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2011年5月

2011年5月28日 (土)

目標をありがとう

僕が毎日汗水鼻水垂らしながら働いている会社の社員食堂には、月に1度くらいのペースで更新される「サラリーマンに送る説教」がある。

本当はこんな名前じゃない。でも何と言っていいのか分からないからこういうことにしておく。

これは各テーブルに1つずつケースに入れて置かれているチラシみたいなもので、内容は毎月違うが、一貫しているのは「おい!サラリーマンども!そんな食生活じゃ病気になっちゃうよ?」というものだった。おそらく人事部だか総務部だかが社員にかかる医療費を削減しようと思ってやっている施策なんだと思う。

今月のこの説教チラシのテーマは「野菜の摂取」だった。文言を正確に覚えているわけではないが、このようなことが書かれていた。

 

「1日に必要な野菜の量は3500gです。ところが日本人の平均摂取量は1日3000gで、目標に500g足りません」

 

数字も確かではない。でもこれくらいだったと思う。

僕がこれを読んで思ったのは、「勝手に目標立ててんじゃねーよ」だった。

そもそも1日に必要な量が一体何を指しているのかがまったくもって不明だった。

生きるのに必要な量なのか。

元気に21時まで残業するのに必要な量なのか。

まったくもって不明だった。それをとしれっと「目標」と置き換えやがった。もうついていけなかった。

 

おそらくこれは「健康に生活するため」とか「病気にならないため」に妥当な摂取量であり、「みなさん健康がいいですよね?病気になりたくないですよね?だからこの数値は当然あなた方の目標値ですよね?」というメッセージを含んでいるんだと思う。

クソくらえだ。

健康に生きたって病気で突然死んでしまう人もいれば、どうみても不衛生・不健康な生活をしていても長生きする人もいる。

 

「いやいや上杉くん、要は確率の問題だよ」

 

それは分かってる。僕たちが統計の上に成り立っている確率論に振り回されていることくらいは。

でも、どういう生活をしていた人がいつ死んだとか病気になったっていう統計では、その人たちが幸せに生きたのかどうかは分からない。

早く死んでも幸せだった人もいれば、長く生きたけど不幸だった人もいるはずなんだ。

だって人の望みはそれぞれだから。

ただ健康でありたいという人もいるだろうが、そんなことより俺は好きなことをやっていたいよ、という人もいる。

なのに統計の数値を引っ張り出して勝手に生活の目標を立てられたんじゃたまらない。

 

 

別にこんなチラシは無視すればいいし、実際に無視するが、でもこの図々しさに何となく少し腹が立った。

まるで自分の価値観を部下に押し付けて「わたしはあなたのために言ってるの」とか言っちゃう管理職みたいだ。(僕の上司はまったくそんな人ではない。でもうちの会社にも確実にいるということを聞いております)

ただ統計のデータだけを出せばいいじゃないか。参考にしたい人は参考にするよ。

お前が俺の目標を立てるなよ。

 

 

ではまた。

 

 

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HEY-SMITH『I'M IN DREAM』

最近お気に入りのHEY-SMITHだ。

本当はもっと好きな曲があるんだけど、あまりネット上に上がってないからひとまずこれを乗せておく。ネットですらあまり曲が上がってないってことは、きっとこれからのバンドなんだろう。それにしてはかなり良い!これからおHEY-SMITHに超期待だ。

 

 

 

 

 

ではまた。

 

 

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2011年5月27日 (金)

セブンイレブンの顧客至上主義

今日は会社帰りにセブンイレブンに寄った。金曜日だったのでビールを飲もうと思ったからだ。そこでビールを2本買った。1本は500mlで、もう1本は350ml。北海道以来スーパードライよりもSAPPORO黒ラベルを飲むようになった。

 

そんなことはどうでもいいんだ。

 

問題はセブンイレブンだ。

近所のセブンイレブンはおそらく直営店だ。セブンイレブンには直営店とオーナー店(フランチャイズ)があり、オーナー店ってのは元々セブンイレブンでないコンビニとか酒屋とかがセブンイレブンの傘下に入り同じ看板を掲げさせてもらうことで、売り上げの何%とかあるいは一定額をセブンイレブンに納めている店のこと(たぶん)で、直営店はその通り、直接セブンイレブンが経営している店だ。

なぜ近所のセブンイレブンが直営店かどうかわかるかというと、僕がかつてアルバイトをしていた直営店と似ているからだ。何が似ているかというと、社員の出入りの数だ。僕がこの店に行くと、必ずと言っていいほど目つきの悪い黒いスーツを着た男どもがうろついている。おそらく意味もなく商品の棚をチェックし、いかにも「どうなってんだ、この店は」というような感じでそこにいる。客にも伝わるんだからタチが悪い。

あのセブンイレブンの社員どもは、客がいるのも気にせず、アホみたいに店を闊歩するのだ。そしてその店の店員は客よりも社員を丁重にもてなす。

 

これから書くのはその象徴的なお話だ。

 

僕はSAPPORO黒ラベル2本と新発売のハーゲンダッツ2個をカゴに入れてレジに向かった。レジは2つあるが、店員がいたのは1つだけだった。先に娘と父親の親子の先約がいたので、僕はその後ろに並んだ。結構な量を買っていて、時間がかかった。

すると後ろから小突かれる感じを覚えた。振り返ると、黒いスーツに黒縁のメガネを掛けた男の持っている鞄が僕に当たっていた。男はセブンイレブンの制服を着た白髪の男性と話していた。制服の男は年齢的に見てもおそらく店長。あ、もしかしたらここはオーナー店かもしれない。そしてスーツの男は社員だ。どうやらキャンペーン中のもの(おそらく当たりクジと引き換える賞品)をどこに置いているのか店長に聞いているようだった。

「それならレジの奥に置いてあります。お客様に足を運ばせないように」と店長と思われる男が言っていた。おそらく客がレジで景品交換に来たときにすぐに対応できる、ということなんだと思う。お客さんを第一に考えてのことなのか、店員の手を煩わせないためなのかはわからなかった。

とにかく店長はそう言いながらレジカウンターの向こうに行って、レジの前に立った。そしてスーツのおとこはレジカウンターを挟んで店長の真向かいに立った。

店長はスーツの男が手に持っていた100円ライターの会計を済ませた。

 

僕はその様子を、相変わらず親子のレジが終わるのを待ちながら見ていた。

 

 

スーツの男のクソライターの会計が終わって、クソ店長のレジが空いた。すると店長は、2つのレジの間にあるスナックコーナーを物色していた男性の客に声をかけた。

 

「どうぞ」と。

 

男性はやや僕のことを気にする素振りを見せたが、僕は目と若干の手の動作で「どうぞ、どうぞ」と伝えた。男性は店長の待つレジに向かい、から揚げ棒だか何だかのスナック商品を注文した。

