嘘の話

2010年12月12日 (日)

履き違えポリス

「はいはいはい、ちょっと止まって~」

 

お巡りさんが自転車で走る僕を止めた。

しかし僕は止まらない。聞こえていないからだ。イヤホンで耳の穴を完全に塞ぎ、そこから大音量の音楽を垂れ流してる僕に、お巡りさんの声は届かない。

それに気づいたお巡りさんは自転車を漕ぐ足に力を込めて僕の横に並び、僕の視界に入ってから再び僕を止めた。さすがに僕も気づき、大人しくブレーキをかけて静止した。

 

「ライト付いてないよね」とお巡りさんは言った。

「はい?」と僕は言った。まだイヤホンを付けたまだだった。

お巡りさんは懐中電灯を手に持ち、自転車を降りた。そして僕の顔に懐中電灯の光を当て、「ライト、ライト」と言った。

僕は眩しさのあまり顔を背けた。この夜中に突然目に直接ライトを当てられたのだ。しばらくは目が機能しないだろう。

ところがお巡りさんはお構い無しに僕の自転車のハンドルをとり、揺らした。「降りろ」ということなんだと思う。そう思ったわけではなかったが、僕は無意識に自転車を降りた。目はまだ見えない。

お巡りさんはそんな僕を横目に、防犯登録の番号を調べ始めた。無線を使って何か喋っている。

「名前は?」

徐々に目が機能を取り戻してきた僕はそんな問いかけを無視してお巡りさんに言った。

「ねぇお巡りさん。教えてほしいことがあるんだ。どうしてライトを付けなきゃいけないんだい?」

お巡りさんはふんっと一度鼻で笑ってから言った。

「あのね、法律で決まってるんだよ。夜間はライトを付けなければならないってね。罰則もちゃんと決められてる。君が知らないだけでね、世の中にはたくさんのルールがあって、それを知っていても知らなくても、それには関係なく、ルールを犯した者には罰があるんだよ」

お巡りさんは言いながらも作業をやめなかった。といっても僕は名前を答えていなかったからお巡りさんの作業は進むはずがなかった。たぶん、作業をしながら答えることで自分の言っていることが実に当たり前で常識的で疑う余地のないものだということにしたかったんだろう。

「お巡りさん。不正解だよ」と僕は言った。

お巡りさんが手を止めて僕を見た。ライトは向けてこなかったから、僕はお巡りさんと目を合わせることができた。

「法律だとかルールで決められてるから、それを守らなければならないなんてのは、何の説明にもなってないよ。法律やルールは何でつくられるんだ?それが守るべきものだからだ。少なくとも、作った人はそう考えたからだ。ところが法律やルールってのはきまっていつの間にか知らないところで出来上がっていて、勝手に押し付けられている。なぜそれが出来たのかなんて、僕たち庶民には伝えられないんだ。だから僕は聞いてみたんだ。『なぜライトを付けなければならないの』ってさ。それはつまり、ライトを付けなければならないというルールはなぜ作られたのか、というものだったんだよ。なのにお巡りさんから返ってきた言葉はこうだ。『ルールがあるから』。溢れんばかりのしたり顔でね」

と僕はここで一度言葉を切った。この言い分は、実に卑怯だと思ったからだ。お巡りさんの態度があまりにも気に入らず、怒りに任せて一息で思うがままに言ってしまったにすぎない発言だった。なのに、「お巡りさん、あなたは頭が悪いですね」と言わんばかりの内容だった。

