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2010年1月

2010年1月30日 (土)

津原泰水『ブラバン』

を読みました。

 

高校の吹奏楽部でともに青春時代を過ごした仲間が、25年後の現在になって再結成するお話。いくつかの本屋で手書きのポップが立っていたので読んでみました。無難に面白いだろう、と思っていたのですが、期待は裏切られました。全然面白くなかったです。

まず登場人物が多すぎで、一人一人に愛着が持てませんでした。また、主人公にも魅力がなければ、特別立っているキャラもおらず、引っ掛かるところがなく最後までいってしまったという感じがしました。

青春小説というには感動する場面もありませんし、正直読んで損をしたと思っています。

いくら本屋さんが薦めていても、面白いと決まったわけではないということですね。

 

 

ではまた。

 

 

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反省する猿

こんばんは。猿です。

 

僕はなんて意志の弱い猿なのでしょう。

昨日は会社の人たちとの飲み会だったのですが、僕はその飲み会に、今回こそは落ち着いて飲む、と決意していました。

そして一次会はそれでうまくできた気がします。

二次会も、途中まではうまくできていました。ところが上司のお決まりの僕への批判の言葉で一時ヒートアップ。でもそのときもまだ理性があって、「いかんいかん」と冷静になり、やり直すことができました。

でもきっと、どこかで何かが狂っていたのでしょう。

その後、なぜか日本酒を飲み(この流れをまったく覚えていないのですが・・・)、それから僕はおかしくなってしまいました。

たまたま見つけた高校時代の友人の席に移動したり、トイレの住人になったりしたことは何となく覚えているのですが、ほとんどの記憶がないのです。

きっと店の人や友人や先輩方に多大なるご迷惑をおかけしたことと思います。

本当にごめんなさい。

 

結局終電をなくし、朝まで8人でカラオケでした。歌っていると気持ちが悪いのも治ってきて、僕はご機嫌に歌を歌いました。

しかし朝になり電車に乗ると、電車というのは酔っ払いに厳しいもので、とたんに気持ちが悪くなりました。

そして調布駅まであと1駅、というところで耐えられなくなり、僕は上司と先輩と同期と別れて一人駅のトイレに駆け込んだのでした。

 

まったく僕は何をしているのだろう、と思います。

猿でももっとまともに生きていると思います。

超反省です。

 

せっかくの土曜日も二日酔いのためまるまる潰してしまいました。

もう日本酒は飲まないし、売られた喧嘩も絶対に買わない。

今は心の底からそう思っています。

 

 

ではまた。

 

 

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2010年1月28日 (木)

トモダチコレクション

今日、DSの『トモダチコレクション』を買いました。

毎月仕事の関係で会いに行っている小2の子どもがいて、その子のお母さんが買ったというのを聞き、それが何だかとても楽しそうだったので、その帰りについ買ってしまいました。

どういうゲームかというと、友人のプロフィールなどを登録するとキャラクターがその世界にどんどんと増えていき、そこで様々な人間関係が構築されるというものです。

僕の分身は、さっそく友人と喧嘩をしました。それも、現実世界では絶対に喧嘩にならないであろう人と。他にも、「あの人とあの人が結婚!?」などのサプライズもあるようです。優香のCMでお馴染みですね。

僕の分身がどのような人間関係を構築していくのか、楽しみです。

ちなみに僕の性格分析は、

 

<ドライ系>

第一印象:自信家

特徴   :形式的、負けず嫌い、短気

      ズバリ言い切る、成果にこだわる

 (バリバリ型)

  きびしいリーダーなタイプ。

  これだ!と思うことに全力で取り組む。

  理想と現実のギャップになやむことも・・・

 

だそうです。

何だかこういう分析って、もの凄く当たっている気がするから怖いですよね。

 

さて、さっき僕の分身は仲直りを申し出たところ、見事断られました。

どうやって励ませばいいか分かりません。

頑張れ僕。

 

 

ではまた。

 

 

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2010年1月27日 (水)

究極の選択! 時間とお金、どっちが大事?

ブログネタ: 究極の選択! 時間とお金、どっちが大事?参加数

 

以前批判したことのある「ブログネタ」に、初めて乗っかってみたいと思います。

今年は恵方巻きも食べようと思っています。初詣には伊勢神宮に行きました。

今年は、みんながやることは僕もやっていこうと思っているのです。

 

というわけで、時間とお金、どっちが大事か、です。

時間です。

だって、お金は移動してナンボです。

そして、時間がなければお金の移動はあり得ません。

つまり、時間なくしてお金は無価値です。存在しているだけではダメなのだと思います。

 

一方時間は・・・と考えて気づくことは、時間って何?ってことです。

今まで何度も考えたことがありますが、よく分かりません。でも僕は、時間とは運動のことであると思っています。もし世界のあらゆる物(それは電子とか原子とか、そういったレベルの話での「物」)が運動をやめれば、それは「時間がない」と言えるのではないかと思うからです。

想像してください、そんな世界を。一体どこに「時間」があるのでしょうか。

もしこの考え方が一部でもあっていれば、時間があるから僕たちは動けるのです。お金は移動できるのです。もちろん逆に、僕たちが動くから時間が生まれる、とも考えられるわけですが、いずれにせよ、時間はお金なんかとは比較にならないほど偉大であると思います。

 

究極の選択!とは少し、言いすぎなのではないでしょうかね・・・。

でもまぁ、捉え方は人によるのでしょうね。例えば、時間を「老い」と捉える人もいるでしょうし、陸上をやっている人なら、「記録」と捉えるかもしれませんし。

そう思うと、この「ブログネタ」というものにもちょっと興味が湧いてきました。他の人はどんな記事を書いているのだろうか、と。

みんなと同じことをするのも、別に悪いものではないということでしょうね。

 

 

ではまた。

 

 

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寝坊のすすめ

今日は久しぶりに寝坊をしました。

休みの日に昼まで寝るとか、寝るつもりではなかったのに昼寝してしまったりすることはよくありますが、仕事や約束のある日に寝坊をすることなんて滅多にないので、寝坊をした自分にびっくりしました。

起きた瞬間は「やばい!」と思いました。でもよく考えたら今日は会議もないし、午前中に終わらせなければならない仕事もない。しかも、上司がそろって外出でした。

僕はすぐに、「ま、いいか」と思い直しました。

そして特に急ぐわけでもなく出勤の準備をして、いつもより1時間以上遅い時間に家を出ました。

遅い朝は気温も高く、人も少なく、とても気持ちがいいものです。

サマータイムとウィンタータイムを、すぐに導入するべきだと思いました。

夏は朝早く、冬は遅く出勤するのです。偉大なる地球に合わせて僕たちが動けば、世界はもっと平和になれる気がします。

 

【寝坊<ねぼう>】

朝おそくまで寝ていること。また、その癖のある人。「―して遅刻する」

~広辞苑より~

 

ちなみに原因は、目覚まし時計をセットするのを忘れたことです。

いつもは目覚ましが鳴らなくても、いつも起きる時間に目が覚めるのですが、なぜか今日はダメでした。前日お酒を飲んだわけでもないのですが・・・。

最近僕にしては珍しく残業をしているので、もしかしたら慣れないことをしているせいで多少疲れを感じているのかもしれません。

そう考えると、寝坊というのは体に正直だった結果であって、それを無理やり目覚まし時計で妨げなかったことは良かったかもしれません。

目覚まし時計がなくなれば、世界はもっと平和になるかもと、ほんの少しですが思いました。

 

どうやら世界は、平和になれる方法で満ちているようです。

 

 

ではまた。

 

 

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2010年1月26日 (火)

