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2011年4月

2011年4月25日 (月)

司馬遼太郎「坂の上の雲」読破

司馬遼太郎「坂の上の雲」読破
やった。
やっと読んだ。
何だかんだで面白かった。
国ってやつは調子乗ったり、反省したりするもんなんだなと思った。運がいい時があったり、運が悪い時があったりするもんなんだなと思った。


さて次は何を読もうかな。何を読んでも新鮮な気持ちで読めそうだ!


ではまた。

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2011年4月23日 (土)

語りは自由なんだな

昨日は会社の人たちとの飲み会だった。

珍しく二次会まであって、とても楽しかった。

特に二次会の終盤はずっと上司と語っていた。

原発をどうするかとか、これから日本が向かう方向性とかそういうことを話していた気がするのだが、いつもの如くイマイチちゃんと思い出せない・・・。

これがお酒のもったいないところだ。

気分が乗って気持ちよく会話ができるのだが、それを覚えていない。

かといって酒がなければそんな話になることもない。

本当は適度な量を飲んで、適度な量ってのは、テンションが通常よりは上がるけれども記憶を失くすほどではないってことだけど、それくらいにしておいて語るのが一番いいんだとは思う。

思うが、飲みだすと飲まずにはいられなくなる。

もうこれは仕方ないな。うん。仕方ない。

 

しかしやっぱ語るのって楽しいな。

スポーツに次ぐストレス解消になる気がする。

たまに世の中の文句を言い過ぎて、言ってることでさらに頭に来ることもあるけど。

 

いずれにせよ、こうやって国民が語ることができる国に生まれて幸せだ。

ブログでもツイッターでも、みんなどんどん勝手に語ればいいよ。

そんなのをちょっとでも規制しようとする動きは、やめてくれ。日本政府。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年4月20日 (水)

平日休み

今週の日曜日が出勤になってしまったため、今日はその振替休日だった。

だから会社には行っていない。

 

午前中は銀行に行った。

家を出て15分ほど歩き、駅前の銀行へ行く。空は快晴だったが、気温はやや低い。春というよりは温かい冬という感じだった。銀行の窓口へ行くのは恐ろしく久しぶりだった。おそらく一番最初に口座を開いたとき以来。となるとたぶん10年前とか。

10年前。逆の10年後を想像すると37歳か。

なんだ。まだ大した歳じゃないな。きっとまだ走れる。

 

銀行はそれほど混んでいなかった。行内に入ると案内係の行員さんが僕に用件を聞いてきた。僕が用件を告げると、何枚かの申込用紙を書くように言われ、申込用紙を書く机に案内された。一通りの説明を聞き、「そんな面倒なことしなきゃできないことなのか?」と思いながらも、とりあえずしくみとしてそうなら仕方ないと思い、案内通りに用紙を書いた。

書いていると、窓口が空いたらしく、案内の行員さんとはお別れして窓口の行員さんと「こんにちは」した。結果から言うと、それまで僕が書いた3枚の申込用紙はほとんど意味をなさなかった。案内をしてくれた行員さんが完全に勘違いをしていたらしく、僕はまたイチから僕がやりたいことを説明した。

行員さんはスムーズに理解してくれ、スムーズに案内をして、スムーズに僕の動作を指示し、スムーズに手続きをしてくれた。最初に案内してくれた行員さんが言ってたのとは全く違い、僕が想像していた通りのシンプルな話で済んだ。

ただやはり時間がかかるようで、僕は手続きの間しばらく席で待たされることになった。

もちろん僕は文庫本を開き、読んだ。

どれくらい待っただろう。10分かそこらか。待ったあたりで、左前に座っていたおじいさんが案内係の行員さんに話しかけた。

「ねぇ。ずいぶん待ってるんだけど、まだ?」

「申し訳ありません。今時間のかかる手続きが続いているもので・・・」

「そうなの。窓口が4つしかないってのもどうなんだろうねぇ。全然進まないものね」

「申し訳ありません。2階にも窓口はあるんですけど・・・」

「でもあれでしょ?2階は振り込みとかでしょ」

「そうですね~。わりとそういう簡単なものの手続きですね」

「ふーん・・・。そういえばこの近所の●●銀行の窓口はさ、10個くらいバーっとあって、みんな若くてきれいだったよ!」

「そうですかぁ・・・」

こんな会話が僕の前で繰り広げられた。おじいさんは、今日は公休だ、と言っていた。僕は、「公休って何だろう」と思った。嫁もたまに使っていたが、一体、公休とはどういうものなんだろうか。僕が働いている会社では聞いたことがない。

 

【公休<こうきゅう>】

①日曜・祝日以外の、おおやけの休み。「―をとる」

②公休日の略。

~広辞苑より~

 