セブンイレブンではどうやら驚きと呆れを売っているらしい。

店長は僕の前にいる親子の会計を済ませようとしている中年女性の店員に向かってこう言った。

 

「その次、からあげ棒(だったかは覚えてないが)1本ね」

 

 

親子のレジが終わり僕もレジを済ませ店を出ると、ドアの横にある喫煙スペースで、そのクソセブンイレブン社員がアホ満点の面してタバコを吸っていた。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年5月26日 (木)

もしやまさか

今日もまた7時過ぎに出社して19時過ぎに退社した。

 

今日は大体月に一度くらいある長時間の会議だった。

これは検討会と呼ばれるもので、企画や原稿を、「あーでもない、こーでもない」と言い合うものだ。長くて5,6時間かかることもある。

検討のレベルはその都度違う。例えば、青か赤でずっと検討をすることもあれば、おすぎかピーコで検討することもあるし、「あ」か「い」で永遠に言い合うことすらある。

そんな会議だ。

 

今日は僕が主催者だった。上司と外部スタッフ2名の4名での検討会だった。

目標は3時間。

判断するところは判断し、滞りなく進めるつもりだった。完璧にできたつもりは毛頭ないが、意見を聞くところと判断をするところをメリハリつけて進めたつもりだ。

「●●さん、どう思いますか?」

「××さん、代案はありますか?」

こちらから聞く形をなるべく取るようにしていた。言われるのではなく。

ただそんな中で僕はミスを犯した。

 

「●●ちゃん、どうですか?」

 

一回り以上も年上の外部スタッフ相手になんとちゃん付けをしてしまった。

ただ仕方なかった。喋る機会が多かったし、●●さんの名前を呼ぶ機会も多かった。そして、●●ちゃんという友人が僕にはいたのだから。つい同じ苗字を持つ人をその友人と同じあだ名で呼んでしまったのだ。

 

もちろんすかさず言い直した。一瞬は凍ったと思われた空気だったが、どうにかなった。

おそらく僕以外の3人の心の中では、「もしやあいつ、“ちゃん”付で呼んだ?」と、「まさかちゃん付けはしないだろう」が闘っていたに違いない。

 

どうやらその格闘は「まさか」が勝ったようだった。それ以上に場が凍ることはなく、何とか誤魔化せた。助かった。「まさか」が少しでも弱気な気持ちを見せればたちまち「もしや」に打ち負かされていただろう。その結果を想像するともう・・・。

 

いやしかし、「まさか」に感謝だ。まさか「まさか」に感謝する日がくるとは。もしや「もしや」に感謝する日もくるのだろうか。

 

どうでもいいわ。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年5月25日 (水)

働きマン

ここ最近は7時過ぎに会社に行って19時頃に帰る平日が続いていたが、今日はとうとう21時近くまで会社にいてしまった。夕方の会議が1時間も延びたことが原因の一つだ。

しかしこんな生活をしていると、つくづく日本人にとって仕事とはすべてだなと思う。

もちろん脳みそではそんな風には考えていない。でも染みついている。僕の体に、というよりは日本の国土に。毎日コツコツ畑を耕し、収穫をして、貯蓄をする。農耕民族の血だ。

悪いとは思わない。

ただ、若干やりすぎのような気もする。

先祖たちがコツコツ働いたのは、安定して生きるためだ。

ところが現代の僕たちといえば、生きるにはまるで必要のない分まで働く。そして、生きるどころか、たまに自分や他人を殺してしまうことさえある。

こうなってしまっては一体僕たちは何をするためにこの世に生まれてきたのかと思いたくなってしまう。まぁ今さらそんな風にはいちいち考えないが。

 

驚くべきは僕の労働時間なんてまるでないものにしてしまうほどに働いている人が世の中にはたくさんいるということだ。

別にその人たちが仕事大好きで、特に健康を害さない仕事をしていればいいのだが、残念ながらそうでない人もいるだろう。

 

うーん。

日本人よ幸せであれ。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年5月21日 (土)

優先順位

いつの間にか僕が毎日蟻んこのように働いている会社では、とうとう17時になると空調が切られるようになってしまった。

昨日の外気温はおそらく25度以上。ビル9階(実質は12階くらい)。フロア面積は20m×10mくらいだろうか。そこにたぶん120人以上の人が詰め込まれている。

当然暑い。

 

狙いは電気の節約。

だが、あの暑さでは集中力は当然落ち、仕事の精度は落ちる。

しかし会社はクールビズの基準を例年から変えようという判断は行っていない(まぁ会社が設けた基準を守るかどうかは置いておいて)。

てことはつまり会社は、仕事の質を落としてもいいから節電をしようということを言っていることになる。

さらには、「サラリーマン的服装を死守することは仕事の質を落とさないことに優先する」と言っていることにもなる。

 

アホ丸出しだと、僕は思う。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年5月19日 (木)

姉妹都市ってやつ

なんだお前、姉妹都市も知らないのか。

 

とか思われそうだが、知っているような知らないような、というところが本音だ。

何となくはわかる。

たぶん、何らかの協力関係にある都市のことなのだが、一体どういう協力関係にあれば姉妹都市と呼べるのかは知らない。あるいは、別に何ら協力関係になくても、姉妹都市の契約を結べば姉妹都市になれるのかもしれないが、それもわからない。

つまり僕は、姉妹都市なんてものは、わからないってことだ。

 

辞書を引けば一発かもしれないが、あえてここは考えてみよう。

 

まず疑問1。

何故姉妹なのか。

どうして兄弟ではなく、姉妹なのか。

これが指し示す事実は、人は都市を女と捉えているということだ。

 

その前に、都市は人じゃねぇ。

 

まぁそういう突っ込みはあるだろうが、そこはいいじゃないか。

ん?あ、いや、都市は人だぞ。だってコブラは言ったもの。国とは人だってね。だから都市だって人さ。まぁ人が住んでそこははじめて都市になるんだから、都市は人って考え方はあながち間違ってない気はする。

しかし女となれば不思議だ。都市の一体どこが女なんだ。

冷たいところ(アスファルトジャングル!)か?

心変わりが激しいところ(ビルが建ったり壊されたり!)か?

それとも都市というのは傾向的に、男より女の方が多く住んでいるものなのか?