日本人に発注しよう

中国が日本人から仕事を奪っています。

いや、奪っているというのは正確な表現ではないですね。

日本人が与えているのですから。

派遣切りだとか就職氷河期だとか、日本人が職に就けずに困っている時代に、日本人は喜んで中国人に仕事を与えているのです。

これでいいのかなぁと、いつも思ってしまいます。

資本主義の自由競争の考え方に則れば、同じ質であれば安いところに発注するのは当然ですが、日本と外国を同じ条件で比べる必要はないのではないかと僕は思うのです。

とはいえ、営利を追求する民間企業が自主的に利益を放棄するなんてできません。だからこそ、規制が必要なのだと思います。

まずは日本人を守る。それで余裕がまだあれば、外国を助ければいいと思うのです。

ちょっと話が違うかもしれませんが、借金まみれの日本がなぜいつまでもODAを払い続けるのか、普通の感覚では理解できません。人にあげる金があるなら借金返せよ、と思います。

同様に、中国人にあげる仕事があるなら困ってる日本人に仕事をあげろ、と思うのです。まずは国内。それから外国。

日本人なのだから、日本人を大切にしたいじゃないですか、やっぱり。家族も友達も、そのまた家族や友達も、そのまた家族や友達も、ほとんど日本人なのですから。

たとえ中国よりも人件費が高くてもいいじゃないですか。それは必要な出費なのですよ。安ければいいというものではないと、僕は思います。日本人同士で助け合わずにどうするんですか、と僕は思います。

 

 

ではまた。

 

 

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貸し借りの消失

最近はめっきりダウンロードの時代ですね。

音楽、本、ゲーム、映画。

なんでもダウンロードです。

便利は便利ですし、エコなのかもしれませんが、僕はどうも馴染めません。

相変わらずCDを買いますし、本も買います。

何と言うのでしょうか。目に見えないものに価値を見出すこんな時代だからこそ、目に見える物質というのがとても恋しいのでしょうか。

分かりませんが、物があると安心する感覚は、確実にあります。

それに、物の良さは、貸し借りができることですね。

もちろんデータも送受信ができますが、規制されるものも多いです。それに、仮にデータのやり取りをしても、人と人が顔を会わせる機会にはならないわけです。僕はこのことがもったいない、と思います。

貸し借りというのは、人と人を結びつけることです。しかも一方的ではなく、双方からの関係性。貸したら返してももらわなければならないですし、逆もまた然りです。例えば好きな異性と手っ取り早く何らかの関係を持ちたいなら、何かを借りるのがいい、何てことを聞いたことがありますね。

簡単に人間と人間を結びつけることができる、それが貸し借りだったのだと思います。

ところが、あらゆるものがデータ化されると、それがなくなってしまいます。その先にあるのは、便利だけど虚しい、そんな世界のような気がしてならないのです。

だから僕はこれからもCDを買い続けますし、本も買い続けますし、ゲームソフトだって買い続けます。

これは、経済を回す、という点においても有効なことなのではないかと思うのですがどうでしょう。音楽をデータ化して配信するだけよりも、CDに入れてジャケットを作って、歌詞カードを作って店頭に置く、という方が、色々な人が物作りに携わっていて、多くの人に仕事を与えることになると思うのです。どうでしょう。

 

便利やエコだけが価値ではないということです。

 

 

ではまた。

 

 

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2010年1月24日 (日)

フットサル後サッカー

今日はROONEYSの練習と、その後高校時代の友達のサッカーチームに遊びに行きました。あ、遊びに行ったといっても、Wiiをやったりお酒を飲んだりということではなく、もちろんサッカーをしに行ったということです。

 

久しぶりに会うその友達は全然変わってなくて、何だかとても安心しました。変わらない良さって、ありますよね。それに僕との再会を何だか本当に嬉しく思ってくれているようで、それも僕にすると嬉しかったですね。

フットサルの後のサッカーなので、それなりに疲れました。20分を3本やりましたが、3本目でさすがに脚が攣りそうになってしまいました。でもすかさずストレッチを入れ、無茶なダッシュやジャンプを控えたので何とか持たせることができました。攣ったのは家に帰って、ストッキング(もちろんサッカーのです)を脱ごうと片足立ちをしたときでした。一人の家で脚を攣ることほど切ないこともありませんね。

 

【油断大敵<ゆだんたいてき>】

油断は物事の失敗の原因となるから大きな敵である。

~広辞苑より~

 

あ、もう一つ嬉しかったことが。それは、友達が僕のサッカーを褒めてくれたことですね。上手くなったと。久しぶりにサッカーした友達から言われるということは、その頃よりは確実に上達しているということですからね、これは嬉しいです。ただ、僕はフットサルを始めたのが大学入学のタイミングで、サッカーに限っては会社に入ってからですからね。上達して当たり前といえば当たり前なのです(笑)でも褒められたら嬉しいですね、やっぱり。

 

こんな一日だったので、さすがに疲れました。本当ならさっさと寝てしまいたいとことなのですが、なぜか僕はとことん運動して疲れたときに、なかなか寝れないという癖があるのです。普通であれば体が休養を求めて泥のように眠れると思うのですが、おそらく僕の場合、体の興奮が収まっていないのでしょうね。体がまだ寝たくない!もっとサッカーしたい!そう言っているのですね。脚攣ったくせに何言ってるのでしょうね、まったく。

とはいえ、そろそろベッドに入ろうと思います。

 

 

あ、最後になりましたが、おそらく誰も気づいていないと思いますが、この記事丁寧語でしたね。これからはしばらく、丁寧語でいきたいと思います。今年のテーマなのです。もっと落ち着いた男になる、という。ブログも丁寧語にすることで、その目標達成に貢献させようという狙いです。ただ安心してください。丁寧語であってもブログのしょうもなさは変わりませんので。

 

 

ではまた。

 

 

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脳みそのジレンマ

人間の想像力って凄いよね。

例えば高いところがあるとするでしょ?そこを上って下を見下ろして足がすくむのは普通だけど、下からその高いところを見上げて、そこに立った自分を想像しても足すくむでしょ。

凄くない?想像力すごくない?

なんでこんなことになるかというと、僕たちの行動は結局、脳みそが物事をどのように認識するかに依存しているからなんだろうね。もし火に手を近づけても、脳みそが「熱い!手を引っ込めろ!」と思わなきゃ手を引っ込めようとは思わないんだろうね。ジリジリと焼けていく手を呆然と眺めていることもできるんだろうと思うよ。

高いところの話でも、高いところに立つ自分を想像することで脳みそが、「高い!怖い!」って思えば足がすくむってことだね。

 

ところでさ、足がすくむってどういうことなのかな。

面倒くさい男世界選手権8連覇中の僕は思っちゃうよね、すくむって何ってね。

でもさ、上手く説明できなくない?すくむって。

 

【竦む<すくむ>】

①(恐れなどのために)身がちぢんで動かない。「身の―・む思い」

②ちぢむ。ちぢまる。

③こわばる。固い感じがする。

④かたくなである。固くて動きがとれない。

~広辞苑より~

 

あー、なるほどね。縮むとかこわばるってことか。つまり脳みそは、「動くと危ないからじっとしてろ!」という命令を出しているわけだね。オートマチックだね。脳みそは危ない状況になると、誠実にマニュアルか何かに則って脚に命令を出すわけだね。それが僕の勝手な想像による嘘の情報だったとしても、それを疑うシステムはないんだね。

システムに不具合を生じさせるということでいえば、想像力はウイルスにもなるということだね。

面白いね、想像と脳みそ。想像してるのも脳みそなのにね。

 

 

ではまた。

 

 

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BOWLING FOR SOUP『Me With No You』

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2010年1月23日 (土)

概念的21階

例えばビルの21階に勤めている男が毎日毎日、エレベーターを使って21階まで上り下りするとする。さらに彼は、一度も階段で21階まで行ったこともなく、逆に21階から1階まで降りたことがないとする。

そうした場合、彼にとっての21階は、本当に21階なのだろうか。彼は一度も、2階も3階も4階も、見たことがない。だから彼が思っている21階が、本当に地上から21番目のフロアであるということは、実は分からないのだ。確かに21階が存在していることはビルの外側から見れば分かることだが、自分がいる21階を外から見ることはできない。ただエレベーターが表示しているということで、21階は21階になるのだ。