「お巡りさん」と僕は改めて話を展開させた。

「そんなことはどうでもよくて、僕はね、お巡りさんにもっとカッコイイ答えを期待したんだよ。法律とかルールで決まってるとかそんなんじゃなくてね、一言『危ないから』と言って欲しかったんだ。僕だって好き好んでライトを消しているわけじゃないんだ。これはね、電池がさっき切れただけなんだよ。僕のは単三電池4つで付くライトだからね。お巡りさんの仕事はわかるよ。犯罪を取り締まるのは大事なことだよ。でもね、それを目的化するのって、何か違うんじゃないかな。僕はさ、お巡りさんの仕事は地域の平和を守ることであって欲しいと思うんだ。犯罪を取り締まるじゃなくてね。もちろん、平和を守るという目的のための手段として、犯罪を取り締まるはあって然るべきだと思うし、そこは是非お願いしたいところだよ。でもさ、犯罪を取り締まるために『犯罪はね゛ぇが~?』とか言って、まるでなまはげみたいに市民をギラギラした目で睨みつけてさ、何か目的が違うんじゃないかと思うんだよ。もっとさ、困ってる人を探すべきなんじゃないのかな?そこに犯罪があるならお巡りさんの出番だよ。なのに僕から見えるお巡りさんたちの行動や態度はさ、とてもじゃないけど困ってる人のためにあるものじゃないんだよね。そこへきてお巡りさんの答えだよ。あぁやっぱりなって僕が思うのも仕方ないと思わない?ねぇ、お巡りさん」

お巡りさんはずっと下を向いていたが、僕がいい終わると顔を上げ、「思わない」と言った。

 

 

 

 

 

 

 

嘘だ。

全部妄想だ。

 

でも、お巡りさんが何か木刀みたいなのを地面に突き刺すようにして交番の前に仁王立ちし、市民に向けて睨みをきかせてるのを見る度、違う、と思うんだよね、僕は。

 

 

ではまた。

 

 

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2010年3月 4日 (木)

コンビニ店員の寝言

今日は酔っ払ったので、帰りのコンビニでお茶を買いました。

深夜にも関わらず、レジにはおそらくオーナーなのでしょう、おじいさんがいました。

温かいペットボトルのお茶を持ってレジに行くと、おじいさんは言いました。

「137円になります。シールでいいですか?」

 

僕は、「おいおいおいおい、じじい。俺はな、別にシールなんて貼って欲しくねぇんだよ。シールを貼るのはあんたの都合だろうが。聞くならな、『袋に入れますか?』だ。そこで『いらない』なら、あんたの都合でシールを貼ればいいんだよ。それを『シールでいいですか?』だと?もし俺が、『いや、シールじゃなくていいです』って言ったらどうするつもりなんだよ。ていうかな、体に悪いからもう寝ろ!」と言いました。

おじいさんはペットボトルの側面に店名のロゴが入ったシールを貼って言いました。

「ありがとうございました~」

 

 

 

 

 

嘘です。

いや~、やっぱ僕、死んだ方がいいな。

お年寄りに何てこと言うんだ。

いや、言ってませんが。

 

 

ではまた。

 

 

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2010年3月 1日 (月)

コンビニ店員の迂闊

今日はまた昨日と同じコンビニで夕飯を買いました。

同じ店員さんがいました。

まさかこのブログを読んだとは思いませんが、今日は彼は叫びませんでした。

無難にレジをこなし、無難に袋詰めをしていました。

合計金額を正確には覚えていませんが、僕はその金額をお釣りが発生しないように払いました。

店員さんもそれを確認し、「ちょうどお預かりします」と言ってレジにしまいました。

そして彼は、レジから出てきたレシートを僕に渡しながら言いました。

「レシートのお返しになります。お確かめくださーい」

 

僕は言いました。

「おいおいおいおい。あんたは一体どうなってんだ。まずな、レシートは返すんじゃねぇよ。俺はあんたにレシートを貸した覚えも、預けた覚えもねぇよ。レシートはな、あんたが俺にくれるものなんだよ。分ったか。あとな、お確かめくださいって、何を確かめるんだよ。レシートの内容があってるかどうかを確かめるのか?違うだろ。あんたはいつもの台詞を無自覚に発したんだ。状況を判断せずに、いつも通りに行動した。思考停止だよ!あんたは発毛とともに思考も止まったんだよ!」

 

それから店員さんは言いました。

「またお越しくださいませ~」

 

 

 

 

 

嘘です。

しかしいちいちこんなことを考えてる僕は頭がいかれていると思いませんか。

今日は13時間も働きました。

 

 

ではまた。

 

 

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2010年2月28日 (日)

