« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »

2011年6月

2011年6月27日 (月)

腹痛と医者と高齢化社会

人はいつ死ぬべきか。

 

まぁべつに死ぬべき時があるなんて思っていないんだけど、この前腹痛がずっと治らなかったときに考えたんだよね。

 

 

これが医者にしか治せない病気なのだとしたら、これは治すべきものなのか。

 

 

治せるものは治すべきだという考え方が主流で、だから医療はどんどん進化を続けている。

その結果、人(ていうか日本人?)はやけに長生きをするようになってこの社会構造になった。

この社会構造を支えていかなきゃならない世代だからこそ、考えてしまう。

 

病気はどこまで治すべきで、どこであきらめるべきなのか。

 

こういう話をすると本当に不快な思いをする人とか、悲しむ人が出てきて、結局僕が悪者みたいになって本質的な議論にならないから普段はできないんだけど、やっぱ大事な問題なんだと思う。

 

だってバスとか電車とかで高齢者の集団に出くわす度にちょっと思ってしまうんだ。

高齢化社会ってヤバいって。

 

もちろん死ぬ直前まで働ける高齢者もたくさんいるだろうけど、相対的に見ればそうではない。若い人の労働力には勝てない。勝ち負けの話ではないけれど。

そして高齢者はめちゃくちゃ病院へ行く。

 

支えられるのか、これ?

 

と素直に思う。

 

 

じゃあ高齢者は死ねっていうんですか!?

 

 

ってすぐ感情的になる人は言うんだけど、僕もそうは言いたくないから困っている。でも言いたいことはそういうことだから、なおさら困る。

まぁでも僕が言いたいのは高齢者だけの話ではない。僕も含め、人間が死ぬべきときはいつかってことだ。

もっと言えば、どこまで医者にかかるのか、ってこと。

 

 

病気でも、自己治癒力で治せるものについては、そこが死ぬべきときではないということになると思う。そしてさらに、医者でもどうしようもできない病気は、もうそれは誰が何と言おうと死ぬべきときなんだ。寿命といってもいい。

問題は、医者にかからなければ死んでしまうが、医者にかかれば治る病気のときにどうするか、だ。

正直実際の選択は、お金さえあれば絶対に医者にかかって治すんだと思う。

でもそれを突き詰めていくと、クローンでも何でも、人を治すためならやってしまえという考え方にいきついてしまうんだ。

手術はいいけど移植はダメとか、移植はいいけどクローンはダメとか、何だか境界線がよくわからない。

で僕は移植も正直あまり好きにはなれないし、クローンなんてもってのほか。そう考えると、医者の手にかからないと生きられない状態って、どうなんだろうと思ってしまった。

 

僕は結局病院に行って薬を飲んで腹痛を治したけど、もしかしたらあれが僕の死ぬべきときだったのかもしれないと思うと、何だか人間の本来の命ってのは本当に儚いものだなぁと思ったんだ。

 

もちろん技術の進歩をむやみに拒否するべきではないと思うし、生きることが罪だなんてこれっぽっちも思っていない。

ただ真剣に、生きられるだけ生きるっていう考え方を見直してもいいんじゃないかなと思う。マジでヤバい高齢化社会を生きる人間としては。

 

 

長く生きるっていうよりも、良く生きてよく死ぬっていうのを大事にしてもいいんじゃないか。

 

 

うーん、どうなんだろう。

こういう考え方はやっぱり、年寄りを大切にしていないとかいうことになるのかな。

 

でも世の中には年寄りが長生きしていることで苦しんでいる人もたくさんいるからさ、でもそういう人だって年寄りに「死ね」なんて言えない。だからこそ、日本人全体で価値観を変えられたら素敵だなって思うんだ。

ちゃんと死ぬこと。

 

僕は結構大事なことだと思う。

 

 

でもこういうこと言えないからなー。政治家なんて絶対に言わないし、普通の人だって言えないよね。

やっぱ僕が悪者だよな・・・。

まぁいいや。

 