それに、もしそれが正確に地上から21番目のフロアという意味での21階だとしても、実はそれはとてつもなくどうでもいいことなのだ。彼にとっての21階は、ある意味では1階だし、ある意味では2階だし、またある意味では21階でもあり、1021階でもあるのだ。

エレベーターに乗って降りるというときに視界の中で何が行われるかといえば結局、ただドアが閉まってフロア表示の数字が変わって、ドアがまた開く、というだけだからだ。そこが実際に何階かは、全然関係がないのだ。もしかしたらエレベーターは全くもって上下していないかもしれないし、あるいは横にスライドしている可能性だってあるわけだ。あるいはタイムスリップしているかもしれないし、パラレルワールドへ飛んでいるかもしれない。

世の中には色々な形式のエレベーターがあるが、こういった可能性が否定できないエレベーターの場合、例えば21階は、おそろしいほど概念的だ。

世界は実際と概念が入り混じっているということか。

 

 

そう考えると、エレベーターというのは何と恐ろしい乗り物か。

何か『世にも奇妙な物語』のネタにありそうな話だな、これは。

 

 

ではまた。

 

 

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映画『キャピタリズム~マネーは踊る~』

を観た。

 

マイケル・ムーア監督の最新作だ。銃社会、9.11、医療と、今まで様々な問題をドキュメント映画にしてきたマイケル・ムーアが取り上げた今回のテーマは、キャピタリズム。資本主義だ。資本主義がどれだけの貧しい人を作り出したかを伝えていた。

ただ、映画の感想としては、イマイチ、となってしまう。ちょっと時期が遅かった気がするのだ。もうアメリカの金融資本主義は破綻しており、世界中がそれを問題視している中だから、この映画のありがたみもそれほど感じられないのだ。分かりやすく言うと、「いや、もうそんなこと知ってるし」みたいなことだ。もちろん知らないこともいっぱいあったし、特有のユーモアは面白かった。でも今までの作品に比べると、イマイチなのだ。

 

とはいえ心に残るものもあった。会社に対してストを敢行し、要求を通した労働者の言葉に、「本当は私たちのものなのに、戦わなければ手に入れられない」というようなものがあった。

なるほど、と思った。知らず知らずに搾取されていたり、強引に奪われたりすることって、日本にも結構あるんだろうな、と思った。それを戦わなければならないなんて。スネオはジャイアンに奪われたラジコンを自力で取り戻さなければならないのだ。ドラえもんがこの世に誕生するには、もうちょっとかかる。

オバマはドラえもんになれるのかってことだ。

 

 

ではまた。

 

 

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米澤穂信『ボトルネック』

を読んだ。

 

突然、“自分が生まれなかった世界”に飛んでしまった高校1年生のあれこれを描く青春ミステリー。なかなか面白かった。

主人公は自分がいた世界と、自分がいなかった世界の両方を見てしまうわけだ。そこに存在するあらゆる「違い」は、全部自分がいたかいなかったか、ということが原因なわけだ。自分がいた世界では死んだ人が、自分がいなかった世界では生きていたりする。自分がいなかったから、という理由で。

これはきつい。タイトルのボトルネックとはつまり、自分こそが世界のボトルネックなのではないか、という少年の心の葛藤のことだ。

そして意味深なラスト。自分こそが世界のボトルネックだと悟った少年が一体どうなるのか、想像させられる。

 

【bottleneck<ボトルネック>】

(瓶の狭い口が中身の出入りを窮屈にすることから)支障となるもの。隘路。「事業拡大の―」

~広辞苑より~

 

それほど長い話ではないし、文章は読みやすい。

それなりにお勧めです。

 

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ではまた。

 

 

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2010年1月20日 (水)

体感温度の測り方

先日テレビの報道番組にて、「ネクタイを締めると体感温度が3度上がるらしい」ということを聞いた。

そして今日、自転車で駅まで走って、体感温度というものを思い出した。歩いていても寒くないのに、自転車に乗って風を受けると寒く感じる。外の気温は同じはずなのに、風を受ける受けないで寒いと感じる度合いが変わる。おそらくこれが「体感温度」というものなのだろう。

ではまず、体感温度という言葉の定義を知っておこう。

 

【体感温度<たいかんおんど>】

温度・湿度・風速・日射などによって、人が体に感ずる暑さ・寒さの度合いを数量的に表したもの。実効温度・不快指数などの算定方法がある。

~広辞苑より~

 

僕が体感温度について書こうと思ったのは実は、体感温度という言葉は有名だが、その測り方については、聞いたことも見たこともないと思ったからだ。

なんと、広辞苑にその算定方法が紹介されていた。これには驚いた。でも、実効温度にしても不快指数にしても、その測り方が分からない。

では次にそれぞれの言葉を広辞苑で調べてみよう。

 

【実効温度<じっこうおんど>】

・・・

 

なかった。

では不快指数はどうか。

 

【不快指数<ふかいしすう>】

気温と湿度を組み合わせて、人体の感ずる快・不快の程度を表した指数。70以上では一部の人が、75以上では半数が、80以上では全部の人が不快を感じるとされる。

~広辞苑より~

 

なるほど。不快指数とは単純に、気温と湿度のバランスによって決定される数のようだ。

確かにこれは体感温度に通ずる。

おそらく、湿度が高いほど体感温度も高くなる、ということなのだろう。

これには納得できる。

 

では広辞苑になかった実効温度とは何なのか。困ったときはインターネットで調べなさいと、六法全書に書いてあったので調べてみた。

 

【実効温度<じっこうおんど>】

体感温度一種。いろいろな温度と湿度組み合わせを表すのに、同じ体感になる湿度100パーセント場合の温度で代表させたもの。

http://kotobank.jp/word/%E5%AE%9F%E5%8A%B9%E6%B8%A9%E5%BA%A6

 
ほほう。こちらも温度と湿度のバランスであることに変わりはない。ただこちらは、湿度を固定した場合の温度で表すというやり方、というわけだ。

 

どちらも、温度と湿度のバランスであることが分かった。

そしておそらく、どちらかが上がれば体感温度は上がるのだろう。あるいは逆に、どちらかが下がれば体感温度は下がるのだ。

この解釈が正しいのであれば、ネクタイを締めればスーツやワイシャツと体の間の空気の温度または湿度が上がり、風が吹けば肌に接している部分の空気の温度または湿度が下がるということになる。

そう考えれば、ネクタイを締めれば首と襟の間から入る空気が遮断される状態に近づくから、中の温度や湿度が上がるのは想像できる。つまり、体感温度が上がる、という言い方は決して間違いではないが、要は温度や湿度が上がっているということなのだ。

風はどうなのだろうか。風を当てると、何となく温度が下がりそうな気はするが、湿度に変化はなさそうな気がする。そうなると、風を受けたときに体感温度が下がったと思うのは、湿度というよりは実際に温度が下がっていると想像できる。

もちろん正解は知らないし、別に調べようとも思わない。考えて想像するのが楽しいのだ。

 

しかし、ここまでのことはいいとしても、体感温度は何も温度と湿度だけではないだろう。例えば、冬の寒い中帰宅し、冷えた手足に熱いシャワーを浴びせたときのお湯の温度と、夏に同じことをした場合に感じるお湯の温度は確実に感じ方が違う。冬の方が熱く感じるはずだ。これも体感温度と言っていいのであれば、つまりこれは、夏のお湯に触れたときよりも。冬のお湯に触れたときの方が体感温度が高い、ということだ。

とすると、温度と湿度では測れない体感温度が存在するということではないか。しかしこれも想像するに難しくない。要するに「温度差」と言い換えられるような体感温度ということだ。どういった単位で表すのかは知らないが、そういった類の体感温度の算定の仕方もきっとあるんだろう。

 

いずれにせよ、僕たちにとって大事なのは実際の温度ではなく、体感温度であることが多い。もし気温が40度でも、それを20度に感じることができれば表面的には幸せなわけだから。健康上の問題などは一旦置いといて・・・。

