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2011年12月

2011年12月26日 (月)

お酒の失敗を振り返る

2011年の振り返りついでに、これまでのお酒の失敗を振り返ってみたいと思います。

 

始まりは確か成人式の日です。

成人式が終わり、中学の同窓会でお酒をアホみたいに飲んで失敗しました。

馬鹿みたいに早稲田大学に入ったことを言い触らし、口に含んだ食べ物を吹き出し、あげくの果てには酔い潰れて店を出たところの階段でゲロしました。友人に抱えられながら帰ったのを覚えています。

 

あと大学の時だと、ゼミ合宿のことをよく覚えています。

たしか冬のスキー場だったと思うのですが、先輩にまずい焼酎を飲まされ、ひどく酔った僕は、先輩に「お前!死んで詫びろ!」と暴言を吐いたり、間違えて隣の部屋に入ったり、和式トイレでウンコを外したりしました。次の日先輩が、「最悪だよ。ウンコあるよ」と言っていたのにも普通に気づかず、ふと見た自分の靴下にウンコが付いていたことで「あ!俺か!」と気づいたにもかかわらず、誰にも言わずにそっと靴下を脱いで廊下のゴミ箱に入れたのをとてもよく覚えています。しかもその晩は後にも先にもあれしかない、寝ゲロをしました。

 

あとは会社員になってからですね。

飲んで記憶を失い、気がついたら家なんてことは飲み会の度と言っても過言ではなかったし、気がついたら知らない道を歩いて迷子になっていたなんてこともありました。

 

あと後悔と言えば怪我ですね。

ROONEYSのみんなとキャンプに行ったとき、酒を飲んだあとに山を散歩して、ちょっと高いところから下に飛び降りられるところから飛び降り、踵を強打して完治に数ヶ月かかったこともありました。あれほど後悔したことはありませんね。あれ以来、高いところからは飛び降りていません。

 

あと思い出されるのは広島一人旅ですね。

結婚している身なので言うのもはばかられるのですが、反省のためには一度吐き出した方がいいし、当時は独身で彼女もいなかったからいいでしょう。

昼間はちょっとだけビールを飲みながら観光をしていたのですが、夜の街でおかしくなりました。最初は普通の居酒屋で飲んでいただけだったのですが、だんだん酔っ払ってきておかしくなり、まずはガールズバーに行き、そこでカウンターにいる女の子に酷いことを言いました。と言っても、「え~、じゃあこの後遊んでくれるの~」とかいうのに対して、「え、やだよ」と言ったくらいだったと思いますが。もっと最悪なのはその後です。勢いづいた僕は一人キャバクラへ行き、最初の女の子にくだくだと説教をして、挙句の果てには「もうチェンジだ、チェンジ」などと言う始末。そして帰りのタクシーでも、「広島は最悪ですね」などと言う始末。最悪なのはお前だ、と運転手さんは思っていたんでしょう・・・。

 

他にももっともっとあります。

飲んだ次の日に、「もうでっかい声で下ネタばかり話すから恥ずかしかった」と友人から言われたこともあります。

今年で言えば、飲んで気が強くなって人にぶつかっておいて舌打ちをするという愚行にまで及びました。(http://ken-chan-blog.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-e141.html

 

そして忘年会です。

サッカー部の忘年会では、そんなに酷いことはしなかったと思いますが、ROONEYSではやや酷かった。嫁が「声が大きい」と注意する声を無視してでっかい声でべちゃくちゃべちゃくちゃ。さらに友人の頭を叩く叩く。まぁ僕も叩かれていたからこれは良しとしています。

問題は職場の忘年会。異動してまだ3ヶ月も経っていない僕が、何を勘違いしてるのかべちゃくちゃべちゃくちゃ。しかも偉そうに。何も分かってないくせに、思ったことをすぐ喋っちゃう。さらに僕の説教の時間になるとそれに反発して悪態をつく始末。今思えば何をそんなに興奮していたのか分からないから余計に恥ずかしい。何か譲れない何かがあって怒っていたわけじゃなく、たぶん自分の安いプライド故に怒っていたんです。しかも悪態つくだけついて先に帰るっていう・・・。もう本当に最悪だなと思いました。