思っちゃったんだもん。

 

 

ではまた。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月25日 (土)

保険が適用されているにもかかわらず

今日、病院へ行った。

どうも火曜日か水曜日あたりからずっと腹の調子が悪かったからだ。

食うと100%の確率で腹が痛くなり下痢をする。

こんなことは初めてではない。

風邪が腹にくる(つまりはたぶん、ウイルス性の腸炎ってことなんだと思うが)ことはしょっちゅうあるし、腹を壊すなんてことは日常茶飯事だ。僕は頭痛持ちで腹痛持ちなのだ。

しかし今回はちょっと様子がおかしく、飯を抜いても治らなかったのだ。いつもなら2,3食抜けば大体回復していた。なのに今回は、3食抜いた末に食ったお粥で、また腹痛が復活してしまった。もちろん下痢だ。ただでさえ下痢みたいな形状をしているお粥を下痢で放出。さぞかし胃腸・肛門も外に出しやすかったことだろう。

 

というわけでいい加減これはおかしいなと思い、病院へ行った。

こういうとき、土曜日にやっている病院というのはありがたいものですな。

近所にある小さな病院。内科と小児科をやっているようだ。

普通の一軒家のような造りになっていて、引き戸のドアを開けると、そこはちょっとした靴を脱ぐスペースがあって、あとはすぐに待合所だった。なぜかベビーベッドがあった。待合室に。病人たちがたむろする待合室に。

でもなんか、田舎の診療所みたいでいいなと思った。田舎の診療所なんて知らないけど。

 

病院の造りなんてどうでもいいんだ。

問題は診察料だ。

結局問診の末、疲れじゃない?みたいなことになった。食中毒とかだったら熱が出るし、吐き気もある。でも僕にはそれがない。ウイルスの可能性はあるけど、それほど症状が重くないから一旦様子見ってことになった。

まぁ何でもかんでも検査するより、問診の末に検査はいったんせずに様子を見るならいいかと思った。

診察室を出て待合室の椅子に腰かけ、やがて呼ばれて会計をした。

診察料は1050円だった。

 

 

僕は武蔵境の自転車屋のおじさんを思った。

チェーンが外れて、工具なしでは直せないような状態になって持って行った時のことだ。

おじさんはチェーン以外にも色々と見てくれて、受け取りに行ったときにはチェーンが直っていたのはもちろんのこと、ブレーキやサドル、ペダル、あらゆるところのガタを直してくれていた。それで525円。

 

 

別に僕は今回の医師を批判しているんじゃない。彼は人当たりも良かったし、偉そうなところもなかったし、何よりも色々な可能性を示唆した上での判断を下し、それを全部僕に説明してくれた。「●●の恐れがあるので念のため検査しましょう」といって、いたずらに金を巻き上げるクソ医者の100倍もいい医者だと思う。

 

検査が一体どれだけの“病気”を生み出してきたか。

 

きっと診察料は決まっているんだろう。

問診いくら(何ポイント)、触診いくら(何ポイント)、薬の処方いくら(何ポイント)みたいに。

しかたない。

 

 

ただ、この1050円とあの525円を比べてみると、やっぱりこの世の中はどこかおかしいんじゃないかな、と思うんだ。

 

 

ではまた。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月23日 (木)

HEY-SMITH『NO WORRY』

僕が超絶賛中のバンド、HEY-SMITHの最新アルバム『FREE YOUR MIND』の1曲。

YouTubeに上がってたのでアップしてやった。

 

もうこれはイントロから最後までいい!

とにかく爽快!最高!

とにかく聞いてくれ!

 

 

 

 

ね!

 

分からない人はあっち行け!