コンビニ店員のプライバシー侵害

先ほど、夕飯を買いにコンビにへ行きました。

栄養ドリンクと野菜ジュースとお惣菜と、明日の朝食用にパンを2つほど持って、レジへ行きました。

レジにいたのは中年ほどの男性店員で、首から商品の発注に使う機器をぶら下げて、熱心に発注数の入力に打ち込んでいました。

僕は「お願いします」と言って、レジに商品を置きました。

店員さんはストラップをぶりんとやって機器を背中側に回すと、両手を股間の前で重ねて、「いらっしゃいませ!」と叫びました。

そう、それは叫びでした。おそらく店内にいた3人のお客さん全員に聞こえるほどの叫びでした。

そして店員さんはその声の調子で、商品のバーコードをスキャンしながら、「120円が一点!」とか、「250円が一点!」とか、全商品の値段を叫び続けました。

おそらくマニュアル通りの行動。バーコードをスキャンする際は、確認の意味も込めて値段を声にも出すようになっているのだと思います。そういえば僕もコンビニでバイトをしていたときにそう習った気がします。やっていませんでしたが。

でも僕はその大声がとても不愉快だったので、「おい、そんなデカイ声で言う必要ないだろ。誰に言ってんだよ。俺にだけ聞こえればいいんじゃねぇのかよ。それをそんなデカイ声で言いやがって。プライバシーの侵害じゃねぇか。俺が買ったものをみんなに公表したいんか?それともなんだ?裏に社員でもいるんか?そいつに聞こえるように言ってんのか。ちゃんとやってますよ。やる気ありますよってアピールか。大体よ、最近のレジはこっちからも値段の表示が一点一点見えるようになってんだよ。だからさ、もはや声に出しての確認なんて必要ないわけ。必要なのは目が見えない人だけだな。俺はばっちり見えてるからもう全然いらない。そういえば目が見えないって表現はおかしいな。大体俺が見てるものって目以外なのにな」と言いました。

店員さんは言いました。

「合計802円になりまーす」

 

 

 

 

 

嘘です。

ちなみに僕は、もらったレシートを「いらないレシートはこちらへ」ゾーンに入れてしまう人間です。

プライバシーの保護を主張する資格なしっ!!

 

 

ではまた。

 

 

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2010年1月19日 (火)

同じ男

一日の仕事を終えて、いや、正確には、今日やるべき仕事を明日に持ち越すことを決めて、10階のフロアを出た。ICカードを読み込ませ、自動ドアをくぐる。朝買って一日かけて飲んだ、500mlのミネラルウォーターが入っていたペットボトルを脇にあるゴミ箱へ捨て、階段へと入る。

そこで一人の男を見かけた。

黒いスーツに黒い靴。黒いコートに黒い鞄。黒い髪にはべっとりとジェルがつけられ、オールバックをきれいに固めていた。社員なのか出入りのある取引先なのかは分からない。分かるのは、その男が少し先の階段を降りているということだけだ。

男との距離を一定に保ちながらエントランスのある2階まで降り、外へ出た。外は冬とは思えないような、湿気を帯びた肌に纏わりつく空気が漂っていて、どこか雨の匂いがした。もちろん雨の匂いというのは正確な表現ではない。正確には、雨に濡れたアスファルトの匂いとか、雨に濡れた土の匂いとか、そういうべきだろう。いつの間にか男は前からいなくなっていた。

会社のビルから最寄り駅までの道は、いつになく空いていた。これが1ヶ月前はクリスマスのイルミネーションを見に来る人々で賑わっていた街の風景だ。人間の細胞が日々違うように、街も1ヶ月ですっかり姿を変える。

そんな街の中に、男を見た。

黒いスーツに黒い靴。黒いコートに黒い鞄。黒い髪にはべっとりとジェルがつけられ、オールバックをきれいに固めていた。ぴんと伸びた背筋に大股の歩行。周囲よりもあからさまに速い歩みで、男は駅の方から来て、すれ違った。

