく見えるだけだ。「なぜなら~だから」という文脈でものを言えば何かの理由になると思ったら大間違いなのだ。

Aさんが蛇口をひねるのは、「水が飲めない状態があり、蛇口をひねることでと水が飲める状態になるから」だ。

「水が飲みたいから」というのはこの本で言うところの「こころ」の問題であって、行動の原因ではないのだ。

それに、いくら水が飲みたくても、もしその蛇口をいくらひねっても水が出てこないということが分かっていれば、蛇口はひねらない。

同じように、仕事をちゃんとやらないU君に対して、「Uはやる気がないから仕事をちゃんとやらないんだ」などと言ったところで、的外れもいいところなのである。「やる気がない」は“こころ”の問題で、行動の原因ではない。「仕事をちゃんとやらない」という行動(「仕事をやらない」は行動ではないが、「ちゃんと」が入れば行動のような気がするがどうだろう)に「やる気がない」というラベルを貼っているだけなのだ。

 

これはこの本で紹介されていることのほんの一部だ。ここでは紹介しきれないのであきらめる。例えばダイエットができない原因を追究したり、介護の現場における患者との関わりについての事例が載っていたりと、かなり実践的な内容だったと思う。

ただの学問ではない。誰にとっても役に立つ、使える学問だ。行動分析学。

 

ちなみに「行動」とは、「死人にはできないこと」だそうだ。

 

【目から鱗が落ちる<めからうろこがおちる>】

(新約聖書の使徒行伝から)あることをきっかけとして、急にものごとの真相や本質が分かるようになる。

~広辞苑より~

 

この本読んだら、本当に色々な行動の原因を捉えなおすことになると思う。

特に誰かの行動を評価する立場にある人は是非読んで欲しい一冊だ。

いくら説教をしても改善しない部下がいるとしたら、その説教が、その部下の行動の原因を正確に捉えられていないからかもしれない。

表面的に考えてはいけないのだよ、ワトソン君。

 

 

ではまた。

 

 

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止まらない電車

僕は電車に乗っていた。時刻は分からないが、外が暗い。たぶん夜なのだろう。一番前の車両から、これから行く線路を眺めていた。

駅に着くと、電車を降りた人々が線路を横断する。どうやらこの辺りの人には線路を横断することへの抵抗は一切ないようだった。子たちは、むしろ線路を横断することに楽しささえ覚えているようだ。実に楽しそうだった。

電車のライトが横断する人々を照らしながら、また電車は走り出す。走り出してからも、その先で横断する人々は消えなかった。一体どこまでこの横断する人々はいるのだろうか。

電車はかまわず加速する。さすがに危ないのではないか、と思った。誰かが轢かれてもおかしくない。僕は、線路から目が離せなかった。

線路を横断する小学生の集団があった。電車はもうほとんど加速し切った状態だ。あっという間に集団に接近する。さすがに運転手は一度、スピードを緩めた。その間に、ほとんどの子が横断し終えた。しかし一人だけ、線路の上で止まったままの子どもがいた。電車は一度スピードを落としただけで、それからはブレーキをかけなかった。ライトが子どもを照らす。やっと子どもが気づいた。はっとした表情を一度浮かべ、こっちを見たまま、子どもは電車に轢かれた。

赤い鮮血が飛び散った。しかし電車は何もなかったように進む。

僕は後ろを振り返った。いつの間にか雨が降っていた。ところどころにできた水溜りが、すべて赤く見えた。轢かれた子どもの体がどうなったのかは分からなかった。

「マジかよ。止まらないのかよ」と、僕は隣にいた誰かに言った。

「こういう場合でも止まらないんだな」と、隣にいた誰かが言った。とても冷静な声だった。

すると運転手が僕たちに話しかけてきた。

「今のことをメールや電話で誰かに話してはいけませんよ」

僕は「あぁ。別に誰かに話すつもりはないよ」と言った。

席はいつのまにか2人掛けの席が向き合う形になっていて、向かいに中年の男が乗っていた。男は身を乗り出し、運転手に話しかけた。手にはメモ帳とペンがあった。

「今度の選挙、誰を支持してるんですか?」

運転手は答えなかった。おそらく仕事なのだろう。メモを持った男は職務をまっとうしようとした。子どもが電車に轢かれたことは全く気にしていなかった。

僕はどうなっているのか分からず、とにかく外を見ていた。赤い水溜りがいつまで続くのだろうか。もしかしたら電車の下に子どもの体が残っていて、そこから血が流れ続けているのだろうか、などと考えていた。