 

 

ではまた。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

スローのすすめ

急に暑くなった。

しかも、もの凄く暑くなった。

この節電の世の中に、この暑さとどう付き合っていくのか。

 

僕の考え。

気温や体感温度を調整する電化製品は例年並みに使えばいいと思う。

なぜなら、死者が出てしまうからだ。死者が出なくても、体調不良で動けなくなる人が続出する。

そうした場合の経済効果(経済効果って何だ!!)は結構なものになるだろう。マイナスの意味でね。

 

そこでふと思った。

節電のキーワード。

それは、「スロー」。

投げるのスローじゃないよ。節電なんて投げ出しちゃえって意味じゃない。

遅い、のスロー。

電車にしろ、エスカレーター・エレベーターにしろ、歩く歩道にしろ、こういうのを我慢してるんだという意識はどうも健全じゃない。我慢は続かないし。

そうじゃなくて、「ゆっくりやりましょうや」と思ってみる。ゆっくりでいいんだから、歩いていきましょうかとか、階段で行きましょうかとか。

照明の使用についても、「もう夜だから明日にしましょうか」と言って明るいうちに仕事をやめてみる。

 

考え方をスローにしてみたら、案外勝手に節電になる気がした。

そしてそういう社会の在り方は、日本が抱えている社会問題を解決した形になっている気がする。例えば少なくとも、サラリーマンの自殺は減る気がする。

 

なんとなくだけど。

 

 

ではまた。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月22日 (水)

垣根涼介『月は怒らない』

を読んだ。

 

垣根良介の最新長編。

一人の女性に3人の男が惹かれていく物語。

なんていうか説明がとても難しいんだけど、哲学的な内容だった気がする。

生きるとはどういうことなのか、とか。

問答みたいなシーンもたくさんあった。

 

その中で興味深かったのが、「名こそ惜しけれ」という言葉。

これは物語の結構なキーマンのおじいさんが言うのだけど、平安朝末期から鎌倉幕府勃興期にかけて、関東の武士たちがよく口にした言葉なのだそうだ。自分という名の存在に賭けて、恥と感じる行動や、卑怯と思える振る舞い、薄汚い嘘はつけない、という考え方。

いいな、と思う。そういう考え方。

世の中、人がこうだからとか、普通こうだからとか、そういうのが多すぎる。

大事なのは自分が作り上げてきた価値観であり、それに則った行動なのだと思う。

 

他にもかっこいい考え方があった。これは女に惚れる男の一人の、祖父とのやり取りの回想シーン。

 

 

(前略)

―人を、恨んじゃいかんじゃろ。

じいちゃんの笑い声。

人のせいにしちゃ、いかんじゃろ。弘樹。

それはみんな、おまんのせいや。人に起こることは、悪いこともいいことも含めて、みんなその当人のせいぜよ。

そして、こうも付け足した。

完結しろ、と。

自分の中で完結させい。そうすればおまんは、自分の一歩をようやく踏める。

~垣根涼介『月は怒らない』より~

 

 

人のせいにしない。

心がけていることではあるが、どうしてもしてしまうことがある。

理不尽だとか、不平等だとか思うこともあれば、嫉妬心みたいなのを持つこともある。

完結しろ。

なるほどね。たしかに、自分の中で完結させれば、そういうものは出てこないのかもしれない。

 

 

最後にもう1つ。

これは、女に惚れたもう一人の男の言葉。

 

勇気ではない。勇気は持続しない。結局のところ、明日に向かう手段は、気組みしかない。

~垣根涼介『月は怒らない』より~

 

その通りだと思った。

気組みとは心構えのこと。そういうのが大事。

勇気なんてものは実はなんでもなくて、ただの優柔不断の人間がやっと決断できることをそう表現しているだけだ。

それよりも常日頃、何を考え、そして、何を大事にしているのか。

それを行動の基準や根拠にできるもの。

そういうのが、人生をつくるんだと思う。

そしてそれは人それぞれだから、どんな気組みにしろ、そういうのを持っている人のそれを、絶対に否定してはならないんだと思う。

 

 