駅の構内に入るとそこには、大学生だろう、若い男女が所々で輪を作っていた。

そんな輪の中に、男を見た。

黒いスーツに黒い靴。黒いコートに黒い鞄。黒い髪にはべっとりとジェルがつけられ、オールバックをきれいに固めていた。男は誰と喋るともなく、ただそこに立っていた。話しかけられれば愛想笑いを浮かべ、話しかけられなければただ足元に視線を落として集団の移動を待つ。それはまるで、親戚の家に連れて行かれた子どものようだ。いい加減帰りたいのに、親が帰らないから帰れない。

電車の中はサラリーマンと大学生と高校生がいた。他にもいたのだろうが、まとめるならそれだけということでいいだろう。朝も同じような時間な電車に乗り、帰りも同じような時間の電車に乗る。電車に乗る人間に個性なんてものが不要であることがよく分かる。もちろん、腕立て伏せにも個性は不要である。

電車が下りるべき駅に着き、電車を降りた。ホームから改札へと上がる階段を上っているとき、目の前に古い友人を見かけた。正確には、古い友人と思われる人物、だ。話しかけることもしなければ前に回り込んで顔を確認したわけでもない。だから実は全く知らない人だった、ということもありえるというわけだ。いや、顔を確認したところで、一体誰がその人物が確かに古い友人であると証明できるのであろうか。その人物は他のホームへ降りる階段へ向かった。

改札を出てバス停に向かい、バスに乗った。バスはこの時間には珍しく込んでいて、座席は空いていなかった。鞄から文庫本を取り出し、文庫本をちょうど読み終えたところで、目の前の座席が空いた。

そこに座った瞬間、男がバスに乗り込んできた。

黒いスーツに黒い靴。黒いコートに黒い鞄。黒い髪にはべっとりとジェルがつけられ、オールバックをきれいに固めていた。男は僕のすぐ横に立った。そして僕に、こう言った。

 

 

「もう気づいてるんだろ」

 

 

 

 

 

嘘だ。

 

ただ、こういった場合、あの男は同一人物なのか、あるいはまったく違う人物なのか、あるいはドッペルゲンガーなのか、一体どうやってそれを証明できるのか。同一人物ではない、という証明は、物理的に無理、という言葉を以ってすることができるかもしれないが、この「物理的に無理」というのは一体どういうことなのか。物理的限界を証明せずに使える言葉ではないはずだ。将来、瞬間移動が現実的なものなった場合、一体どれほどの冤罪が立証されるのだろうか。

そしてこれは、一体何の話なのだろうか。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年11月29日 (日)

バスの話

僕は西武新宿線の花小金井駅行きのバスに乗っていた。PASMOを当てて料金を支払い、空いてるバスの一番後ろの席に座った僕は、音楽を聴きながら小説を読んでいた。乗客は、一番前のちょっと高くなった席の両側に二人と、優先席に一人、一番後ろの席の、僕とは逆側に一人がいるだけだった。なぜか優先席に座っている男だけが若くて、後はおじいさんかおばあさんだった。あの高い席におばあさんが座っている光景は、少し異様にみえた。しかもその後ろの優先席には若い男が座っている。

バスという乗り物は、生活が見える気がしていい。病院前のバス停で降りればおそらく病院に用があるのだろうし、団地前で降りれば家に帰るんだろうと想像ができる。買い物袋を提げている人も多い。電車だとこうはいかない。そもそも、電車は乗客が多すぎて一人一人のストーリーを想像することすら難しい。というよりも億劫だ。

バスはいくつかのバス停を通過した。どうやら乗る客も降りる客もしばらくはいないらしい。土曜日の午後。おそらく今から出掛ける人も、今から帰る人もいないのだろう。今まさに、遊びや習い事や食事会の真っ最中なのだ。雲ひとつない空に、やや強い風、暖かい気温、空いているバス。もし天国というものがあるのなら、そこにはこういう情景もあるんだろうなと思った。

