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2010年8月

2010年8月31日 (火)

自由とは自己肯定すること

今日も始発のバスに乗り会社へ行き、7時半くらいから21時まで働いて、終バスで家に帰ってきた。


今日はそれほど疲れがない。


もしかしたら自己否定をやめたせいかもしれない。


残業をしなければならないのは俺の仕事が遅いからだ。


失業者が減らないのは俺が仕事を抱えて離さないからだ。


世界が水不足なのは俺が汗をかいては水を飲みまくってるからだ。


戦争がなくならないのは俺が他人に冷たいからだ。

そういった自己否定を、やめようと昨日の夜にいったん決めた。

べき論を自分に振りかざすと疲れるんだよ。

だからいったんやめた。

えぶりしんぐいずおーけー というクソみたいな考えを、僕はすることにした。


残業おーけー。

失業もおーけー。

水不足も戦争もおーけーだ!


なるほど。


働きすぎ社会は、政治家にとって必要なものだったんだ!思考を奪い、代わりにえぶりしんぐいずおーけーに誘導し、文句を言わせないって魂胆だ!だから世界に溢れる大問題たちは解決されずむしろ膨らんでいっちまうんだ!


こわいね〜、権力。


でも俺のえぶりしんぐいずおーけーは、一旦だ。一時的。熊でいうなら冬眠。今は命と健康を守るために穴蔵に潜るだけだ。一旦。


次に外に出てきたら、またわーぎゃー騒いでやるっつーの。

とにかく、健康を害するくらいなら一切の責任を放棄し、完全に自己を肯定してみることを薦めるよ。


たまには一時しのぎも大事だ。


ではまた。

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2010年8月28日 (土)

HMV、吉祥寺も閉店かよ!

世界には色々な仕方のないことがある。


好きな人に嫌われるとか試験に落ちるとか病気で死ぬとか。


これらの大抵の場合、僕らは多少抵抗してみせても、結局は受け入れなければならなかったりする。


たぶん今回の場合もそうなんだろう。


会社帰りや昼休みにしょっちゅう行っていた多摩センターのCDショップが閉店したことや、吉祥寺のユニクロの下に入っていたCDショップが移転とともにパンクコーナーをごっそり撤去したこと、そしてとうとう同じく吉祥寺のパルコの下に入っていたHMVが閉店したことを、僕は何とか受け入れなければならない。


もうCDは過去のものに追いやられ、多くの人が仕事を失うであろう現実はもう実現されてしまったんだ。


僕が一生懸命にCDを買い続けても、全然ダメだった。このクソみたいなデータ化の流れには逆らえなかった。


これから人は、気に入った一曲だけを効率的にダウンロードし、歌詞もジャケットも気にせず音楽を聞く。でもそのお気に入りのバンドやら歌手はすぐに引退していく。だって儲からないからな!!


お前らが作った世界だ。


くだらない。
引きこもりを促し、コミュニケーションを喪失させる世界だ。

くそ。
僕は絶対CDを買い続けるぞ。売ってなくても買ってやる。

本だって同じだ。なくなって欲しくないし、応援したい人がいるから、僕はお金を払う。

さて現実に戻り、また次の軸となるCDショップを探さなければ。
条件はただ一つ。パンクコーナーが充実してること!(試聴も外せない!)

なんだか世界はどんどんおかしな方向へ行ってる気がするよ…。


納得できない。受け入れざるを得ないが、納得できない!!!

なんでだ!なぜCDを買わない!ジャケットも歌詞カードもないなんて味気なさ過ぎるだろ!
誰かさん曰く、ジャケットは見れるし歌詞もダウンロードできるらしいけど、そういうんじゃないんだよ!!

作品をそんな簡単にバラバラにしていいのかよ!

芸術とか文化を大事にしない世界に明るい未来が待ってるとはどうしても思えない!どうしてもだ!

ばか野郎!!!!

ではまた!!!!