結局よくわからない話になったが、とにかくお勧めだ。物語も何気ハッピーエンドっぽく終わったし。

 

 

月は怒らない Book 月は怒らない

著者:垣根 涼介
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 

 

ではまた。

 

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年6月20日 (月)

堀江邦夫『原発労働記』

を読んだ。

 

美浜、福島第一、敦賀。それぞれの原発で自ら労働者となって働いた著者の記録。

過酷な労働に、労働条件。放射能の測定方法と上限の設定。そして事故隠し・・・。

3つの原発でのさまざまな問題がここには描かれていた。

 

ただこの記録は僕が生まれた年とかそのへんのもの。1983年とかそのへんのものなんだ。

だからこの情報をそのまま今の原発運営にあてはめられるかどうかは分からない。ただ、現代にも共通するところはあるんだろうなと思う。何となく。

 

しかし思った。

原発で働いている人がいるんだなって。しかもその中には、人が入りたがらないようなところ、つまりは放射線量が高いところで働いている人がいるんだなって。そしてその人たちは、他に働くところがなかったりして、そこで働いてるんだなって。僕たちがここにきてはじめて、放射能放射能って叫んでるけど、その人たちは今までもそして今でも、変わらずに放射能を浴び続けてるんだよなって。

あー。

なんか、あー。

 

 

原発労働記 (講談社文庫) Book 原発労働記 (講談社文庫)

著者:堀江 邦夫
販売元:講談社
発売日:2011/05/13
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 

 

ではまた。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

スーツおじさんのためにエアコンは動く

今日は取材だった。だから昼過ぎに電車に乗った。

そしたら何と、電車は寒かった。

節電どころか、エアコンガンガンだった。

なんでこんなにエアコンつけてんだ?と思って横を見ると、ご丁寧にスーツを着込んだおじ様がいた。

この人のために半袖の人には寒いほどにエアコンをつけているのかと思うと、いったい僕らは福島原発事故からエネルギー問題の何を学んだんだろうと思う。

 

人は変わらない。

 

そう思うと、何だかすべてが無意味に思えてくる。

そもそも“意味のあること”ってのは何かよくわからないが。

 

 

ではまた。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月19日 (日)

続行原発

どうやら政府は原発をやめることはしないようだ。

それでいいのか?

例えばイタリアでは国民投票によって原発の開発はストップしたし、世界的にも原発いったんやめで、という気配のような気がするのだが、事故った当事者の日本はそれには乗っからない。

一体誰の圧力だ。

原発で儲けている誰かか。

まぁたくさんいるんだろう。何とか財閥とか何とか大臣とか何とか株式会社代表取締役とか。そこで働いている人もたくさんいるし。

それでいいのかと思う。

せっかく国民の意識も変わっているところで原発を廃止しないで、一体いつ廃止するのか。それとも、永遠に原発をやめないのか。一旦起こしたら止まらない核反応を、「やべ!水で冷やせ!」とか言いながら、いつまでもビクビクしながらやっていくのか。

 

確かに原発があれば楽だろう。

いったんそれでエネルギー問題はクリアだからだ。これまで通り、てな。

人口の問題と食料の問題とエネルギー問題。

日本がこれからも独立国家として長く続く気なら、今こそ考えるときじゃないのかね。

知らねーけど。

 

 

ではまた。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月16日 (木)

楽を嫌うな

日本人だけだかどうかは知らないが、僕たちは楽を嫌う傾向がある。

いや、楽を嫌うというよりも、“他人の楽を嫌う”のかもしれない。

「あいつは楽ばっかしようとして・・・」みたいな発言を何度聞いたことか。

 

なぜ楽する人を嫌うのか。

それは、僕たち日本人は苦労すればその先に成功があると信じているからだと思う。

たぶん太平洋戦争後の復興がそう思うようになった主な要因。

働けば働くほど豊かになった時代。

たしかにそんな時代に楽をしている奴を見たら、「何楽してんだお前!」とでも言いたくなる。

 

