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2011年3月

2011年3月31日 (木)

東京都知事選 選挙演説

会社の帰り、調布駅で小池あきらが選挙演説をしていた。

立ち止まって聞いたわけではないのだが、どうやら小池あきらはひたすらに今回の東日本大震災における東京電力の批判や、石原都知事の批判をしていた。

僕ははっきり言って、こいつはダメだ、と思った。

小池あきらのことは正直よく知らない。

でも共産党という少数の党の人だけに応援しようとは思っていた。

ところがどっこい。

この日本の転換期に、被災地と並んで最も大きく変わらなければならないだろう東京のトップに立とうという人間が、大勢の前で、批判に徹している。

変わらなければならない。それも、大きく。多くの人々がどうしていいか分からないこの状況で。そんなときに批判が何を生むのか。

いや、批判も必要だとは思う。それは、批判から生まれる反省もあると思うからだ。

しかしそれを演説でする必要があるのか。

もしこの日本の混乱という状況が、東京電力や石原都知事によってもたらされたものならそれもあるいはいいのかもしれない。

でも忘れてはならない。

いくら東京電力にまずい点があったとはいえ、これは震災による被害だ。天災だ。人間が抗うことができなかった、天災だ。どんなに人間が反省しても、抵抗しても、避けられない。そういうものだ。

それを機会に誰かを攻撃しようだなんて、僕は卑怯だと思うし、未来を見ていないと思う。

ここにきて過去ばかりを見る人に、僕は自分の住む東京を任せようとは全然思えない。

 

もう一度言うが、僕は小池あきらを知らないし、演説も通りすがりに聞いただけだ。

だから本当は何を考え、何をしようとしているのかは知らない。

でも、たとえ一瞬の出来事だったとしても、あの批判は忘れられない。

 

頼むから候補者たち。

未来を語ってくれ。

あなたは東京をどこへ向かわせようとしているのか。

人口は?企業は?電力の確保は?

立候補したときと状況が大きく変わっちゃったけど、辞退しないなら新しい方針を打ち出さなきゃダメだよ。と思う。

 

今こそ価値観を語るときだ。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年3月30日 (水)

いずれにせよーん

会社で、他の人にかかってきた内線電話をピックアップしました。

相手は僕の同期でした。

相手は僕に気づいているかどうかわかりません。

僕は名乗ろうかどうか迷いました。

が、名乗りませんでした。

ていうか実際は、名乗ろうかどうか迷いませんでした。

迷わず名乗らない、の圧勝でした。

でも相手が僕に気が付いている可能性もあるので、すっかり他人の振りをするわけにもいきませんでした。

なので口調は丁寧語にしつつも、ちょっとラフな感じにしてみました。

バレた時のための対策です。

結局相手はすぐに電話を切りましたが、結局僕に気づいたかどうか分からないままで、何だか気持ちが悪かったです。

でもあそこで名乗ったところで雑談になるわけでもなく、なったところで大変面倒くさいわけで。

人生にはたまに、どっちに転んでも気持ちが悪いという状況があるもんです。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年3月29日 (火)

映画『転々』

を観た。

 

いい映画だった。

主演はオダギリジョーと三浦友和。監督・脚本が三木聡で、オダギリジョーとは『時空警察』に続いてのコンビらしい。『時空警察』は見てないから知らないけど。

 

『転々』の話は、借金86万を抱えた大学生(オダギリジョー)のもとに、借金取り(三浦友和)が取り立てに来るところから始まる。

そこで大学生は借金取りから、「俺と一緒に東京を散歩しろ。そしたら100万円やる」という提案を受ける。こうして男二人の奇妙な東京散歩が始まる。なぜそんな散歩をするのかはここでは書かない。

その不幸な生い立ちゆえに家族の愛情を知らない大学生は、この散歩の最中に巻き込まれるさまざまな出来事を通じて、生まれて初めて“家族”に触れていく。正確にはそれは家族ではないんだけど、それは初めて出会った家族なのだった。

確実に幸せを感じる大学生だったが、別れは確実に近づいてきていた。そして・・・

という感じ。

 