バスは狭い道で速度を落とした。運転手は対向車とすれ違う度に、慎重に車を寄せた。プロの技。決して接触はしない。

やがてバスがとある公園前のバス停に停車した。そこで、優先席の男が降りた。代わりに女子高生が乗ってきた。女子高生は、後ろ半分の一段高くなった席の一番前に座って、乗ってきたときから手に持っていた携帯電話をいじくり出した。メールを打っているのか、インターネットでどこかのサイトを見ているのか、ただ過去の受信メールを見ているのかは分からなかった。あるいは株の売買をしていたのかもしれない。あの熱心さと指の動きを見ているとそんな気すらしてくる。指圧マッサージのトレーニングという可能性も排除し切れない。

バスは再び走りだし、公園沿いの直線道路を行く。僕と同じ一番後ろの席に座っているおじいさんは、ずっと新聞を熱心に読んでいる。僕は2007年に大学を卒業して以来、新聞をほとんどといっていいほど読んでいない。このおじいさんは一体、いつから新聞を読むという習慣を始めたのだろうか、と考えた。そしてそれは、何かの役に立ったのか、と考えた。しかしすぐに取り消した。それを言ったら僕が読んでいる小説だって同じじゃないか、と思ったからだ。僕が村上春樹を読むのはちょっとかっこつけたいからだし、伊坂幸太郎を読むのは幸せな気分になりたいからだし、恩田陸を読むのはちょっと不安になったり恐怖したりしたいからだ。なんだ、新聞の役割とまったく同じじゃないか、と僕は思った。

バスが次のバス停に止まった。そしてまた、一人の若い男が乗ってきた。その男は誰もいない優先席に座った。ん?少し気になったが、僕はまた文庫本に目を落とした。でも今日は本よりも音楽に頭がいってしまう。こういうときはたまにあるが、そういうときはあまり本が面白くないときだ。僕は本を閉じて鞄に入れた。そしてポータブルオーディオプレーヤーを操作してお気に入りの曲をランダム再生の中から探していた。これじゃない。これじゃない。これじゃない。ピピ。ピピ。ピピ。何度か曲を先送った後に、最高のイントロが聴こえてくる。その瞬間、多くの男女が飛び跳ね、あるいは走り出す映像が浮かんだ。ヴォーカルの声が聞こえだすと、今度は気持ちよく叫ぶバンドの映像が浮かんだ。きれいな声なんて出そうともせず、ありのままの自分を曝け出す姿だ。

僕は外に目をやった。気づかない間にバス停に着いていたらしく、さっき乗ってきた男が降りるところだった。ちょうど外に目をやっていた僕は、ずっと男を見ていた。男は、バスからぴょん、と飛び降りるようにして降りると、地面に足が着くや否や地面を蹴って走り出した。バスの進行方向と同じ方向へ。乗ってくる客はいなかった。バスは男を降ろすとすぐに走り出した。道は空いている。バスは大げさなエンジン音を響かせて加速した。しかしその加速が何の為だったのか疑いたくなるくらいすぐに、バスは次のバス停に着いた。そこでは一人のおばあさんが乗ってきた。おばあさんは運転手に手に持っていた何かを見せると、誰もいない優先席に座った。それを待って、ドアが閉まりバスが走り出した。

そのときだった。バスがきぃっと急停車し、前方のドアが再び開いた。「すみません。ありがとうございます」という声の後に姿を見せたのは、先ほどのバス停で降りた男だった。男は運転手に何かを見せると、優先席に座った。男は同じことを、次のバス停とその次のバス停でもやった。どこまでやるのか期待したが、次に男がバスを降りてからは、もう二度と男がバスに乗ってくることはなかった。予定通り降りるべきバス停で降りただけなのか、次のバス停でバスをつかまえられなかっただけなのかは、分からない。念のため後ろを振り返ってみると、そこには全力で車道のど真ん中を疾走する男の姿があった。なんてことはなかった。

やがてバス内に、終点を告げるアナウンスが響いた。それに反応するように一番前に座っていたおじいさんがバス中に聞こえる声で言った。

「中央特快東京行きが1番ホームに入ります。国分寺を出ると次は三鷹に止まります。武蔵小金井、東小金井、武蔵境をご利用のお客様は、2番ホームに停車中の快速東京行きをご利用ください。駆け込み乗車はおやめください!」