でももう時代が違うんじゃないかと思う。

働けば働くほど豊かになる時代なのか、今は。

たぶん違うんだと思う。

むしろ人は、働き過ぎて不幸になっている時代のように思える。

働き過ぎて病気になり、人間関係を崩壊させたり、経済的に追い込まれたり、ひどければ死んだりする。

そんな時代に「楽はダメだ」などとどうして言えるのか。

 

楽が悪いわけじゃない。

 

正しい楽なら推奨されて然るべきだ。

例えば誰かを幸せにしようとしたときに、自分が苦労をしたら、その分相手を幸せにできたと思う。でもそれはただの錯覚の場合もある。自分の苦労が見えない場合、自分の苦労の度合いなんて他人にはまったく関係のないものになるんだから。

 

理想は、自分が楽して相手も幸せ。

 

そう考える僕は、最初から苦労をとろうとする人を見ると、「この人は理想に生きていない」と思う。

だからって別に何を言うわけじゃないけど。

結局ここでボヤくだけだけど!

 

 

ではまた。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月15日 (水)

認識的菅内閣退陣

今日は仕事の関係で中学1年生4人と話す機会があった。

上司と僕で、色々なことを質問した。

やがて話題は最近のニュースのことになった。

 

「最近のニュースで印象に残ってるのある?」と僕が聞くと、一番右側に座っていた女の子がこう言った。

 

 

「菅内閣の退陣」

 

 

上司がすかさずこう言った。

 

 

「“まだ”退陣してないよ」

 

 

これがくだらない政局争いの結果だ!

 

 

ではまた。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月12日 (日)

幸せお婿

今日は珍しく父親の話をしてみようと思う。

実名を出しているせいで個人が特定されてしまうから、あまり身内のことは書かないようにしているんだけど、今日は良いことを書くから許すことにしようと思う。

 

実は僕に続き妹も結婚することになった。

今日、二人が揃って実家に挨拶に来るということで、僕と兄も同席した。

僕も去年の12月に嫁の実家に挨拶に行っていたので、そんなことを思い出しながら「一応緊張してくるんだろうなー」なんて思っていたが、うちにやってきた彼氏さんはスーツ姿でもなければ緊張して正座をするでもなく、ふわっとした感じで来た。羨ましいな~とは正直思ったが、別にそんなことはどうでもいい。うちはそういうのをほとんど気にしない家族だからだ。

とはいえ、形式的であれ一応結婚の報告を二人から両親にした。最初に。

今月末に入籍します、みたいなことを言って、それに対し父がはじめから用意していたようにこう言った。

 

 

「娘は君を幸せにしてくれそうかい?」

 

 

逆?と思って聞いたが、「逆じゃない」と言っていた。

うちの父親がお婿さんにとって超有難い存在ということがわかった瞬間だった。

世の中には色々な父親がいるもんだ。

 

 

ではまた。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月 5日 (日)

認定悲劇

今僕は電車に乗っている。ドアの際に立ち、ちょうどつり革に掴まって立っている人を一望できる位置だ。

そこに一組の親子がいる。父と母と息子だ。息子は父親の脚に抱きつき、母親はつり革を掴むために腕を上げたがゆえに着ているTシャツの裾が上がり、腹が見えている。


腹が出ていることは仕方ないと思う。
しかし、腹が出てしまっていることに気付かないことが悲劇だ。


しかしこれは僕が思い込んでいただけの悲劇だった。母親は気づいてズボンを上に引っ張り上げ、Tシャツの裾を下に引っ張った。

結果、腹は隠れた。


しかし腹は再び姿を現した。身だしなみを整えるのを終えた母親が再びつり革を掴んだ瞬間に、ベルトをしていないズボンは下がり、上げた腕につられてTシャツは上がった。
結果、腹は、出た。


これこそが悲劇!どうしようにも、今からでは手の打ちようがない!座ろうにも席がない!人生という単位でこのような悲劇に見まわれている人がきっといるのである!それがこの、やり直しのきかないクソッタレ社会の象徴なのである!だから腹が出てる女性には、席を譲るべきなのである!