ところどころに散りばめられたユーモア。上質なくすくす笑いを提供していた。オダギリジョーも三浦友和ももちろん良かった。泣ける映画では決してないけど、何だかとても温かい話だった。ハッピーエンドかどうかと言われれば何とも言えないのだけど、そんなのは全く関係なく、いい終わり方だった。

けっこうおススメ。

 

http://tokyosanpo.jp/indexp.html

 

ではまた。

 

 

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2011年3月27日 (日)

鳩の交尾

この前井之頭公園を散歩していてベンチに座ったとき、周りにいたたくさんの鳩の1匹がひょこっと座った。座ったというより、伏せたような感じだった。

そこに、もう1匹の鳩が覆いかぶさった。

交尾だ。

そして一瞬動いたと思ったら、すぐに2匹は飛び立った。

鳩の交尾は一瞬だった。

 

なるほど。どうやら自然界での交尾時間は、短ければ短いほどいいらしい。なるほど。人間の考え方とは逆だ。なるほど。人間が食物連鎖の頂点に立っていることがよくわかる。なるほど。もし人間を襲うような生物が現れれば、人間の交尾に対する考え方も変わるということか。いや、生物に限らず、今回の東日本大震災みたいな天災に対する恐怖、危機感の高まりも影響するかもしれないな。実際、最中に大地震が起こったらどうしようもない。

 

 

しかし、鳩の交尾を目の前で見るなんて面白いこともあるもんだ。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年3月23日 (水)

地震12日目

福島原発の放射能漏れがだんだん大きな騒ぎになってきた。

原発自体は東京電力や自衛隊、消防のおかげで何とか治まりつつあるようだが、徐々に漏れ続けていた放射能が飛散し、色々な影響を及ぼしている。

 

まずは近隣住民の退避。まだ救助活動が終わっていない地域でも退避指示が出て救助活動ができなくなった。それに、退避区域になっていないところでも、原発に近いということで配送業者などが敬遠してしまい、物流がストップしたりしているようだ。

 

次に隣接する県での農作物への付着。政府は原発近辺の県の農家に対して、出荷制限・摂取制限をかけて市場に出回らないようにした。農家が受ける打撃は甚大だろう。近所のスーパーでは、茨城産のほうれんそうが1袋30円で売られていたらしい。ちなみに洗って食えば問題ないらしい。いわゆる風評被害ってやつだ。

 

そして今日、とうとう水道水に関する報道が出た。どうやら政府が、東京の水道水の一部について、乳幼児は摂取を控えるように呼びかけたらしい。この報道のおかげでスーパーからはミネラルウォーターがなくなりつつあるようだ。そして東京都は、この水道水を使っている地域の、乳幼児がいる家庭に3本ずつペットボトルの水を配布すると発表した。これはすごい事態だ。この大げさな対応が、周りの危機意識を煽りすぎなければいいが・・・。

 

 

それだけじゃない。

僕は東京の節電に関する過剰反応がどうも気になる。

例えばプロ野球の開幕についての問題。セ・リーグがナイトゲームを自粛しないことへの非難が高まっているようだが、僕はこれはどうかと思う。使用電力が4000世帯分ということで、この節電の流れに反していることはわかる。でも別に全ての地域が計画停電に入っているわけではない以上、民間のビジネスであるプロ野球を非難するのはどうかと思う。

それに、僕は娯楽を含め、経済活動はなるべく規模を縮小させない方がいいんじゃないかと思う。それこそ日本全体を弱めることではないのか。日本全体が弱ったら、本当に弱った東北を誰が助けるのか。

不謹慎だとか節電だとか、色々理由はあるんだろうけど、僕はプロ野球は通常通りにやるべきだと思うし、Jリーグも直ちに再開するべきだと思う。アーティストはライヴをやるべきだし、遊園地だって開園するべきだと思う。

経済的なこともそう思う理由だけど、何ていうか日本全体が暗くなってしまうと思うんだ。それって僕は、大事なことだと思うんだ。楽しいことがなきゃさ、生きてる甲斐がないじゃないか。生きるために生きてるんじゃないんだよ。健康であるために生きてるんじゃないんだよ。

