原子の大きさに対して僕らはなんて大きいんだ
物質の構成単位である原子(ちなみに最小単位ではない)の大きさはおよそ1オングストローム。
※オングストロームとは、1メートルの100億分の1。
それに対して人間の大きさは身長1~2m、体重30~200kgといったところ。
僕らはなんでこんなサイズでなければならないのでしょう。
僕が先日読み終わった本、「生物と無生物の間」(福岡伸一、2008)ではここから生物学的な、より専門的な話に入っていきました。
でも僕はここで立ち止まり、もっと簡単な、誰にでも考えることができる領域に入っていくことにしました。
原子が何なのか僕にはよく分かりませんが、僕たち人間を構成する単位であることに間違いはありません。
そしてもし、僕たち人間の存在する目的が「ただ存在すること」であれば、僕達は原子をこんなにたくさん集めて巨大になる必要はなく、ただ原子のままいればいいはず。
でも現実に僕らはそうではない。
じゃあ生物であるためか。
原子が生物かどうかは分からないし、そもそも生物って何だって感じですが、そこは置いといて、人間の存在する目的が「生物として存在する」であれば、原子は集まって何らかの組織を構成し、生物とならなければならなかったのでしょう。
でも、ただ生物として存在するだけでもこんな巨大である必要はない。微生物の方がよっぽど効率がいいし、生存率も高い気がする。
ここまできて僕は面倒くさくなりました。
分かるわけがないと。
何で人間がこんなにも巨大でこんな形をしているのかなんて。
だから僕は、ある意味では神様の存在を認めようと思うのです。
まぁ別に神様の存在がなくてもいいのですが、人間はこうなるべくしてなったというか、そういう運命だったというか・・・。
つまり、人間の存在は否定のしようがないということ。
僕はそこに行き着きました。
ただ生存・子孫繁栄のためだったらこんな面倒な形になる必要はなかったであろう僕たちが、今こうであることは、もうどう頑張っても否定できない。
だからもう、神様的な存在が作ったというのがいいんです。
そう考えると人間そのものを認められるようになってきます。
こんな奇妙な生体が何をしようともう驚かないぞという風に。
環境破壊も戦争も別に普通。何なら起るべくして起っている問題なのです。
もちろん、だから放置しておけということではなく、それらを、当然人間がするであろうことだったと捉えることが大事なんだと思うのです。
よく僕は他人を反面教師的に見て「あの人はなんであんなことをするのだろう?」とか思ってしまいますが、もともと意味の分からない生物である人間なのだから、その行動だって意味分からないものでいいんですよね。
だからね、一旦すべて受け入れてしまえばいいんです。
気に入らないこともあるけど、それも受け入れる。その上で批判をするってのがいいと思います。
そうすれば人間みんな滅べばいいなんて思わず、より現実的な問題解決ができる気がします。
原子の大きさと人間の大きさを比較し、人間の否定できない存在を知る。
そして人間を認める。
人間の行動を認める。
批判する。
自分でも何を書いてんだかよく分からなくなってきましたが、要するに人間そもそもを否定する場合、生物学の領域から否定できなければ駄目だってことで、それは無理だろうから、完全に人間を否定して生きるのではなく、受け入れていこうってことで、これは僕が僕自身にただ言い聞かせたくて書いただけのことなのです。
だから意味分からなくてもいいんです。
僕が分かってれば(笑)
でも原子の大きさを想像すると、人間ってのはもはや宇宙だよね。
ではまた。
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