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あるなし疲労

「疲れが残ってる」とかいう表現がある。

前日に何らかのことを過剰にやり過ぎたときに使う表現だ。

これから分かることは、疲れとは“ある”ものだということだ。

少なくともそういう認識で僕らは疲れを捉えている。

 

でも実は、疲れってのは“ある”ものじゃなくて、何らかのものが“ない”ことなんじゃないかと思う。すごいどーでもいいことなんだけどね。世界には戦争とか資源とか色々な問題があるのに、僕は疲れなんてものについて考えてる。お叱りはあって然るべきだと思うよ。でもね、僕を叱るお前は何をしてんだって話だよ、まったく。

すっかり話が反れたけど、疲れってのはたぶん、栄養とかエネルギーとかホルモンとか、そういった類のものは欠如した状態をいうんだと思うんだよね。だから疲れってのは、“ある”というよりは“ない”側のものなんだと思うんだよね。

もし幸せじゃない状態を不幸というなら、不幸と疲れは似ている概念だね。

 

でもまてよ。もしかしたら疲れってのは“ある”のかもしれないな。例えば筋肉に溜まると言われている乳酸。あれはもしかしたら、疲れの“ある”側を支持する象徴的なものかもしれない。あとはストレスとか。でもストレスは実体がよく分からないから無視しよう。

 

 

思い出した。

疲れを取る手段に、「休息」というものがあるけど、これには2種類あるんだった。「積極的休息」と「消極的休息」。前者は軽い運動などを行うことで体を休める方法で、軽い筋肉痛のときなどに行うべき休息。後者はとにかくじっとしとけっていう休息。

休息に2種類あるってことはつまり、疲れにも2種類、あるいはそれ以上の種類があるってことだ。

大事なのは、その疲れをちゃんと見つめて分析し、適切な休息をすることだ。“ある”側の疲れならそれをなくせばいいし、“ない”側の疲れならないものを補充すればいい。

 

僕たちは言語を獲得して以来、色々な言葉を細分化してきた一方で、色々な概念を面倒だからといって一元化してきた。その弊害がこれだ。疲れには色々あったのだ。疲れこそ分解してみなければいけない概念だったのだ!!

疲れた疲れたとほざいているそこのあなた。

その疲れの正体は、一体なんなのだね。

“ある”のかい。“ない”のかい。

 

 

ではまた。

 

 

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2010年8月27日 (金)

未来を見る力と過去に戻る力

この2つのどちらかを神様がくれるとしたらどっちを選ぶ?だってさ。

 

僕は過去に戻る力がいいな。断然。

だってさ、前者は「見る」だけで、後者は「戻る」だよ。レベルが違うよ。

2つを比較するならさ、同じレベルに揃えろよな。「未来に行く力」とかって。

まぁいいや。

 

もし「未来に行く力」というふうにレベルを揃えたとしても、僕は「過去に戻る力」を選ぶな。

だってさ、僕はもう既に、「未来に行く力」は持ってるんだもの。

実は僕はね、今まで誰にも言わなかったんだけど、ちょいちょい未来へ行ってるんだ。

ちょうど明日は、明日へ行こうと思ってるんだ。1ヵ月後には1ヵ月後に行こうと思ってるんだよ。

 

なんだよ、それじゃ結局“現在”じゃないか。

 

そういう突っ込みはあるだろうね。

でもね、じゃあさ、仮にタイムマシーンとかいうのがあったとして、なんか異次元のトンネルみたいなのを抜けていかにもな未来へ行ったとしても、それも結局、“現在”なんじゃないのかね。

結局現在も未来もさ、「まだ経験したことのない瞬間」という点では同じだからね。

その点過去は、「すでに経験したことのある瞬間」だから、違う。すでに経験したことを、もう一度味わう、変化させる、避けるということができる。現在や未来ではできないことができるってわけだ。

しかも“戻る”ってことは、“進んだ”という事実を経てのことだから、たぶん記憶はなくならない。記憶がなくなるような戻り方は、“戻る”じゃなくてリセットだ。

だからもし過去に戻れば、現在のことを過去に生かすことができる。後悔のある過去を変えることもできるかもしれないし、おいしい思いをもう一度味わうことができるかもしれない。未来で何かやったとしても、その感じ方は現在のそれとほぼ変わらないだろうけど、過去でのそれは一度経験した分、また違うものになるはずだ。

だから僕は、過去に戻る力を選ぶ。

 

 

そんな素敵な神様がいればの話だが。

そんなのいないことは、嫌というほどに歴史が証明している。

神様がいつも人間にくれるものは、罪と罰と恐怖だけだ。
 

 

ではまた。

 

 

ブログネタ: 神様がくれるとしたら、どっちを選ぶ?参加数拍手

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2010年8月26日 (木)

4とか9とか

時刻は19時15分。

僕は休憩がてらコンビニに買出しに行き、自社ビルの9階に戻る途中だった。

地下からエレベーターに乗り込み、「9」を押した。 

「9」

苦しいの「9」とか小学生の頃によく言ったものだ。

乗っているのは僕一人だった。

 