とのことだ。全然わからない。おおやけの休みって何だ。おおやけ・・・。

 

【公<おおやけ>】

(「大宅」「大家」の意)

①天皇。皇后。中宮。

②朝廷。政府。官庁。官事。

③国家・社会または世間。

④表だったこと。公然。「事が―になる」「―にする」

⑤私有でないこと。公共。公有。「―の施設」

⑥私心のないこと。公明。公正。

⑦金持。財産家。

~広辞苑より~

 

だそうだ。もうパニック。全然わからない。私有でない休み?私心のない休み?社会の休み?もう全然わからない。

とにかくおじいさんは貴重な公休を使ってきてるんだから早くしろこのブサイク行員め、ということが言いたかったようだ。聞いていてとても不快な会話だった。対応している行員さんが気の毒だった。

やがて僕の名前が呼ばれた。無事手続きが終わり、日用品をもらって銀行を出た。1時間近くかかった。

 

腹が減ったので定食屋に行った。行く途中歩いていると、目の前におじさんが歩いていた。近くの工事現場の作業員なのか、汚れたカーキ色のパンツに、同じく汚れた白いシャツを着ていた。そのちょっと向こうからおばさんが歩いてきた。スーパーの袋を抱えていた。二人がすれ違うとき、おじさんがツバを吐いた。しかもおばさんの方に吐いた。おばさんは飛び退いた。思えば僕は、現実世界で飛び退くというものを初めて見たかもしれない。マンガやアニメで「飛び退く」を見ることはあっても、現実にはなかなかお目にかかれるものではない。しかしあのおばさんのツバを避ける所作はまさに、飛び退く、だった。

定食屋でハンバーグカレーのサラダセットを頼み、料理が来るまでの間また文庫本を読んだ。周りはサラリーマンで埋まっている。そうだ。今日は平日。平日の午後1時。ちょっと遅い昼食をとるサラリーマンたちだ。ご苦労様だ。

食べ終わって支払いをし、店を出た。次は靴を買いに行く予定だった。もう1年くらい前から靴が欲しかったのだが、どうも店を回っても欲しいものが見つからない日々が続き、今日に至っていた。今日こそは買おうと思って、新宿へ向かった。

 

駅について中央線・東京行の電車に乗り込んだ。運よく特別快速に乗れた。

僕が乗り込むと、それまで電気が点いていなかった社内が明るくなった。「これまで節電のため消灯させていただいておりましたが、これより先、電気を点けさせていただきます」というアナウンスの後だった。僕は、いちいちそんなこと言わなくていいんじゃないか、と思った。節電は夏に向けて東京人全員の問題だ。誰かが誰かの節電の犠牲になっているとか、協力してやってるとか、そういうんじゃない。だから節電に関して、東京の人が東京の人に、ありがとうとかごめんなさいとか言わなくていい。と思う。

 

新宿に着き、靴屋に行った。

これなら買ってもいいかなという靴が2つあった。

まず1つを履かせてもらった。なくはなかったが、それほどピンとくる感じでもなかった。何よりもサイズが大きかった。ちょっと作りが大きい靴だったため、いつものサイズでは全然合わないのだ。置いてあるもので一番小さいものでも、ちょっと大きかった。僕はその時点でもう1つの候補の方にしようかなと思っていたのだが、店員さんが「クッション性の強いインソール入れてみましょうか」というので、入れてもらった。わざわざ商品のものを開封し、入れてくれた。インソールが入った状態で履き、「お、良くなりました」と僕は言い、「あの、もう1つ履きたいのあるんですけど」と言って店員さんを苦笑いさせ、結局2つ目の方を買った。

 

用事が終わったらこんな街にいる理由はない。僕はすかさず中央線下り電車に乗り込み、帰った。自宅に向かって歩いているとき、ビルの裏口でタバコを吸っている人がいた。そこに、メガネをかけて太った男性が自転車で通りかかった。彼はあからさまに顔の前を手で扇ぎ、タバコの煙を避ける仕草をした。そして、すれ違う瞬間に喫煙中の男性を睨んだ。笑ってしまった。喫煙者も大変だ。銀行員も大変だし靴屋さんも大変だし、喫煙者も大変だ。

 

 

しかしいい休日だった。別に何をしたわけではないけど、こういうほわっとした過ごし方も悪くない。

明日は仕事だ。明後日も仕事だ。しかし明々後日は休みだ!!