だからこんな反省をわざわざしています。一度まとめて思い出して、自分がいかに酒癖が悪いかを、再認識しようと思ったんです。

もちろん、酒をやめる気はありません。お酒によって生まれる良いコミュニケーションは確実に存在していることまで疑う気はないんです。

ただ僕の場合、飲み過ぎたらその良さを消してしまうから、飲む量を考えなさいということなんだと思います。別に酒に強いわけじゃないから、すぐに酔っ払うんです、僕は。だから実は、そんなにたくさん飲む必要はないんです。でも、なんか口寂しさに飲んでしまうというか、そういうところがあるんです。

だからこの2011年を最後に、僕は本当にお酒を一度に飲む量を落としていこうと思うんです。

 

 

そういう宣言でした。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年12月25日 (日)

結婚式を振り返る

2011年を振り返るシリーズで、結婚式を振り返ってみようと思います。

 

結婚式の準備をしている間は、結婚式はなんで必要なんだろうと思ったりすることもありましたが、最終的にはやってよかったなと思っています。

なぜそう思ったのかを残しておこうと思います。

誰か、結婚式をやろうかどうか迷っている人がここにたどり着いて、「あ、やろうかな」などと思ってもらえれば幸いです。

 

結婚式・披露宴をやることの良いことは、人生を考えることだと思います。

結婚式は、式場を選んだり、式の形式を考えたりすることもありますが、その準備のほとんどは披露宴のことに費やされます。式は当日結婚式場の係の人に全部誘導され、ほとんど受動的に行われてしまうほどです。だから僕が考える結婚式・披露宴の良さのほとんどは、披露宴にあります。

披露宴の準備は、誰を招待するかというところから始まります。

誰を招待しようか。一体俺は、誰に来て欲しいのか。なぜその人に来て欲しいと思うのか。そんなことを考えます。

ある人を呼びたい理由は、『この節目の日に改めて感謝の気持ちを伝えたい』。

ある人を呼びたい理由は、『あの頃の俺がこの人と結婚したよ、と報告したい』。

ある人を呼びたい理由は、『この人がこれから一緒に歩んでいく人です、と紹介したい』。

過去も未来も、自然と考えることになるんですね。

これがつまり、人生を考えるということだと思います。

過去を振り返り、誰にお世話になったのか、誰と笑い、誰と悩んだのかを考える。

未来を思い、誰と歩いていくつもりなのか、未来の人生にもいる人は誰なのかを考える。

そういうことを考える機会なんだと思います。

そうすると、自分の人生というものがいかに周りの家族や友人、先輩や恩師によって作られてきたものかが実感できますし、これからの人生を自分がどのように生きていこうとしているのかを確認できます。

だから結婚式をやることは良いです。

 

 

あと結婚式をやることの良いことは、表現の場となることですね。

人によってはパートナーへの愛を表現する場所だったりするのでしょうけど、僕たちは感謝を表現する場と考えました。とにかく来てくれた人たちに感謝を何らかの形で伝える。主に、普段なかなかできない言葉という形で。あるいは文字にして。たまに音楽の力を借りられるのも結婚式の良いところです。ちょっとくらい臭いセリフも、結婚式なら大丈夫。思い切って表現できるんです。普段なら絶対にできない。でも結婚式だったらできる。感覚としては、結婚式という場所を利用するって感じに近いかもしれません。

 

 

他にも、結婚したとこを周囲に知らせることによって離婚しにくくなるとか、色々な良い面があると思います。

もちろん、結婚式・披露宴をやる理由は様々でいいと思います。

経済的な理由で挙げられないという人もいると思います。

僕も、あまりお金を掛けることに意味はないと思っています。

 

でも思うのは、お金を掛けなくていいから、披露宴だけはやった方がいいということです。式は本当に形式的な面が大きいと思うので、正直あまり必要ではないかなと思いますが、披露宴は先に述べた理由で本当に良いものだと思います。

目的を本当にシャープにすれば(ただただ感謝の気持ちを伝えたいだけなんだとか)、お金は掛けずにできると思います。ただ、自分主催のパーティーをやればいいだけですから。

というわけで、披露宴のススメでした。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年12月24日 (土)

2011年を振り返る

こんばんは。

『アフロ田中』シリーズを高校からさすらいの最新巻まで全部読み直して見ました。

なんだか、一度気軽に仕事をやめてみても平気なんじゃないかという気がしてしまいました。

 