そうなると色々な手法が見つかってきそうだ。暑くてどうしようもない時、そしてどう頑張っても気温を変化させるのが難しいときには、湿度を下げる方向で考えてみたり、一度暑いところへ行って戻ってきて、そのギャップで涼しくなるとか。もちろん今挙げたのは馬鹿すぎてどうしようもないことではあるが、要はそういうことだ、ということだ。

 

 

さて、ここまで調べたり考えたりしてあーだこーだ書いてきたが、やっと気がついたことは、べつに体感温度にそれほど興味はなかったということだ。

世界は無駄で満ちている。

 

 

ではまた。

 

 

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2010年1月19日 (火)

恩田陸『中庭の出来事』

を読んだ。

 

この小説のあらすじを紹介するのは不可能だ。なぜなら、分からないからだ。いや、全部読んだから分かったことは分かったのだが、読んでいない人にこれを説明することは、やはり不可能だ。それに、僕の理解もまだ十分ではない。一度読んだだけでこれを完璧に理解した気には、とてもじゃないがなれない。喜んで巻末の解説を読んだのは、『イニシエーション・ラヴ』(乾くるみ)以来だ。

あえて説明するとすれば、小説の中に劇があり、その中に劇があり、そしてその劇の外だと思っていた人物もまた、劇の登場人物だったという、そんな感じだ。

もちろん、ただ難解なだけの小説ではなく、それなりに面白い小説ではあった。ちなみに山本周五郎賞を獲っている。ただ、どこが面白いのかと言われれば、それもやはり、分からないと言うしかないわけだが。

 

ところで、「すみません」って、嫌な言葉ね。最近つくづくそう思うわ。何が嫌かって、それでおしまいなのよ、「すみません」って言葉は。なんでも「すみません」って言えば済むと思って。そのあとが続いていかないし、説明の余地を与えないわ。あれは、拒絶の言葉なのよ。会話を終了させる言葉ね。五十音の最後の音で終わるし。

~恩田陸『中庭の出来事』より~

 

「すみません」については以前、このブログで批判した。だからこの台詞にもちょっと引っ掛かった。面白い考えだと思った。

そして、説教される部下が「すみません」を連発する理由を想像して、この台詞にもの凄い説得力を感じた。

彼らがとにかく早く会話(=説教)を終わらせたがっていることに異論はあるまい。

 

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ではまた。

 

 

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同じ男

一日の仕事を終えて、いや、正確には、今日やるべき仕事を明日に持ち越すことを決めて、10階のフロアを出た。ICカードを読み込ませ、自動ドアをくぐる。朝買って一日かけて飲んだ、500mlのミネラルウォーターが入っていたペットボトルを脇にあるゴミ箱へ捨て、階段へと入る。

そこで一人の男を見かけた。

黒いスーツに黒い靴。黒いコートに黒い鞄。黒い髪にはべっとりとジェルがつけられ、オールバックをきれいに固めていた。社員なのか出入りのある取引先なのかは分からない。分かるのは、その男が少し先の階段を降りているということだけだ。

男との距離を一定に保ちながらエントランスのある2階まで降り、外へ出た。外は冬とは思えないような、湿気を帯びた肌に纏わりつく空気が漂っていて、どこか雨の匂いがした。もちろん雨の匂いというのは正確な表現ではない。正確には、雨に濡れたアスファルトの匂いとか、雨に濡れた土の匂いとか、そういうべきだろう。いつの間にか男は前からいなくなっていた。

会社のビルから最寄り駅までの道は、いつになく空いていた。これが1ヶ月前はクリスマスのイルミネーションを見に来る人々で賑わっていた街の風景だ。人間の細胞が日々違うように、街も1ヶ月ですっかり姿を変える。

そんな街の中に、男を見た。

黒いスーツに黒い靴。黒いコートに黒い鞄。黒い髪にはべっとりとジェルがつけられ、オールバックをきれいに固めていた。ぴんと伸びた背筋に大股の歩行。周囲よりもあからさまに速い歩みで、男は駅の方から来て、すれ違った。

駅の構内に入るとそこには、大学生だろう、若い男女が所々で輪を作っていた。

そんな輪の中に、男を見た。

黒いスーツに黒い靴。黒いコートに黒い鞄。黒い髪にはべっとりとジェルがつけられ、オールバックをきれいに固めていた。男は誰と喋るともなく、ただそこに立っていた。話しかけられれば愛想笑いを浮かべ、話しかけられなければただ足元に視線を落として集団の移動を待つ。それはまるで、親戚の家に連れて行かれた子どものようだ。いい加減帰りたいのに、親が帰らないから帰れない。

電車の中はサラリーマンと大学生と高校生がいた。他にもいたのだろうが、まとめるならそれだけということでいいだろう。朝も同じような時間な電車に乗り、帰りも同じような時間の電車に乗る。電車に乗る人間に個性なんてものが不要であることがよく分かる。もちろん、腕立て伏せにも個性は不要である。

電車が下りるべき駅に着き、電車を降りた。ホームから改札へと上がる階段を上っているとき、目の前に古い友人を見かけた。正確には、古い友人と思われる人物、だ。話しかけることもしなければ前に回り込んで顔を確認したわけでもない。だから実は全く知らない人だった、ということもありえるというわけだ。いや、顔を確認したところで、一体誰がその人物が確かに古い友人であると証明できるのであろうか。その人物は他のホームへ降りる階段へ向かった。

改札を出てバス停に向かい、バスに乗った。バスはこの時間には珍しく込んでいて、座席は空いていなかった。鞄から文庫本を取り出し、文庫本をちょうど読み終えたところで、目の前の座席が空いた。

そこに座った瞬間、男がバスに乗り込んできた。

黒いスーツに黒い靴。黒いコートに黒い鞄。黒い髪にはべっとりとジェルがつけられ、オールバックをきれいに固めていた。男は僕のすぐ横に立った。そして僕に、こう言った。

 

 

「もう気づいてるんだろ」

 

 

 

 

 

嘘だ。

 

ただ、こういった場合、あの男は同一人物なのか、あるいはまったく違う人物なのか、あるいはドッペルゲンガーなのか、一体どうやってそれを証明できるのか。同一人物ではない、という証明は、物理的に無理、という言葉を以ってすることができるかもしれないが、この「物理的に無理」というのは一体どういうことなのか。物理的限界を証明せずに使える言葉ではないはずだ。将来、瞬間移動が現実的なものなった場合、一体どれほどの冤罪が立証されるのだろうか。

そしてこれは、一体何の話なのだろうか。

 

 

ではまた。

 

 

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2010年1月18日 (月)

衣・食・住+医療・介護の地位向上を

生きる上で最低限必要なものがある。

衣・食・住だ。

これに医療と介護を加えたものに関わる職業を、僕は偉大だと思う。

例え世界が一度崩壊したとしても、これに関する職業はすぐに復活するだろう。仕事というものが世界のニーズに従うなら間違いなく。

 

つい先日、とある調査結果を目にした。その中に、小学生が将来なりたい職業の調査結果があった。ちゃんとは覚えていないが、男子の場合、野球選手とサッカー選手が1,2位で、その下あたりに大工、医師が続いていた。

僕はこの結果を見て少し嬉しくなった。スポーツ選手は別にしても、大工と医師という職業は、限りなく「生存」に近い。そういった職業が子どもたちから「なりたい!」と思われていることが嬉しい。

もちろん子どもたちが「生存に近い」などと思っているわけはないが、そういった職業がかっこいい、と子どもたちに思われている社会というのは、悪くないと思う。

 

そうなると残念なのが、「農業」がランキングに入ってこないことだ。最近は渋谷のギャルたちが農業を流行らそうとしているようだが、まだ農業の地位向上にはつながっていないのだろう。

子どもに目指される職業になれれば、将来の農業は明るい。となれば目指す農業は一つだ。子どもが目指したくなるのは決まって、「かっこいい」ことである。だから農業も、かっこよくならなければならない。