よし頑張ろう。

うん。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年4月19日 (火)

一長一短ってやつ

今日は朝雨が降っていたからバスで駅まで行った。

最近はあまり雨が降っていなかったから、バスは久しぶりだった。

片道約30分。

往復で約1時間。

読書をするには十分な時間だ。

おかげで今日は『坂の上の雲(七)』が結構進んだ。

 

しかし自転車で行く場合にもその良さがある。

運動ができることだ。

約30分の自転車運動。

往復で約1時間。

これはなかなかの運動だ。

ただもちろん、読書はできない。

 

これがいわゆる、あれだ。

 

【一長一短<いっちょういったん>】

長所もあるが短所もあること。「どっちにも―がある」

~広辞苑より~

 

どっちがいいとか、どっちが悪いとか、なかなか言い切れるものはこの世には少ないんだと思う。それこそ今大問題を引き起こしている原子力発電だっていってしまえば一長一短があるんだ。

僕にしたってそうだ。

僕はチビに生まれ育ってきたけど、そこにはまさに「短」という部分がけっこうあって、剣道時代には相手の面に打ち込みにくかったし、野球時代にはパワー不足は否めなかったし、テニス部時代には高いボールは取れなかった。サッカーではショルダーチャージで吹っ飛ばされる。

しかしチビだったからこそ、剣道時代には胴に打ち込みやすかったし、野球時代にはフォアボールをもらいやすかったし、テニス部時代には俊敏にあらゆるボールを拾うことができた。サッカーでは1,2歩の瞬発力でマークを外すことができる。

 

「長」があるからこその「短」だし、「短」があるからこその「長」。

たまに「短」を「短」として認めることを嫌がる人がいる。(ひどい人は短所を「特徴」とか言っちゃったりする)

でもそんなのはくだらなくて、どうせ何でも一長一短なんだから、「短」は「短」で認めて、「長」は「長」でまた認めるのがいいと思う。

 

まー別にどうでもいいけど。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年4月18日 (月)

言葉はコミュニティに根付くなり

最近の若者は言葉づかいがなってない。

 

などとよく言われる。

最近はさらに、

 

いつの時代も年寄りは若者の文句を言う。

 

までが常套文句となっている。

でもそんなことを言ってもつまらない。

いつの時代も年寄りは若者の文句を言うものだから仕方がない?

まぁそれはそれでそういうものなんだろうが、もっと違う考え方をしてみたい。

 

そもそもなぜ言葉づかいに乖離が生まれる?

例えば英語と日本語、なぜ違う?

ルーツが違うとかいろいろあるだろうが、要するに距離だ。

時間的、地理的、距離。

日本とイギリスの距離が、僕らに日本語と英語という違う言語を使わせるようになった。

じゃあ年寄りと若者は?

これも要するに距離だ。ただでさえ生まれた時間にそれなりの距離がある中で、さらに違う空間でそれぞれのコミュニティを形成しているという地理的、あるいは関係性的距離感ができているんだろう。

だから言語に多少なりとも乖離が生まれている。

だからお互いがお互いの言語に文句を付け合う。

 

だったらそれを仕方ないというよりは、この距離感を縮める方向で考えたら面白い。

核家族化を止め、2世帯、3世帯が住める一戸建てを増やし(もちろん同時に人口の分散を進める)、地域と学校の一体化を進め、総合型地域スポーツクラブを推進する。子供が年寄りを義務的に介護する仕組みをつくり、子育てを年寄りが補助する仕組みをつくる。

そうして若者と年寄りが会話をするシーンを増やす。そうしたら乖離は生まれない。コミュニケーションを常に取り続ける者同士の間では、基本的にそんなことは起きないはずだ。

 

だから若者に文句をいう年寄りがいたら、そんなしょーもないこと言ってないで、事態を改善したいなら若者と話せと言いたい。もし話さないなら、文句を言うな。お互い様なんだ。

 

 

とは言ってみたが、別に僕は世代間の言葉づかいの違いなんかちっとも気にならないからいい。通じない言葉は、理解する必要がないからやがて通じない言葉になるんだ。

別に僕は、地球の裏側のブラジル人がポルトガル語を話すことに文句を言う気はさらさらない。

「ブラジル人と同じ日本人を一緒にするな!」

まぁそうだ。そりゃそうだ。

ただ極論すればそうだということだ。

ブラジル人と日本人の間にある言語の乖離を100万倍くらい薄めれば、同じ日本人の年寄りと若者の間にある言語の乖離くらいにはなるだろう。

そういうことだ。

そんな、ちっぽけでくだらないことなんだ。

 

 

ちなみに、女子高生の言葉をいちいち批判するのはやめた方がいいと思う。

もうあれは部活だ。

野球部、サッカー部、ギャル語部。

部活を否定するなんて、いい大人のすることじゃない。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年4月16日 (土)