楽しいことは止めるなよ。

その分さ、みんなで節電をするんじゃないか。

 

あー。いやはや何とも、誰にも賛同されなそうな考え方だ。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年3月22日 (火)

こんな僕が結婚をしました

しかし地震凄いね。

余震ばっか。

太平洋沿いの地域は本当に不安な日々を過ごしてるんだろうな。

今日は特に余震が多かった気がする。

会社にいるときの地震は本当に嫌だ。酔う。地震酔い。ビル怖い。

今日の18時頃の地震のときは2Fにいたから、直接揺れに気づくことはなかったんだけど、僕は思いもよらない形で感じることになったんだ。

それはね、音だよ。建物が軋む音。

2Fで打ち合わせを終えて9Fに向かって階段を上っているとき、ギギギ・・・ギギギ・・・

、と一定の間隔で階段が軋む音が聞こえたんだ。最初は地震のせいだって知らなかったから、何だろうと思ったけど、とにかくやばそうな音だとは思った。階段落ちてくるんじゃないかと気が気じゃなかった。

もちろん階段は落ちてこなかったんだけど、僕が気になったのはビルの疲労。

疲労ってのは比喩になっちゃうのかな。でも金属疲労って言葉もあるし、そういう感覚でビルの疲労ってやつもあると思う。

まずは11日の大地震でかなりの疲れが溜まった。もちろんそれまでも建設以来の疲労があったろう。それに大地震以降に続く余震たち。僕たちは揺れが治まったら何もなかったかのように思ってしまうけど、実はビルには疲労が確実に蓄積されているんだと思った。

だから壁の塗装はひび割れるし、階段は軋む。

この余震は1年は続くと言われているとか。だとしたらそのうち、少なくとも壁が欠けて落ちてくるとか、何らかの建物の損傷が出てくる可能性もある気がする。

知らないけど。

 

さて嫁は2歳下の25歳。

大学2年のときにコンビニでバイトしていた彼女に声を掛けたのが出会いです。

何やかんやで昨年再会して凄い勢いで進展して結婚に至りました。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年3月19日 (土)

自転車レーンのすゝめ

自転車専用レーンが好きだ。

僕の住む三鷹では、おそらくこの自転車専用レーンを作ることを積極的にやっている。

車輛専用道路と歩道の間に設けられた自転車専用のレーン。

その中のレーンで左側通行。

安全に快適にすれ違う自転車。その横でゆっくり歩く歩行者。

幸せな地域の一つの光景だと思う。

どうやらまだこのレーンの良さを実感していない人は多く、自転車レーンを歩く歩行者や、歩道を走る自転車はいるが、でもこれから徐々に浸透していくと僕は思っている。

 

こんな、良さを実感する人が少ない取り組みかもしれないけど、確実に人を幸せにする取り組みだと思う。だってあれ走ると快適なんだ!

最近しばらく、車両専用道路の脇に人一人がやっと通れるような歩道がある狭い道を自転車で走っていたから、たまに自転車専用レーンを走ると本当に実感する。

僕はこの取組応援するよ。

そしてそこ頑張ってる三鷹を誇りに思うよ。

三鷹はやっぱり最高だ!

さあみんな、三鷹を見習って自転車専用レーンを作りたまえ。いつまでも車にデカい面させる社会じゃいかんよ!

 

 

ではまた。

 

 

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地震9日目

被災地の悲痛な声がしきりに耳に入るようになってきた。

 

ガソリンがない。

薬がない。

食べ物がない。

 

東京やその他の都市に溢れているものを、この狭い日本国内に届けることができない現状。

どこかおかしいんじゃないかと思う。

物資は集まっているらしい。でも届かない。

理由は、燃料がない。道がない。避難所を把握できていない。

もうさ、何をスマートにやろうとしてるのかね。これは本当に非常事態なんだよ。手遅れになる前に、どうにかしないといけないだろ。

物資を届けるという考え方はあるいは、捨てた方がいいんじゃないか。大事なのは結果。届けるという行為ではなく、物資を被災者が受け取るという結果。別にこっちから避難所まで届けなくてもいいじゃないか。もし道路が幹線道路しか修復していないなら、そのあたりに物資を集めろよ。そこに取りに来てもらえよ。