手っ取り早く、普段は農家、本職はヒーロー、「兼業ノーカマン」という戦隊ものを作るってのはどうだろうか。

ダメにきまっている。

いや、でも、イケメン俳優がつなぎを着てトラクターを運転する姿は、けっこうかっこいい気がする。

いけるぞ、農業。

 

 

ではまた。

 

 

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婚活は結婚への近道なのか

この前、婚活している中年男性に密着したテレビ番組を観た。

その男性は一日に何度も婚活パーティーに参加していた。

でもカップルになることはなく、「いや、でも、楽しかったですよ」というコメントを連発していた。

今、こういう人が多くなってきているらしい。婚活自体が楽しくなってしまい、結婚できないというのだ。結婚してしまったら婚活はできないから、結婚はしない方がいいということになるわけだ。もちろん、本来的な意味で言えばもはやそれは婚活ではないと思うのだが。

 

この男性のような例でなくても、僕は婚活というのはいかがなものかと思う。いや、婚活というもの自体が悪いわけではない。「婚活パーティー」のようなものがよくないと、思う。

なぜよくないと思うかというと、そういった「出会いの場」を作ることは、日常の中から出会いを見つける機会を喪失させると思うからだ。日常のちょっとした出会いを、出会いと認識できなくなるのではないか。あるいは、積極的に日常の中から出会いを探すことをしなくなるのではないか。

もしそうなっても、「出会いの場」での結婚率が高いのなら問題ないかもしれない。でもそこでの結婚率、あるいはカップル成立率は本当に高いのか。

僕が想像するに、そこには出会いが溢れているわけだから、その分、人を見る目は厳しくなるのではないだろうか。南極で人に会えばそれはとても貴重な知人となるわけだが、新宿で人とすれ違ったからといって誰がその人に有り難味を感じるだろうか。同様に、「婚活パーティー」では出会うのは当たり前だから、出会い自体には何の有り難味もない。出会ったことに偶然性も感じない。実はそれは、恋愛には重要な要素のような気がするから、それが欠如した婚活パーティーでは、カップル成立は難しいのではないか。と僕は勝手に想像しているわけである。

 

 

こんなことを会社の昼休みに先輩と話していたわけだが、僕たちはこんな婚活なんかより、昔からあるお見合いの方が圧倒的にいい、という話をしていた。詳しくは知らないが、お見合いというのは基本的には「紹介」なのだと思っている。それならば人と人との繋がりの中での出会いで、幾分か健全な気がするのだ。

そんな会話の中で先輩が、紹介制度があればいい、というようなことを言った。僕は、それは面白い、と思った。紹介した人が結婚したらお金がもらえる、という制度だ。世間にはこういった類の制度がたくさんあるが、それを結婚にも使ってみようということだ。子育て支援を充実させるよりも、もしかしたら結婚率向上につながるのではないか、と僕は思っているのだが・・・。

 

まぁいずれにせよ、Wiiのリモコンが売り切れ、婚活パーティーなんてものがビジネスとして成立するような国が不景気なんて、どうしても嘘っぱちのような気がしてくるんだ。

婚活することで結婚から遠ざかり、不況でお金ないのにWiiが売れる。

世界はなんて複雑なんだ!!

 

 

ではまた。

 

 

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2010年1月17日 (日)

ちょうどいいこと

ちょうどいいということは、ご飯一杯と味噌汁と玉子焼きとしゃけの塩焼きであり、9時5時の労働であり、生中一杯と焼酎2杯のことである。

 

これをやっていて後悔することは、絶対にない。

そろそろ、そういう人生を送る時期に来ているのだよ、ワトソン君。

 

 

ではまた。

 

 

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映画『メンフィス・ベル』

をDVDで観た。

 

第二次世界大戦のヨーロッパ戦線における、通称「メンフィス・ベル」というアメリカ軍の爆撃機の乗組員たちのお話。25回の任務をこなすと故郷に帰れるという決まりがあり、その25回目の任務が主に描かれていた。

感想、そんなに面白くなかった。TSUTAYAの感動100円レンタル、みたいに銘打たれたコーナーにあったものなので、無難に面白いのだろうと思っていたからがっかりした。正直、どこで感動するのかがまったく分からなかった。戦争映画特有の悲壮感のようなものも感じないし、若者たちの苦悩みたいな描き方もものすごく下手くそだったと思う。

きっとこれは、あまりにレンタルされないものだからTSUTAYAが無理やりあのコーナーに押し込んだものだったのだろう。

口コミはそれなりに信用できるが、こういう“商業的お勧め”は信用できないということの、いい例だ。

 

 

ではまた。

 

 

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2010年1月16日 (土)

映画『カマチョップ』

をDVDで観た。

 

草野球中に死んだ二人の男が天国に行くか地獄へ行くかの試験みたいなことをやりながら、色々な人と関わっていく話。

なかなか面白かったが、感想が難しい。メッセージがあるようなないような。これぞミニシアター系、という感じの映画だった。ずっと静かだから、寝不足で観たらたぶん寝てしまうだろう。でもどこか味のある映画なのだ。

こういう類のものはいくら言葉で感想を言ってみても無駄だ。ミニシアターによく行くような人は観てみても損はないと思う。

そうでない人はたぶん寝てしまうからやめておいた方がいい。

 

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ではまた。

 

 

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心チキンと行動チキン

「チキン」とは何を指す言葉か。

鶏肉のことを言っているのではない。いわゆる、「びびり」という意味のチキンのことだ。

一体何を以って僕はチキンとされてしまうのか。

心か。

行動か。

もし前者なら、僕は間違いなくチキンだ。

大抵のことに、僕はびびっている。

上手くいかないのではないか。

嫌われるのではないか。

そうやって尻込みをする。

でも行動ならどうか。

僕は、それならチキンと言われずに済むような気がしている。

思い返してみて、よくあんなことできたな、とかいうことがたまにある。

びびるし、愚痴るし、ネガティブだけど、やる。

行動に現れるのは、やったかやらなかったか、だけだ。

その点で僕は、絶対にチキンではないと思うのだがどうだろうか。

もちろん天使からの贈り物、「Don't be a chicken」の後押しがあってのことだが。

 

ただ重要なことは、チキンじゃないからって物事がうまく進むわけではないということだ。

あるいはチキンの方がいいということもあるだろう。

人生は難しい。

 

 

ではまた。

 

 

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2010年1月14日 (木)

宮部みゆき『理由』

を読んだ。

 

一言で言えばミステリー小説である。

とある高層マンションの一室で起きた殺人事件の真相を、事件が解決した“現在”の視点から解き明かしていくという、少し変わったものだった。

たぶんテーマは、広く言えば「家族」。とある登場人物の台詞で、この小説を象徴するものがあった。それが、「あんたも、こんな家を出ていって、親兄弟のことなんか忘れて、自由に暮らしたいと思うことある?」だ。とにかくこの小説では、問題だらけの家族がたくさん出てくる。問題だらけの家族だらけなのだ。

読んだ感想は、まったく面白くなかった、だ。ただ長いだけで、普通長い小説になるほど終盤が面白いものだが、これは最初から最後まで面白くなかった。読むのに結構時間がかかったから、その分ものすごく損をした気分になった。

 

僕にとって宮部みゆきは二作目だった。僕にとっての一作目は『蒲生邸事件』で、これもあまり好きではなかったのだけど、一つの作品だけでその人を判断するのはどうかと思い、無難に直木賞受賞作の『理由』を手に取ったわけだ。それが『理由』を読んだ理由というわけだ。

その結果がこれだから、しばらく宮部みゆきを読むことはないだろう。

さよなら宮部みゆき。

 

とはいえ、折り目をつけたページが2ページだけあった。その内の、ほほぉ、と思った一文を紹介。

 