エレベーターが上昇し、「1」「2」「3」と表示が映っていく。そこでポーンという音がなった。

4・5・6階は工事の準備で、全員が退去済みで誰もいないはずだ。しかしエレベーターのアナウンスは確実にこう響いた。

 

 

 

「4階です」

 

 

 

そしてエレベーターは止まった。

誰もいないはずの、真っ暗なフロアで、エレベーターは止まった。

誰かいるんだろうか、と僕は思った。

いてもおかしくはない。工事の準備のために、総務部の人やあるいは委託先の担当者がいても、おかしくはない。

でもやはりおかしかった。

 

 

エレベーターはそこでしばらく止まり、ドアも開けずに、また上昇を始めた。

 

 

 

何もなかったようにエレベーターは「9階です」とアナウンスし、9階で止まった。

システム通りにドアを開き、システム通りにドアを閉めた。

システムを狂わせた4階に一体何があるのか。

 

死の「4」と、小学生の僕は言った。

 

 

 

 

 

どう、怖かった?

今日あった本当の話だけど。

 

 

ではまた。

 

 

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不幸自慢宇宙人

働きすぎの社会を批判し続けてきた僕が、働きすぎてる。

朝は8時前に出社し、夜は20時過ぎまで働く。

なんと一日の半分以上を会社で過ごしている!

驚愕の事実!

一週間の半分以上会社へ行き、その一日の半分以上を会社で過ごしている!

一体何なんだこれは!

これが健全な動物の生き方か!!!?

どうした世界、日本、会社、俺!

 

しかしつくづくおかしな話だ。

こんなにも仕事があってヒ~ヒ~言ってる僕がいて、同時に仕事をしたくても仕事がない人がいる。

一体日本の経営者どもは、雇用についてどういう風に考えてるんだろう。全員に夏休みの宿題を課したい気分だね。「なぜあなたは雇用を増やさないのか」ってテーマで作文書かせたいよ。

 

きっとこれを読む人の中にはこう思う人がいるだろうな。

「たったそんだけの労働で文句言ってんじゃねーよ!俺はもっと働いてる!毎日終電で、帰れない日もある!土日に仕事するのなんか当たり前だ!」

ってな感じで。

そんな人はね、あっち行け。

不幸基準で物事を考えたら世界は崩壊するんだよ。僕は世界の崩壊には反対で、世界平和には基本的には賛成なんだよ。

不幸の強要なんて最悪だ。正義の強要と同じくらい最悪だよ。

 

大体ね、労働時間の自慢をするようなやつはたぶん睡眠時間の短さを自慢するだろうし、連続徹夜日数を自慢するだろうし、白髪の数を自慢するんだよ。もしかしたら結婚しないことを自慢するかもしれないし、運動不足であることを自慢するかもしれないし、ウンコの色が黒いことさえも自慢するかもしれないよ。

なんでそんなやつの言うことを聞かなきゃならんのだね。

だからね、あっち行け。

僕にとってそんな人たちは宇宙人なんだよ。

僕はね、働きすぎを自覚しながらもどうしようもできないか弱いサラリーマンたちと手を組んで、「仕事つれー!!!!」って叫びたいんだよ。そしてビールを飲みたいんだよ。

宇宙人の基準で物事を考える気なんて、さらさらないんだよ。

 

ふー。

こんなこと言いながら、明日も僕は朝も早くから会社へ行き、夜も遅くまで働くんだと思う。まだ会社を辞める気にはなれないから、与えられた仕事はやるしかない。だからなるべく効率的にやることを考え、十分に休息をとりながら働く。休日には絶対仕事をせずに気分転換と体を動かすことに費やす。そうやって何とか人生のバランスをとるしかない。

そして十分な睡眠は外せない。

こんな記事を書いていないでさっさと寝るべきなんだ。

 

 

ではまた。

 

 

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2010年8月22日 (日)

神様ジェラシー

昨日は二子玉川の花火大会へ行った。
初めて有料席で見た。

天気は快晴。河川敷には心地好い風が吹き抜け、ブルーシートに半分寝転がって空に打ち上げられる花火を見た。もちろん片手にはビール。

これは最高だ。感動的に。

花火が打ち上げられる音や空中で爆発する音、そしてBGM。

今まで何となく上がってきた花火を見るのが花火大会だと思ってたけど、そこには演出がありプログラムがあった。


特に音楽は外せない。もしパンク・ロック花火大会があったら絶対に行きたい。


それにしても花火職人は凄い。あれはきっと、火薬と導線の配置でしょ?それだけで様々な爆発を生み出して空を飾り付ける。


神様に喧嘩を売れる唯一の人たちだと思った。


「おい神、調子乗るなよ。この空は俺らのもんだ」

みんなが空を見上げ、感動し、感嘆の声をあげ、拍手を喝采する。

その向こう側にいる神様のことなんて誰も気にしちゃいない。

日本人に信仰心がないのはこういうわけだったからなのだ!