うーん、これは考えても分からなそうだ。

調べるか。

 

【姉妹都市<しまいとし>】

文化交流や親善を目的として結びついた国際的な都市。日本では1955年長崎とセント・ポールとが最初。その他、東京とニュー・ヨーク、京都とパリなど。

~広辞苑より~

 

へー。東京の姉妹都市ってニューヨークだったんだ。知らなかった。

京都はパリと姉妹なのか・・・。

そんなことはどうでもいい。

なぜ姉妹なのか。もうそっちばっかが気になってきた。

今度はネットで調べてみる。

 

日本において「姉妹都市」の表現は、国際的・国内的いずれにも用いられる。特殊な例として宮崎県鹿児島県沖縄県が関連する提携では、力強さを希求してか「兄弟都市」と称されることがある。他に友好都市という表現もあるが、これは姉妹というと上下の関係が生じるので、主に中国との間で使われだした。現在では中国以外にも使われることがある。また友好交流都市の表現もある。提携は市町村レベルに限定されず、都道府県レベルの友好提携もある。

~wikipediaより~

 

ほほー。これは1つヒントとなる記述があったな。

力強さを求める関係性では「兄弟都市」と表現することもあると。

つまり姉妹都市は、「それほど強くない関係性」という意味合いが相対的には含まれてくることになる。

言われてみればそうかもしれない。

姉妹都市だからといってそれほど交流があるわけではないし、利害関係が一致しているわけでもないんだろう。

たまに留学生を交換したり、文化的なモノを寄付したり、そんなとこなんだろう。

弱い関係性なんだ。

だから姉妹。

 

なによ!女が弱いっていうの!

 

と言う女性も多いかもしれないが、同性同士の関係性という点で言えば、男同士の関係の方が強いんじゃないかという気はしないでもない。まぁ女性になったことがないのでわからないが・・・。

まぁ男の方が肉体的に強いからそのイメージでのことなんだろう。おそらく。

 

ちなみに我が三鷹市の姉妹都市はというと、兵庫県たつの市。一体どこだ。

ほら、27年間も三鷹に住んでて姉ちゃんだか妹だかの都市の名前も知らない。それだけ弱くて薄っぺらい関係なんだ、姉妹都市ってのは。別に批判しているわけじゃないけれども。あと姉妹町ってのが福島県矢吹町らしい。東日本大震災で被災したこの町に支援物資を送ったりもしたようだ。

そういうのが大事なんだろうな。

何かがあったら助けてくれる都市があること。別にそこと仲良くしている必要はないし、普段から何か交流をしている必要もない。

でもいざとなれば助ける約束をしていること。そしてそれを確実に実行すること。

素敵な仕組みだ。

姉妹都市。

女の友情、万歳だ。

 

いざというときのために、自分の住んでる町の姉妹都市を知っておくがいいよ。

もしかしたら助けを求めるときが、そのうち来るかもしれないんだから。

 

ではまた。

 

 

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2011年5月16日 (月)

暑さ対策

今日は7時半に出社して17時半に退社した。

本当は定時の9時半に出社して17時半に退社するのが理想だが、仕方ない。9時半に出社して21時半に退社するより100倍マシだ。

21時半に退社すると帰宅は22時半くらいになる。そうなったらもう飯食って寝ることしかできない。読書もろくにできないし筋トレもできないしブログも書けない。書く気がしない。

それだったらどうせ寝てるだけの時間である朝に起きてしまって出社して、さっさと仕事を片付けていくのがいい。朝型の僕はそう思う。

 

それにこのスタイルはこれからの季節にはいい。夏の朝の1時間、2時間は、本当に違いが大きい。何の違いって、気温の違いだ。5度は違うだろう。朝7時と朝9時だったら。

これからのクソ暑い日本の夏を節電しながら乗り切るには、いかに涼しい時間に動き、暑い時間に動かないか、だ。

 

スーパークールビズとかもいいけど、サマータイムの導入も企業は本当に検討した方がいいと思う。

もしそれで通勤時間の分散が生じれば、あの忌々しい満員電車の状態も改善され、もしかしたら飛び込み自殺をはじめとするサラリーマンの自殺が減るかもしれない。

サマータイムが東京を平和にするかもしれない。しないかもしれない。

 

とりあえず僕は一人サマータイムで動くことにする。

自然と残業時間がついてしまうのが欠点だが。

 

 

それにしても、環境省のスーパークールビズいいな。

僕もタンクトップ、ハーフパンツ、サンダルで仕事したい。業務効率が200%になるぜ。

違うか。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年5月15日 (日)

HEY-SMITHっていうバンドが最高な件

この前、たぶん先々週くらいに、立川のHMVに行った。

HMVは本当に最高で、「押忍!パンク道場」とかいうキャンペーンをやっていた。HMVおススメのパンクのCDを買うと何かもらえたりするらしく、何枚かのCDにキャンペーン対象商品であることがわかるようにシールが貼ってあった。

パンクにここまで力を入れるHMV、やはり潰してはならない存在だ・・・。

 

しかし僕は別にキャンペーンにはまったく興味がなく、いつも通りに新譜を一通り視聴した。

 

最近は日本人のバンドも視聴するようにしている。

外国人のコーナーでも一枚買ったのだが(YELLOWCARDの復活1枚目のアルバム!)、日本人のコーナーで大きな出会いがあった。それが、

 

HEY-SMITH

 

どうやら関西のバンドらしく、ギター、ベース、ドラムに加え、トランペットとサックスが入っている、いわばスカ・ポップ・パンクバンドだ。

ポップで爽やかで楽しくて、何よりヴォーカルの人の声がいい。

GOOD 4 NOTHINGもたしか関西のバンドだったから、どうやら僕好みのポップ・パンクは関西にあるようだ。

いいな、関西。

 

僕が買ったアルバムは『FREE YOUR MIND』という2枚目のフルアルバムのようだけど、動画サイトに何も上がってなかったので、1枚目のアルバムに収録されてる曲を載せることにする。

ちなみに1枚目のアルバムもすぐにamazonで注文した。

 

 

 

GOOD 4 NOTHINGとともにこれから注目していきたい。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年5月14日 (土)

北海道旅行~二日目~

さて、すっかり間が空いてしまった。

前に書いた北海道旅行の二日目。

 

二日目はKaTさん宅から始まる。一日目に泊まったからだ。

二日酔いはなく、なかなか良い目覚めだった。布団を畳んだり(僕以外の二人が)、朝ご飯を用意したり(KaT家の皆様が)して、やがてROONEYSの6人がKaT家の食卓を占拠した。

用意してもらった朝ご飯はめちゃくちゃ美味かった。おにぎりに豚汁にサラダ。それに黒豆を煮たやつもあった。有難いことこの上なかった。至れり尽くせりとはこのこと。感動して涙が出た。いや、涙は出なかった。

朝食を食べ終え、各自準備をして車に乗り込んだ。KaT家の人たちは最後まで手を振って見送ってくれていた。なんていい家族なんだ。その家族の長男KaTさんはなんてダメな人なんだ。井之頭公園の花見中に池に落ちるばか者だ。しかも携帯が壊れて連絡が取れなくなり、仲間を本気で心配させる大ばか者だ。まったく、人の所在を確かめに自宅を訪ねるなんて、ドラマかっての。いやしかしあのときは、携帯電話の依存度を実感したな。