(前略)いつか国語の先生が、人間には「見る」というシンプルな動作はできないのだと言っていたことを思い出した。人間にできるのは、「観察する」「見下す」「評価する」「睨む」「見つめる」など、何かした意味のある目玉の動かしだけで、ただ「見る」なんてことはできないのだという。

~宮部みゆき『理由』より~

 

これは面白い。たしかにそう考えてみると、本当にそうなのか、という気がしてくる。

「目のやり場」に困るという状況が存在するということは、僕たちがただ「見る」ということができないからこそだ。

 

このように、面白くない小説の中にも、面白い何かがある。

100%悪の人間や100%善の人間がいないように、100%つまらない小説もないということだ。

 

 

ではまた。

 

 

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ゾロの手足は温かい

寒い。この前はとうとう雪まで降った。

そんな中、通勤のために自転車で駅まで走った。最近はめっきりバスを使っていたから、朝自転車に乗るのは久しぶりだった。

とてつもない寒さだった。特に手足。手袋だってしているし、もちろん靴下も靴も履いている。でもとにかく冷えるのは手と足だった。それ以外はほとんど気にならない。

 

それで思い出した。たしかフジテレビの『めざましテレビ』だったと思うが、手足などの末端が冷えるメカニズムみたいなことを解説していたことを。

それによると、寒いところなどにいて体が冷えると、僕たちの体は生命活動において重要な箇所の機能を維持するために、その部分に血液を集中的に送るのだそうだ。生命活動において重要な箇所というのはもちろん、肺とか胃とか肝臓とか、要は内臓だ。そこの体温を維持することを最優先とするために、末端には血液があまり送られずに、冷える、ということだ。

だから手足が冷えるからといって手足を直接温めるのはあまり意味がない。それは『めざましテレビ』でも実験で証明していた。重要なのは、内蔵のあたり、つまりは体の中心を温めることなのだ。

まずマフラーが効果的。首といえばかなり心臓に近い部分だ。

あとは腹巻。内臓を温めるのにこれほど良いアイテムはないだろう。

 

末端冷え性で悩み、分厚い靴下や手袋をしているあなたには、腹巻をお勧めしたい。

 

ただ気をつけなければならないのは、この主張の根拠はテレビ番組、それも『めざましテレビ』であるということだ。ニュースへのコメントに困ると、「もうちょっとしっかりして欲しいですね」と言ってしまうおじさんがメインキャスターの、たぶん“おちゃめ”を売りにしている報道番組なのだ。

テレビは、疑って疑って疑うくらいがちょうどいい、ということも忘れてはならない。

 

まぁ、テレビの情報を参考に“試してみる”というのは、それほど悪いことではないと思う。

信じることと試すことは、まったく同じことではない。

 

 

ではまた。

 

 

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2010年1月13日 (水)

デブ天使、再び

帰りのバスで、あの男に会った。会ったといっても、同じバスにまた乗り合わせただけだが。

 

チキンvsデブ

 

彼はまた優先席に座っていた。

僕はあのときとは違い、優先席の斜め向かいの席に座っていた。

彼はあのTシャツを着ていなかった。

でも彼は、僕を見てなぜか笑った。

その笑みはまるで、「Don't be a chicken」と僕に言っているようだった。

なんで彼は僕がチキンであることを知っているのだろうか。

 

Don't be a chicken.

 

なんて突き刺さる言葉だ。

しかし、今の僕に一番必要な言葉なのかもしれない。

なるほど、きっと彼は、神様の使いだったのだ。

僕に神の言葉を届けに来たのだ。

このチキン野郎に渇を入れに来た、デブ天使だ。

 

Don't be a chicken.

 

この屈辱的な言葉を常に自分に言い続けて、その怒りをパワーに進んでいこうじゃないか。怒りは僕にとって、いつでも最高の動力源なのだ。

 

 

ではまた。

 

 

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謝罪会見

メッセンジャー黒田が記者会見で謝っていた。

こういうのを見る度に思う。

なぜ記者や、その向こうにいる視聴者や読者に謝らなければならないのか。

当事者同士で示談が成立しているのだからいいじゃないか、と思う。

この、マスコミの弱い者いじめ(成功しているうちは持ち上げておいて、ヘマをした瞬間叩き落とす)体質には、本当に吐き気がする。

それをジャーナリズムの崩壊と呼ぶべきかどうかは、知らない。

ではまた。

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2010年1月12日 (火)

偉いってやつ

僕は平日の5日間、会社のビルの階段を10階まで2往復している。

朝の出勤と夜の帰宅時の往復と、昼食のための外出の行き帰りの往復で2往復だ。

こういう人は僕だけではないが、珍しい。社員の5%もいないと思う。

そんな僕に、こんなことを言う人がいる。

 

「階段使って偉いね」

 

一体階段を使うことのどこが偉いというのだろうか。

別に僕が階段を使うことで幸せになる人はいない。誰かの為にやっていることではない。

僕が階段を使う理由は、「エレベーターが嫌いだから」だ。

僕が階段を使うことを「偉い」とするならば、エレベーターが嫌いなことを同時に「偉い」と認定しなければならない。

 

とはいえ、階段を使う人のことを「偉い」と言いたくなる気持ちは想像できる。

たぶんそういう人たちは、自分もそうしたい、という気持ちを持っているのだと思う。でも何らかの理由でそうできない。しかもその理由は、「疲れる」とか「面倒」とか、ちょっと後ろめたさを感じるような理由なのだ。だから、そんな自分とは違い、そうしている、できている人を「偉い」と思うのだと思う。

なぜこんなことを考えるのか。

それは、階段を使うことを特殊なことであると考えるからだ。例えば、僕が朝の階段で見掛ける多くの人たちは、らせん状になっている階段を、すごく大回りして上っている。これは僕の憶測だけど、彼ら彼女らは、ダイエットとか体力維持増進とか、そういったことの手段として階段を上るということをしているんだと思う。

ジムに通うように、毎朝ウォーキングをするように、階段を上るということを捉えているのだと思う。

そういった考え方でいえば、あるいは毎日階段を上り下りするのは「偉い」といえるのかもしれない。(それでもかなり違和感のあるものだが・・・)

でも僕のは全然違う。僕はただ、上に上るためだけに階段を使う。純粋で誠実な階段の使用。当然、これ以上ないほどのインコースをついて上っていく。これが「偉い」というのは、とにかく違和感がある。

 

あ。でも、こういった類の「偉い」は結構溢れている気がしてきた。

例えば、毎日三食食べるとか、自炊をするとか。

別に誰かのためになるわけでもないことで、人は人のことを結構「偉い」と言うということか。やはり違和感がある。

 

【偉い・豪い<えらい>】

《形》いら・し(ク)

①すぐれている。人に尊敬されるべき立場にある。「―・い先生」

②普通あるべき状態より程度が甚だしい。ひどい。「人が―・く集まった」「―・騒ぎ」

③思いもかけない。とんでもない。「―・いところで会ったね」「―・いことになった」

④苦しい。痛い。つらい。「坂道を登るのが―・い」

~広辞苑より~

 

「偉い」ってこういう意味だったのか。

じゃあ、「あの人は偉い」とか言う場合、これは一体、どういう意味になるのだ。あの人は優れている、ということか。これもやはり違和感がある。ただ、あの人は尊敬されるべき人だ、ということならしっくりくる。

おそらく大半の「偉い」はこれだろう。

 

なるほど。僕も、階段を使っているということで誰かに尊敬されれば、「偉い」ということになってもいいのか。

目的や動機は関係なく、つまり、自分がどう思っているかではなく、他人からどう思われるかに依存するのだ、「偉い」とは。

三食食べようと思っているが食べられていない人からしたら三食食べている人は偉いし、毎朝ウォーキングしたいが三日坊主で終わってしまう人からしたら毎朝ウォーキングをしている人は偉い、ということになるのだ。

例えば僕が階段を上る理由が、実は女性のスカートを覗くためだったとしても、僕が偉いことに変わりはないのだ。

もちろんそんなことは断じてないが。

そういうことだ、ということだ。

 

 

ではまた。

 

