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2011年6月27日 (月)

腹痛と医者と高齢化社会

人はいつ死ぬべきか。

 

まぁべつに死ぬべき時があるなんて思っていないんだけど、この前腹痛がずっと治らなかったときに考えたんだよね。

 

 

これが医者にしか治せない病気なのだとしたら、これは治すべきものなのか。

 

 

治せるものは治すべきだという考え方が主流で、だから医療はどんどん進化を続けている。

その結果、人(ていうか日本人?)はやけに長生きをするようになってこの社会構造になった。

この社会構造を支えていかなきゃならない世代だからこそ、考えてしまう。

 

病気はどこまで治すべきで、どこであきらめるべきなのか。

 

こういう話をすると本当に不快な思いをする人とか、悲しむ人が出てきて、結局僕が悪者みたいになって本質的な議論にならないから普段はできないんだけど、やっぱ大事な問題なんだと思う。

 

だってバスとか電車とかで高齢者の集団に出くわす度にちょっと思ってしまうんだ。

高齢化社会ってヤバいって。

 

もちろん死ぬ直前まで働ける高齢者もたくさんいるだろうけど、相対的に見ればそうではない。若い人の労働力には勝てない。勝ち負けの話ではないけれど。

そして高齢者はめちゃくちゃ病院へ行く。

 

支えられるのか、これ?

 

と素直に思う。

 

 

じゃあ高齢者は死ねっていうんですか!?

 

 

ってすぐ感情的になる人は言うんだけど、僕もそうは言いたくないから困っている。でも言いたいことはそういうことだから、なおさら困る。

まぁでも僕が言いたいのは高齢者だけの話ではない。僕も含め、人間が死ぬべきときはいつかってことだ。

もっと言えば、どこまで医者にかかるのか、ってこと。

 

 

病気でも、自己治癒力で治せるものについては、そこが死ぬべきときではないということになると思う。そしてさらに、医者でもどうしようもできない病気は、もうそれは誰が何と言おうと死ぬべきときなんだ。寿命といってもいい。

問題は、医者にかからなければ死んでしまうが、医者にかかれば治る病気のときにどうするか、だ。

正直実際の選択は、お金さえあれば絶対に医者にかかって治すんだと思う。

でもそれを突き詰めていくと、クローンでも何でも、人を治すためならやってしまえという考え方にいきついてしまうんだ。

手術はいいけど移植はダメとか、移植はいいけどクローンはダメとか、何だか境界線がよくわからない。

で僕は移植も正直あまり好きにはなれないし、クローンなんてもってのほか。そう考えると、医者の手にかからないと生きられない状態って、どうなんだろうと思ってしまった。

 

僕は結局病院に行って薬を飲んで腹痛を治したけど、もしかしたらあれが僕の死ぬべきときだったのかもしれないと思うと、何だか人間の本来の命ってのは本当に儚いものだなぁと思ったんだ。

 

もちろん技術の進歩をむやみに拒否するべきではないと思うし、生きることが罪だなんてこれっぽっちも思っていない。

ただ真剣に、生きられるだけ生きるっていう考え方を見直してもいいんじゃないかなと思う。マジでヤバい高齢化社会を生きる人間としては。

 

 

長く生きるっていうよりも、良く生きてよく死ぬっていうのを大事にしてもいいんじゃないか。

 

 

うーん、どうなんだろう。

こういう考え方はやっぱり、年寄りを大切にしていないとかいうことになるのかな。

 

でも世の中には年寄りが長生きしていることで苦しんでいる人もたくさんいるからさ、でもそういう人だって年寄りに「死ね」なんて言えない。だからこそ、日本人全体で価値観を変えられたら素敵だなって思うんだ。

ちゃんと死ぬこと。

 

僕は結構大事なことだと思う。

 

 

でもこういうこと言えないからなー。政治家なんて絶対に言わないし、普通の人だって言えないよね。

やっぱ僕が悪者だよな・・・。

まぁいいや。

 

思っちゃったんだもん。

 

 

ではまた。

 

 

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