話が反れた。話の舞台は北海道だ。

車に乗り、旭川へ向かう。旭山動物園へ行くのだ!遠いのだ!ひたすらUSKの運転で車をかっ飛ばした。そして、着いた。

着いたのは13時過ぎとかだったか。よく覚えてないが、とにかく通常であれば昼食の時間はとっくに過ぎていた。にもかかわらず僕たちは動物園に直行してしまい、さらにはご丁寧に入園券を買って園内に入ってしまい、腹の減った僕たちは楽しみにしていた旭川ラーメンを旭山動物園の中で食うことになり、出てきた、まるで高速道路のサービスエリアでありそうな醤油ラーメンを、愕然としながら食べることになった。見た目通り、全然美味しくなかった。普通の、ごくごく普通の、これでもかってくらいに普通の、醤油ラーメンだった。

動物園も、実にあわただしい感じで回ることになった。しかも天気が悪い。ずっと小雨が降っていたから、僕たちを含めた動物たちのテンションも心なしか低かった。

でもそれなりに堪能した。僕は、「フラッシュを焚いての撮影はご遠慮ください」と書かれているにも関わらず、デジカメの設定がわからずフラッシュを焚いた撮影をしてサルを驚かせ、違うオリでチンパンジーを撮影しようとしたときには顔を隠されてしまった。

しかし楽しかった。ペンギンやアザラシ、カバにキリン。トラにライオン、シロクマに黒いクマ。たくさんの動物を見て、たくさん写真を撮った。天気が良かったらどれだけ楽しかったろう・・・。ただ、歩きながらの飲食が禁止されているところが実に不満だった。ビールが飲めないじゃないか。まぁ仕方ないか。

 

最後にお土産を買い、18時前には動物園を後にした。

本当はここから宿に直行する予定だったが、昼のラーメンがあまりに納得いかなかった僕たちは、宿で夕食が待っているにもかかわらずラーメンを食べることにした。わりと近くにあったラーメン館。全部で8店舗のラーメン屋が集合しており、そこで一番美味しそうな店を吟味して決めて、入った。

各自思い思いのラーメンを頼んだ。僕は烏骨鶏味噌ラーメンとかいうのを頼んだ。たぶん鶏ガラスープのあれが烏骨鶏なんだろう。美味しかった。メンバーの中でも一番ラーメンを楽しみにしていたUSKは醤油ラーメンを頼んでいた。少しもらって食べてみると、実に微妙な味だった。USKを見ると泣いていた。嘘。泣いてはいなかった。でもたぶん心は泣いていた。JoGLOWのラーメンも極めて微妙だった。どうやらラーメン運のない奴らが集まったのがROONEYSらしい。

 

完全に腹が膨れ、宿に向かった。天人峡とかいう、けっこう山に入っていったところにあるホテルだった。岩肌丸見えの崖に挟まれたところで、雪がかなり残っていた。崖は青くライトアップされていて、とても幻想的だった。天人とは何のことかわからないが、神様的なものか、あるいはお化け的なものが出そうな雰囲気はたっぷりあった。

ホテルに入ると、その雰囲気はさらに増した。僕たちの部屋は3階。男部屋と女部屋を取っていたのだが、男部屋の正面になぜか神社があったのだ。何の神様なのかは見なかったが、きっと何かの神様がいるんだろう。そして廊下がかなり暗く、廊下にある共同トイレも薄暗くかなり不気味だった。霊感の強いKaTさんが廊下を歩きながら、「あの窓は危ないな」とかいうから決定的だった。しかしUSKが言った。「でも俺らには結局見えないから関係ないっすね」。その通りだった。

部屋でご飯を食べ、ビールを飲み、片づけてもらってから風呂に行き、戻ってきてからまた飲んだ。それからトランプをやりながらまた飲み、なぜかモノマネ大会をやりながらまた飲んだ。気づいたら夜中の2時で、寝ることにした。お化け的なものが出たかもしれないが、USKの言うとおり、僕たちが見ることはなかった。

 

 

さて次回は最終日を書くが、最終日はただ帰ってくるだけの日だったのでもしかしたら書かないかもしれない。

 

 

Cimg1347

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ではまた。 

 

 

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2011年5月13日 (金)

夏の節電の懸念

今日バスに乗った。

今日の東京は最高気温(予報の話だが)28度という暑い日だった。

その日の夜に、バスに乗った。

たしかに、それほどもう暑くはなかったかもしれない。

でも僕は暑かった。

だから僕が座った座席の横の窓を、全開にした。

 

大体、みんな窓を開けなすぎだと思う。

僕は電車にしろバスにしろ、晴れた暑い日には絶対に窓を開ける。

だってそれが健全だろ。普通に車を運転してたとして、これだけ気持ちのいい快晴の日に窓を開けない?そんなアホな。絶対に開ける。

でも電車とかバスの公共の乗り物だとそうはいかない。

なぜなら、他の人がいるからだ。

 

「暑いのは俺だけかもしれない」

「窓、ちょっと遠いから開けようとすると邪魔になるかも」

 

みたいなことを気にして、みんな「暑いな、誰か窓開けろよ」と思ってるのに誰も開けない状態が続く。

アホみたいだ。

みんながみんなで、意味のない我慢を続けるんだ。

アホだ。

 

だから僕は窓を開ける。

 

しかし今日、その全開に開けた窓を、僕の後ろに座ってたおっさんが閉めた。僕はイヤホンで音楽を聴いていたからよく聞こえなかったけど、おそらく「閉めるよ」的なことを言って、閉めた。

 

車内はアホみたいにスーツを着た馬鹿サラリーマン達がたくさんいた。

こいつらは神経がマヒしている。

だからこの暑さに気づかない。

この気温の中で下着にワイシャツ、さらにジャケットを着こみ、ぬくぬくと生活している。

狂ってるんだ。

 

 

そう、酔っぱらって完全に体が火照りまくっていた僕が思った。

夏の省エネなんて、到底無理だ。このクソ東京人どもには。

 

ちなみにこのクソ東京人どもの大半は、東京都出身ではない。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年5月12日 (木)

とまります。とめてください。

バスには、降りることを告げるために乗客が押すボタンがある。

そこには、「とまります」と書かれている。

いつもは何も思わずに押しているそのボタンだが、今日はなぜか気になった。

そのボタンを押す時の気持ちは、「とまります」というよりは完全に、

 

「とめてください」

 

なんだけどな、と。

 

まぁでも車内にいくつもあるボタン全部に「とめてください」って書いてあってもな。

ちょっとこえ~しな。

それに誰かが押した後の、光っているボタンを見る人へのメッセージとしては、「とまります」が正解だろうしな。

やっぱ「とまります」でいいんだな。

 

 

という全く何の意味もない記事。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年5月11日 (水)