神、完敗。


ではまた。

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2010年8月21日 (土)

沈黙リスニング

今、村上春樹の『海辺のカフカ』を読み直している。

最近ブログで本の感想を書いていないけど、本は変わらないペースで読んでいる。面倒だからよほど感動したり人に薦めたいと思わない限りは、たぶんもう感想は書かない。

 

主人公の田村カフカが高知の山小屋の音について思うシーンがある。

僕はベッドの上に横になって、ヘッドフォンでプリンスの音楽を聞く。その奇妙な切れ目のない音楽に意識を集中する。ひとつめの電池が『リトル・レッド・コーヴェット』の途中で切れる。音楽は流砂に呑みこまれるようにそのまま消えてしまう。ヘッドフォンをはずすと沈黙が聞こえる。沈黙は耳に聞こえるものなんだ。僕はそのことを知る。

~村上春樹『海辺のカフカ(上)』より~

 

ほー、と思ったね。

沈黙は耳に聞こえる。

たぶん辞書的には、音がない状態、聞こえない状態を沈黙というんだと思うけど、でも沈黙は聞こえると表現している。

ちょっと違うかもしれないけど、何となーく僕も味わったことがある感覚かもしれない。僕は大体一人でいるときは音楽を聴いている。その音楽は村上春樹作品に出てくる人たちが聞くようなオシャレだったり優雅だったりカッコいい音楽ではなく、青臭くてアホみたいな音楽だけど、そんな音楽でも、たまに聞かない状態になったときに不思議な感じがする。何ていうんだろ。音は耳が機能していないと聞こえない。そして沈黙というのは、音がある状態に対しての「ない状態」だから、はじめから音がなければ、沈黙はない。音は耳で聞くもの。だから、沈黙もやはり、耳で聞くものなんだと思う。

これで合ってるかな。

まぁいいや。別に答えあわせがしたいわけじゃない。もし村上春樹が「お前全然違ぇよ。全然分かってねぇ」とか言ってきたらこう言ったろ。

 

うるせぇ。分かってねぇのはお前だ。

 

 

世界は言い切った者が勝つようになっているのである!!

 

 

ではまた。

 

 

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2010年8月18日 (水)

頑張るってやつ

がんばる。

ガンバル。

頑張る。

よく聞く言葉だけど、「頑張る」って何?

 

「張る」は動詞だろ。てことは、きっと「頑張る」は、「頑」を「張る」なんだろう。

じゃあ「頑」って何だってことになる。

 

はい広辞苑。

 

【頑<がん>】

①融通がきかないこと。かたくななこと。「―として応ぜず」「頑固・頑迷」

②じょうぶなこと。「頑健・頑丈」

~広辞苑より~

 

「張る」ってのはさ、たぶん「意地を張る」とか「胸を張る」とかと一緒で、たぶん「そういう風に見せる」みたいな意味だと思うんだよな。内面とは裏腹に、表面的にはそういう風に見せる、みたいな感じ。

そうだとしたら「頑張る」ってのはさ、「丈夫なように見せる」というような意味になるんじゃないかな。

もし誰かに対して「頑張ります!」と言っている人がいたらさ、それは実は、やる気の表れでもなんでもなくて、心のうちの叫びなのかもしれないよ。

本当は辛くて自信ないけど大丈夫な風に装います、っていうさ。

 

「頑」なんて張らないほうがいいと思うな。僕は。

 

 

 

 

 

とか言ってみたけどさ、実は頑張るってのは別に心の叫びでもなくて、ただ日本人のメンタリティがその言葉を発させるだけかもしれない。

自虐的でドMなメンタリティ。

 

 

【頑張る<がんばる>】

《自五》(「頑張る」は当て字。「我に張る」の転・・・・・・・・・・・・・

 

当て字かーい!