 

さて年の瀬ですね。

何だか急に2011年を振り返ってみたくなったので、振り返ってみます。

過去のブログを読み返しつつ・・・。

 

 

やはり一番に思い出されるのは「東日本大震災」。

僕は地震があった3月11日は会社にいて、たしか震度5弱というものを経験しました。

あの時は本当に死ぬんじゃないかと思いました。もちろん東北の人からしたら、「何言ってんだ」って感じかもしれませんが、思ってしまったんです。そして、不可抗力的に死ぬことの恐怖を知りました。嫌だと思いました。

 

その後は原発事故に精神を軽く痛めつけられました。

とにかく真実が分からないから、主にインターネットを駆使して情報を集めました。テレビで枝野(当時官房長官)が言う、「安全」とか「害はない」ということとは裏腹に、ヤバい情報が溢れていました。ますます僕は混乱し、どんどん憂鬱になっていったことを今でも覚えています。そのせいでツイッターも始めたし、携帯をスマートフォンにも変えました。情報に振り回されまいとするよりも、無知であることの恐怖が勝った瞬間でした。

 

その間には入籍をしました。3月21日。地震から10日後でした。

地震があったこととは関係なく、無事に予定通りの日に入籍をしました。

もう9ヶ月も経つんですね・・・。結構早く感じます。

 

原発関連のことははそれからずっと情報は集めていましたが、まぁそれについては今日はいちいち書きません。そういえば東電が来春から事業者向けの電機料金を2割上げるとか発表しましたね。本当に腐ってますよね、東電って。経営責任ってなんでしょうね。まぁいいや。

 

 

今年の夏は僕にとっては本当に辛い季節でした。

節電とかそういうくだらない茶番劇のことを言っているのではなく、極めて個人的な体調不良と結婚式の準備が重なったことです。

体調不良とは、喉の腫れと、その後やってきた正体不明の首の腫れです。喉の腫れは、何度も何度も病院へ行っては薬をもらい、治療をしていたのですが、結局完治せずに悪化して、最終的には喉に溜まった膿みを直接注射で取りました。激痛でした。

首の腫れは、今でもよくわかりません。どんどん腫れていって、一時はその腫れのせいか頭痛までしてくる始末だったのですが、やがて勝手に落ち着いていって治りました。医者もずっと「よく分からない」を繰り返していたのですが、悪性のものじゃないと分かると、「まぁリンパが腫れてたんだろうね」と言って終結させました。

話は変わりますが、今年の東日本は、急性白血病や甲状腺まわりの病気などが急増しているという噂があります。あれだけの事故が福島で起きたのですから、僕たち東京に暮らす人たちにも、何らかの影響が出てもおかしくないでしょう。「それはお前、言い過ぎだよ」というのは簡単ですが、影響が出る可能性は否定できないでしょう?放射線は人体に影響を確実に及ぼすのは明らかなのですから。

 

とまぁ何とか夏を乗り切って、秋。

ここでも驚きのことがありました。

まさかの期中異動。

編集部から営業部へ。もうビックリしましたし、ただの組織の都合でこんなタイミングで異動させられて、もう怒り心頭でしたね。まぁすぐに慣れたんですけど、組織に対する怒りはずっとありますね。まぁここで言うつもりもありませんが。まぁ来年からの異動を希望していたのは事実ですし、仕方ないと割り切るべきだったんですけどね・・・。ただの駒・部品として扱われたのが腹立たしかったんです。

 

 

そして11月、ずっと準備をしてきた結婚式です。

正直思い返すのも恥ずかしいのですが、嫁がしっかりやってくれたおかげで自分で言うのも何ですが、ちゃんとした式と披露宴にできたと思っています。もちろん失敗も数多くありましたが・・・。

結婚式が終わってからというものの、ある曲を聞くといつも披露宴のことを思い出すようになりました。それは、僕が今年大好きになったバンド、HEY-SMITHの『FAMILY』という曲です。

これは披露宴のエンドロールのBGMとして流させてもらった曲なのですが、僕はエンドロールの曲を決める時、絶対にコレがいい、と嫁に主張しました。一般的には知られていない曲だし、歌詞も英語だからたぶん伝わらないとは思ったのですが、歌詞の内容が僕の思いと披露宴のコンセプトにぴったりだったので、嫁に主張しました。嫁も結構この曲を気に入ってくれて、すんなりOK。だから思い入れのある曲なんです。たまに泣きそうになるくらいに、思い入れのあるものになりました。