新人ちゃーん

今年も新入社員がやってきた。

そこで今年もこんな呼び方を耳にした。

 

「新人ちゃん」

 

僕はこの呼び方が大嫌いだ。なんだ、ちゃん付けって。なめてんのか。

いくら若くても22歳だぞ。ニックネームならまだしも、このちゃん付けは明らかになめた言い方にしか思えない。

だからこんな、人を馬鹿にしたような呼び方は大嫌いだ。

 

大体、なんで「ちゃん」を付ける必要があるのか。「新人」で済むところをわざわざ3文字増やして「新人ちゃん」。「ちゃん」を発音することで消費されるカロリー分を回収するだけのメリットがなければ到底納得できない。

そんなメリットがあるのか。

 

ある。

 

おそらく、「ちゃん」を付けることで相手に対して優位な立場を示すことができ、それによって以降の業務(特に「管理」とか「指示」といったこと)をスムーズに遂行するためだ。

「俺はお前より偉い。だからお前は俺の言うことを聞け」という思いを、「ちゃん」に全力でこめているのだ。

はっは。ご苦労なこった!

 

 

 

 

とは言ってみたが、ただ単に、愛情を込めて「新人ちゃん」と言っている人も中にはいる。

それを受け取る新入社員がどう思うかは知らないが。

 

 

ちなみに僕は、「新人くん」というのもムカつく。

全く同じ理由で。

 

 

年齢とか経験とか関係なく、人のことは対等な関係として尊重したい。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年5月 7日 (土)

北海道旅行~1日目~

5月3日から2泊3日で北海道旅行へ行った。

今回はその1日目について書いてみる。

 

メンバーはROONEYSの仲間6人。そのうち夫婦が2組入っているからROOEYSも変わったなと思う。たんに時間の流れの問題だけど。

集合は朝6時に吉祥寺駅。5人は三鷹駅からだから近いけど、一人は長野からだから大変だったと思う。東京の友人宅に前泊したらしいけど。

幸い遅刻なしで集合でき、6時20分発羽田空港行のバスに乗れた。

朝早いのに僕は全然眠くなく―もともと朝は強い方だが―バスの中でも喋り散らかしていた。ANAとJALを混ぜたら完全に下ネタ航空の完成だな、などと中学生レベルの発言を連発していた。旅行の怖いところだ。童心に帰る。いつもか。長野から参加のUSKは外ばかり見てまるで東京観光に来た高校生みたいだった。

羽田空港につき、JALのカウンターへ行って荷物を預けた。その後軽く朝食をとり、搭乗口へ。搭乗口では列ができていた。席が決まってるのに列ができるとは不思議なものだなと思った。並んでも並ばなくても同じ席なのに、なんでみんなわざわざ並ぶのだろう。僕たちは列が途切れるのを待って、ほぼ最後の乗客となって飛行機に乗り込んだ。きっと列があれば並んでしまう日本人の特性なんだろうと思うことにした。

飛行機が飛び立ち、2時間後くらいに降り立ったらもう北海道だった。新千歳空港。英語ならnew a thousand year old airport。とても千年生きてるとは思えないキレイな空港だった。

空港には予約してるレンタカー屋の人が迎えに来てくれた。マイクロバスみたいなのに乗ってレンタカー屋に行き、手続きをして8人乗りのワゴンを借りた。エンジン音がうるさかったが、文句は言えなかった。なんせ48時間借りて1万2千円という超良心的な価格だったのだからね。

車に乗り込み、USKの運転で札幌市内にあるKaTさんの実家へ行った。1日目はここに泊めてもらうことになっていた。ありがたい。KaTさんがインターホンを鳴らすと、KaTさんのお母さんが出てきた。一通りKaTさんにみんなを紹介してもらい、僕は羽田空港で買ったお土産を渡した。その際僕は、「つまらないものですが」と言ったのだが、どうやらこれがいけないらしく、嫁とUSKから批判された。ちょっと前まで絶対みんな使ってたはずなのに、どうやらもはやそれは禁句となったらしい。時代の流れはなんと早いことでしょう。周回遅れの僕としてはもう全然ついていけない。古くからある常識が今もあったり、それがすでに非常識となってるものもあったり、もうパニック!

家の中にお邪魔するとKaTさんの妹さんが2人いた。それぞれ11歳と13歳離れた姉妹で、二人とも超いい人だった。普段は東京にいるらしいのだが、二人ともゴールデンウィークに帰省しているらしい。完全に、そんなときにすみません、だった。

荷物を置き、今度はレンタカーをお母さんに運転してもらい小樽に送ってもらった。夜は札幌でビールを飲むから車で動くわけにはいかなかったのだ。お母さんありがとう、だ。

小樽では寿司を食べた。僕は正直、それほど美味しいとは思わなかった。静岡の焼津で食べた魚の方が100倍美味しかった。しかも板前さんがバイトと思われる店員に対して悪態をついていて気分が悪かった。

小樽ではほかに、運河を見たり地ビールを飲んだり海鮮のお土産を買ったりした。そして電車で札幌に移動した。

札幌ではUSKの強い要望により、時計台とテレビ塔を見に行くことになった。僕は高校3年の時に修学旅行で一度来ているはずなのだが、着いて見てみると、まったく見覚えがなかった。いい加減な高校生だったんだ。なぜかテンションあがってみんなで写真を撮りまくった。

それから歩いてサッポロビール園に行った。ジンギスカンや寿司、カニなどが食い放題で、ビール飲み放題。これで一人5800円。正直高いのか安いのか分からないが、満足だった。OnちゃんとUSKは最後にデザートをアホほど食っていた。女性にはスイーツ用の胃袋があるというが、USKは男だった。

実はビール園まで1時間以上も歩いていた僕たちは、帰りはバスに乗って札幌駅まで行った。そこから地下鉄を乗り継ぎ、Kさん実家までなるべく近づき、そこからタクシーで帰った。速攻で寝る人もいればお風呂に入ろうか迷ってる人もいたが、順番に入ってたら遅くなるから明日の朝温泉に行くことにして、みんな早めに寝ることにした。でも僕はリビングで妹さんとKさんがスカパーで幽遊白書を観ているのが気になり、しばらく飛影と武威の戦いを観てから寝た。男部屋に行くとすっかりUSKとJOGLOWは寝ていた。とりあえずそれぞれに屁を食らわして、僕も寝た。

 

こうしてアホみたいに歩いた1日目が終わった。

1日北海道で過ごしてみてわかったことは、北海道の寿司は大したことないってことと、まりもっこりは大人気だということと、スカパーは楽しいってことだった。

 

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ではまた。

 

 

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2011年5月 6日 (金)

くちゃくちゃジレンマ

くちゃくちゃ音を立てて物を食べる人がいるけど、あれって何でなんだろう?