僕は慌ててバスに表示された終点のバス停の名前を確かめた。そこには確かに「花小金井駅」と書かれていた。

一番前のおじいさんは後ろを振り返り、ほんの一瞬だけ微笑んだ。

 

 

 

 

なんてことは、全部嘘だ。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年11月23日 (月)

神様が残したもの

朝起きると、ベッドの下で知らないおっさんが寝ていた。おっさんの顔は髭でそのほとんどが隠れていて、紺色の汚いジャンパーにカーキー色のズボンを履いていた。コタツに足の先っぽだけを入れて、寝息も聞こえないほど静かに寝ていた。

ほとんど「気をつけ」の姿勢だった。そういえば、最後に「気をつけ」をしたのはいつだろうと、僕は思った。

僕は混乱したわけではなかったけど、状況のすべてを理解したわけでもなかった。とりあえずもう一度布団をかぶり、仰向けに横になった。この状況を落ち着いて考えてみようと天井を見上げていると、視界の左側に何か起き上がるものがあった。

おっさんだ。おっさんが、起きた。

「おはよう」おっさんは、まるで僕の親戚の人みたいな気軽さで、言った。

「だれ?」僕は当然思うべき疑問を、やっと口に出した。

「あぁ、驚かせたか。悪いな」

「いや、別に驚きはしないけど。とりあずさ、おっさん誰よ」

「まぁそうくるよなぁ。う~ん、何て言ったらいいのかな。いつもさ、そうくるんだけどさ、こう、しっくりくる答え方ができねぇんだよ」

なに言ってるんだこいつは、と思った。いつもって何だ。でもここは一旦聞くべきだと思った。

「まぁ、分かりやすく言うとさ、あれだよ。本当はこういうのも正確な話じゃねぇんだけどよ」

「なに?」僕はちょっとイライラしながら続きをうながした。

「神様だよ」

は?

「ほら、お前俺の寝てる姿見ただろ?どうだった?すげぇいい姿勢で寝てただろ。あんな姿勢で寝てるやつなんか見たことあるか?ねぇだろ。それが神様なんだよ。神様はさ、すげぇいい姿勢で寝るんだよ」

“神様”はそういってトイレに入った。トイレの電気のスイッチの位置も知っていた。洗面所と風呂場とトイレの電気のスイッチが一箇所に集まっているにもかかわらず、神様はトイレの電気を一度でつけた。

僕はきょとんとした。それ以外に、僕のあるべき状態はないように思えた。どんな思考もできない。できないなら、きょとんとしていようとすら思えた。それくらい思い切ってきょとんとできた。

神様はすぐにトイレから出てきた。水を流す音がしなかった。

「トイレで何してたの?」

「何ってお前、トイレですることなんて一つしかねぇじゃねぇか。ウンコだよ、ウンコ」

「流した?音聞こえなかったけど」

「流したよ、流した。神様だからな、そうなっちまうんだよ。聞こえねぇんだ」

ふ~ん、と思うはずがなかったが、それ以上突っ込む気にもならなかった。

やがて神様は冷蔵庫を開け、食材をいくつか取り出して朝食を作り始めた。僕はそれを特に止めなかった。神様のやることに文句をつけてはいけない、と思ったわけではなかったが、神様には、有無を言わせない何かが確実にあった。

食パンを2枚焼き、ハムエッグを2つ作り、熱い紅茶を2つ入れた神様は、それを一人で全部食べた。

「じゃあ、邪魔したな」

神様はそう言い残すと、そそくさと玄関のドアを開けて出て行った。それからしばらく、というよりも神様がそこにいたときからずっとだけど、僕はベッドから出れずにきょとんとしていた。

10時くらいに、やっと僕は体を動かすことができた。とにかくベッドから出て、今日をはじめなければならない、と思ったのだ。テーブルの食器を流しに片付け、顔を洗い、トイレに入った。

トイレには、ウンコがあった。でっかくて、真っ黒で、硬そうな、ウンコが、あった。

 

 

 

 

嘘だ。

 

 

ではまた。

 

