« 池井戸潤『オレたち花のバブル組』 | トップページ | 久しぶりの記憶喪失 »

2011年2月11日 (金)

尊敬と尊重

大学生の時に書いたブログの記事を見ていて、尊敬について新しいことを思った。

あの頃から変わらず僕には尊敬する人がいない。

当時の友人から言わせれば僕はまだ未熟者というわけだ。まぁ否定はしない。大体、別に熟したいわけではない。ずっと青いまま実を付けていられるならそれがいい。

 

そんな未熟者がまた尊敬について考えてみた。

今度は尊重との対比で考えてみたいと思う。

尊敬と尊重って、こういう話をするとよく出てくる。尊敬はしないけど、尊重はするという意見を聞いたこともあるし、この前テレビで、欧米には尊敬という考え方はなくてあるのは尊重だけだというようなことを言っていた気もする。(嘘かもしれない)

そこで僕はふと思ったのは、

 

尊敬は人間に張り付くもので、尊重は人間それ自体ではなくその人が発する何かに対して張り付くものだ

 

ということ。あくまで傾向としては、ということではあるが。

尊敬する人は?という質問が世の中にあるのはこのためなんだと思う。

たまに、「その考え方尊敬するわ~」とか言ってる人もいるけど、それも意識としては「そういう考え方をしているその人」に向いているような気がする。ただ考え方がポンとそこにあっても、別に尊敬はしないだろ。

それに対して尊重は、その時々の人の発する言葉であったり行動であったりに対して向けられる考え方だ。「あなたの意見を尊重します」という時に、尊重しているのは本当にその考え方だけであって、次のその人が発する意見まで尊重するかどうかは全くの別問題。ある意味尊重ってのは判断なんだ。そういう意味では尊敬も判断の一種ではある気がするが、その時々に行うものとそうでないものという違いがあるんだと思う。尊敬ってのは、一度するとなかなか剥がれない。更新手続き不要の免許みたいなところがあるからな。余程幻滅するようなことがない限り、一度始まった尊敬はなくならない。給料制度でいうと、成果主義と年功序列主義みたいなもんだ。

 

別に尊敬と尊重のどちらがいいって話がしたいわけじゃない。ただ、そういう違いがあるってことを認識しておきたかっただけだ。

もちろん共存できる考え方だと思う。

尊敬する人の意見を尊重しない場合もあるだろうし、軽蔑している相手の意見を尊重する場合もある。欧米人に尊敬という考え方があるのかないのかは知らないが、賢い日本人はどちらの概念も持っているのだ!

 

 

さて、尊敬する人がいない奴は未熟者だという意見についてだが、やっぱり僕はそんなことはどうでもいいと思う。尊敬する人、いなくて結構!なぜなら僕は尊重はできる人間だからだ。人の意見は聞くし、最近はむやみやたらに人の考えを否定しなくなった。だったら別に尊敬なんてなくても、僕はいい。尊敬する人がいる人は、それはそれでいい。

尊敬する人がいればその人を目標なりお手本なりにして、その人の考えを基本的には尊重することで生きていけるし、逆に尊敬する人がいなければその分色々な人の考え方を尊重しながら生きていけばいい。それを未熟と表現した方がいいなら、すればいいよ。全然問題じゃない。大歓迎。未熟万歳。よく考えたら、「“まだ”熟していない」って、素敵じゃないか。

 

【尊敬<そんけい>】

他人の人格・行為などをとうとびうやまうこと。そんきょう。「私の―する人」

~広辞苑より~

 

【尊重<そんちょう>】

①とうといものとして重んずること。「他人の意見を―する」「人権―」

②とうとく荘重であること。

~広辞苑より~

 

やっぱり広辞苑じゃ違いがよく分からないな。

まぁこの場合大事なのは解釈であって辞書的な意味じゃないからいいけど。

誰かに共感してもらうことも、あまり重要じゃない。

僕がどう考えて、どう行動につなげていくか。そしてその行動をまた自分でどう解釈して、どう自己満足にしていくか。

それが大事。

 

 

ではまた。

 

 

|

« 池井戸潤『オレたち花のバブル組』 | トップページ | 久しぶりの記憶喪失 »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/146160/38824290

この記事へのトラックバック一覧です: 尊敬と尊重:

« 池井戸潤『オレたち花のバブル組』 | トップページ | 久しぶりの記憶喪失 »