警察について

今までも何回かお巡りさんに絡まれた話を書いたことがあるが、もう僕はあいつらに腹が立って仕方がない。昨日も絡まれたのだ。

昨日は大学時代のゼミの先生と嫁と三鷹駅付近の居酒屋で飲んだ。

0時頃、三鷹駅で先生を見送り、近くに路上駐車していた自転車を押して歩いていた。そこで絡まれた。

「ちょっとちょっと、そお自転車どっから持ってきたの」

と50歳くらいにも見える警察官が言った。

「家からですよ」と僕は言った。

「それ駅前に止めてたやつじゃないの?鍵付けっぱなしで」

ばれていた。その通りだった。しかし僕は何か認めるのが嫌で、否定した。僕はそもそも警察が嫌いなのだ。それに、「どっから持ってきたの?」という表現に僕はすでにカチンときていた。僕が自転車を盗んだ前提の質問だ。持ってきた。あるいは奴は、「盗ってきた」と言ったのかもしれない。

僕は「違いますよ」と言った。

しかし奴はまた同じことを言ってきた。「駅前に止めてたやつでしょ?」

僕もまた同じように否定し続けた。ここからだ。ここからどういう展開をしてくるのか。この自転車は僕のものだから、最終的には僕が勝つ勝負だ。僕は徹底的に議論をしてやろうと思った。警察の仕事とは一体何なのか。一体何を思って僕に疑いの目を向け、あのような表現で話しかけたのか。日頃警察に思っている不満をぶちまけてやろうと思っていた。

しかし議論は起こらなかった。嫁がいたからだ。嫁が「さっさと防犯登録調べてください。上杉です」と言ってしまったのだ。

隣にいた若い警察官が無線で何やらやり取りをして、僕の自転車だということを確認したらしい。それをしった50歳警察官は、「しかし盗られなくて良かったな~」と言ったから僕は、「これが盗った自転車じゃなくて残念でしたね」と言った。

 

話はこれで終わらない。ここからが僕を本当に驚かせた警察のくそったれ根性の見せ所だったのだ。

実は防犯登録を調べられている間、嫁は少し離れたところに止めた自転車を取りに行っていた。ちょうど警察が僕の自転車の防犯登録を確認し終わったときに、嫁が戻ってきた。そして「自転車なくなった!」と言った。すると警察官は「撤去されたんじゃないの?」と言った。そんなはずはない。嫁が三鷹に自転車を止めたのは21時過ぎ。そんな時間に自転車を撤去するはずがない。結果を先に言ってしまえば、ただ移動させられていただけだったのだが、本当ならここで警察官が気にしなければならないのは、「盗難にあった」ということに違いなかった。なのに警察官は僕たちが21時頃に止めたから撤去されているわけがない、というのを聞くと、「そうか~」みたいなことを言って去って行った。

 

盗難した可能性のある善良な市民に疑いの目を向けることはできても、盗難にあった可能性のある善良な市民には助けの手を差し伸べない。

 

 

今日もそうだ。

このぽかぽか陽気の気持ちのいい春日和に、白バイが道路に睨みをきかせ、気持ちよく走る原チャリのおじさんを止めていた。ヘルメットもかぶっていたし、なぜ止められたのか僕にはよく分からなかった。気分は台無しだ。

 

もう一つある。

とある交差点で警察官が張っていたのだ。目的はただ一つ。右折禁止のこの交差点を右折してくる車を捕まえるためだ。

意地が悪いのが、右折で曲がった先で待ち構えていることだ。違反の防止目的なら交差点の前で呼びかければいいじゃないか。なのにわざわざ違反をさせてから捕まえる。きっと心の中では「右折しろ右折しろ。俺に点数をよこせ」と思っているに違いない。違いないのだ!!

 

警察、暇なら人減らせ。

 

 

ではまた。

 

 

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英国王の子守歌

今日は朝から髪を切りに行った。もう長いこと行ってる美容院。最近は担当している美容師さんと結婚生活のこととか話すことが多くなってる。今日もそんな感じだった。

その後は映画を観に出かけた。久しぶりの映画だ。前に観たのは何だったろう・・・。

そうだ。「ソーシャルネットワーク」だ。facebookのやつ。

TOHOで使えるチケットが残り3枚あったから、府中のTOHOへ行こうと思った。

外は風が強かったが、春っぽい陽気な気候だった。自転車を漕いでるうちに暑くなり、Tシャツ1枚でOKなほど暖かかった。

電柱に止まったカラスは木の枝を咥えて巣作りに励み、その周りをツバメが舞う。桜は散って葉をつけて、ピンクと緑が入り混じって気持ちが悪い。警察がそこら中で一生懸命善良な市民たちから犯罪のかけらを見つけ出し、罰金という名目で金銭を搾取していた。