それに比べて、悲劇に気付かない悲劇のなんとかわいいことか。
悲劇に永遠に気付かないならば、そこに悲劇はないということなのだから。


ではまた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月 4日 (土)

セーフティー告発

今日は映画『ヤバい経済学』を観てきた。

こういうノンフィクション系の映画を観るのは久しぶりだった。

どうやら、世界で400万部以上を売り上げた同タイトルの書籍を映画化したものらしかった。

内容は要するに、世界の常識を疑ってみる、というようなものだった。

命名ビジネスが盛んだけど、名前って何か関係あるの?とか、人は報酬次第で努力をして成功を収めることができるのか?とか、犯罪が減ったのは本当に警察のおかげなの?とか。

 

映画の放映の後にトークショーがあった。実はこの映画の中には角界の八百長問題なども入っていて、その告発活動(?)をしているジャーナリストと元力士が来て、角界のことについて、主に八百長について話していた。

その二人が言うには、少なくなったけどやはり今も八百長はあるらしい。白鳳は八百長をやっている派みたいだ。連勝を止められた相手はガチンコ派で、元力士は「ガチンコ力士に負けてよかった」と言っていた。

そこでさらにわかったことは、八百長に乗ると一番あたり約70万円がもらえるということだった。一回負ければ70万円・・・デカい。もちろんこの元力士も八百長をやっていた人だ。だからわかるんだ。

 

僕は正直相撲の八百長をそれほど大きな問題とは捉えていない。八百長が許せないなら見なければいいと思っている。それでも相撲が見たいなら、新しい団体を立ち上げるしかない。その活動が生まれることなく、ただただ八百長はダメだと言っても何だか説得力がない。

 

まぁそんなことはどうでもいい。相撲には本当に興味がないんだ。

それより告発だ。

このトークショーに来ていた元力士。引退して今は主に外国のマスコミに対して八百長の問題を暴露しているようだ。それはいい。問題を明るみに出して物事をよくしようという動きは歓迎されるべきだ。しかし僕はトークショーを聞いていてちょっと不愉快だった。それは、たまにこの元力士が八百長をやっている力士をネタに笑いをとることだった。もう自分は関係ない。今やってる奴らが悪い、というように僕には聞こえてしまった。現役時代には自分もやっていたのに、自分が今は相撲と関係のないところにいるからってあのような話し方をするのは、ひどく卑怯な気がして、気に食わなかった。

告発にリスクが伴わなければならないとは思わない。ただ、自分の過ちをあたかも無きもののようにして話すのは、卑怯だ。

そう思った。

 

ただ映画自体はとても面白かった。

エンターテイメントとしてもちゃんと楽しめる。

観て損はないと思う。

 

 

ではまた。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

必要だと思っている手続きは本当に必要なのか

この状況でまだ政局争いをしている。

外国から見たら実に滑稽な光景だろうなと思う。

ただでさえ、「あれ?今の日本のシュショーって誰だっけ?」とか思われているに違いない国家なのに、「あいつらはこの期に及んでまだやるか」とまで思われたいのか。

 

確かに総理大臣の近しいところから不安・不満の声が挙がるのはちょっと危ない状態なのかなと思う。それほど菅直人という人間は問題のある人間なのかもしれない。

でも、だからってなぜ不信任案なのか、と思う。その手続きが必要なのか、と思う。

 

総理大臣は無視できないのか。

 

日本人の良さでもあると思うけど、やはりどこか生真面目すぎやしないか。なぜ従来の手続きをそこまで大事にするのか。もし総理に問題があるなら、総理を無視してやれないのか。

 

「いや、最終的な判断は総理がやることになっているから・・・」

 

そんな主張をする人がいるのかどうか知らないけど、総理に判断を回さないでやる方法はないんだろうか。つまりは、“勝手にやる”ってことなんだけど、それこそ自民党なんて力的には民主党と何ら変わらないんだから、民主党がやることが気に入らなければやればいいじゃないか。

「復興のための法律を作らなければならない」?