あるいは、もうヘリから落としちゃえよ。空からの物資の投下は法律に反する?法律にマグニチュード9.0の地震が起こったときの対処法が書いてあるのかよ。非常事態なんだよ。大丈夫だよ、訓練された自衛隊なら。ちゃんと安全に、避難所がありそうなところ付近に落とせるよ。ヘリならさ、こっちが避難所を特定できなくても、被災者の人たちがヘリの存在に気づいて、投下地点まで物資を取りに来てくれるよ。もちろん理想は避難所まで届けてあげることだよ。でもそんなこと言ってられないでしょ。違う手段考えなきゃ。

 

もうさ、物資は均等に配らなきゃとか、困ってる人たちにこれ以上の苦労をさせちゃダメだとか、かっこつけてんじゃねーっつーの。なりふり構わず行けよ。

そして被災者を信じろよ。生きるのはあの人たちだ。別に突き放すとかそういう意味じゃなく、生きるのは現地の人たち。僕たちにできるのはあくまで支援だ。生きる人の力を、最後には信じるしかないんじゃないか。もちろんこちらからできることはやりたいが、限界があるなら、あとは現地の人を信じるしかない。

だからできる限るの範囲で精いっぱい、物資を届けてくれよ!

この言葉は一体、誰に言えばいいんだ!

着々と倉庫に物資が貯まっているという現地の役所か?

ボランティア団体か?

日本政府か?

一体さ、被災地の支援を仕切ってるのは誰なんだよ!

 

指揮系統は一本化されるべきだし、中間管理職的なポジションは少なければ少ないほどいいんだ。

まぁそれは次回に活かせばいいとして、今はとにかくやれるだけの範囲でとにかく物資を届けることを最優先してほしい。物資や募金を集めてる人たち。

僕は気持ちばかりの募金を、できるだけ実際的な支援を行っている団体に対してすることくらいしかできない。いや、できないって言うのはズルいな。それしかしないんだ、僕は。

 

とにかく、この地震で苦しむ人たちすべてが早くその苦しみから逃れ、笑えるようになる日が来ることを願う。

もし食料が十分にある避難所があるなら、そこでスポーツを始めてみてはどうだろうかと思う。戦場の子供たちがボールを笑顔で追いかけるあの映像や写真が忘れられない。スポーツはこんなときにも、きっと人の力になってくれるはずだと、僕は信じている。厚かましい提案だとは思うけど。でも、こんな安全地帯から言うのもすごく不謹慎かもしれないけど、こんな状況だからこそ、スポーツクラブに限らず、コミュニティが必要だと思うし、作りやすい状況なんだと思う。すんません。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年3月17日 (木)

地震7日目

おい!米が切れた!
スーパーにもコンビニにもないぞ!
どこのどいつだ!米を買い占めたのは!

おい!救急車が渋滞に巻き込まれてるぞ!
一体この渋滞はどこまで続いてるんだい!?何!?ガソリンスタンドに並ぶ列だって!?一体いつからガソリンブームが来たんだい!?i-phone、斎藤佑樹、ガソリンスタンドかい!


ではまた。

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2011年3月16日 (水)

地震6日目

相変わらず原発が毎日毎日状況を悪化させていっている。

放射性物質が周囲に飛散し、まだ救助活動をしなければならないエリアも避難地域になってしまい、被災者の方々は本当に歯がゆい思いをしていることと思う。

また、原発に残って作業をしてくれている人たちは本当に命をかけてくれている。

何とかこれ以上事態が悪化しないことを祈るばかりだ。

僕は今日、計画停電を経験した。
会社のあるエリアは中止になったが、調布では実行された。電鉄に電気を供給することになったからやはり電気が足りなくなったんだろう。いよいよ人口の多い地域でも停電が実行されている。