 

 

ではまた。

 

 

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2010年8月17日 (火)

配分人生

たまにさ、大切なことと大変なことって間違えるよな。


本当は大切なことに力を入れて、時間をかけるべきなのに、大変なことに時間をとられて大切なことを疎かにしてしまう。


これって馬鹿だよな。

だから俺って、馬鹿なんだよな。


ではまた。

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2010年8月12日 (木)

三鷹の子どもの口癖

「先生!タカの中、書かなくてもいいですか!?」

 

 

今日、上司に「ケンタ、『上杉鷹山』って漢字で書けるんだ!?すげーじゃん」とからかわれて、思い出した。

三鷹の子どもは住所を書くときに、三鷹の『鷹』の字が難しいから、中のごちゃごちゃした部分を省略していいことになっていたのだ。

それが一般的に知られているのかどうかはしらない。たぶん本当は省略しては駄目なんだろう。だから僕たちはいつも、今は省略していいのか、先生に確認をしていたのだ。先生は期限によって判断を変えるからよくなかった。

終業式などのイベントの登校日に「先生!明日は手提げでいいですか!?」と確認するのと同じだ。

 

 

ちなみに『鷹』を「ヨウ」と読むことができるなんて、全然知らなかった。

鷹山。

かっこいい名前だな~。

 

 

ではまた。

 

 

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2010年8月 8日 (日)

マウント何とか

夏休み8日目の昨日は登山をした。

ホントはただ静岡の友人宅へ遊びに行くだけだったのが、それが登山になった。

米沢から帰り、次の日にはまた東海道新幹線に乗るっていう、なかなかないシチュエーションだ。まぁ去年も山口行って東京に帰ってきてそのまま仙台に行ってたけど・・・。

 

登山客は多かった。さすが7,8月しか開いていない山というだけある。山が閉じ開きするってのも面白いな。いや、思えば海も閉じ開きしているな。

いつかは登ってみたいとは思っていたけど、こんな感じの登山だとは思わなかった。

5合目までバスで行ってしまったせいか、登山道がつまらない。石しかないし、人で行列できてるし。標高3000mとかから見下ろす景色は良かったけど、それもわりとすぐに見飽きた。

道行く人の顔も疲れ果ててて、中にはあきらかに不機嫌になってる人もいて、笑い声もなければ話し声さえあまり聞かれなかった。

登ることのみが目的。

そういう山なんだな、と思った。

鳥もいないし、虫もいない。木も草もない。

正直、もう行かないな、と思った。

 

あ、でも、今回は時間の都合で8合目までしか登ってないから、いつか頂上までは行かなきゃいけないだろうな。んで次登るなら、やっぱりご来光に合わせて登るべきだな。じゃなきゃ全然面白くない。夜登ればちょっとワクワクしたりするだろ。

いずれにせよ来年だな。

 

 

下山後、新富士駅で新幹線の終電まで飲んだ。去年から静岡に勤めている友人が、ここぞとばかりに愚痴っていた。東京にいたときはそういうことあまり言わない奴だったのに、よっぽどストレスが溜まっているらしい。

やっぱり地元を離れるってのは、大変なことなんだな。特に東京が地元なのに地方へ行くというのは、余計に辛いのかもしれない。知らないけど。

山を登ったことなんかよりも、その愚痴を聞いてやれたことの方が大事なことになった。

だから行ってよかった。

 

 

みんな東京に帰ってこーい!東京が地元じゃない奴らも、帰ってこーい!また俺らと一緒にフットサルやろーう!どんなに人生うまくいかなくても、ここにいれば楽しいにきまってるんだから!一緒に腐っていこうぜ!!高いところへ登ればいいってもんじゃねーっつーの!

 

 

ではまた。

 

 

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2010年8月 6日 (金)

三島由紀夫『金閣寺』

を読んだ。

 

僕は読書をし始めたのが本当に遅いから、こういう有名な本を全然読んでいない。だからたまに、思い出したように書店で買ってみて読む。別に興味があって読んでるわけじゃない。ただ何となく、そんなに有名なら読んでみようかな、くらいのもの。

感想。

難しかった。もう基本的には何言ってるか分からない。誰か助けて欲しかった。

どうやらこれは、1950年7月に起こった金閣寺焼失という事件を基に書かれた小説らしい。その犯人の青年の告白体で書かれたものだった。ようするに、なぜこの青年が金閣寺に火をつけるに至ったのかを書いていた。