 

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2009年11月 8日 (日)

共存

僕は自転車に乗っていた。週末の晴れた午後。調布駅から三鷹市内へ向けて北へ走っていた。

2人の野球少年とすれ違った。ユニフォーム姿の背中にはバットケースを背負い、ヘルメットをかぶって立ち漕ぎをしていた。

次にキリンが僕を追い抜いていった。のそのそと歩くイメージのあるキリンだが、実は走るとめちゃくちゃ速い。本当かどうか知らないが、時速50kmで走ることができるらしい。自動車と並走しているのだから確かなのだろう。

やがて赤信号に引っ掛かった。先ほどのキリンも引っ掛かっていた。キリンが言った。「あなたの自転車、キコキコ言ってるじゃない」

僕は言った。「うっせぇ」そこで信号が青になった。僕は3段ギアの一番軽いギアに入れて飛び出した。キリンは遅れた。脚が長いせいで加速が遅いのだ。

キリンが追いつく前に、僕は横道に入った。

そこにはワニが僕を待っていた。「お前を待っていた」とワニは言った。「そうか、待たせてすまん」と僕は言った。

「いや、それは気にすることはない」

「ただ、道を教えてくれ」とワニは言った。

僕はワニの額に貼られていた紙に目をやり、目的地の歯医者を教えてやった。そこは僕の同級生の父親がやっている歯医者だ。「院長によろしく」と僕は言った。

「ところで、僕を待っていたんじゃないのかい?」

「いや、ただ、道を教えて欲しかっただけなんだ」

ワニは腹をアスファルトに擦りつけながらよちよちと歩いていった。

僕はそこから少し自転車を漕ぎ、目に付いた定食屋に入った。汚い紺色の暖簾のかかった古臭い定職屋だ。客はいなかった。カウンターがあり、その中に店主がいた。ゴキブリだった。ただゴキブリにしては大きい。体長は人間と同じくらい。ただし形は普通のゴキブリと同じだから、人間よりも一回り大きく見える。ねじり鉢巻をしていた。

「いらっしゃい。適当に座ってよ」とゴキブリは言った。「どうも」と僕は言った。

できるだけカウンターから離れた4人掛けの席に座り、メニューを手に取った。いたって普通のメニューだ。カツ丼とかカレーとか刺身定食とか、定食屋の定番メニューばかりがそこには並んでいた。

僕はゴキブリを呼び、刺身定食を頼んだ。ゴキブリはここでやっと、水をテーブルに持ってきた。

「刺身定食ですね。少々お待ちください」とゴキブリは言ってカウンターの中へ戻っていった。

僕は店内を見渡した。マンガもなければテレビもなかった。ただ、悪くなかった。店のテーブルとかイスは、見るからに年季が入っていたがちゃんと手入れがされていて清潔だったし、メニューのデザインもセンスが良かった。ただ、料理が出来るまでやることがなかったので、窓から見えたウサギと鷹の大喧嘩を眺めていた。ウサギが押していた。

やがて店主がカウンター脇の出入り口から姿を現し、四角い盆に載った料理を運んできた。

「おまちどおさまでした。刺身定食です」

「ありがとうございます」と僕は言って、割り箸を割った。

刺身定食はなかなか美味しかった。冷凍っぽさもなければ、生臭くもなく、ご飯も水気がちょうど良かった。

「ごちそうさまでした」と言って、僕は席を立った。レジのところまでゴキブリが出てきて、僕は千円札を1枚出した。お釣りの680円を受け取って、僕は「美味しかったです。ここって、いつからやってるんですか?僕この辺が地元なんですけど、今まで知らなかったですよ」と言った。

「3億年ほど前から」とゴキブリは言った。

僕は店を出て、停めておいた自転車に跨った。上空を見上げると、1羽の大きな鳥がぐんぐんと上空へ飛んでいくのが見えた。「キィー!」という奇妙な鳴き声をしていた。悔しい、と僕には聞こえた。

僕はそのまま病院へ戻り、いつものベッドに入った。

 

 

嘘だ。

 

 

ではまた。

 

 

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