どっからどう見ても春だった。

 

映画の前に昼食を食べた。調布駅近辺にある定食屋。

ここに行くのも久しぶりだった。生姜焼き定食を頼んだ。

料理を待つ間、司馬遼太郎の『坂の上の雲(七)』を読む。あと2冊だ。もう少しだ。ちょっとでも隙間時間をみつけて、とにかく読む。

やがて生姜焼き定食が運ばれてきて、食べた。食べていると、最初にもらったお冷が空になった。僕はとても暑かったからおかわりのお冷が欲しかった。店内にはフロア担当と思われる中年男性の店員がいた。彼はとても暇そうだった。なのに彼は僕の空のお冷には気が付かなかった。僕はいつになったら気づくか試したくなり、自分から言うのをやめることにした。

すると食べ終わった。お冷が注がれることなく、食べ終わった。しかしちょうど食べ終わった頃、他の若い女性店員が僕の空のお冷グラスに気づき、注いでくれた。おじさんはダメだった。

まだ電車の時間に余裕があったから、僕は本の続きを少し読んでいくことにした。僕が本を広げると、暇を持て余したおじさん店員が、「こちらお下げしてよろしいでしょうか?」と言ってきた。僕は、「はい」と言った。するとおじさんはおぼんを片手で持ち上げ、持ち上げたさいにお冷グラスにおぼんをぶつけて、お冷を少しこぼし、こぼしたことに気づかずに去って行った。

僕は濡れたテーブルで5分ほど本を読み、店を出た。おじさんは元気よく、「ありがとうございました!またお越しくださいませ!」と言った。

 

映画の感想は特にない。喋るときにどもってしまう英国王の話を観ているうちに寝てしまったのだ。すべて寝てしまったわけではないが、起きては寝て、起きては寝てを繰り返し、結局全然観れなかったのだ。あえて感想を言うとしたら、「気持ちが良かった」ということになるか。

 

さて帰り道だ。

行きは南風で向かい風の中を走った。しかし帰りは北風になっており、やはり向かい風の中を走らなければならなかった。変速ギアを1つ軽くして、北へ向かって走った。

途中、そういえばうちには風呂のふたがないんだよな、ということを思い出し、三鷹駅近くの雑貨屋(ここは本当に色々なものが置いてある)に行った。事前に計っておいたサイズと同じものを選び、レジへ行った。4000円弱もした。ふたに4000円って、と思った。

店を出ると目の前に三鷹市長がいた。三鷹市長の清原さんは、青とも紫ともいえる色のスーツを来て、おじさんたちと雑談をしていた。

そうか。24日は市長選と市議会選か。

まぁ特に市長を変える理由はないだろうからな。三鷹は。でもまぁ一応、候補者たちがどんな人たちか調べてみるか。

そんなことを思いながら家路につき、家に帰った。

なんだかこういう休日は久しぶりだ。一人の時はこんな感じばっかりだったのに、やっぱり変わるもんだな。これでまた子供とかができればまた変わるんだろうな。

まぁ先のことはいいや。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年4月12日 (火)

余震と放射線とインプレッサ

今のこの状況、つまり、いつ余震(もはや余震ではない気もするが)と放射線が東京を襲うかわからない状況は、チャリで交差点に突っ込む状況と似ている気がする。


いくら無灯火で減速せずに交差点に突っ込んでも、他に交差点に歩行者や車輌がいなければ何も起こらない。


しかし、いれば事故が起きる。死者が出る可能性ももちろんある。


しかしライトを付けてしかっり減速して交差点に入れば、時速100kmで突っ込んでくるインプレッサだってかわせるかもしれない。

インプレッサが来ないことを祈って突っ込むのか、インプレッサが来てもいいように準備するのか。


そういう選択のような気がする。


準備をしてインプレッサが来なければ周りが笑うこともあるかもしれないが、ただそれだけだ。

でも準備なしで突っ込んでインプレッサも突っ込んでくれば、それで終りだ。

それはつまり、命を運に任せるってことだ。


放っておいても僕たちの人生なんてものは90%は運に左右されるのだから、せめて運に抵抗できるところはした方がいいんじゃないかと、思う。

仕方ない。笑われて生きるか(笑)


ではまた。

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2011年4月11日 (月)