「なんで彼は金閣寺に火をつけたの?」と聞かれても、僕は「さあ」としか答えられない。だって分からないんだもの。何となくこういう感じかな~というのは分かるんだけど、説明できない。だからしない。

 

たまに全然理解できない本に出会うことはあるけど、その度思う。

やっぱ俺って頭悪いんだな、って。

せっかく読んだのに理解できないのって凄い悲しい。悔しいというより悲しい。何か凄い絶望感がある。だってせっかく僕に伝えてくれようとしている人がいるのに、それを僕は僕なりにさえ解釈できないんだから。?マークしか出て来ない。

またいつか読み返した時にちょっとは分かるようになってるんだろうか・・・。

 

とはいえ、別に『金閣寺』を理解したいとは思わない。

こういう小説だったのか、ということが分かっただけでいい気がする。

 

でもさすが名著といわれることだけあって、「ほぉ~」と思うところはあった。

 

おしなべて生あるものは、金閣のように厳密な一回性を持っていなかった。人間は自然のもろもろの属性の一部を受けもち、かけがえのきく方法でそれを伝播し、繁殖するにすぎなかった。殺人が対象の一回性を滅ぼすためならば、殺人とは永遠の誤算である。

~三島由紀夫『金閣寺』より~

 

こんな本を一人旅の最中に読むのは絶対に駄目だと思う。

 

金閣寺 (新潮文庫) Book 金閣寺 (新潮文庫)

著者:三島 由紀夫
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ではまた。

 

 

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米沢2日目

米沢2日目
とタイトルを書いてみたが、この日僕は、あまり米沢にはいなかった。

じゃあどこにいたのかと言われると困る。ウロウロしていたからだ。前後左右上下に。


全然やりたいことが思い付かなかったものだから、日本海を見に行こうと思って最初は駅に行った。でも電車は全然なかったし、行ったら帰ってこれないことが判明。だから電車移動はあきらめた。でも目的地まで変えるとまた考えなきゃいけなくなりそれはものすごく、頭痛がするほどに嫌だったから、車を借りて行くことにした。

もともと北海道に行こうとしていて、すれを言ったら美容師さんに「北海道行くなら車移動ですね」と言われ、俺は昼間からビールを飲むために一人旅をするのだから車移動なんてもっての他だ!と思って北海道行きを中止したくせに、いとも簡単に方針変更。自由気ままーん。


でもやはり海は遠かった。カーナビによると3時間もかかるはずだった。往復で6時間だ。僕は今度は簡単に、目的地を変えた。海が遠いなら山だ。僕はナビを完全に無視し、なるべく車が少ない細い山道を選んで突っ込んだ。軽での山登りはきつかったけど、下りは楽しかった。たまに、見晴らしがいいところで車を停め、その景色を眺めたがあまりの暑さにすぐに車に戻った。そんなことをしながら、山道を走った。


米沢に戻ってくると、車を返すまでにはまだ時間があった。
だから次は、すぐ近くの天元台という山へ行き、ロープウェーに乗って登った。ここがすごく良かった。天気がよく、緑があって、ツバメやトンボがいて、元気に遊ぶ子どもがいて、猿がいて、清々しかった。でも展望台から見た米沢は、薄く靄がかかっていて全然キレイじゃなかった。


天元台から米沢市内へ戻り、車を返して夕飯を食べた。

近くのラーメン屋に入って、牛肉ラーメンとビールを頼んだ。またお通しも出てきた。

牛肉ラーメンはめちゃくちゃ美味かった。初日に食べた7000円の米沢牛ステーキのランチコースよりも53倍美味かった。値段は1200円とラーメンにしては高いが、7000円に比べたら何のその。
ホンジャマカの石塚が来た店のようで、写真とサインが飾ってあった。どおりで美味い。


食べ終わった時点でまだ18時くらいだったけど、お腹いっぱいだし、とりあえずホテルに帰って休んで、後で飲みに出掛けようと思っていたが、結局読書に没頭して出掛けなかった。
これで2日目も終わり。


車で山形を走って分かったことは、現地の人がめちゃくちゃ安全運転なことと、僕が、自分の理想とはウラハラにめちゃくちゃせっかちなことだ。せっかく車に乗ってるのになぜチンタラ走らなきゃいけないんだ!と思ってしまう。レモンをかけてサッパリさせるくらいならはじめから唐揚げを食うな!と思ってしまう。

でもまー、くそ暑い夏には、車の旅も悪くない。でもやっぱい一人旅には、あまり合わない。

ではまた。

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2010年8月 4日 (水)