本当にいい歌詞なので、ちょっと僕が勝手に翻訳した歌詞を載せたいと思います。

ホント、英語できないやつが適当に翻訳してるだけなんで読み飛ばしてもらって結構なんですけどね・・・。

 

 

色々と助けてくれて 一緒にいてくれたことに感謝

こんな優しいものを感じたことは 今までなかったよ

少しずつ どんどん大きくなっていったんだ

僕の心の底から

少しずつ 僕の一部になったんだ

僕の人生の一部に

あなたは僕を変えてくれた人

もちろん ポジティブな意味で

あなたの愛に 本当に感謝しています

毎日 毎晩 いつだって チャンスをくれた

恩返しがしたいんだ

毎日 毎日

この気持ちは強くなるよ

この関係性が永遠に続くように

I love my family

 

 

うわ~。何か文字にするといやらしいですね汗

うん、でも、本当にこれがしっくりきたんですよね。

最後は訳しませんでした。

僕的には、家族はもちろんですけど、そこに限定したくはなかったので、「家族」というよりは、もっとラフに広い意味での「family」って感じだったんです。つまり来てくれたみんなに向けてのメッセージだったんです。たぶん伝わってないと思いますが(笑)

翻訳は間違ってるかもしれないけど、僕はこういう歌詞だと思って、エンドロールにこの曲を採用しました。

 

ちなみに曲はここで聞けます。(PV)

http://www.indiesmusic.com/MusicNewsdetail.aspx?NEWSID=542

 

 

さてその後は新婚旅行でオーストラリアに行き、年末には色々な忘年会で怒り狂ってきて、今は反省のフェーズに入っています。本当に猛烈反省中です。

来年はちょっと仏教の教えを取り入れて、心穏やかに生きてみたいと思っています。

 

来年もよろしくお願いします。

今年中にまだ更新すると思いますが・・・。

 

 

あ、あと一応告知ですが、来年このブログ引っ越したいと思っています。

最近ココログが何かおかしいので、他へ行きたいと思います。

オススメあれば是非教えてください。

 

 

ではまた。

 

 

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2011年12月19日 (月)

ソンさんとトクさん

いやいや、毎日疲れますね。

僕は最近、疲れを引きずるようになってきました。サッカーをした翌日なんて、本当にエネルギー切れって感じになっている時もあります。

年なのでしょうか。

 

 

今日は損得について話したいと思います。

新婚旅行でオーストラリアに行ったとき、同じツアーの参加者の方が、ちょっと違和感を覚える発言をしていたのをきっかけに考えてみたからです。

案外難しいですよ、損得についての考え方は。

 

 

まずオーストラリアでのそのシーンについて話します。

それはキュランダ高原を回るツアーでの、列車での移動中のことでした。

僕たちツアー参加者は全員同じ車輌に押し込められ、さらに酷いことに添乗員から執拗な営業活動を受けていました。お土産品の営業です。ワインやらチョコレートやら何やらです。

その営業マン添乗員の説明によると、とても美味しい赤のスパークリングワインは、3本買うと1本サービス。6本買うと3本サービスのようでした(たしか・・・)。

まぁよくある販売手法ですよね。

それを聞いた、僕の隣に座っていた男性が同伴の女性にこう言っていたんです。

 

「じゃあたくさん買わなきゃ損じゃん」

 

どう思いますか?

この場合、たくさん買わないと損ですか?

仮にワイン1本の価格を50オーストラリアドルとしましょう。この営業に乗っかって3本買うと、150オーストラリアドルの支払いです。でも1本サービスでもらえるから、200オーストラリアドルの価値を得ることができます。50オーストラリアドル得というわけですね。

6本買うと、300オーストラリアドルの支払いで3本サービスでもらえるから450オーストラリアドルの価値を得ることができ、150オーストラリアドルの得です。

どちらも得です。

でも、「彼」曰く、3本買って1本サービスでもらうことは損です。

なぜなら、『6本買う方が得だから』です。

この考え方でいくと、もちろん6本買うのも損です。なぜならたぶん、12本買った方がもっと得だし、24本買った方がさらに得だからです。

つまり、この「彼」が得を追求している限り、いつまでたっても得をすることができないというジレンマに陥るんです。

 