ふと運転手の方を振り返ると、運転手は会社のサッカー部の先輩だった。

 

 

 

 

という夢を見た。マジで怖かった。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年12月 6日 (日)

質量を上げて引き寄せる

今日も引越しの手伝いをしてきた。ちなみに先週の日曜日も引越しの手伝いをした。

たまたま、ROONEYSのメンバー二人が連続で引越しだったのだ。

先週の方は一人暮らしから一人暮らしへの引越しだったので片付けが大変だったが、今日は実家から一人暮らしの引越しだったので楽だった。荷物も少ないし、後片付けの手伝いはせずに、引越し先への荷物運びだけ手伝った。午前中だけで余裕で終わった。

 

これらの引越しはそれぞれ個人的な理由によるものなんだけど、僕にとってもいいことだった。それは、二人とも、前住んでいたところよりも新居の方が、三鷹に近いということだ。これはとても大事なことだ。ていうか一人は三鷹に引っ越してきた。もう一人はお隣の区。メンバーみんなが近くに住んでいるというのはとても大事なこと。何気なく集まったり、帰れなくなっても泊まれたり。そういうことでますます繋がりが深くなっていく。

よし。

もっと仲間を集めよう。最近あまり積極的に募集していなかったけど、この集団が巨大化できたら、きっともっと幸せになれる人が増えるはずだ。

ホテルに集まって朝食食べながら作る繋がりなんかよりも、いい加減でぐだぐだでだらしがないものだけど、確かで信頼できる繋がり。

うわ。めっちゃ楽しそう。ROONEYSがデカくなったら。こんないい加減なものがデカくなったらさ、そりゃいい社会が出来るよ。うん。楽しい。

もちろん新たに問題とか出てくるんだろうけど、そんなことはそのとき考えればいいや。

大体、対処できない問題なんてそんなにねぇんだから。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年12月 5日 (土)

鹿島アントラーズ3連覇達成

NHKの生中継をキックオフから見たけど、すごい試合だった。

浦和は「目の前で優勝させてなるものか」という気持ちが選手・サポーターから伝わってきて、それがプレーにも好影響を与えていた。だから前半から飛ばしに飛ばして、ペースを握れたんだと思う。正直、これはレッズが勝つな、と思った。

でも鹿島はしたたかだった。試合後のインタビューで小笠原が言っていたけど、押し込まれる展開でもバタバタしなかった。本当に選手全員が、後にやってくるチャンスを待っていたんだろう。

決勝点は本当に鳥肌ものだった。ハーフライン付近から小笠原が右サイドに開いた内田に預け、内田はやや中気味にトラップ。すぐに中を見る。前掛かりになっていた浦和のDFラインはぐちゃぐちゃ。ファーサイドの坪井が最終ラインで、ニアのトゥーリオはちょっと前の位置にいた。DFラインにはくっきりとした分かりやすいギャップがあった。そこを出しての内田と受け手の興梠が狙っていた。低く入ったクロスはワンバウンドしてどんぴしゃり興梠のもとへ。ダイビングヘッド気味のシュートでゴール右隅に決めた。トゥーリオのポジショニングや、オフサイドを取りにいかなかった坪井、内田に当たらなかった浦和の左サイドの選手を責めることはできるかもしれない得点だったけど、でもやっぱあそこで決める鹿島がすごい。優勝にふさわしいチームだと思った。

 