米沢初日

米沢初日
2回の土日を入れて9日間の夏休み。
5日目の今日、僕は山形県の米沢に来た。
すっかり一人旅さ恒例行事だ。


米沢になぜ来たかというと、行こうと思っていた秋田の宿が取れず、米沢はすぐに取れたからだ。そして強いて言うなら、米沢牛があるからだ。


着いて早々、昼食で米沢牛を食べた。
あえて高い店に入り、あえて一番高いランチのコースを頼んだ。7000円だ。しかも生ビールを頼んだらお通しまで出てきた。合計は8000円近くなった。もちろん覚悟の上だ。最近残業時間が増えて収入が多くなっていたところだ。収入が増えたことで得をするのが僕がだけなら、僕が金を稼ぐことは、何ら世界平和と関係がなくなってしまう。だから僕は稼いだ分、消費する。ちゃんと身軽になって天国へ昇るのだ!


うん、どうでもいい。


昼食後、上杉神社に行った。僕は歴史のことをほとんど知らないから、米沢潘とか上杉の家系についてはほとんど知らなかった。
だからこそ、上杉鷹山のやったことを知り、感動した。たぶんしばらくは、好きな歴史上の人物は?と聞かれたら上杉鷹山の名前を出すと思う。成せば成る、の人ね。


山形は暑い。たぶん東京よりも暑いと思う。インナー着てるのに2枚目のTシャツまで汗が染み込むんだから。


うん、どうでもいい。


さっき夕飯兼ねて飲んだ。天元豚とかいう豚があるらしく、その看板が下がってたいかした居酒屋のカウンターで飲んだ。店は混んでて店員も話しかけてくれないから、ビール1杯と焼酎2杯を、本を読みながら飲んだ。
天元豚は美味しかったし、東北のくせに置いてある焼酎も美味しかった。


今思い出した。肝心の米沢牛の感想を書き忘れた。
米沢牛は普通に美味しかった。ステーキで食べた。
でも残念ながら、グルメではない僕からしたら、美味しいは美味しいなんだ。高級故の微妙な違いとかが全然分からない。だから正直、こんな高い金払う価値があったのか、とは思った。まぁいいけど。日本の平和のためだ。金は使って悪いことはない。こういう場合。


そう思えば、夜の居酒屋は大満足だ。会話はできなかったけれど、料理もお酒もそんな高い金出さずに頂けた。


今は酔い醒ましを兼ねて散歩をして、川沿いの土手からブログを更新してる。

夏休みだし、きっとお巡りさんが見たら家出少年だと思うだろうな。

ちなみに今僕がいる場所からは、まったく星が見えない。

それが極めて残念だ。

ではまた。

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重松清『青い鳥』

を読んだ。

 

重松清はあまり好きじゃないとか言いながら、何だかんだで結構読んでる(笑)

これは先に映画を観て良かったから原作も読んでみようと思ったんだけど、原作も良かった。

村内という、どもってうまく話せない(吃音というらしい)国語の先生と、一人ぼっちの生徒たちの話の短編集。どうやら映画は、その一つの話を映像化したものだったらしい。

 

村内先生はうまく話せない。おはよう、ごっごっございます。きょ、きょ、きょ、今日は生活指導部からの、ぷっ、ぷっ、ぷっぷぷぷプリントがあるので、くくく配ります。という感じになってしまう。これで国語の教師なのだから当然、一部の生徒からは苦情が出る。「先生の言ってることがわかりませーん」「何て言ったんですかー?」てな具合に。

でも村内先生は国語を教えられなくてOKなんだ。一人ぼっちの生徒のそばにいてやること。そして彼らに、たいせつなことを教えること。それが村内先生の仕事。村内先生は上手く喋れないから、一生懸命に喋る。それがやがて生徒に届き、一人ぼっちの生徒たちも村内先生をそばに感じていく。そして村内先生は言うんだ。

「間に合ってよかった」って。

 

いいっしょ。

 

権利を主張する生徒やその親、成績優秀な生徒の声に耳を傾ける方が物事は円滑に進むかもしれない。

でもそれでいいのかね。教師。

そういう教師しかいない学校には村内先生がやってくる。

そして弱い生徒。孤独な生徒。一人ぼっちの生徒の声に耳を傾け、たいせつなことを、たいせつなことだけをしゃべる。

たしかに変わった先生だと思う。上手く喋れないのに、喋るのが仕事とも言える先生になるなんて。でも村内先生はこう言う。

 