そん【損】

    [名・形動]
    利益を失うこと。また、そのさま。不利益。「―を出す」「―な取引」⇔
    努力をしても報われないこと。また、そのさま。「正直者が―をする」「―な性分」⇔
    そこなうこと。こわすこと。
    「一命を―にすべきなり」〈曽我・一〉
    ~goo辞書より~
 
 
 
 
 
こんな考え方はとても虚しいし、もったいないなと思います。
得をしないことが損なのだとしたら、得をするか損をするかしかなくなってしまいます。
もちろん、そう考えることはできます。
全てを相対的に評価するなら、すべてのものは損か得に振り分けることができます。基準や対象さえ決めてしまえば、それより利益をもたらすかどうかで判断できますから。
 
 
でも、損得ってそんな簡単なものでもないような気がします。
すべての価値が金銭で測れるなら話は簡単ですが、そうでもありません。
例えばさっきのワインの例でも、買えば買うほど得をするはずですが、でもそんなにワインはいりません。そこに価値があるのかどうかは、よくわかりません。
他にも、誰かにとって価値のあるものは、誰かにとってはまったくの無価値ということは往々にしてあります。
だから結局、僕は損得ってのはただの主観的判断でしかないんだなと思い至りました。
評価の方法によっては損得は簡単に決められますが、そんなのはどうでもよくて、結局自分が「あー、得をした!」と思うか、「あ~、損した」と思うかなんだと思います。
金銭にとらわれれば無用に損をしたり得をしたりしてしまいますが、そこにとらわれなければ、案外世界は『得』に満ちている気がします。
だって勝手に解釈すればいいんだもの。
「得をしないと損」だと無理やりに得を目指すよりも、自然な行動の中から得を解釈によって生み出す方が、幸せになれるような気がします。
ここまで書いて思うことは、列車で隣に座っていた「彼」は、あれはあれで幸せな考え方だったんだなということです。
SonTokumitu


 
 
 
 
 
 
 
 
ではまた。
 

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2011年12月16日 (金)

居場所

お久しぶりです。

ずいぶんと間が空いてしまいました。

なんか部署を異動してから、あまりの役立たず感にブログを書く意欲を失っておりました。

嘘です。

PSPのパワプロに夢中でした。

 

しかし今日は、パワプロを差し置いて書きたいことがあります。

居場所についてです。

 

自分の居場所があるというのは、生きる上で極めて大事なことなんだと思います。

僕は最近、それを実感する日々です。

「ここは俺のいるべき場所だ」

そう思えることはとても幸せなことだと思います。

逆に、そう思える場所が1つもないことは、とても辛いことだと思います。

 

自分の居場所。

たぶん最初にそう思う場所は、間違いなく家庭でしょう。

でも、遅かれ早かれ今の時代はその家庭を一度は失う人が多いです。

核家族化の時代です。

就職のために実家を出て働きに出たり、僕のように大して意味も無く出たり。

そうすると家庭以外に居場所を見つけなければなりません。

まずその候補として思い浮かぶのが、学校とか会社などといった、そこで長時間を過ごす場所です。実際、そこをそう思っている人は多いのではないでしょうか。逆に、もし他に自分の居場所を見つけられている人でも、人生の多くの時間を過ごすそういった場所で自分の居場所を見いだせないと、それだけで辛いものだと思います。

そう思うと、「自分の居場所を見つける」ことも大事ですが、「自分の場所でないと思う場所にいない」ことも精神衛生上は大事なのかもしれません。

要するに、長時間を過ごす学校や会社などといった場所に自分の居場所を見つけられないと、人生はきついということです。

 

「居場所なんてものは自分でつくるものだ」

“できる人”はこんなことを言い出しそうですが、まぁみんながみんなそうはできないですよね。そんなことを言う人が、僕は嫌いですね。

だから僕は改めて思いました。

僕が誰かの居場所を作ってあげられる人になれたらいいなと。

9年間続けてきたROONEYSは、そういう場所になれているのだろうかと。

なれてたらいいなぁ。

と、思います。

 

ここにいていいんだ。

 

そう思えることって、とても大事なことなんだと思うんです。僕は。

 

 

ではまた。

 

 

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