これで2009のJリーグはおしまい。ジュビロは降格争いには絡まなかったが、優勝争いにも結局一度も絡めなかった。

前田の得点王が唯一のグッドニュース。ま、それだけでいいか。

移籍しなきゃいいな・・・前田。

 

まぁとにかく、鹿島アントラーズ。史上初のJリーグ3連覇おめでとうございます。

 

 

ではまた。

 

 

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三浦しをん『まほろ駅前番外地』

を読んだ。

 

イマイチだった。

これは『まほろ駅前多田便利軒』の続編っていうかスピンオフっていうか、要は前作で出てきたサブキャラにまつわる話が載っているものだ。でも別にそんなに面白いものではなかった。

終わり方も微妙だった。こんな終わり方かよっ!と怒りたくなるほどだった。でもよく考えたら、きっとこの終わり方は多田と行天、二人の関係性を表現しているのかもしれないな、と考え、それならまぁ悪くないか、と思った。

まぁお勧めできる小説ってわけではない。

 

 

ではまた。

 

 

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2010サッカーW杯南アフリカ大会を予想してみる

【グループA:南アフリカ、メキシコ、ウルグアイ、フランス】 

これ難しい。でも僕はまず開催国の南アフリカは上がると思う。この前観た限りではかなり強そうだし。残る1つはウルグアイと予想してみる。予選で苦労したチームが本番では強いというジンクスを信じてみる。でもフランスもウルグアイ同様に、プレーオフで出場を決めたチームだけど、南半球で行われる大会だから、南半球のチームに有利に働く何かがあるはずだ。自転とか磁力とか季節とかそういったことで。

 

【グループB:アルゼンチン、ナイジェリア、韓国、ギリシャ】

ここはまずアルゼンチンは上がる。予選で苦労したし。残る3チームは接戦になりそうだ。でもやはりここでも南半球の有利を考えてナイジェリア。韓国には頑張って欲しいが。

 

【グループC:イングランド、アメリカ、アルジェリア、スロベニア】

ここは希望も含めてイングランドとアメリカ。それで決まり。南半球の有利なんてねえ。

 

【グループD:ドイツ、オーストラリア、セルビア、ガーナ】

ここも難しいな・・・。正直分からん。もうオーストラリアとガーナだ。勘だ。

 

【グループE:オランダ、デンマーク、日本、カメルーン】

これも難しいグループだ。日本は置いといて、オランダ、デンマーク、カメルーンはどの試合も接戦になりそう。そしてそうなった場合に、何となくオランダは駄目そうな気がする。ということでデンマークとカメルーンで決まり。日本は置いといて。

 

【グループF:イタリア、パラグアイ、ニュージーランド、スロバキア】

ここはもうイタリアとパラグアイでいいだろう。そんなしょっちゅう番狂わせがあるわけではない。

 

【グループG:ブラジル、北朝鮮、コートジボワール、ポルトガル】

ここはEグループと構図が似ている。まず北朝鮮は置いといて、ブラジルも違う意味で置いておこう。問題はコートジボワールとポルトガルか。どっちだ。予選で苦労したという点ではポルトガル。土地の有利ではコートジボワール。難しい。やっぱり勘で、ブラジルとコートジボワールで。

 

【グループH:スペイン、チリ、ホンジュラス、スイス】

まずスペインは抜けるってことでいいだろう。残る1つをチリとスイスで争う形か。どっちだろう。スイスの方が堅く突破しそうな気がするな。というわけでスペインとスイス。

 

 

まとめると

【グループA】1位:南アフリカ  2位ウルグアイ

【グループB】1位:アルゼンチン  2位ナイジェリア

【グループC】1位:アメリカ  2位:イングランド

【グループD】1位:オーストラリア  2位:ガーナ

【グループE】1位:カメルーン  2位:デンマーク

【グループF】1位:イタリア  2位:パラグアイ

【グループG】1位:ブラジル  2位:コートジボワール

【グループH】1位:スペイン  2位:スイス

 

 