意識的に音を立てているわけではないと思うんだけど、無意識にしろ、なんで音を立てるんだろう。そしてあの音は、なぜ不快なんだろう。

 

まず、なんで「くちゃくちゃ」という音がするかというと、物を噛んでいるからだと思う。だから少なからず物を噛んで食べている人はみんな、「くちゃくちゃ」という音がしている。その音が外まで漏れるかどうかということなんだけど、漏れている人は要するに口を開けて食べているんだ。

 

じゃあなんで口を開けて食べるのかを考えてみたらいい。

そもそも噛むときにはどっちが自然なことなんだろう。口を開けたまま噛むのと、閉じて噛むの。動物を想像すると、噛んでいるときに口を開けている動物を見ることはあまりない気がする。大体口を閉じて中でもぐもぐしてる気がする。いや、でも分からないな。口を開けたままくちゃくちゃやってる動物もいる気がするな。サルとかってそんな感じのような気がする。いや、わからない。

わからないから、どっちが自然かどうかって指標は放っておくことにする。

どちらが合理的か、でいこう。

ゲーム理論じゃないけど、口を開けたまま噛むのはそっちの方が合理的だから、という仮説だ。

まず口を閉じて噛むことの合理性を考えてみると、食べた物が口からこぼれることを防ぐことができる、ということが思い当る。これは食べ物で栄養を摂取する以上、とても大事なことだ。噛むだけ噛んでそのほとんどを口からこぼしていては話にならない。たまにそんな人もいそうだけど。

それに対して口を開けたまま噛むということは、相対的に言えば噛んだものが口からこぼれる確率が高いと言わざるをえない。出口が開いている状態なのだから。これは栄養摂取という観点からいえば全く以て合理的ではない。

 

じゃあ口を開けたまま噛むことの合理性はどこにあるのか。一つ考えられるのは「噛みやすさ」。簡単に想像できるように、口(唇)を開けていた方が大きく顎を開くことができる。当然、噛みやすい。特に大きな物を噛むときには合理的な動きといえる。

 

そしてもう1つが、「食ってるアピール」。食物連鎖の頂上にあぐらをかいてすっかりおデブさんになっちまった人間にとっては、本来動物界では身の危険のはずの食事という時間が、別に危険でも何でもなくなった。「よく噛んでゆっくり食べなさい」だなんて、野生の動物にはとても言えない言葉がお約束になってるほどだ。

人間にとって食事の時間はむしろ、一日の中で最も安らぐ時間の1つになった。だから誰にも邪魔されたくない。そこで「くちゃくちゃ」だ。口を開けて噛む音をあえて外に漏らし、「俺は今食事中だ。だから邪魔するな」とアピールしているんじゃないだろうか。

なるほど。これは面白い。

正しいかどうかなんてもはや興味がないが、口を開けてくちゃくちゃ音を立てて食べてる人は、幼少時代などに大きなものを食べる機会が多くて口を開けて噛む癖がついている人か、とにかく噛みやすさのみを大事にしている人、もしくは食事を心の底から堪能していて誰にもその時間を邪魔されたくない人だったのだ。

 

なるほど、合理的だ。噛みやすいってのは大事なことで、そのために口を開けたまま噛む。合理的だ。それに食事の時間を堪能するために周りに不快な音を漏らすのも理に適っている。動植物が敵から身を守るために臭い臭いなどを放出するのと似ている。人間の場合は「くちゃくちゃ」という不快な音を出すことで仲間を遠ざけるのだ。これは人間も動物の一員だったことの再認識である!

 

しかし僕は思う。

人間は、字の如く、人と人の間に関係性を築くモノである。動物のしてのヒトとしてだけは生きられない。そう考えると、「くちゃくちゃ」によって得られる食事の快適さよりも、「くちゃくちゃ」によって失われる人間関係の方がだいぶデカい気がする。

まぁどっちを取るかってことではあるが。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年5月 2日 (月)

本屋大賞のターゲット

そういえば今年の本屋大賞は、東川篤哉の『なぞ解きはディナーのあとで』が受賞した。

何度も店頭で見かけたけど、絶対に面白くないだろうと思ってた。

しかしまさかの大賞受賞。

「お嬢様の目は節穴でございますか」

と言われた気がしたので、買ってみた。

そして今日、収録されている6話のうち、2話までを読んだ。

感想。

全然面白くない。

なんでこれが本屋大賞なのか分からない。

なんていうか、めちゃくちゃ薄っぺらいんだ。内容が。何だか東野圭吾みたい。

さらっと事件が起きてさらっとなぞ解きをする。

ただそれだけの小説。

一応、お嬢様警察官と、毒舌執事というキャラクターがいるものの、如何せん全体がさらっとしているからキャラクターが全然活かされてない。

うーん。

なんで大賞なんだろう。

 

本屋大賞は「全国書店員が選んだいちばん!売りたい本」という名目で、全国の書店員が売りたいと思う本を投票で決めている。

しかしこの本が受賞したことで僕は、「いちばん!売りたい本」ってのはどういうことなんだろうと疑問に思わなければならなくなった。

そもそも、一体誰に売りたい本を選んでいるのだろうか。それによって選ぶ本はだいぶ違ってくる気がする。例えば、「本を読んだことがない人に売りたい本」であれば『謎解きはディナーのあとで』でもいいと思うが、「普段から読書をする人に売りたい本」だったらちょっと違う気がする。幸せな気分になりたい人に売りたい本と、人の心理に興味がある人に売りたい本と、とにかく謎解きがしたい人に売りたい本だったらまた違うだろうし。

まーそこまで細かい設定はなく、とにかく書店員が人に薦めたい本ということなんだろうけど、毎年微妙にターゲットを変えている気もする。

僕が予想するに今年のテーマは、「読書に興味がない女子高生に売りたい本」だと思う。

女子高生には失礼だが、そんな小説だった。

『告白』が受賞したときにも思ったが、本屋大賞ももう期待できないな。

 

 

ではまた。

 

 

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POP PUNK批判は悲しいからやめてくれ

僕が一番好きな音楽。

POP PUNK。

ポップなパンク。

例えばGREEN DAY。例えばNEW FOUND GLORY。例えばGOOD 4 NOTHING。

パンクの定義次第では、思い言い切り矛盾しているような気もするネーミング。

政治的でも反体制的でもなく、何の思想も入ってないパンク。

ポップ・パンクを商業パンクという呼び方もあるらしい。

要するに“売れるためのパンク”というわけだ。

バンドのメッセージとかそういうのではなく、ただ売れるから作る音楽ということか。

 

どーでもいい。

 

僕はそもそも、便宜上POP PUNKという言葉を使っているけど、別にPOP PUNKを正確に定義しているわけでもないし、POP PUNKという言葉に意味を持たせているつもりもない。もしPOP PUNKがUNKO PUNKという名前だったとしても、別にそれでいい。

 

たまに「パンクとは?」という定義付けをしている人を見かける。「ロックとは?」もある。

僕は正直それに全然興味が持てない。パンクを定義づけてどうしようというんだろうかと思う。それはたぶん、僕がプレーヤーじゃないからだとは思うが。作り手としては時には定義が必要なときもあるんだろう。音楽の方向性に迷ったときとか?知らないけど。

でも僕には関係ない。僕は好きな音楽を聴いて、楽しんだりパワーをもらったりするだけだ。そしてそうするために、ただただ楽しそうに弾いたり叩いたり歌ったりしてる人たちの音楽を聴くだけなんだ。

 

ただ、ポップ・パンクを批判する人の気持ちは分からないでもない。おそらくパンクが好きな人たちは、偽物の癖にという気持ちなんだろう。例えば、僕は上杉健太だけど、僕とは似ても似つかない人が上杉健太を名乗ってたら何となく気に食わないだろうし。

ただ音楽を聴くのが好きな僕としては、別にどんな音楽も批判しなくていいんじゃないかと思う。パンクを定義づけしてパンクを聞きたいならそうすればいいし、ポップ・パンクを聞きたくないなら聞かなきゃいい。それだけじゃないのかな。違うのか・・・?

 

まあ色々ポップ・パンク批判はあるんだろうけどさ、自分を振った女のこととか自分の失敗とかを、あんなノリノリで明るい音に乗っかって嘆いたり怒ったり愚痴ったりしてる音楽は、僕はすげー面白いと思うんだけどな。

 

まー、何でもそうだけど、価値観なんて他人と共有しようとしない方がいいってことかも。自分が好きなものを他人に押し付けたり、他人が好きなものを批判したり、自分がしたいことを他人に強要したりさ。そんなのはくだらないんだよね。そんなことしてるから世界から争いがなくならないんじゃないか。「お前の宗派は言ってることがおかしい!だから殺す!」とかおかしくね?

 

別々でいいんだよ。みんなで意味もなく足首と足首を紐で繋いで二人三脚でもやりたいんか?「お前早いんだよ!」とか「もっと歩幅広げろよ!」とか言い合いながら走りたいんか?

別にさ、別々に並んで走ればよくない?

「お前調子いいな」

「お前もな」

とか言いながらそれぞれで走ろうよ。

 

 

ではまた。

 

 

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死刑について

死刑は廃止するべきなのか残すべきなのか。

たぶんずっとどこかで議論されていることなんだと思う。

世界中の国や地域でも、死刑は廃止になったり復活したりしているという。

 

死刑を廃止する理由は色々ある。1つには、殺人を罰する手段として死刑という「国家による殺人」を用いることが矛盾しているということ。殺人はダメだと言ってるのに、それを罰するのに殺人を用いるという矛盾だ。しかしこれは実は死刑だけに限らず、すべての刑においていえることだから、それを言い出したら犯罪者を罰することなどできなくなってしまう。的外れな主張といっていいと思う。

もう1つには、死刑が犯罪を抑止する効果を持たないということ。どうやら死刑制度をもっている地域とそうでない地域。あるいは、死刑を廃止した前後で、凶悪犯罪の発生率には変化はないんだそうだ。だからもし、凶悪犯罪の抑止という目的で死刑制度を持つというならば、それは効果がないですよ、ということになる。

 

一方で死刑を残すべきだという主張のほとんどは、被害者・遺族への配慮を根拠にしているんだと思う。いや、あるいは、受刑者にかかる膨大なコストをその理由にする意見もあるかもしれない。犯罪者に金をかけるくらいなら、さっさと殺してしまえ。そういう意見だ。

被害者・遺族への配慮ということでいえば、確かに死刑はあるべきなのかもしれない。家族や友人、大切な人を殺されれば、その殺した人間を殺したいと思うのは当然の感情だろう。でも個人による復讐を許していたら殺人は永遠にループしてしまう。だから殺し代行として、国家が殺す。死刑という正当と思われる名称において。

 

さてちなみに僕は死刑廃止の立場の人間だ。別に何か運動をしているとかそういうことではないが、立場としては反対の側にいる。僕がその立場をとる理由は1つだ。

 

冤罪。

 

人間は完璧じゃない。いくら優秀な人間にも欠陥がある。あるいは、完璧な人間はいるかもしれない。だた完璧な人間はその完璧さゆえに、完璧に人を欺くことがある。このことによって、冤罪は生まれる。意図的、あるいは意図的ではなく、冤罪が生まれる。

無実の罪で死刑になった人がきっといる。僕はそれだけは絶対にやってはならないことだと思う。もしたとえ罪を犯した人間が無罪になり、そのことで被害者や遺族に復讐を決意させることになったとしても、それでも僕は冤罪による死刑だけは避けなければならないと思っている。何もしていないのに「あなたは重大な罪を犯した!とても生かしてはおけない!あなたは死ぬべき人間なのだ!」と言われて死ぬ人の無念は、想像を絶する。だから僕は、死刑制度には反対なんだ。

 

じゃあ被害者・遺族の悲しみや怒りはどのように癒せばいいのか。

誤解を招くかもしれない変な話をする。

僕はお金だと思う。

受刑者に、食事代や衣服など、さまざまなお金が投じられるのに対し、遺族にかけられるお金はその数%らしい。つまりほとんどの場合が、放っておかれているってことなんだと思う。放っておかれれば被害者意識はますます大きくなり、憎しみが増大する。そこからもしかしたら復讐心が芽生えることもあるのかもしれない。

それはよくない。

だから、お金を中心とした支援が必要なんだと思う。

収入を含めた生活の保障。心身の診療・治療にかかる費用の負担。場合によっては住む場所の確保、仕事の斡旋。

これらの実際的な支援を国主導で行い、「辛いけど生きていこう」というメッセージを送り続けるしかない気がする。また変な言い方だが、そうして怒りの矛先を反らす、うやむやにする。時間が経ち、本当に消えてなくなるまでそれを続ける。被害者や遺族を支えるしくみ。それが必要なんだと思う。それが実現できれば、死刑制度は廃止できるんじゃないか。

 

いずれにせよ、死刑廃止と遺族の支援はセットで考えるべき問題なんだと思う。

死刑がいい悪いだけの話じゃないんだ。

 

 

今日、加茂隆康の『死刑基準』という小説を読んだ。

主に法廷を舞台としたミステリー小説だが、中にちょいちょい死刑について議論される場面が出てきてとても興味深かった。

けっこうおススメです。

 

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ではまた。

 

 

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2011年5月 1日 (日)

肛門の味覚

昨日は何だかとても盛りだくさんな日だった。

まず朝から式場見学に出かけた。実は予約なしで出かけた。というのもその式場を見てみたいと嫁が言いだしたのがその前の日の晩で、もうすでに予約ができない状態だったからだ。

でも今年の秋に挙式をしようと思うとこのGW中には会場を決めておきたかったから、なんとか見学したかった。そこで僕らがとった手段は、「とりあえず行く」だった。アポなしでとりあえず近くまで行き、朝9時頃になったらおそらく電話もつながるだろうからそこで電話をして、直前にアポを取るという作戦。名づけて、「アポなしでとりあえず近くまで行き朝9時頃になったらおそらく電話もつながるだろうからそこで電話をして直前にアポを取る大作戦」だ。

朝8時過ぎに家を出て三鷹駅まで歩く。三鷹から中央線に乗り四谷へ。そこで電話をかけた。結果はOKだった。嫁が電話してくれたので詳しいやり取りは分からないが、特に問題なく見学させてくれるとのことだった。「これはここに決まるかもな」という予感があった。それはただの直感とか霊感的なものとかそういうんじゃなく、ダメかもしれないという状況が見学OKになった時点で気持ち的にある程度の高揚感があり、その状態で見学した式場はおそらく良く見えるだろうという予想だった。

四谷で丸の内線に乗り換え、赤坂見附で銀座線に乗り換えて外苑前で降りた。そこから歩いて5分ほどの式場だ。一応ゲストハウスという括りになるらしい。披露宴会場とチャペルが2つずつあるところ。料理に力を入れていて、シェフが食材を紹介してくれたりするらしいのだ。しかも音とか光を使った演出が得意なようで、けっこう迫力があった。

予感通り、ここに決まった。日取りは11月6日の日曜日。日曜日なのが残念だが、まぁ仕方ないという判断だった。ゲストの方には本当に申し訳ないが。

 

契約を終えて最初の15万を支払い、次は会社の先輩のお宅へ向かった。3月に生まれたばかりの子どもに会わせてもらうためだった。

まだ生後2か月の赤ちゃんは、めちゃくちゃかわいかった。先輩はすっかり父親になっていたし、奥さん(奥さんも会社の先輩だが)もすっかり母親になっていた。でも何ていうか相変わらず自然体な感じもしたし、二人が夫婦になって本当によかったなぁと改めて思った。順調すぎるところが若干ジェラシーだが。僕も早く子どもが欲しい。

ビールを飲みながら赤ちゃんと戯れたり(ていうかこっちが一方的にいじるだけだが)、地震のこととか会社のこととか結婚式のことなどを話して、17時前に先輩宅を出た。赤ちゃんいるからあんまり飲まないだろうなと思っていたのだが、先輩が思いのほかガンガンにビールを注いでくるのでちょっと酔っぱらってしまった。

僕は実家に帰る嫁と別れて吉祥寺へ向かった。友人とのさし飲みだった。しかしそれまで時間が1時間ほど空いたので、ヨドバシカメラの上にあるタワレコで視聴をすることにした。視聴をして、やっぱりタワレコは全然ダメだということを再認識した。PUNKと書かれた視聴コーナーに置いてあるのが全然パンクじゃないんだ。僕は嘘つきが大嫌いだ。だからタワレコも大嫌いだ。もう二度と行くものか。アルコールのせいで怒りが余計にこみ上げてきて、僕はタワレコを後にして友人を待たずにいつも行く飲み屋に入った。

とりあえずビールを飲み、半分くらい飲んだところで友人が来た。何を話したのかなんてあまり覚えてない。彼女の話、会社の話、原発の話。そんなところだと思う。1件目を出た後ハーモニカ横丁で2件はしごした。そこで分かったことは、ハーモニカ横丁の居酒屋は全然ダメだってことだ。今までも何件かいったことがあるが、良いと思えたことなんて一度もない。この日はわりと酔いが浅かったから冷静にそれを判断することができた。雰囲気はいいけど、実は全然安くないし、店員の雰囲気も微妙。イラク人っぽいおじさんが日本語で女の子を口説いていた。口説きに失敗すると、立ち飲みやなのに座り込んだ。別にそれはいいが、きっともう行かないだろうな。

その後また腹が減ってきたのでラーメン屋に行った。適当に押した食券のボタンがどうやら激辛のラーメンのやつだったらしく、僕は何とかむせながら食べたのだが、辛い上に量が半端なく多く、結局かなりの量を残した。

 

ラーメン屋を出たのが23時半くらいだったと思う。駅で友人と別れ、歩いて家に帰った。家に着くころには腹はちょっと落ち着いていたんだけど、今朝起きてウンコをしたら、ウンコが辛くて肛門がヒリヒリした。

どうやら僕の胃腸は辛さまでは消化できないらしい。

 

 

ではまた。

 

 

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出会いと記憶

生きてるといいことってのはあるもんで。

 

つい最近、お誘いを受けた。ダンス発表会への招待。誘ってくれたのは、去年仕事の関係で毎月会っていた小学2年生のお母さん。その子は今ではもう4年生だ。

去年の3月にお別れして、そのすぐ後の5月くらいにダンス発表会を見に行ったのだが、今年も連絡していただいた。

本当に嬉しい。

僕はこのブログでもその親子のことを絶賛した記事を何回か書いたが、まだ僕のことを覚えていてくれることに感動した。

もちろん僕は見に行く。

仕事きっかけでできた縁だけど、仕事は関係なく、これからも続けばいいなと思う。

 

 

今日、そのチケットが届いた。

チケットと地図と、手紙が入っていた。

うえすぎさんへ。で始まり、お仕事も大変なはずなのに・・・という僕のことを気遣う文まで書かれていた。そして、せいいっぱいがんばるのでおうえんおねがいします。と書かれていた。その弟からも(もう小学生になったのだろうか)、よろしくおねがいします。と書かれていた。

 

何だかとても僕は、とても贅沢だ。こんな僕が、こんないい子たちと知り合えたことに感謝だ。もっといただろうに。子供が大好きで、仕事が大好きで、もっと優しい社員が他にいただろうに。なのに彼らは僕とたまたま出会い、知り合った。そして今も付き合いを続けてくれている。

 

いずれ彼らは僕を忘れると思う。

でも、たぶん僕は忘れない。残り短い人生で、彼らを忘れられるとは思えない。

僕が覚えていて彼らが忘れることを悲しいとは思わない。むしろ、僕は彼らのそういう時期に出会えたことを嬉しく思う。記憶には残らないが、もしかしたら彼らの中に何かを残したかもしれない。そういう贅沢な思い込み。それだけで十分。

 

とにかく再会が楽しみだ。きっと大きくなって、外見も変わってるんだろうな。

やがて彼らが色々な人と出会って、僕のことを忘れるまで、彼らとの付き合いが続けられるといいな。

付き合いが続いてたらさすがに忘れられることはないか。

 

 

ではまた。

 

 

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