こんな時に

俺は何をしてるんだと思う。

日本がこんな時に仕事でただ人に迷惑をかけるだけの、実に程度の低いミスを連発し、イタズラに業務時間を長引かせ、会議でしょーもない発言をしている。

もっとやるべきことがあるだろ、と自分で思う。

仕事でそんなに時間をとられている場合じゃないのに、なのにこんな様。

本当に情けない。

震災直後は、変わらずに生活することが大事だと思ってた。

でも本当にそうなのかと最近は思う。

例えば余震。例えば放射能。

僕は三鷹で死ぬつもりだったが、もしここが安全でないとわかれば土地を離れる。

果たして東京は安全なのか。

漏れ出している放射能の影響は、成行きではどこまで広がるんだろうか。

政府は情報をどこまで出しているのだろうか。隠している情報は何なのだろうか。

そういう、色々なことがもやもやしていて、色々なことが不安なときに、僕は全然関係ないところで人に迷惑をかけている。

 

とか言っても何にもならないことは知っている。

ただ、このもやもやとかそわそわとか、何かそういうものをどうしたらいいのか分からないだけだ。

僕は悟りを開いた仏みたいなんでもなく、バリバリ働くスーパーサラリーマンみたいなんでもなく、すべてを受け入れることができる神様みたいなんでもない、クソみたいな人類の一人なんだからね。

とりあえず情けなさをどこかに吐き出さないとやってられないんだよな。

もちろん立ち直る。

ただ、王様の耳はロバの耳と叫ぶ穴が欲しいんだ。

ちょっと違うな。

全然違うか。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年4月 9日 (土)

都知事選は4月10日

4月10日の都知事選が間近になってきた。

そういえば全然選挙演説を聞かなかった。かかげる方針や政策も何だかんだで小池あきらをちょっと調べただけだ。これから調べることはできるが、きっと今言ってることなんか結局はあまり意味がないんだろうと思う。

これから状況はどんどん変わっていくと思うが、ようするにそうした時にどれだけ対応できるかだと思う。それにはやっぱり僕は、価値観がしっかりした人なんだと思う。

経済にしろ環境にしろエネルギーにしろ、これからの日本をどういう方向へ持っていきたいのか。それを始めからある程度持っている人。そしてそれを、ちゃんと言葉にして話せる人。

もちろんその方向性は大事。

これからもまだ、日本を東京だけでもっていこうと思ってるなら、もう僕は違うと思う。一極集中がどれだけリスキーか。よくわかったはずだ。

別に国土が広いわけではなく、通信技術が不足しているわけでもない国で、何もそこまで1つの都市に何でもかんでも集めなくていいはずだ。

それにあの満員電車は病的だ。

これから都知事になる人が「東京の人口は分散させます!」とか「東京の企業の法人税を上げます!」とかなかなか言えないだろうから、本当はその辺のことは日本政府が方針を出すべきなんだろうけど、都知事にもある程度考えを示して欲しい。

というようなことを考えていると、今この状況でどのように都知事を判断すればいいのかわからなくなる。選挙は延期すべきなんだと思う。本当は。

でもどうやら予定通りに行われる。うーん。

いったん全員の候補者を見てからまた考えよう。

 

こうなった以上、僕たち一人ひとりがちゃんと考えて、本当の民主主義を目指すしかない!

まー無理だけどな!

 

 

ではまた。

 

 

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2011年4月 4日 (月)

小3っていったらクソガキだぞ

何かどさくさ紛れみたいな感じでなんなんだけど、4月になって僕は会社員5年目を迎えた。

入社して丸4年。

大学生ならすでに卒業してる年月だ。

長いな~。

てことは今年はROONEYSは9年目か。

長いな~。

9年て、生まれた子供が小学校3年生になるよ。

すげぇな。

てかということは来年10周年目か。

パーティーしなきゃな。パーティー。

10周年記念パーティー。

どこでやろうかな。

てかその時には誰がいるのかな。みんないるといいな。てか赤ちゃんとかいると面白いな。

あぁなんかさ、会社員5年目とかどうでもいいな(笑)

 

 

ではまた。

 

 

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2011年4月 3日 (日)

勘違い節電

気づいたんだけどさ、電気が貯めておけないんだったら、計画停電が必要ないという状況下において節電する意味って、ほとんどないんだよな。

今日コンビニに入って、そこが全然節電してなかったときに「このコンビニは節電してなくてダメだな」と思って、「ん?でも節電してないことがなんでダメなんだ?」と自問してみて気が付いた。

休日の昼間は比較的需用電力が下がるから、供給電力を上回ることはほとんどない。だから東京電力も休日の計画停電は実施していない。この状況下なら節電をする必要はほとんどない。停電さえ起こらなきゃ、節電する意味はない。貯めておけないなら、使わなかった電気はどこかに放電されて終わりだ。いわば無駄な発電になるというわけだ。だから人が使っても使わなくても結果は同じ。

ただ、だからといって節電する日と節電しない日を使い分けるのも難しいし、逆に面倒くさい。世の中の企業や事業所、店舗が同じように足並みを揃えられるわけではないし。だから結局は毎日それなりに節電をすることになっていると思うんだけど、だからって節電しない人や企業を批判する必要は全くないんだ。だって停電さえしなきゃOKなんだから。需用が1%でも供給を下回っていれば、誰も困らないんだから。

計画停電が実施されている状況下や、今にも需要が供給を追い越しそうな状況下においては節電をしない人や企業は批判されてしかるべきだと思うが、そうでないならば別に節電しないからって批判されるのは的外れなんだと思う。

そう思った。

 

イメージだけで物事を考えると間違えることがあるってことだ。

 

 

あぁ別にじゃんじゃん電気使っていこうぜってことが言いたいわけじゃないのよ。

何かね、こういうことがあったときに大袈裟に振り子が振れ過ぎるのが何となく怖いだけなのよ。

日本人の特性みたいなとこもあると思うけどね。

行動は変えても、価値観までそんないきなり180度変えるのはどうかと思うよ。危ないよ、そういうの。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年4月 2日 (土)

足止め司馬遼太郎

今僕は司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んでいる。

読み始めたのはいつだろう。もうそれも思い出せない。

今やっと、全8巻のうちの5巻までを読み終わった。

長い!

とにかく長い!

今は日露戦争の旅順での戦いのくだりが終わり、満州での戦いに場面を移してきて、小説としては面白いところだが、それにしても長い!

最初の頃に語られた、秋山好古、真之兄弟や正岡子規の話などもうほとんど覚えていない。

あと6,7,8巻の3冊か・・・。

つまらないわけではないから読むことは読むが、正直飽きてきた。いったん違う本読みたい。でもそんなことしたらますます忘れてしまう。だから読むしかない。ずるいな、長い話って・・・。

 

しかしこの戦争の話を読んでいると、ビジネスマンが時々武将とか孫子とかの戦術・戦略を分析した本を読むのが納得できる。戦争における組織の在り方、人の動かし方、交渉の仕方、戦いの押し引き、攻め方は、おそらくビジネスに応用できるところが多分にあるんだろうなという気がする。

僕はそんな目的で読んでいるわけではないが、そういう目的で読む人もいるんだろうな。

小説ってのはまったく凄いもんだ。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年4月 1日 (金)

そわそわのない春

今日は6時半に起きて8時頃に家を出て会社に行った。

家を出て自転車にまたがり、快晴の空の下を走る。そういえば今は春だったな、と思った。震災のせいか最近寒かったせいか、季節を忘れていた気がする。震災を忘れたわけでは当然ないが、気温が温かくなってきたせいか、嫁が新しい仕事を今日から始めたせいか、僕も春を感じるようになった。

駅に着きとどこか周りも春気分で、サラリーマンは朝からビール片手にネクタイハチマキ。交差点の真ん中で宴会をしていたし、子供たちは集団でリュックを背負い大冒険。そんな季節に花見を自粛するよう呼びかける井之頭公園は頭がいかれてるとしか思えない。自粛は何も生み出さない。石原慎太郎はちょっと疲れてるんだ。慎太郎しか都知事をやれる人間がいない状況が可哀そうだ。

 

本来なら会社は今日から新しいメンバーによる新しい組織でのスタートとなる予定だった。しかし震災の影響で新体制への移行ができず、5月からのスタートとなったために、今日も変わらない顔ぶれでの仕事だった。新人もまだいない。毎年恒例の新人による仮装大賞的茶番劇も東京から見ることはできなかった。その代わりに、会社のビルが桜色に染められていた。少しでも春気分を味わおうという会社の心意気だ。

そんなピンクなビルの中で4月の業務を開始した。といっても昨日と何が変わるわけではない。ちょっと前に立てたスケジュール通りに、今日やるべきことをやる。まず昨日やるべきだった仕事をやり、次に今日やるべき仕事をやり、今日やるべき仕事を翌日に持ち越して帰る。いつも通りだ。今日は18時に帰った。

 

昼休みには、食後、軽く散歩をした。見事な桜並木のある公園があるのだが、まだ桜はまったくといっていいほど花を咲かせていなかったが、もう寸前という感じだった。寸前も寸前。出かかりのチラ見せ。きっと来週には満開だろう。朝見かけた酔っぱらいサラリーマンが宴会をしていて、通りがかりの親子が二人でサラリーマンを指差して笑っていた。大笑っていた。