そうなのか?本当に法律がなければできないのか?確かに後々の責任問題を考えれば法律はあった方がいいし、それに則ってやる分には個人や一政党の責任問題にはならない。

ただそのためにまずやらなければならないのか菅降ろしであり、政権を獲ることなんだ、というのであればガッカリもいいとこだと思う。

そんなことをやってる間に、あなた方が管を降ろしてやろうとしていることの重要性と必要性は失われていくんだから。

 

不信任案の反対討論をする民主党議員の話を、議席の一番後ろでポケットに手を突っ込みながら野次を飛ばして、まるでヤクザみたいな態度で聞いている自民党の谷垣総裁を見ていると、菅を降ろしたって、また自民党に政権が戻ったって、絶対に何も変わらないじゃないかと思わざるを得ない。

 

だから僕は提案したい。

真にこの日本をどうにかしたい、東北の復興に全力を注ぎたい、そんな政治家の人。

もう勝手にやろうじゃないか。

もしその勝手が効果的であるなら、人はついてくると思うよ。

今の政治不信はそこまできてるよ、もう。

今支持を集めているのは、震災直後に単身被災地へ乗り込んでいった江頭2:50なんだよ。

 

 

ではまた。

 

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年6月 3日 (金)

セブンイレブンの顧客至上主義2

また例のセブンイレブンの話。

どうやら今セブンイレブンは、夜のお客さんを増やそうと、お弁当や総菜が18時以降安くなるキャンペーンをやっているらしく、レジにそのクーポン券が置いてあった。

この前僕が買い物を済ませて店を出ようとすると、この前の、ちょっと変わった顧客至上主義を持つ店長が、「お兄さん、今キャンペーンやってるからさ、これ持って行ってよ」と急に馴れ馴れしく話しかけてきて、クーポン券がついたチラシを大量に袋に入れてきた。

はぁ、と言って店を出ようとすると、「お兄さんの顔見かけたらまたあげるからね」と言ってきた。

 

やはり彼はどこか、ずれている。

 

 

ではまた。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月 1日 (水)

殺人の理由

例えば自分の家族が誰かに殺されたとする。

きっと僕は怒るだろうと思う。

しかし殺された理由が、「相手の大事なものを壊した」とか「相手を酷く侮辱した」とかだったらどうだろうか。僕は同じように怒るのだろうか。

「殺すことはないじゃないか」

と思うだろうか。

僕はそう思わないんじゃないかという気がする。

もし先に相手に何らかの害を与えたのが僕の家族の側だったら、僕は非を謝りさえするかもしれない。

 

なんでそんな風に思うんだろうか。

僕がそう思うってことは、僕はこの世に殺されても仕方ない理由があるってことになる。

うーん、でも、そういうわけではないんだよな。

何ていうんだろう・・・。

結果としての死には仕方ないものもある、っていう感じかもしれない。

 

例えば僕が相手を侮辱して相手がもの凄く怒り狂って僕を殴ったとする。それで僕が死んでしまっても、仕方ないな、という感じ。きっと相手は殺すことまで考えなかっただろうし、ただ怒って殴っただけ。その結果がたまたま死になっただけ。

そう考えると、相手にそれほど憎しみはわかない。気がする。

 

ただただ想像で言ってるだけだけど。

 

 

貫井徳郎の『空白の叫び』を読んでいてそんなことを考えた。少年が殺人を犯す小説だ。3人の少年が、それぞれの状況で、それぞれの考えで、それぞれに人を殺す。まだまだ序盤だが、かなりいい小説だと思う。

人が人を殺すことについて考えてしまうほどに。

 

 

ではまた。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »