教育

2008年9月15日 (月)

教育なんてお手本を見せるだけでいい

大体どの時代のどの社会にも問題はあるもので、それを分析・解決しようとする人も常に存在していると思います。

もう流行が去った感がありますが、ちょっと前まではニートやフリーターという言葉が流行し、青少年犯罪にも注目が集まっていました。

もちろんこれはマスメディアの仕業であり、実際に青少年が社会悪ということはなかったと僕は思います。

実際に青少年犯罪は増えていないし、ニートやフリーターなんてものは大昔からいたようです。

でもメディアに踊らされた人は皆、自分よりも若い世代の人たちはどこかおかしいと思ってしまいます。

「近頃の若い奴は・・・」ってやつです。(もちろんこれも大昔から中年以降の人の口癖です)

そこで解決策をどこに求めるかと言うと、「教育」です。

子どもがおかしいのは教育のせいだというわけです。まぁ分かりやすい話ではあります。

僕はこの考え方ってどうなのかなと最近思うようになりました。

以前の僕はこれに賛同するような人間で、そもそもから変えなきゃいけないから、教育を変えるのが未来のためには一番いいと本気で思っていました。

でも今はちょっと違います。

教育が大事なのは変わりませんが、そこを大人が重要視するのがどうなのかと思うのです。

誤解を恐れずに言うなら、社会の問題の解決を教育に押し付けるのは無責任だということです。

なぜそう思うのかというと、教育とは実に長期的なもので、すぐに結果が出るものではないし、また、その教育がどうだったかという成果を判定するときに何を見るかというと、結局はその教育を受けた人間の成果を見るんだと思うんです。

教育を変えた人がどうこうって話はたぶんそこにはないんだと思うんです。

もちろん法令とか、政党への批判とかは存在するとは思うのですが、結局全ての責任は教育を受けて育った子たちが背負うような気がしてならないのです。

今の社会を形成しているのは間違いなく大人なのに、問題を教育に押し付けることによって今の大人は責任から逃れることができる。

そういう怖さが教育改革にはある気がします。

 

これは前にも発言したことがあるかもしれませんが、僕は教育なんてあまり気にしない方がいいと思っているのです。

教育がどうでもいいってことではなく、健全な社会であれば健全な子どもが育つでしょうよという、けっこう楽観的な考え方です。

また、今の教育界があれこれやっては失敗しているところを見ると、変えることがいいというわけではないという思いを強くします。

 

家庭での子育ても一緒なのではないでしょうか。

子どもを健全に育てたければ、まず家庭が健全であるべきであり、それ以上はいらないと思います。まぁ僕は独身なので説得力ゼロですが(笑)

国もそれと一緒で、社会が健全であることが教育のためには何よりも大事なのだと思うのです。

だから、教育だけどうにかして改善し、その将来の子どもに期待するというのは何か違う気がするのです。

大人は子どもに手本を見せてやるだけでいいと思います。

子どもは大人を見ていますから。

「俺みたいになるな」なんて教育はおかしいんです。

まずは大人の社会が抱えている問題を自分達の時代でどうにかして、子どもたちにお手本を残してやるのが最高の教育なのではないでしょうか。

何でも教育教育って言うのはもうやめた方がいいです。

そう思います。

 

 

ではまた。

 

 

●参考文献

本田由紀、内藤朝雄、後藤和智『ニートって言うな!』2006年5月

 

 

 

 

 

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2007年6月 9日 (土)

まずは子どもをちゃんとしつけよう

少し前の話なんですけど、仕事の関係で幼稚園年長さんのどもたちに接する機会がありました。

そこで僕は、勉強をする子どもたちを観察しました。

その際僕らホストは、ゲストである子どもとその親におかしとジュースを配りました

そのおかしを食べながら勉強をする子どももいれば、全く手を付けずに勉強をする子どももいました。

想像がつくと思いますが、おかしを食べながら勉強をする子はすぐにおかわりを要求し、勉強に集中ができていないように思いました。

逆におかしに手をつけていない子の集中力は比較的高かったように思います。

 

この機会を通じて僕は改めて実感したことがあります。

それは、教育における親の影響力の大きさです。

つまりしつけです。

今回のおかしを食べるか食べないかという問題を見ても分かるように、しつけというベースができていないと、いくらいい先生がいても駄目だし、いい教材があっても駄目です。

そこから先の教育が成り立つのは難しくなるでしょう。

その状態は現在の学校に現れているのかもしれません。

朝食を食べない

親が子どもを怒らない

このようなしつけのなさが、学級崩壊や学力低下を引き起こしているともいえると思います。

 

しつけというと実に多様で分かりにくいですが、つまり子どもにどれだけ我慢させるかということだと思います

子どもがしたいと思うことをどれだけ我慢させるかです。

僕はテレビゲームが好きでしたが、我が家では一日1時間というルールが幼い頃にはありました。

ご飯の前におかしを食べることも許されませんでした。

まぁうちのしつけはそれほど厳しいものではなかったのですが、最低限のしつけはあったと思います。

今の家庭はどうでしょう?

 

さらに、問題を家庭だけにおしつけるのもやはり駄目です。

教育者にも問題はあります

例えば、おかしやジュースを与えた僕らがまさにそのダメ教育者なのです。

たしかに子どもがゲストであり、こちらはホスト側。

ある程度のもてなしは必要だったかもしれないが、あくまで教育者として立ち振る舞わないとならなかったと反省しています。

おかしやジュースは勉強の後に、ご褒美的なものとして差し出すべきだったでしょう。

 

子どもが望むものを何でもしてあげるのではなく、子どもの将来を考え、それが教育的に本当に正しいかどうか判断しなければならないのだと思います

それが目の前の子どもを不機嫌にさせることもあるでしょう。

しかしそもそもしつけとはそういうものだし、教育とはそもそも子どもから望んで受けるものではないのだから、そこは割り切った判断をしなければならない。

 

親にしろ、学校の先生をはじめとする教育者にしろ、ダメなものはダメと、威厳ある態度で子どもと接しないとならないと思います。

 

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2007年4月 9日 (月)

公立学校に競争原理??

都知事選は石原慎太郎が勝ちましたね。

投票に行って慎太郎以外に入れた人も、慎太郎に入れた人も、そして選挙に行かなかった人も、ようは全ての人がこれからの都政に注目していって欲しいと思います。

そして、何か問題があればどんどん文句を言えるといいですね。

 

さて、さっきニュースを見ていたら、教育再生委員会の話が出てきました。

何やら公立学校に競争原理を取り入れるとか。

つまり、公立中学の選択を都内で全て自由にして競争させる。そして、多くの生徒を集める学校の予算を増やすということです。

これに対する僕の見解は、「NO」です。

なぜなら、僕は義務教育の間は、教育は地域で行なわれるべきだと思うからです。

もし遠くの学校を選んで通うとしましょう。

学校では充実した生活を送れるかもしれません。

しかし部活をやれば帰りが遅くなるし、地元に帰れば周りに友人がいません。

当然保護者同士の付き合いもなくなります。

これは地域の崩壊を助長する流れといえるでしょう。

 

少し前までは地域密着などという言葉が流行り、地域の重要性がいわれていましたが、ブームが去れば忘れるのが日本人。

地域の重要性なんてもう頭にないのでしょうか。

何か問題を解決しようとして、未解決の問題を無視していては意味がありません。

社会問題はブームではないのです。

解決しなければなくなりません。

なくなったと思うのは、マスコミが騒がなくなっただけなんです。

そこを気をつけないと、いつまでたってもマスコミに振り回させ、利用されるだけの人生です。

 

さて、今回の問題が本格的に議論させるのはもう少し後らしいですが、どうか委員会にはよく考えて欲しいです。

競争の原理なんかを取り入れるよりも、もっと問題の本質を考えて欲しい。

予算を競争原理に則って分配すればいい教育ができるとは、僕には思えません。

そして地域離れを助長するという点でも、僕はこの案には断固反対します。

 

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