んで優勝は、何だかんだでイタリア。派手なチームが多い中で、しれっと勝ち進みそう。そんな予感。オーストラリアあたりが3位になったりしてね。

日本はどうせ負けるのだから派手に散って欲しい。オランダと喧嘩するくらいの気持ちで。

4トップ6バックとかでもいいと思うよ。どうせなら。何も得られない大会にだけはしないで欲しいなぁ。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年12月 3日 (木)

I'm a cat

1ヶ月間育児休暇中だった上司が今週から復帰した。

上司は部下のみんなに気を使って、一人一人にプレゼントを用意していた。

僕はそれをずっと開け忘れていたのだけど、今日、家に持って帰って開けてみると、中身はちょっとおしゃれなティーパックだった。

そこで僕は気がついた。

うちにはティーカップがない。

 

【猫に小判<ねこにこばん>】

貴重なものを与えても何の反応もないことのたとえ。転じて、価値のあるものでも持つ人によって何の役にも立たないことにいう。豚に真珠。

~広辞苑より~

 

今度ティーカップを買ってくることにしよう。

 

 

ではまた。

 

 

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イルミネーションのジレンマ

クリスマスのイルミネーションが美しい。


そこに大勢の人が集まってくる。


そしてその人込みは、到底美しいなんて言えるもんじゃない。


なんてこった!

ではまた

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2009年12月 2日 (水)

誤解介護

認知症の人は何度も同じ話をしたりするという。

それに対して、「認知症患者の話を何度でも聞いてあげることが大事」という説がある。

人間は、自分の記憶力がおかしいと思ったら、ますます記憶力は低下するそうだ。

それを防ぐためでもあるのだろう。

自分が認知症であることを自覚させない、ということだ。

でも、同じ話を何度も聞くという行為はものすごい負担だ。

その精神的負担は、やがて話を聞く側を追い込む。

「介護疲れ」

そういった現実があることも考えなければならない。

認知症の人に対して「その話はもう聞いた」と言ってはいけない、というのは、介護する側の負担についての視点が欠如してしまっているような気がする。

誰かの犠牲の上に誰かの幸せを築くなんて、よろしくないのだ。

WIN-WINという関係性は、ビジネスなんてものの上にはなくていいから、介護の現場に成り立つべき考え方だ。

お互い頑張り過ぎない。これ大事。犠牲になんてなるな。

 

なんつって。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年12月 1日 (火)

村上春樹『1973年のピンボール』

を読んだ。

 

正直に言って、全然分からなかった。もうさっぱり。

当然面白くもなかった。

全然お勧めじゃない。

でもさすがに村上春樹の小説。1ページだけ折り目をつけたところがあった。

 

「あなたは二十歳の頃何をしてたの?」

「女の子に夢中だったよ」一九九六年、我らが年。

「彼女とはどうだったの?」

「別れたね」

「幸せだった?」

「遠くから見れば」と僕は海老を呑み込みながら言った。「大抵のものは綺麗に見える」

~村上春樹『1973年のピンボール』より~

 

 

一昨日の日曜日。ROONEYSのメンバーの引越しを手伝った。前の家を掃除して、何もなくなった部屋を眺めた。きれいさっぱりとはこのことだ、と思うほどきれいになった。でもよく見れば壁は汚れだらけだし、ドアには犬が引っかいた傷があった。なるほど。どうやら本当に遠くから見れば大抵のものは綺麗に見えるらしい。

街を歩く幸せそうなカップルも家に帰れば、その日の歩き方や遊び方についてケンカをするのだ。

 

 

ではまた。

 

 

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時すでに遅し

今僕は電車に乗っていて、目の前には一人の男子高校生が立っている。


男子高校生は漫画を読みながら時折、腰を曲げて軽く屈んだり、脚を交差させたりしている。


たぶんチンコが痒いんだろう。


僕がチンコかゆ男の下半身の動きをじっと見ていたら、チンコかゆ男の視線がこちらに向いた。


僕が視線を上げると、案の定、目があった。


それからチンコかゆ男は、しきりに腰痛いアピールを始めた。


叩いたり揉んだりしていた。


時すでに遅しとはこのことだ。


ではまた。

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