 

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2010年1月10日 (日)

ELEVENTYSEVEN『LONELY WORD』

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2010年1月 9日 (土)

映画『アバター』

を観た。

 

面白かった。3時間弱あった放映時間が短く感じたほどだ。

話は、地球人がパンドラという星を侵略するというもの。アバターとは、先住民の姿に似せた人間の身代わりのようなもの。これを先住民の中に潜入させ、侵略のとっかかりとするのが地球人の作戦だった。

まぁ、詳しくは実際に観てほしい。

 

この映画で初めて3Dを体験した。最初はちょっと慣れずにうっとおしさを感じたが、慣れてくるに従ってそれは感じなくなった。それどころか、3Dの迫力には感動した。例えばすごい高い木の上から下を見下ろすシーンでは、本当に足がすくんでしまった。映画の質にもよるんだろうけど、3Dは悪くないと思う。

ただ一つ、字幕に関してはちょっとやっかいだった。3Dだと字幕が浮いているように見えるのだ。字幕の後ろに俳優たちがいる位置関係だ。同じ平面上にないから、字幕を見ながら俳優たちを観るのが普通の映画よりも難しかった。大げさに言うと、字幕を観てるときは俳優たちに目の焦点が合わないってことだ。

あ、あともう一つ。3D映画を観るときは映画館で配られるメガネを掛けなければならないのだが、それがうっとおしい。あれがもうちょっと改善されるといい。

 

でも、どうせ観るなら3Dがお勧め。あの迫力は通常の料金に+300円する価値あり。

戦闘シーンに臨場感がありすぎるせいで、映画終わった後右ひざが負傷していたほどだ。

 

 

ではまた。

 

 

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2010年1月 8日 (金)

村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』

を読んだ。

 

6つの短編小説が入った短編集だ。

村上春樹の短編小説は、今まで当たったことがないけど、これはそんなに悪くなかった。まぁ相変わらずよく分からないんだけど、それなりに面白かった。

どこが?と言われれば、さあ、としか答えようがないわけだけれど。

特に最後の『蜂蜜パイ』という話は、村上春樹らしくない、わりと爽やかな話で良かった。珍しくもハッピーエンドなのだ。

他にも、『かえるくん、東京を救う』も良かったし、『アイロンのある風景』も良かった。

では『アイロンのある風景』から、気に入った台詞のやり取りを紹介。

 

「パール・ジャムのどこが面白いの?ただうるさいだけじゃないよ」と順子は言い返した。

「パール・ジャムのファンは世界中に1000万人もいるんだぜ」

「焚き火のファンは5万年前から世界中にいたよ」

「まあ、それは言えるな」と啓介は認めた。

「パール・ジャムが消えても、焚き火は残る」

「それも言えるな」。啓介は右手をポケットから出して、順子の肩にまわした。「けどな、順子、問題は5万年前のことも、5万年後のことも、俺にはぜんぜん関係ないってことだよ。ぜんぜん。大事なのは、今だ。世界なんていつ終わるかわからんものな。そんな先のことが考えられるか。大事なのは、今の今しっかりメシが食えて、しっかりちんぽが立つことだ。そうだろ?」

村上春樹『神の子どもたちはみな踊る(「アイロンのある風景」)』より~

 

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村上春樹が苦手な人でも、ちょっとはマシと思える本かもしれない。

 

 

ではまた。

 

 

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裵淵弘『朝鮮人特攻隊 「日本人」として死んだ英霊たち』

を読んだ。

 

大東亜戦争において特攻で死んだ朝鮮人のことについての新書。

当時の朝鮮半島の人たちがどのように入隊し、特攻隊員になったか。その後、残された遺族がどのような立場にあったか、などが書かれていた。

僕はこのことについての知識はほとんどなかった。日本が占領していた地域ということは知っていたが、あまり深く考えたことはなかった。

だからこの本のことも、正直あまり理解ができなかった。単純に知らない用語や物事の関係性が多過ぎた。

 

でも、最近大東亜戦争の本を何冊か読んでいて思ってきたことがある。

それは、軍隊に入る人の中には、進んで軍人になる人が少なからずいるということだ。特に飛行機乗り。これに憧れる青年はけっこう多かったように思える。

あとは貧しさゆえに、入隊するケースも多い。これは現代のアメリカ軍などにも見られる現象だ。働き口がないから軍隊にでも入ろう、というのだ。いや、そんな軽いものじゃない。生きるために、軍隊へ行くのだ。でなければ食っていけない。そういう状況があって入隊するケースは多い。

これは現代の日本にとっても他人事ではないと思う。経済格差がどれほど進んでいるのか分からないが、貧困層の増加は、現在でいうところの自衛隊への入隊を確実に増やすと思う。あるいはアメリカ軍への入隊が増えるかもしれない。日本人の。

 

もし多くの入隊希望者が出るような社会になってしまったら、反戦の思想はひどく説得力を持たないものになる。憲法九条も失われる。

そういった意味では、経済の回復は至上命題だ。

 

朝鮮人の特攻と全然関係ない話をしてしまった。

まぁ何がきっかけで何を考えるかってのは分からないってことだ。

でかくて硬いウンコをしてアフリカの貧しい子供たちを想うことだってあるのだ。

 

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ではまた。

 

 

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消しゴムが日本人を救う

人生とは白紙のテストだ。

そこには最初は、名前と生年月日を書く欄しかない。

勉強をしたり本を読んだり人と話したりして知識や価値観を獲得する度に、白紙のテストに自分で問題を書いていくのだ。

そのための白紙だ。

そしてその問題を解くのも自分だ。相談したりアドバイスをもらうこともあるかもしれないが、結局は一人で解くことになる。

リレーや駅伝と似ている。彼らはチームだが、走るときは一人ひとりだ。

自分で問題を作り、自分で問題を解く。

だから難度設定が大事だ。高過ぎれば自分で作った問題に殺されてしまうし、低過ぎれば生き甲斐を見出だせない。
いずれにせよ、一度書いた問題を、「やっぱりやめた!」と消しゴムで消すことは重要かもしれない。

初志貫徹とか首尾一貫とかいう言葉があるけど、それで死ぬのは惜しすぎる。

日本人みんなに消しゴムを配ろう。死んでしまうくらいなら目の前の問題なんて消してしまえ。

自殺者を減らすのだ。

小学校でボールペンが禁止されていたのはこういうわけだったのだ。

僕たちは始めから、消すことを良しとする教育で育ったのだった。

消すことは恥ではない。

仮に恥だったとして、それが何だというのか。

自分で文章題を作って自分で解く小2算数の問題を見ていて、そんなことを思った。

 

ではまた。

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2010年1月 5日 (火)

恋人は宇宙人

最近、周りに結婚する人が増えてきた。ちょっと前にバスで偶然会った小学校から高校まで一緒だった同級生はお母さんになって赤ちゃんを抱いていたし、他の同級生の妹はできちゃった結婚したみたいだし、会社の同期ももう何人か結婚している。

気づけばもう僕も26歳。結婚する人が周りに増えてきてもおかしくはないということか。

しかし僕にはまったくその気配がない。結婚どころか、恋人の「こ」の字すら見当たらない。望遠鏡で宇宙を探しても、顕微鏡で部屋の片隅の埃の中を覗いても、どこにも見つからない。

見つからないならまだいい。見つからないということは、どこかにはあるということだ。北極の氷の中か、まだ人類が到達していない海の底か、銀河系の外か。あればいつか見つかる可能性がある。新しい種類の動物や植物を発見するように。新しい彗星を見つけるように。

でも、「ない」ということもある。宇宙人はいるかもしれないし、いないかもしれない。幽霊はいるかもしれないし、いないかもしれない。この世にはないかもしれないものがたくさんある。