昨日の僕の発言は少し間違っていたようだ。東京電力は、人口の少ない地域から計画停電を始めてみて、その影響と効果を見極めたんだろう。
僕は14時に先輩と会社を出て調布で遅い昼食をとった。そして15時半ころ、急に電気が消えた。店内は真っ暗になったが、昼間だけに不快感はなく、むしろ少ないお客さんと二人の店員さんと、むしろ停電を楽しめた感すらある。
結局16時過ぎに店を出た。

交差点では警察官が手信号で交通整理をしていた。とても分かりやすく、堂々とした手信号だった。
へーと思ったのは、全ての信号が消えるわけではないということ。僕は一つしか気が付かなかったけど、信号機の中にはたぶん発電機を併設しているものがあって、それは停電時にも消えない。そばに茶色い箱などがある信号機がそれだ。警察官が多いからとイヤホンをしないでいたから気が付いた。その箱の中からモーター音がしており、その傍の信号機は生きていたから間違いないと思う。

被災地はますます大変な状況になっているようだ。
まず寒さ。真冬並みの寒さに逆戻りし、被災者を苦しめている。
各地から集められた物資は避難所までなかなか届かない。道路はやっと整備されつつあるようだが、車輌や燃料がない。


でも企業や個人からたくさんの寄付金や物資の援助が申し入れられているのは実に心強いことだろうなぁ。
だからこそそれが、ただのアピールやポーズにならないようにして欲しい。物をどう届けるのか。届かないと意味がないというところまで考えて援助しないといけないんだと思う。物を誰かに託すんじゃなく、車輌で自ら運ぶとかいうのが理想なのかもしれない。そこまでを含めて申し入れる人が増えたら素敵だな。金出して、はい支援しました、じゃなくてさ。


ではまた。

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2011年3月15日 (火)

地震5日目

首都圏を騒がせている計画停電は、結局東京では未だに行われず、千葉や静岡、茨城などで実施されている。
震災地でも実施されたことには驚きと怒りと申し訳なさを覚えた。東京のためにすみませんと。
本当は東京で実施するべきだと思う。なのに東京電力は、明らかに東京を避けている。理解はできる。これだけ人口と企業が密集しているゴミ箱みたいな都市だ。停電になれば他の都市よりも影響が大きいのは明らかだから、極力東京を停電させるのは避けたいんだろう。
でも本当に申し訳ない。東京の電力確保のために他の県に住む人が迷惑をしている。


僕は今日は会社に行った。朝はわりと普通に電車は運行しており、特別会社までの道のりが長いということはなかった。
ただ会社のある多摩センター駅には、改札に入るための長蛇の列が出来ていた。上り電車と下り電車の違いだ。いかに全てが都心に集中しているかが分かる。


ガソリンと食料品などが東京でも不足している。被災地でも足りないのに、東京の人間は我先にとコンビニやスーパーに駆け込み、買い貯めた。

公共交通機関が不安だからと、普段乗りもしない車に慌ててガソリンを入れ、ガソリンも不足している。

被災地では救急車両の燃料も不足してきたようだ。そんなことはお構い無しに、東京人は使うかどうかも分からないガソリンを買い貯めているんだ。

東京のための計画停電を「被災地のため」と誇り高く叫ぶ東京人が、ただの予期不安のために物資を東京に吸い寄せている。


日本人は素晴らしいと思うし、日本人であることを誇りに思う。外国メディアが伝えるように、この災害の中で被災者は極めて冷静に行動し、助け合っている。


しかし僕は東京の人間であることが少し情けなくなってきた。本当に品がないし想像力がない。利己的で物事の解釈があまりにも東京寄りだ。それに悪気すら持ててない。
被災地を助けるどころか、巡り巡って苦しめてさえいるのではないか。なのに助けている気でいる。


節電や計画停電は自分たちのためだ。被災地のためじゃない。電車が動かないことは、東京で使う電気を被災地である福島で作っていたからだ。被災地の苦しみと電車が動かない不便を、ただ程度が違うだけの同じ種類の苦しみだなんて思っちゃダメだと思う。