「先生・・・・・・なんで、先生になったんですか?」

(中略)

 少し考えてから、先生は言った。

「俺みたいな先生が必要な生徒もいるから。先生には、いろんな先生がいたほうがいいんだ。生徒にも、いろんな生徒がいるんだから」

~重松清『青い鳥』より~

 

 

教育従事者、全員読むべし。

 

 青い鳥 青い鳥
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ちなみに映画では、村内先生役を阿部寛が演じている。

これがまたいいんだ。

映画もオススメ。

 

 

ではまた。

 

 

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2010年8月 3日 (火)

マリッジブラック

マリッジブルーってあるでしょ?結婚前に不安になったりするやつ。女の人によくあるとかいうやつ。

あれさ、ズルイよね。女の人だけさ。

結婚前ならなんか気分が乗らなくてもマリッジブルーってことで許される。知らないけど。

 

でも安心して欲しい。男子諸君。男には男の結婚前があったんだ。

それがマリッジブラック。

結婚前にやたら荒れるというマリッジブラック。

 

 

この前の日曜日、小平でのフットサルの帰り。三鷹へ向かってROONEYSの仲間の車で帰っていた。運転席にはうちのGK。助手席には僕。後部座席にはうちのエース級のやつとその彼女。来年に結婚を控えている。二人とも温厚な性格をしており、ナイスカッポーだ。

車が交差点を左折しようとした。横断歩道には多くの自転車通行者がいた。すると後ろから「轢いちゃえ」という声がした。

通行者を轢くことなく車は走った。前にはいつの間にか原付で走るおばちゃんがいた。おばちゃんはコンビニの横に差し掛かったとき、ウインカーも出さずに急な減速をした。一気に距離が縮まり、ぶつかりそうになった。運転席のGKは声も出さずに冷や汗をかいていた。そして後ろからは、「あぶねぇなババア!」という叫び声がした。もちろん冗談だが・・・。

 

【マリッジブラック<まりっじぶらっく>】

何かしらんけど結婚前に荒れること。または、急に悪さがしたくなること。

~オレ(命名はモリオザウルス)より~

 

結婚を控えたそこの彼女。

もし男が急に結婚前に荒れ出しても安心して欲しい。

それはただのマリッジブラックだ。

よくあることなんだ。

 

たぶん。

 

人は定義づけられたものは受け入れられるものなのである!

 

 

ではまた。

 

 

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2010年8月 2日 (月)

憧れ坊主

多くの場合、ヘッドホンを付ける時はアームの部分を頭の上を通して付ける。頭頂部に引っ掛ける感じで。

でもCD屋の視聴機では頻繁に、アーム部分をあごの下で手に持ってヘッドホンを耳に当てている人を見かける。

あんな面倒くさいことをするのはたぶん、髪型を崩したくないからだと思う。ヘッドホンを長時間付けていると、結構髪の毛潰れるから、一生懸命髪型をセットしてきた人はヘッドホンで髪が潰れるのが嫌なんだと思う。もしかしたら髪の毛ツンツンしすぎて、物理的にヘッドホンを付けられない人もいるのかもしれない。

おしゃれさんは大変だ。

 

 

そんなこんなで今日、視聴機でヘッドホンのアームを顎の下で持って聞いている坊主を見かけた。

お、お前!! 

 

 

世界は夢と希望と憧れに満ちているな。

 

 

ではまた。

 

 

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感動的夏休み

今年も夏が来た。感動的だ。

去年も夏は来たけど、今年は感動的な夏の到来だ。

ちゃんと春が来て、夏が来た。

 

感動的だ!

 

 

ではまた。

 

 

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2010年8月 1日 (日)

百田尚樹『モンスター』

を読んだ。

 

これはもの凄い酷い顔を持つ女が、度重なる整形手術の末に絶世の美女になる話。百田尚樹はこんな物語も書けるのかと驚いた。

面白いかどうかと言われれば、別にそんな面白くはない。たぶん女性の方が面白く読める小説なんだと思う。

でも内容には興味深いものもあった。例えば容姿についての男の意識や女の意識。美しい顔とはどんなものなのか。今の美人と昔の美人、など。

 

まぁ話も明るいものではないし、人にオススメするようなものではない。

 

モンスター Book モンスター

著者:百田 尚樹
販売元:幻冬舎
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うん、折り目もつけなかった。

 

 

ではまた。

 

 

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