もし、「ない」ことが分かればそれはそれで楽だ。探さなくていい。探す時間や労力を、他のことに当てることができる。

でも困ったことに、「ない」を証明することはとても難しい。一体誰が幽霊がいないことを証明できるだろうか。宇宙人についても同様だ。

だから例えば僕が、「彼女が全然できない・・・」と言ったとすると、そこにいる人はこう言うしかないのだ。

「いつかできるよ」

それを聞いて僕は、「たしかに。できるかもしれないし、できないかもしれない」と思うわけだ。宇宙人はいるかもしれないし、いないかもしれない、と思うのと同じように。

もしまた僕に恋人ができるようなことがあったら、彼女にこう言おうと思う。

「やあ、地球はどうだい?」ってね。

 

こんなこと言ってる俺は本当に死んだらいいと思う。

 

 

ではまた。

 

 

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2010年1月 4日 (月)

映画『ONE PIECE FILM STRONG WORLD』

を観た。

 

面白かった。さすが尾田栄一郎だ。絵から台詞から細かい笑いまで、基本的に文句は一つもない。一つだけ文句をつけるなら、時間の制約があるからだと思うけど、金獅子が弱く映り過ぎたってことくらい。伝説の海賊って言う割には、けっこうあっけなく倒せてしまっていた。きっと漫画で描いていたらもっと壮絶な戦闘になっていたのだろうと思う。

さすがONE PIECEと思ったシーンがあった。ネタバレになるので具体的には書かないが、ナミが残したメッセージの最後の部分。あれは普通のアニメでは出てこない台詞だと思った。むしろ、あれの逆の台詞がくるのが普通だと思う。ラストであの声を聞いたとき、うお!って思った。

やっぱONE PIECEは凄い。偉大だ。

 

ちなみに0巻はまだ手に入れていない。府中のTOHOシネマで観たんだけど、在庫切れのためすぐにはもらえなかった。9日以降引換券を持っていけばもらえるらしい。そちらも楽しみだ。

 

 

ではまた。

 

 

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有川浩『シアター!』

を読んだ。

 

なかなか面白かった。ちょっと軽すぎる感じもしたけど、悪くない小説だったと思う。

話は、とある赤字劇団がその経営を立て直す、というもの。簡単に言えばそういうお話。芝居の世界の収支構造に対する批判めいたものも含まれていたが、基本的には物事の大抵がいい方向に進む小説だった。こういうシンプルなサクセスストーリーは嫌いじゃない。どんどん読んでしまった。

キャラクターもなかなか良かった。特に主人公兄弟二人の対象性は良かった。この二人は立場としては、債務者(弟)と債権者(兄)なわけだけど。劇団員一人一人のキャラクターも良かった。

あまり格言めいた台詞などが出てくる感じではなかったけど、2箇所だけ折り目をつけたところがあった。

 

「人間が何かを諦めるのに必要な条件って分かる?」

(中略)

「全力でやって折れることだよ」

~有川浩『シアター!』より~

 

このシンプルで簡単すぎるメッセージ。「そんなの分かってるよ」と蹴散らすのは簡単だけど、こうやって文字にして読んだり、改めて誰かから言われたりするのって大事。最近そんなことを思う。僕はここを読んで、そうだよな、もし何かを諦めるならその前に全力だよな、と思った。

2010年、全力でやる年にしよう。

 

 

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ではまた。

 

 

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2010年1月 2日 (土)

姜尚中『リーダーは半歩前を歩け ―金大中というヒント』

を読んだ。

 

これは元韓国大統領金大中との対談からみえた、リーダーとはこうあるべし、というメッセージを姜尚中さんが文章にした新書だ。

正直、薄っぺらい感じがした。中には、なるほど、と思うことや勉強になること、共感することもあったのだけど、全体としてはそれほど面白くなかった。これは完全に僕の想像だけど、金大中との対談を無理やり膨らませて本にしたんじゃないか。きっと本人も苦笑いをしながら書いたに違いない。

でも特に間違ったことを言ってるとは思わないし、内容的にはリーダーシップのことだし、興味深いことはたくさんあった。特にこの本のタイトルになっている、「リーダーはフォロアーの半歩前を歩け」という姿勢には共感できた。というよりもこの姿勢は、ROONEYSでいつも僕がそうありたいと思いながらなかなかできていないだろうな、というものだからだ。

 

金氏は「半歩」と言ったのです。ぜったいに国民の手を離さず、国民がついてこなければ、「半歩」下がって彼らの中に入り、わかってもらえるまで説得して、同意が得られたら、また「半歩」先を行く、と。

~姜尚中『リーダーは半歩前を歩け ―金大中というヒント』より~

 

一人で突っ走るのではなく、後ろを気にしながら、みんなと手をつなげる距離で、でもみんなよりは前にいる。いざという時にはみんなの後ろに回ることもできる。

すごく抽象的な言い方になってしまったけど、そういう姿勢こそ、僕の目指しているリーダー像だ。

それこそ昔はそんな考えは一切なかった。高校のテニス部で部長をやっていたときも、ROONEYSの初期の頃も、自分が正しいと思うことを次々とやって、周りがそれをどう思うかは全く気にしなかった。俺が正しい。俺について来い。たぶんそんな感じだった。

でも、たぶん大学3年くらいだったと思うんだけど、ROONEYSの存続などを考え出してから、僕の考え方は変わってきた。つまり、僕が死んだらROONEYSはどうなるんだ、ということを考え出した。そのとき僕は、きっとROONEYSはなくなってしまうだろう、と思った。僕一人だけが突っ走っている状態では、誰もその後を継ごうなんて思わないし、できないのではないかと思った。それはいかん、と思った。そこから僕は、もっとみんなと一緒にやっていこう、と思った。言い方を変えれば、もっとみんなと距離を近づけるってことで、それは「半歩前」と表現してもしっくりくる。

ただこの距離感は実に微妙で、少し油断するとみんなと並列になってしまいそうになる。これは絶対にダメだ。そうすると色んなものがあやふやになってしまう。それこそ、もしROONEYSが存続の危機にさらされるような場合でも、「それがみんなの意思なら・・・」と納得してしまったりする可能性もある。フォロアーとリーダーの意思はやっぱり違わないといけない。意思っていうか、温度っていうか。リーダーは揺るがない意思とか理想とかを、共有せずとも持っていなければならないと僕は思っている。だからたまには、独断と偏見に基づいた判断があってもいい。そういう意味で、あくまでも「前」なんだ。半歩だけど、前。並列ではいけない。

この新書を読んでリーダーのあるべき姿勢を再認識することができた。その点で、この本には感謝だ。日常の中で忘れてしまうことってのは、結構あるから。

 

この本から何かを学ぼうとは思わない方がいい。薄っぺらいから、これだけでは何も学べない。でも、リーダーシップについてずっと考えてきている人にとっては何かを感じることができるかもしれないし、これからリーダーシップを学ぼうとしている人にとっては、きっかけくらいにはなると思う。

そういう人にはお勧め。

 

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ではまた。

 

 

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2010年1月 1日 (金)

司馬遼太郎『新選組血風録』

を読んだ。

 

歴史小説を読んだのはこれが初めてかもしれない。でも、なかなか面白かった。特に新撰組に興味があったわけではないけど、面白かった。

沖田総司と斉藤一が特にかっこいい。クールでいて政治的でなく、そして強い。これぞ男の理想系と思えるほどかっこよかった。

でもよく考えれば、この小説ではいとも簡単に人を殺している。まぁそういう時代ということと、新撰組という組織の性質上そうなっているのだろうけど、沖田や斉藤にしても、かっこいいとは思うが、やってることは人殺し。つくづく時代の移り変わりとは不思議なものだな、と思う。

当時のことから学ぶことも多いのだろうが、でもやっぱり僕は現代はいい時代なのだと思う。いきなり路上で切り殺されることもなければ、ほんの些細な失敗で切腹を強要されることもないし、恋愛も基本的には自由だ。

新撰組はかっこいいけど、僕は今の時代でいいや。

 

でもこの小説は、普通の読み物としても、歴史を知る上でも、とてもいい小説だと思う。

お勧め。

 

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ではまた。

 

 

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