もちろん東京だって多くの人的、金銭的、物質的支援をしているだろうし、個人的な取り組みだってたくさんあると思う。だから僕の発言はあくまで僕が見る限りの傾向として捉えてほしい。

別にみんなで被災地を応援しようだなんて言うつもりはないし、僕自身も被災地へ行く予定はない。
ただ、品のない行動や発言はやめませんかということが言いたいだけだ。

さて、我が三鷹で予定されていた計画停電は今日も中止になった。その代わりに、どこかの地方都市でまた電気が止まった。


自分のために誰かが苦しむってのは、何と嫌なことだろう。


なんか批判ばかりになってしまった。

連日テレビを見ていると、枝野官房長官や気象庁担当者、東京電力担当者など、多くの人がおそらく寝る間もなく尽力してくれている。情報を伝えてくれるマスコミにも感謝だ。


日本は数年後、またもや世界を驚愕させる復興を遂げるだろう。

日本はすげー。
負けるな東京。ちゃんとついてけ東京人。


ではまた。

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2011年3月14日 (月)

地震4日目

何だか大変なことになってきた。
東日本の2箇所を震源地とした大地震は、マグニチュードは当初の8. 8から9. 0に修正され、被害はますます拡大している。最終的な死亡者は一万人を越えると予想され、福島の原子力発電所の相次ぐストップにより東日本全体が電力不足に陥った。
まだ東京では停電は起きていないが出力を減らすためにエリアを区切って順番に電気の供給をストップさせる計画停電を行うことが発表されている。
その影響で東京でも交通機関が大きく乱れ、外出を避けるようマスコミなどを通じて通達されている。僕は出社禁止を申し渡され、自宅でひらすらにテレビを観ている。
スーパーやコンビニでは保存のきく食料などが品切を起こし、被災地以外にもかなりの影響が出ている。
さらに今後、震度6以上の地震が3日以内に起きる確率が70%あるとされ、東京も油断ができない。


まさかこんな事態になるとは思わなかった。まだどこか、他人事のように思っていた。
テレビの街頭インタビューで計画停電についてある男性が、被災地のために協力する、と言っていたが、計画停電はむしろ東京のためだと認識しなければならないと思う。アホみたいに機能を集中させている東京を守るために、周りが犠牲になるんだ。なのに東京の人が被災地のためだなんて、言うべきじゃない。


まぁいいや。まだあらゆるものが批判されるべきでないタイミングだ。


とにかく僕においては、必要以上に被災者に同調することなく、なるべくいつも通りに生活をしようと思う。大事なのは精神の安定だと思うんだ。

健全な精神は健全な肉体に宿る、みたいなことがよく言われるけど、それは本当にそうだと思うので、被災者をはじめ、この災害の対応に頑張ってくれている全ての人が、十分な睡眠と休息、栄養、人との会話をとれていることを願うばかりだ。


この体験は地震大国日本で暮らしていく以上、極めて貴重なものになるだろう。
不謹慎な発言もあるかもしれないが、僕はこのブログに事実や思ったことを記録として残していこうと思う。

ではまた。

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2011年3月11日 (金)

偶然の命

大地震が起きた。
津波も起きて、大勢の人が死んだ。
僕は東京の多摩のビル9階にいた。
初めはよくある程度の地震だと思って、ヘラヘラしていた。
ところが揺れはおさまるどころか、どんどん大きくなった。
どこかで何かが落ちる音が聞こえた。
悲鳴が聞こえた。
窓のブラインドが騒いだ。
揺れはますます大きくなった。
机の下に潜った。
なおも揺れはおさまらない。弱くもならない。
マジかよ、と思った。
これ本当にヤバいやつだ、と思った。
さらに大きくなれば、俺はここで死ぬ可能性もあるんだと思った。
マジかよ、ここかよ、俺が死ぬの、このタイミングで、ここかよ、と思った。

