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2011年10月 4日 (火)

鉢呂さんへの配慮は欠いていい理由がわからない

今日は会社で本当に驚くことがあった。

それは人権何たら委員会という、人権を考慮した表現を心がけましょうという委員会が主催する講演会だった。

人権とは、要するに、全ての人は無闇に傷つけられなくていい権利のこと。たぶん。

この講演では、こういうことを言うとこういう人が傷つくとかいうことを、別に当事者を交えずに勝手に反省していた。テレビの自主規制と同じ。誰も規制していないし、誰も怒ってないのに、「これを言うと怒る人がいる。だから前から禁止されていたんだ」と思い込み、勝手に禁止ワードを設定する。

そんなことについて、この講演では、人権に配慮しましょうということを繰り返し言っていた。

 

そんな流れの中だった。

最後の締めにと、とても偉い人(もはやそれは、どこの誰だだかもよく分からないのだか)が、自分の『人権論』を語った。

僕が心の底の底の底の底から驚いたのはここだ。

彼女は何と、この人権配慮に欠けた例として、先日の前鉢呂経産相の「死のまち」発言を出したのである。彼は配慮を欠いたと、彼女は言った。会社の、偉い人、彼女は言った。

福島の人のことを思うと、こんな発言は出ないはずだと言った。

僕は驚いた。まさか、会社の偉い人が、大勢の前で、そんなことを言うとは思わなかった。あの発言はどちらかというと、「原発村」の人たちへの配慮を欠いた発言(つまり、原発によって死のまちが生まれたなんて、原発推進派が聞いたら怒るに決まってる。全部隠したいんだから)であり、福島の状況を正確にわかりやすい表現で話した言葉だったからだ。

それを今さら、「あの発言は福島の人を傷つけた」だなんて。野党とワイドショーの“コメンテーター”しか言わないようなことを、会社の偉い人が大勢に対して言った。

僕は本当に驚いた。

覚えてないけど、そのときの僕はきっと、開いた口がふさがっていなかったと思う。

 

 

ではまた。

 

 

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