ビルの階段を上ってフロアに戻った。気のせいかもしれないが、震災後、階段を使う人が増えた気がする。駅のエスカレーターは使用禁止になり、どこかエレベーターなどの移動手段を使うのが申し訳なくなった人が多いのだろう。ところが不思議なことに、トイレの便座を温める人は、なぜか減らない。あれこそいらないものだと思うのだが・・・。結局はポーズだということがよく分かる。人に見えるところでしかやらないってわけだ。なるほど、利口だ。利口で、利己的だ。便座にウンコこぼしたろか。実際に僕は、便座にウンコをこぼし、しかもこぼしながらトイレを出て廊下を歩いた。会社から帰るときにそのフロアに行ってみると、「犬の放し飼い禁止」と張り紙がされていた。

 

夕方18時。会社を出て駅に向かう。僕は会社を出た瞬間にイヤホンを装着し、パンクを聞く。楽しいパンク。明るいパンク。ポップ・パンク。今日はELLEGARDENが流れてきた。

駅の近くで路上ライブをやっている人がいた。その人の背後には「日本一下手な演歌」みたいな言葉が書かれた垂れ幕みたいなのがあった。その人は背の高い車いすに乗っていて、顎が上がり顔が完全に空を向いていた。おそらく病気とか障害とかで、声があまり出ないとかそういう人なんだと思う。隣にいた人は保護者的な人なんだろう。誤解を恐れずに言おう。僕は正直、ふざけんなと思った。別に勝手だが、駅前で歌うってことは人に聞かせたいってことだろ。それをはなから「日本一下手」と自称するとは何事か。障害者だから許されるのか?障害者なのに頑張ってる姿を見てくださいってか?ふざけんなよ。俺はお前らを特別になんて絶対扱わないぞ。俺とお前は同じだ。好きだからって何してもいいわけじゃねーぞ。やるなら本気でやれ。「日本一下手」とか言って誤魔化すな。そうするならせめて、笑いに変えろ。僕は本気でそう思った。ああいう人を見て「ハンデがあるのに頑張ってる」と感動する人があまり好きではない。日テレの24時間テレビが好きな人が好きではない。できることをしないで、できないことにしがみつく人が、あまり好きではないんだ。もちろん本人の勝手だと思うけど。

話がすごい反れた。

 

そもそも本筋の話なんてあったのか。まぁいい。

とにかく帰った。電車に乗り、電車を降り、駐輪場へ向かった。駐輪場には自転車がこれでもかというくらいに詰め込まれていた。僕の自転車のペダルが右隣りの自転車の後輪のシャーシとシャーシの間に入り込み、左隣の自転車のペダルが僕の後輪のシャーシとシャーシの間に入り込んでいた。右を取れば左が刺さり、左を取れば右が刺さった。僕は自転車を右に左に、上に下にやり、下には無理か、何とか自転車を取り出した。取り出す過程で右隣の自転車の後輪は取れて50メートル先に飛んでいき、左隣の自転車は逆さまにひっくり返った。

 

帰り道は追い風だった。南風の追い風。どうりで手袋もいらないはずだ。コートも着ていかなかった。快適な帰り道だ。

ところがこの快適さを邪魔するものがある。なぜか右側走行するアホ自転車走行者だ。向こうから来る右側走行者は僕が走るコースと同じコースを走る。もちろん僕は道を譲らない。僕が正しいからだ。一体なぜこいつらは右側を走るのか。おそらく理由は、右折でその道に入ってきてそのままインコースを取ったままか、次に右折をするからだ。実に利口だ。利口で、利己的だ。ルールを守ることが必ずしも正しいわけじゃないが、合理的で正しいルールは守った方がいい。じゃないと僕が殺意を覚えることになる。

 

さて帰った。今日は早く帰れたから、帰って勉強をした後、久しぶりに走りに出かけた。井之頭公園あたりまで走って帰ってきた。全然短い距離だったのに、久しぶりの運動にやや腿が悲鳴をあげた。やっぱりなまってる。このまま運動不足になって太ったら、絶対に幸せ太りとか言われる。それは絶対に避けなければならない。そもそも僕が太ったら、チビでデブだ。絶対やだ。走れなくなるのもやだ。仕事は早く終わらせて、もっと自分のためになる時間を確保しなければならない。そんな春。2011、春。

 

走ってる途中、暗い道に入った。街灯もなく、しかも舗装された道じゃないから足もとが怖かった。やがて明るくて舗装された道に出ると、足の裏に何かを感じた。地面にひっつくような重いような。ウンコだった。僕はウンコを踏んでいたのだった。誰だ!ウンコをまき散らしたのは!と僕は思った。

 

家に帰りシャワーを浴び、ビールを飲んだ。日課の乾布摩擦と編み物とスケッチとロデオマシンをこなし、今に至る。

明日は休み。仕事もない。

この土日は絶食ダイエットをしようと思う。

 

 

 

 

 

嘘だ。

もう大体嘘だ。

エイプリルフールだ。

 

 

ではまた。

 

 

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