何もできなかった。

でも幸い、それ以上に揺れは大きくはならなかった。

僕はこの命は偶然だと思った。
偶然生まれただけでなく、偶然失われなかっただけの命だ。偶然失われなかった命は、偶然失われる時もあるんだろう。

その偶然がいつ来るか分からない。

だから僕の命は偶然に続いているだけの命なんだ。


無力だ。

しかし無力を嘆いても仕方がない。


地震に怯えながら生きてもつまらない。


偶然を受け入れ、必然を作り出して、情けなくも力強く生きていこうじゃないか。


テレビの映像で観た東北地方の港町は、まさに崩壊していた。
受け入れなきゃいけないこととはいえ、悲惨だ。


亡くなられた方のご冥福をお祈りします。

ではまた。

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2011年3月 6日 (日)

ホントノ出会い

町を歩けば色々な本屋に出会う。


大型店舗もあれば小規模の個人経営の店もあるし、中古の本だけを扱う店もある。


僕はあまり古本では買わないようにしている。
それは、人が一度読んだものや汚くなった本が嫌だというわけではなく(ウンコとか付いてたら嫌だけど)、単純に出版業界のためだ。本をなくしたくないし、好きな作家にはお金を払いたいからだ。


でもたまには古本屋で買う場合もある。
出会ってしまったときだ。


あ、この本読んでみたい。


そう思う瞬間は、場所を選ばずにやって来てしまうんだ。

同じ本は他の本屋にもあるだろうけど、出会ってしまったからにはその瞬間にそこで買うしかないんだ。
もしそこで買わなくても、また違う本屋でまったく同じ本を見かけることはあるだろう。でもその時にはそれはもう「出会い」にはならないかもしれない。


そんな本は初めから出会うべき本じゃなかったんだという批判はあるだろうが、そんなことを言い出したらこの世のすべての出会いに確信なんて持てなくなってしまう。それじゃあ生きてる甲斐がない。

大型店舗で品揃えを豊富にすれば、出会いの確率は上がるかもしれないが、出会いの機会が多いからといって結ばれるカップルが増えるわけではないことは、すでに婚活とかいう意味不明な日本人の血迷い行為によって証明済みだ。

大事なのは出会う前の心理状態であり、それを自分が理解していることであり、それに応えるモノが本屋にあることなんだと思う。

それは品揃えの豊富さでも店の雰囲気作りでも店員の愛想の良さでも何でもいいんだと思うが、何が誰の思いに応えられるかなんて、ちっとも分からない。
正直気分にもよるし。


だから本との出会いはおもしれーなーと思う。

僕はいかなる本屋の形も否定しない。


ではまた。

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2011年3月 4日 (金)

駆け込み体当たり

あの世にもいるかもしれないが、この世には実におかしな人がいるもんで。


昨日の帰りの電車。いつも通りドア脇に立っていると、一人の男がホームからこちらに突進してきた。


駆け込み乗車だ。車掌さんが人生をかけて阻止しようとし続けている、駆け込み乗車だ。駆け込み乗車はおやめください!だ。


もし男だけを見ていたら、ドアはまだ閉まりきっておらずもう少しで乗れそうだったと思っただろう。


しかし実際には、ドアは1秒も過去に閉まっていた。閉まりきっていた。


だから男は、閉まって1秒経ち、ほっと一息お茶でも飲もうかしらねと思っているドアに体当たりをかましたということなのだ!

なんておかしな男なのでしょう。

想像するに、バンと当たればドアを開けてくれると思ったんだろう。


ただし、そこは伊達に人生かけてないぜ車掌さん。

断固としてドアを開けなかった。
偉いぜ車掌さん。やったもん勝ちの世界にしてたまるかってのな。


男が、ドアに暫くへばりついたままだった男が、あきらめて電車から離れるまで停車し、やがて何事もなかったかのように電車は走り出した。


何事もなかったかのように、というのは惨めにもホームに取り残された男も含めての話だ。男は何事もなかったかのようにホームに立ち、次の電車を待つ男になっていた。


たぶん男はまた次に電車に間に合わなかったときには、性懲りもなくドアに体当たりを食らわすことだろう。
あれだけあからさまに体当たりができるってことは、過去に成功体験を持っていると思うからだ。


頑張れラブーン。
レッドラインをぶち破れ。


ではまた。

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